第百三十六話:人事を尽くし、天命を掴み取る
彼らの体には、復活した時の仄かな青い光を帯びていた。
「この光こそが神の加護の証左である。今の我らに勝てるものなど、誰も居らん!」
賢者は力強く断言し、俺たちを見据えた。
神の加護か。
そんなもので何事も上手く行き、勝利を得られると思い込んでいるのか。
他者との命の奪い合い、生死を掛けた戦いにおいて神の加護など最後に願うものである。
すがりつくものではない。
全てを磨き準備し、命を賭けて全力で挑んでこそ勝利の女神は微笑むのだ。
少なくとも俺はそう信じて居る。
「ノエル。ハーフエルフの貴方は、年月が経ってもちっとも変わらないのね」
リブナットという僧侶が不意に前に出て、ノエルに話しかけた。
怪訝な顔をするノエル。
「申し訳ないけど、貴方の顔は知らないわ。同じ名前の人は昔、寺院に居たのは覚えてるけども」
ノエルの言葉に対し、リブナットは稚気に満ちた笑いを上げる。
「あの時の私は四十歳くらいだったかしらね。それは知らないと言われても仕方ないわ」
「……まさか貴方、本当にあのリブナット? わたしと同い年の、くたびれた人間の中年女性だった」
ノエルは目を白黒させながら、リブナットの頭から足先までを見ている。
今のリブナットは、思春期の少女となんら変わらぬ姿である。
金髪の長い髪を後ろにひとまとめにし、肌に張りのあるあどけない少女だ。
だがその実は、五十年も生きた老獪な女性らしい。
迷宮内には若返りの泉もあった。
迷宮内で出会う者なら、年齢に比して見た目が若い事もありうるだろうと思っていたが、迷宮の外において加齢に抗える手段などあったのだろうか。
「一体どんな手品を使ったら、そんな少女にまで戻れるものなの」
「私はね、貴方みたいに長い間若い姿を維持できるエルフが羨ましかったの。知ってる? 世の中には、若返りのアーティファクトがあるのよ」
若返りの効果がある
リブナットが懐から取り出したのは、一見何の変哲もない十字架だ。
ただし棒を二つ組み合わせて作るような、いわゆる普遍的な十字架ではなく上部が円になっている。
その十字架は金で出来ているらしく、
「若返りの
「でも、そういうものって数が多く手に入るものじゃないでしょう」
ノエルが指摘すると、リブナットはわかってないと言わんばかりに首を振った。
「だからお城の皆に協力してるんじゃない。寺院の伝手とコネを使って貢献し、その見返りとして城にある若返りのアンクをもらうの。結構な数が、宝物庫の中にはあるみたいよ」
「サルヴィの寺院の中にはそう言う連中も居ると思ってたけど、ここまで自分の欲望に素直な僧侶は初めて見たわ。生臭坊主ってこういう人の事をいうものね」
「何とでも言えばいいわ。いずれサルヴィの寺院の大僧正になって、国の要職にも就いて、国を意のままに動かすんだもの」
「それをわたし達に聞かせていいのかしら?」
「どうせこれから冥府に行く人々だもの、気にしないわ」
道理でそこまでペラペラと口が軽いものだ。
「リブナット、貴方見た目は良くなったけど、心はちっとも変ってない。どんな魔物よりも醜いわ」
「心を美しく保とうとも、高潔に生きようと思っても、現実が良くならなければ何の意味もない!」
ノエルとリブナットが言い争っている間に、忍び寄る影が一つ。
「ノエル!」
俺が叫び、ノエルはハッとして影の方向に振り返る。
既に戦士アガムは、
「このっ」
ノエルはすぐさま竜骨の大槌を両手で構え、大槌の先端で剣を受け止める。
受けきったものの、アガムの剣の一撃は衝撃が凄まじく、後ろに何歩かたたらをふんでようやく踏みとどまった。
アガムは竜骨の大槌を指差す。
「竜の大腿骨で出来た大槌。俺の剛腕に実にふさわしい武器だと思わないか、なぁ」
「貴方、これが欲しいわけ? なら自分で討伐しなさいよ。おあつらえ向きのパーティが今出来てるじゃない」
「俺にくれるなら、命だけは助けてやってもいいと思ったがな」
「仮に貴方が見逃がしてくれたとしても、他の五人が見逃がすとはとても思えないわね」
ノエルの指摘に、アガムは短く鼻で笑った。
「気づいたか。どちらにしろ俺によこせ。そうしたら楽に殺してやる」
「そうはさせるか」
ノエルの下へ向かおうとした時、目の前に現れる人の姿。
「そなたの命はわれがもらう。生命力に満ちた、強い魂はどんな味がするかの」
髑髏の魔術師、ダニエラの右手が青白く輝き、鷲掴みの構えを見せている。
俺の首根っこでも掴むつもりか。
「そう簡単にくれてやるほど、俺の命は安くないぞ」
刀を抜き、右手を打ち払った。
下から切り上げた右手首は呆気なく打ちあがり、地面に転がった。
だがその断面から血は出ていない。
黒い
あの怪しい輝きには見覚えがあった。
不死の女王が自らの中に無数にため込み、自らの命を生き永らえさせる糧として存在させられていた人の魂の輝きだ。
黒い靄についても、不死の女王の時と全く同じである。
「貴様、人の魂を喰らって生き永らえているな」
