第百三十九話:傅役の願い
地下十階に入ってからというもの、ずっと感じていた事がある。
今までの迷宮の階層と比べ、
ともすれば魔素の過剰摂取によって、魔素酔いを起こしかねない程に。
魔素に対する感度の低い俺ですらそう感じるのだから、他の仲間はどうなっているのであろうか。
貞綱は俺と同程度に魔素に鈍いが、アーダルとノエル、そしてフォラスは顔色が青い。
今にも倒れそうなほど足取りも危うかった。
「地下十階に入って早々ではあるが、少し休もう。このままでは不味い」
「そうしようかの。地下十階は久方ぶりに入ったが、以前よりはるかにマナが濃く漂っておるわ」
敵を退ける魔法陣を描き、その中で小休憩を取る。
あまりにも濃い魔素は、時に毒にもなりかねない。
高い山に登る時にはその酸素の薄さに体を順応させるように、魔素の濃度にも体を慣れさせる必要があるのだ。
「ちょっと試したい事がある」
フォラスは張っている魔法陣の中で立ち上がり、詠唱を開始する。
「テレポート」
「ではこれならどうか。スペースディテクション」
今まで探索した範囲の地図と座標を、術師の脳内に示す魔術。
しかしフォラスは首を傾げ、顎鬚を撫でつけているだけだった。
「ダメじゃの」
「他の常駐魔術や奇蹟はどうなんでしょうね」
アーダルが尋ねると、ノエルが試しに
奇蹟を唱え終わると、手からふわりと陽光に似た光が浮かび上がり、周囲を照らす。
同じくフォラスが
「空間に作用するものだけが制限を掛けられているという訳か。フォラスが仕掛けたのか?」
「儂はこんな仕掛けはやっとらん。誰ぞが小細工したんじゃろう」
俺の先祖たちは魔術や奇蹟の類は全く知らないし使えない。
仮に五百年もの間に身に付けたとしても、魔術や奇蹟を阻害する術までは知る由もないはずだ。
ならば地下十階に入った侵入者か、とも思ったがフェディン王たちは戻る事も考えなければならないから有り得ない。
他の地下十階到達者にしても同じだ。
新たにここに現れたものの仕業と考えるのが自然だろう。
となれば、魔界の門から呼び出された魔物がやったとしか考えられない。
空間を操れるものともなれば余程の高位の悪魔であろう。
そのような悪魔と戦うとなれば、命を賭けねばならない。
果たして勝てるのか。
考えるな。
考えるのは目の前に現れてからだ。
ぴしり。
乾いた音が、俺の左腕から響いた。
「
数珠玉がまたしても壊れ、残りは一玉のみとなった。
鬼神の力が明らかに増しているとしか思えない。
濃厚な魔素を吸収し、力を貯えているのか。
これから先に進むにつれ、封印は解けていくだろう。
そうなったらどうなるのか。
想像すらしたくもない。
その時にならなければわからないかもしれないが、目の前に現れる敵とは異なり、俺の中に鬼神は居るのだ。
内なる脅威が虎視眈々と機会を伺っている。
それを思うだけで、俺は震えが止まらなくなっていた。
「宗一郎」
ノエルが何時の間にか、隣に寄り添った。
言葉にせずとも態度を見れば、俺の心の機微が読めるのだろう。
アーダルはそれに嫉妬して、頬を膨らませながら逆側から寄り添ってきたのだが。
「こんな所で女子に寄り添われるとは、若も隅に置けませぬなぁ」
「全く、若い者はどのような場所でも隙あらばこうやっていちゃつこうとする」
「俺はそんなつもりは全くないんだが?」
とはいえ、この二人の茶化しも俺の凝り固まっていた気持ちや恐れをほぐす効果もあった。
ある意味で意気込みすぎていたのかもしれない。
覚悟を仲間に問うておいて、自分の覚悟はまだ出来ていなかったのだ。
肚は決まった。
いざ俺に何かがあったとしても、仲間が何とかしてくれるはずだ。
仲間に頼ってもいいじゃないか。
俺は一人で何でも出来る完全な存在ではない。
何もかも完全に、完璧にこなせるのは神だけだ。
いるとも知れない、神だけが。
俺はそこらに居る人間のひとりに過ぎない。
不完全で、間違いだらけの欠けた所ばかりの存在だ。
だからこそ他者と交わり、補完しあってこそ完璧に近づいていく。
それでも完全になれるとは思わないが、そうやっていくことこそが俺たち人間なのだろう。
ようやく魔素の濃度に慣れ、休息を終える。
フォラスが改めて周囲を見回す。
「死体の山や血が目に付くが、この階層の構造は変わっていなさそうじゃの。さて、この近くに上層へ上がる為の魔法陣を描いていたがどうなっているかな」
「この付近にも? 何の為に」
「魔法陣は色んな場所にあった方が便利じゃろう。転移魔法陣を描いておけば、自分の魔力を消費せずにも済むしの」
如何にも合理的な理由であった。
侍の死骸の先に、さらにもう少し空間がある。
そこに魔法陣を描いていたようだ。
しかし今は、魔法陣の図柄が何者かに荒らされて効果を発揮しなくなっている。
「やはり上層には逃がさないという何らかの意思を感じるのう」
