第百三十七話:古き時代の終焉

 メナヘムと貞綱は対峙している。

 神の加護を得たおかげで、幅広の長剣ブロードソードから陽光に似た光が放たれていた。


「はあっ!」


 気合の声とともに、メナヘムの剣戟が貞綱に襲い掛かる。

 身体能力が向上しているのか、思わず貞綱も目を丸くするほどに鋭い踏み込みと喉笛を狙う突きで貞綱の上体を逸らしている間に、左手の盾での打撃で押し込んでくる。

 盾での打撃とはいえ、馬鹿にしたものではない。

 むしろその打撃の当たり所が悪ければ致命傷になる。


「!」


 貞綱は盾での一撃は貰ったものの、次に来る斬り込みをかいくぐり、居合による抜刀でメナヘムの盾を持っている左腕を斬り落とした、かに見えた。

 確かに斬った音もして、出血もあった。

 地面には幾らかの血が滴り、血だまりを作っている。

 だがメナヘムの腕は繋がっている。

 貞綱の刀が腕を通り過ぎた後には、もう既に出血は止まっていた。

 そして躱したはずの貞綱の胸のあたりに、刀傷が作られていた。

 

「刀身が伸びて届いたかと思ったが、浅かったか」


 メナヘムは切られた左腕の感覚を確かめるように上下させた。

 何事もなく動いている。


「再生能力か」


 すぐに看破した貞綱。

 即座に治癒が始まる辺り、相当な再生力である。寄生体並みか?

 