「勘が冴えている。いや、われと同じような存在と戦った事があるな」
やはり。
ダニエラは既に不死者に近い存在になりつつあると言う訳か。
「何故、貴様は人の寿命を越えて生きようとする」
「簡単な事よ。この世を生きる生物は全て、生への渇望があり、いずれ訪れる死をどうにかして逃れたいと願うのは、世の中の誰しもが思うはずだ。そうだろう?」
「死は生物に等しく訪れるものだ。それから逃れられると思っているのなら、とんでもない思い違いをしているぞ」
種族が持つ寿命以上に生きようなど、だいそれた願いだ。
無理にその願いを叶えようとすれば、必ず歪みが生じる。
世の
不死の女王は不死者となり、魂を喰らう事で生き永らえようとした。
他者の命を際限なく吸い続けることを選んだ、究極の利己的な存在。
ダニエラも同じ道を辿るつもりだ。
「一体どれだけの民の命を奪ったのだ、貴様は」
「おっと、われは国の為にならぬ民だけを選別している。スラムに居る者や、罪を犯して断頭台の露に消えようとしている者の命のみを利用させてもらっている。全てを喰らい尽そうなど、先を考えぬ愚者の所業であろう」
命の選別など、してはならぬことだと気づいていないこの女こそ愚かであろう。
吐き気すら催す邪悪だ。
「人の命をわがものとし、弄ぶその行為断じて許せぬ。貴様はこの世に存在してはならぬ者だ」
「われの事を止められると思っているのなら、やってみるがよかろうよ」
「ノエル、悪いがしばらく耐えてくれ。こいつを倒したらすぐに向かう」
「ええ、マジぃ!?」
言いながらもノエルは、アガムの攻撃を凌ぎ続けている。
何気にノエルは俺との模擬戦を幾度となくやっているのだから、一対一における近接戦闘において、そこらの連中にはそうそうやられるはずはない。
何分かはもってくれるはずだ。
ダニエラに向き直ると、奴は左手から黒い火球を生み出してこちらにぶつけようと手のひらを突きだしていた。
闇術に長ける魔術師とは、いかにもらしいじゃないか。
発火と同時に右手から放たれるのは、
霊魂の持つ幽体にのみ影響する矢は、肉体を透過し魂に直接損傷を与える。
「アラハバキ」
『了解』
ひと声で何を望むか察知したアラハバキは、発火を和らげる薄い緑色の障壁を張って、闇の炎の被害を緩和する。
闇の炎は普通のものとは性質が異なり、ぶつけられた際に重い衝撃を加え、さらに長くじりじりと燃え残り続ける。
発火を防ぎ、俺は後ろに一足飛びに間合いを取る。
消えるまでに、闇の炎はアラハバキの表面を焦がし続けていた。
『なるほど。異界から生じる炎を現世に呼び出しているようだ。しかし混沌とはまた異なる理のものらしい』
冷静に分析しているアラハバキをよそに、立て続けに放たれる霊魂矢を躱し続ける。
霊魂矢はダニエラが向ける視線の方向へと発射されるが、霊魂は生者に引き寄せられる性質のためにある程度の誘導性を持つ。
左右に体を揺らし、矢が揺れた体に向かって軌道を修正した所を素早く切り返す事で誘導から逃れ、霊気を纏った刀で打ち払う。
霊魂は切られるたびに憎悪に満ちた声を上げながら、この世から消えていく。
しかしダニエラは遠距離からの攻撃に終始する事なく、こちらに空間転移を用いて瞬時に距離を詰めてくる。
遠間からの攻撃はあくまでもけん制のつもりらしい。
今度は両手に霊魂で作った短剣を持っていた。
両手の武器が本命と言う訳か。
「魔術師が侍相手に近接戦闘を挑むか」
俺の言葉に対し、奴は不敵に笑みを浮かべる。
「噴、破!」
前に踏み込み、霞の構えから肩口に斬り込む斬撃を繰り出す。
魔術師に反応できる速度ではないはずだった。
「確かに、速い」
ダニエラは斬られる事すら織り込み済みで、構わず踏み込んできた。
肩から心臓に至る斬撃を受けるが、顔を苦悶に歪める事もなく平然としており、そのまま左右の短剣で急所を狙ってきた。
肝臓。
太腿の大動脈。
手首。
喉。
頸動脈。
鳩尾。
心臓。
目。
魔術師に似つかわしくない、むしろ暗殺者を彷彿とさせる二刀流の剣技。
突いたかと思えばくるりと短剣を回転させ、逆手に持ち替えて胴を薙ごうとする。
更に途中で軌道を変化させて斬りつけから突きへと変化させるなど、変幻自在だ。
「ちいっ」
短剣を弾いてしまおうかと考えたが、霊魂で作られている事を思い出し、辛くも後方に一足飛びして躱すことで回避したかに思えた。
だが太腿が氷でもおしつけられたかのように冷たい。
太腿にわずかに刃が触れていたためか、凍傷のような傷を負っていた。
「魔術一辺倒の頭でっかちな連中と一緒にしてもらっては困るな」
「……少しばかり認識を改めなければなるまい」
心を平静に保つ。
目に見えるものも、目に見えぬものも己が心眼で見極める。
「奥義・心止観」
そして俺の背後では、貞綱とメナヘムの二度目の戦いが行われようとしていた。
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