「逃がさないって言うのなら、そいつらを見つけてぶっ倒すまでよね」
「全く同感だ」
ノエルの言葉の通りだ。
楽天的な気持ちで言っている訳ではない。
自らを、仲間をも鼓舞するためにそう言っているのだ。
上層に上がる前に、迷宮の主や仕掛けを施した奴を倒せば全てが片付く。
「ところで、この階層が変わっていないのなら構造はどうなっている?」
「各部屋を転移魔法陣で繋げ、一部屋ずつ通らないと研究室には来れないようになっておる。万が一、侵入者が入ってきたら困るからの」
各玄室を一部屋ずつ通らないといけないのか。
中々に厳しいな、普通であれば。
「だが、フェディン王や影法師が先を行っているのなら、もしかしたらな」
この通路の先にある玄室に入ってみればわかるだろう。
俺たちは常駐魔術と奇蹟を掛け終え、一つ目の玄室の扉の前に立つ。
返り血が飛び、生々しい戦いの痕を残す扉を蹴破り、玄室の中に飛び込んだ。
それほど広くはない、迷宮における一般的な玄室。
その中には、死体がゴロゴロと転がっている。
魔物、あるいは王国兵の死体だ。
酸鼻を極めるが如くの光景。
地獄がこの世に一部現れている。
迷宮探索に慣れ、死体を幾つも見て来た俺たちにとっても、これほどの光景は見たことが無く、流石に眉を顰めもする。
いったいどれだけの兵士を此処に連れ込んできたのだ、あの暗愚な王は。
そして魔物も何時の間にこれだけ現れているのか。
封印は今まさに解けようとしているのかもしれない。
だが、異様な光景に反して、守護者となる魔物は生きては居なかった。
「フォラスは各玄室に守護者が現れる仕掛けを施していたんだよな?」
「無論。しかし、倒された守護者がすぐに補充されるわけではない。ある一定の間隔が必要となる。各玄室の強力な守護者を倒せる者は儂が迷宮を支配している間は現れなかったから、別にそれで十分じゃったんだがの」
フォラスによると、ここには
成程な。
如何に強力な守護者と言えども、数の暴力には勝てない。
「転移魔法陣は無事だ。次へ行こう」
次の通路に飛び、また玄室に入る度に同じような光景が見受けられる。
部屋を過ぎる度に、王国側の死体の数は減り、魔物の死骸が増えていくが。
王国の生き残りは間違いなく手練れだろう。
六つの玄室を越え、七つ目の通路に入った所で何やら騒がしい事に気づく。
争っている声。
金属音と打撃の殴打の音。
魔術の詠唱とその後に何かが焼けたり、あるいは雷撃が落ちる凄まじい音響。
その合間に、猿叫のような金切声に等しい叫びも聞こえてくる。
「最後の玄室で、影法師とフェディン王たちがついに衝突したか」
貞綱が言った。
「共倒れしてくれればいいがの、そうはならんじゃろうな」
影法師は一人でも圧倒的な力を誇るが、だからといってフェディン王たちが負けるかと言うとそうではない。
どちらが勝ってもおかしくはないのだ。
「どうします? 僕たちもこの中に割って入りますか」
「悠長に待っている時間はないだろう」
追儺の数珠が壊れかけており、魔物がこれだけ溢れている辺り、既に封印は限界を迎えようとしている。
とはいえ、中に突入して三つ巴になるのも望ましくはない。
どちらかが倒れたのを見計らって突入するのが安全ではあるが、結局戦う事に代わりはないので消耗は確実にするだろう。
悩ましい。
考え込んでいる時、フォラスがにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「彼奴らには悪いが、ズルさせてもらうかの」
「ズル、とな」
「儂は時空を操れる魔術師である」
「それはわかるが、空間転移などは制限されているであろう。どうするのだ」
するとフォラスは鼻を鳴らす。
「儂が独自に開発した術式は、既存の対処方では封じられんよ」
そんなものなのか。
フォラスは印を結び、詠唱を始める。
「我が名において時空を司るものに命ず。異なる次元空間の理を、この世界の次元と繋げ、我らが存在を一時において高みの次元へと置換せよ」
――次元位相置換――
すると、俺たちの体が半透明に変化し、存在が朧気になる。
「壁に触れてみよ」
言われるがままに、壁に手を触れてみるとその向こう側へとすり抜けていった。
まるで幽霊が如く。
「何ですか、僕らが幽霊になったみたいにすり抜けるなんて!」
「驚くのも無理はなかろう。今、儂らの体はこの世界の三次元空間よりも高い次元空間の存在へと変わっておるからの」
「これなら石の中に居ても怖くないわね」
皆がこの魔術の効果に驚いているばかりだ。
「のんびりしている暇はないぞ。この魔術は効果時間が短い。さっさと壁の中を通り過ぎて研究室に繋がる通路に辿り着かねばな」
「方角は?」
「ここから南に向かっていけばすぐ研究室の前に行ける」
「了解した。急ごう」