「神の加護がその程度で少し安心した。今退却するなら見逃がしてやっても良い」

「神の代理人を侮辱するか。ならばその命で代償を払え」


 神の加護を恃みにして何が剣士か。

 自らの腕前のみを頼りにし、敵を叩き潰すのが剣士である。

 自らを助けるものにこそ、目の前を照らす灯りは生じる。

 幼い頃に、貞綱から叩き込まれた心構えだ。

 胸から流れる血を指ですくい舐め取り、貞綱は再び納刀して呼吸を整え始めた。


「霊気錬成の型・刹那」




 そしてフォラスは、フラウィウスとの魔術合戦を既に始めていた。


「我が言霊に於いて火の精霊に命ず。我が眼前に立ち塞がる神敵を、その聖なる炎で以て清浄にし、魂を救済に導き給え」


 ――炎鳥フェニックス――


 フラウィウスの杖から放たれるのは不死鳥を模った炎の魔術である。

 対象を全て焼き尽くし、灰すら残さないと言われた炎系の最上級の魔術。

 火に耐性が無い限り、即死どころか魂すら天上に直行するという恐るべき魔術だ。

 灰すら残らない。

 蘇生するための肉体が無いのだから当然とも言えるが。


「確かに素晴らしい魔術だ。奇蹟と魔術を両立する為に、どれほどの修練を積んできたことか、その苦労がしのばれる」


 しかし、フォラスもまた魔術師としては最上位の位階レベルにある。


「だが、如何に凄いとはいえ魔術は所詮魔術なのだ」


 短縮詠唱で魔術障壁アンチマジックを繰り出す。

 魔術障壁によって防ぎ、止めている間に炎鳥を構成している魔術の術式を瞬く間に分解、破壊する。

 不死鳥を模った炎は徐々にほどけ、フォラスに届くころには炎の影も形も失っていた。


「ならば、これはどうだ」


 次々に繰り出される各属性の最上級魔術の数々。

 隕石落下メテオフォール黒晶滅弾ダークネスボム等と言った、普通の魔術師には到底使いこなせないような魔術を矢継ぎ早に繰り出す。

 フォラスはそれに応じるように魔術障壁、あるいは次元の裂け目を生じさせてその中に魔術を誘導する。

 更には放たれた魔術の対となる属性の魔術を放つ事で消滅させるなど、様々な手段でフラウィウスの魔術に対応している。


「神の加護を得たとか何とか言った所で無駄じゃよ。魔術の粋を究めんとする儂に、魔術で対抗しようなど愚かよの」


 フォラスの言葉に、フラウィウスは苦虫を噛み潰す顔をする。




「御大層な事を言っていたけど、それで全力を出しているの?」


 アーダルとルービンの斬り合いは、既に常人には追いつけない程の速度に達している。

 更に言えば、アーダルは汗一つかいていないのに対し、ルービンは既に汗の筋をいくつも流している。

 徒手空拳のアーダルは足技も駆使し、ルービンを追い詰める。

 足元のふくらはぎを狙った下段回し蹴り、頭を狙った上段回し蹴りから膝を内側に入れ込む事で軌道を急激に変えて胴に叩きこむ。

 忍びが使って来る蹴りで、見慣れぬ者はまともに喰らって悶絶するのが常である。

 流石に歴戦の戦士たるルービンは軌道変化に反応したものの、両手の曲刀シミターで受けるのが精一杯である。


「ふっ」


 すぐさま、アーダルは懐から何かを取り出して地面に投げつける。

 爆発したそれは閃光を放つものではなく、煙幕を周囲に展開する、煙玉であった。

 二人は煙の影となって、詳細な様子を伺う事は出来ない。

 ルービンと見られる二刀流の影は背後に何者かの気配を感じたのか、振り向いて心臓を穿つ突きを放っていた。

 しかし背後にいたはずの影は、切り裂かれてもその姿を揺らめかせるのみで、実体はなかった。

 ルービンの側面に影が現れ、その横を通り過ぎながら首の当たりを切り裂いていた。

 煙が晴れ、二人の姿がより鮮明に浮かび上がる。

 アーダルは首から血を流して倒れたルービンを見下ろし、俺に向かって笑いかけた。

 

「勝ったよ」

「ちょっと、のんびりしてないで勝ったなら手助けに来てよ!」


 ノエルの悲鳴が聞こえる。

 今まで防戦一方ながら、アガムの剛腕から繰り出される両手剣クレイモアを凌いでるノエル。

 それほど近接戦闘が得意には見えない、普通の体格のハーフエルフの僧侶の女に凌がれているのがアガムには面白くなかったようだ。

 次第に焦り始めたのか、アガムの剣戟が大振りになり始めていた。

 無論、俺との近接戦闘の訓練をしているノエルが見逃がすはずがない。

 大振りになった、振り下ろしの一撃を大槌で受け流す。

 アガムは大きく体勢を崩し、ノエルはそこに人間には効果絶大である一撃を繰り出した。


「悪いけど、容赦しないからね」


 片手でアガムの目を覆う。


「サンライト!」

「うがああああああああああっ!!」


 覆った片手から陽光サンライトの奇蹟を放ったのである。

 自分たちを暗闇から照らし、周囲を明るくする奇蹟も至近距離から放たれれば、目潰しとして十分すぎるほどの光量を持つ。

 光を目にまともに浴びたアガムは一時的な失明状態に陥り、武器を落として目を両手で押さえのたうち回る。


「うらあっ!」


 そこに、ノエルは竜骨の大槌の一撃を後頭部に思いきり叩きつけた。

 鈍い衝撃音とともに、アガムがぴくりとも動かなくなる。


「……戦士とまともにやりあって倒したの、何気にはじめてかも」


 何時の間にか、ノエルの近接戦闘の技量は遥かに高くなっていたようだった。

 ノエルは確かな実力の向上を実感し、わずかに口の端に笑みを作っていた。


「余所見してる余裕があるようだねえ」


 ダニエラの声と共に、霊魂刃ソウルブレードによる短刀二刀流の攻撃が襲い掛かって来る。

 懐に潜りこみ、短刀の攻撃に加えて至近距離からの魔術の発動は、尋常の者では対応しきれるものではない。

 だが心止観を用いた事で、俺はよりダニエラの動きが見えるようになっていた。

 受ける事は叶わず、避ける事を強いられる攻撃もしかし、皮一枚で確実に躱せるようになるとダニエラもまた焦りをにじませる。


「ならもっと手数を増やすよ」


 髑髏の魔女は何かを召喚する。

 それは青白くたよりなく揺らめく、人影であった。

 霊魂だ。

 かつての冒険者たちの成れの果てが数体。

 髑髏の杖から出でたそれは、こちらを認識すると虚ろに歩みを始め、襲い掛かる。

 これらの相手をするには、やはりこれだ。


「三船流奥義、三の太刀・妖斬閃」


 霊気を帯びた刀は、それ自体が邪気を祓う力を持つ。

 操られて襲い掛かって来る霊たちには可哀想だが、元より成仏すらさせない髑髏の魔女が悪いのだ。

 瞬く間に霊魂を斬り祓うと、ダニエラは更に狼狽を見せる。

 

「ちいっ」


 ダニエラは短刀を仕舞い込み、空間転移で消えて俺の前にいきなり現れる。

 その右手は今度は血の赤に発光させ、首を鷲掴みにせんと狙っていた。

 

 あれは掴まったら不味いな。


 直感的に判断し、掴みかかりを体を翻して回避すると、その手首を逆に掴んで捻じり上げる。


「うぐあっ」


 そのまま背後に回り、立ち状態からの腕ひしぎ手固めに入る。

 肘と手首を極められると、痛みによってまともに動けない。

 右腕をそのまま折りにかかる。


「あがあああああっ」


 痛みに跪き、喘ぐ魔女。

 即座にリブナットからの回復支援が飛ぶものの、少しの間ダニエラが動きを止めるだけで十分だった。

 背中に背負っていた髑髏の杖、これこそが俺の目的だ。

 この杖から禍々しい気配がこれでもかと言わんばかりに放たれている。


「それに、触るな!!」


 悲鳴に構わず、杖の髑髏を真っ二つに斬り飛ばした。

 瞬間、髑髏の中に詰め込まれていた魂があふれ出て、空気中に拡散していく。

 それをノエルが全て浄化、昇天させていった。


「あ、ああぁぁぁぁ」


 ダニエラは弱々しい悲鳴と共に、瞬く間に老衰する。

 あっという間に元の年齢相応の肉体に戻ったかと思えば、突如白目を剥いて痙攣をおこし、死んでしまった。

 元々の肉体の年齢は寿命を迎えていたようだ。

 そして世の理に反し存在し続けていた肉体は、元の時を辿るように朽ちて灰になり、そのまま散っていった。


「南無阿弥陀仏」




 そして貞綱とメナヘムの戦い。

 メナヘムは再生能力と加護の光を帯びた剣でもって貞綱との斬り合いを演じていたが、肉体の対応力が上がり剣の間合いが伸びてもなお、貞綱には先ほどのかすり傷しか浴びせられていない。

 奥義の霊気錬成の型・刹那を使った事で貞綱は潜在能力を引き出している。

 貞綱は俺よりも刹那の使い方に習熟しており、継続時間も長い。

 現に何分かそれを維持して戦い続けているが、まだ涼しい顔をしている。


「実力差を把握できていない者と戦う事ほど、悲しいものはない。某に攻撃を当てようと思うのなら、若と同じくらいの技量を身に着けなければな」


 そして、奥義・無明によってメナヘムの胴を一刀両断する。

 胴と下半身が分かたれると、流石に再生するには元の部分が必要らしく再生は開始しない。

 メナヘムは苦しみに悶えながら、上半身は匍匐前進で下半身に近づこうとしている。


「無様だな。この苦しむ様も奇蹟だと言うのなら、そなたらの信ずる神は残酷な事をするものだ」


 一思いに殺すのもまた慈悲なり。

 首も更に切断し、失血を続けさせると流石に再生能力の範囲を越えてしまったのか、メナヘムは息絶えた。


「そなたの魂に永遠の安息のあらん事を」


 


「かなわない……」


 支援を続けていたリブナットは、既に逃走しようと背中を見せていた。

 確かに逃げるならこの時を逃してはならないだろう。

 俺たちはフラウィウスたちと違い数が一人少ない。

 故にリブナットは今まで攻撃対象にしていなかった。

 今、ここで死んだら自分の野心もあったものではない。


「フラウィウス様には悪いけど、離脱させてもらうわ」

「悪いが、ここまで到達した敵を見逃がすつもりはない」

「えっ」


 気づいた時にはもう遅い。

 リブナットの胸からは、ジャマダハルと呼ばれる武器の刃が貫かれていた。

 背後に立っていたのは動けないはずのハキムである。


「な、んで」


 その後の言葉を次げぬまま、リブナットは倒れ伏す。

 ハキムはごほごほと咳をし、血を吐くと地面に座り込んだ。


「動けないと見くびったか。死にかけの奴に止めを刺すのは戦闘の鉄則のはずだろう。それを忘れた貴様らは死ぬのが道理」


 