そして壁の前から一歩踏み出し、俺たちは石の中を通っていく。
勿論石の中で見えるのは、石の素材や質感のみである。
闇の中を通るのに近いかもしれない。
まさに奇妙な、亡霊でもなければ得られないような奇妙な感覚。
ここで魔術が切れてしまったら、本当の亡霊になってしまうのだが。
歩いていると、いきなり目の前に空間が広がった。
通路だ。
「意外と近かったですね」
「でなければ儂もこんな魔術は使わん。すぐ抜けられなければ即死は免れぬからの」
「どこでもすり抜けられるの、楽しそうだけどね。それこそ犯罪者が逃亡するのにとても便利そうだけど」
軽口をたたき合っていたが、研究室の前に立つと自然と誰もが喋らなくなった。
凄まじい妖気が部屋の中から発せられている。
濃厚に渦巻く魔素もまた、この中から生まれているのだろう。
研究室の扉越しであろうとも、肌に突き刺さる殺気。
それだけで弱い生き物なら即死してしまうだろう。
確実に迷宮の主はそこに居て、魔界に繋がる門も在る。
目で見なくとも、肌の感覚と直感で伝わって来る。
そして扉の前には、一人の侍が立っていた。
当世具足を身に纏い、右手には十文字槍を携えて。
迷宮の主を守る者の一人なら、即ち手練れであることを意味していた。
「……何奴か」
しわがれた、今にも消え入りそうな声で誰何する。
よく見れば、侍はすでに老齢に差し掛かっていると思われるほどに皺が顔に深く刻み込まれていた。
何らかの若返りの手法を使ったとしても、既に生命力が失われそうになっているのかもしれない。
「我が名は三船宗一郎。三船家の現当主である」
厳密には当主ではないが、背中の野太刀と共に身分を示すと、侍はかっと目を見開いた。
「真の三船家の子孫が、異国へ逃げた我らを追って来るとは如何なる因果によるものか……」
「俺は其方らを追ってここまで来たわけではない。結果的にこの国に辿り着いただけだ」
「そうだとしても、運命と言うものがあるとしたら拙者はそれを信じたい。ここまで来れるだけの強さを持っているのなら、是非とも宗一郎様にはお頼み申し上げたい」
我が主を、侍として死なせてやってほしいのだ。
「拙者は主の傅役でした。宗成様が幼い頃からずっと剣技を教え、侍として生きるとは如何なる道であるかというものを叩き込み、長じてからは共に道を歩んで参りました」
それだけに、ずっと苦しんでいる様子を見続けるのは辛かったと語る。
「拙者が主を介錯出来ればそれが一番だったのですが、叶わぬ故に無駄に苦しませてしまいました。それが悔しゅうてなりませぬ」
「俺に出来る限りの事はしよう」
「済みませぬ。子孫にこのような事を頼むのは慙愧の念に堪えません。しかし、宗一郎様が何故ここに来たのか。迷宮探索の為だけとは思えませぬが」
「鬼神と長き間対峙してきた宗成様と、話してみたいとも思ってな。俺の中にも鬼神がいるのだ」
「なんと……。宗成様が正気であれば良いのですが」
「そうでないなら、正気に戻すまでよ」
「なんと実に頼もしい答え。拙者はもう疲れ果てました。宗一郎様が長き因果の流れを断ち切ってくれるなら、もはや未練はありませぬ」
「なれば、三船家が当主宗一郎が、其方の任を今こそ解く。ゆるりと心と体を休めるが良かろう」
そう言うと、侍は笑って膝から崩れ落ちた。
もはや意志のみでこの世に留まっていたのだろう。
肉体は腐り落ちる過程を飛ばして灰となり、風化して消えてしまった。
「ずっとここで主を倒してくれる誰かを待ち続けていたのね。可哀想……」
「最後に希望を抱いて逝けるのは、良い人生の最期であろう。大抵は誰もが死にたくないという我を抱いて死んでいくものだ」
貞綱が何気なく言った。
「死にたくないなんて、誰だってそう思うんじゃないでしょうか」
「同意だな。俺も死にたくないとは思っている。その想いとは裏腹に、死地に向かおうとしているが。矛盾しているな」
「確実に死ぬというわけではなかろう。儂は確定で死ぬ所には飛び込もうとは思わぬよ」
死中に活を求めてこそ生きる道もある。
俺たちだけが生きるのなら、別にこの迷宮の主を倒す必要もなく、門を封印する必要もない。
魔界から魔物が溢れたとしても、世界が滅びるまでには時間が掛かる。
だが放置すれば、確実に世界は魔物で跋扈してしまい、人類は滅ぼされる。
それは俺たちが望む未来ではない。
「主を倒す。門を倒す。そして、生きて戻るんだ。誰も欠ける事のなく!」
行くぞ!
声を掛け、鼓舞し、今一度俺は研究室の扉を蹴破った。
果たして待ち受けているものは、鬼神であろうか。
それとも、かつての三船家の男、宗成であろうか。
いずれにせよ、侍としての生き様を果たさせてやる。
それが傅役の最後の願いなのだから。
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