 最後に残ったフラウィウスもまた、フォラスの間断のない魔術の波状攻撃を凌ぎ切れずに劣勢に追いやられる。

 魔術障壁も展開するたびに次々と破られ、自分からの攻撃魔術は唱えられない有様だ。

 そしてついに、閃光弾フラッシュがフラウィウスの体を焼く。

 凄まじい雷撃の弾丸を受けたフラウィウスは麻痺し、動けなくなる。


「ぐっ」


 うずくまったフラウィウスの下に、フォラスが赴いて見下ろす。


「王たちが立てた計画は見事だった。儂らが居なければアサシンギルドの壊滅は達成できたかもしれんな」

「……フォラス殿。私であれば、そなたと王家の仲も取り持てる。迷宮の封印も協力させられる可能性もある」

「だから生かせと?」

「そう言う事だ、な!」


 フラウィウスは無詠唱で、虐殺の呪詛ワードオブカルネージを放つ。

 この魔術は敵の集団に呪死の言葉ワードオブデスをかける効果がある。

 呪死の言葉は敵の生命活動を止める恐るべき魔術だ。

 それが集団に掛かるとなれば、一撃で全滅もありうる。

 迷宮でこの魔術を使える魔物とは遭遇した事もない。

 

 だがここで使う者が現れ、今まさに全滅の危機に陥っている。


 何処からともなく、死者の憎悪と恨みの念が呪詛となってこだまし、この空間を支配する。


 死者の言葉をまともに聞いてはならない。

 呪詛に支配されれば、脳や心臓が生命活動を止めようとしてしまう。

 また、言葉は耳から音として聞こえるものではなく、直接魂に響くものだ。

 引きずられ、魂が冥府に誘われれば蘇生も叶わない。

 

「があっ!!」


 しかし、呪詛は途中で途切れる。

 フラウィウスの背中に、ハキムの投げつけたジャマダハルの刃が突き立てられていた。

 

「な、ぜ……。呪詛の言葉を一度聞けば、動けるものなど居るはずがないのに」

「動けるはずのものが居ないという油断、二度目だな。常に死と隣り合わせにいる暗殺者が、その手の類のものに対策を取っていないはずが無かろうが」


 ハキムは懐から護符を取り出した。

 それは酸化し黒く色が変化した血で文字が書かれている。


「呪詛返しの護符だよ。死の呪いをも跳ね返す、神の力を借り受けた護符だ。一度切りしか使えない代物だがな」


 護符は役目を果たすと、手の中で朽ちてただの紙屑となる。


「……こんな所で、私は死ぬわけにはいかぬ。王を迷宮で亡き者にし、その子息を傀儡として私が摂政となって国を支配するまでは……」

「そなたも私も時代の流れにもはや取り残されている。いい加減、退場すべきだ。地獄の底まで付き合ってもらおう」

「嫌だ、死にたく、ない」

「死は救済だ。全ての執着から解き放たれ、邪念に支配される事もなくなる。世の中にすがりつく必要も無くなる。恐れる事はない」


 フラウィウスの目から光が消えた。

 呼吸も止まり、やがてその肌から血の気が失せていく。


 完全なる死が訪れる。


 ハキムも大きく息を吐いたかと思うと、倒れ込んだ。

 身じろぎする力すら残っておらず、天井を虚ろに見つめている。


「後生に憂いなし、と思ったがまだ一つ大きなものが残っていた。口惜しいが、もはや私には立ち上がる力すら残っていない。アーダル、こちらへ来なさい」


 アーダルはハキムに誘われるがまま、隣に座り込む。


「ハキムさん……」

「後は君達に託そう。イル=カザレムを、いや世界を救うのは、君達しか居ない。頼んだぞ」


 ゆっくりとハキムの呼吸が遅くなり、目を閉じた。

 大きく、一度息を吸って吐いた後に胸の上下が止まり、動かなくなった。

 

 アーダルの慟哭が、辺りに響き渡った。


 ようやく闘技場の敵を片付けたのか、イシュクルもこの部屋にやってくる。

 ハキムの遺体を見て、呆然と忍びは立ち尽くしている。


「アル=ハキム。無理をおして影技なんか使うから命を縮めるんだよ。死に急ぎやがって……」


 その言葉は目上の者に使うものではなく、友人に向けた態度に思えた。

 むしろ昔は友人同士として接していたのだろう。

 何時から首領とその部下として接するようになったのか。

 想いを馳せる暇は、今は無かった。


 アーダルは涙を流しながら、倒れ伏したハキムの顔をいつまでも見つめていた。



 古い時代の終わりが、今告げられたのだ。

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