第百三十二話:牢からの脱出

 結城貞綱。

 俺の師匠、傅役もりやくであり、兄のような存在であった。

 俺と共に日ノ出国ヒノイヅルクニから脱出し、シン国から海路で他国へ行く道中、嵐に遭って海に落ち、奇蹟的に浜に流れ着いたものの記憶を失ってしまった。

 その後は傭兵として各地を転々としていたが、シルベリア王国に辿り着いてからアフマドなるシュラヴィク教の伝道者の教えに感銘を受け、シュラヴィク教の一派の教祖としてその教えを広めていた。

 そして俺と再会し、戦い、記憶を取り戻して今はシルベリア王国の女王、マルヤム=マリカ=シルベリアに仕えている。


「師匠、貴方達がサルヴィに来ているという事は知っていました。しかしなぜ、俺を助けに来たのですか」

「またそれがしを師匠と呼んでおられる。貴方は某の主であったのですよ」

「今はもう主ではない。マルヤム女王が其方の主だ。こういう融通の利かない所は全くらしいがな」


 貞綱、と呼ぶと彼は満足気な笑みを作る。


「そう呼んでいただき嬉しく存じます」

「質問に答えてくれないか。なぜ俺がここに居ると分かった?」

「某はサルヴィで一人の男と接触しました。イシュクルなる、忍びを名乗る者と」


 なんと。イシュクルは貞綱と接触を図っていたとは。

 いや、腰に大小を差した者など侍しかいないし、シルベリア王国の手の者であれば貞綱と考えるのは自然であるはずだった。

 

「某とイシュクルは、ある程度交換しても良い情報をお互いに話していました。隣国の事情をお互いに知り、余計な争いに繋げぬために」


 暗殺教団アサシンギルドにも諜報部隊があるとは聞いていたが、こうやって諜報員同士で情報を交換する事もあるわけか。

 マルヤム女王の立場からすれば、国内情勢もまだ安定していないだろうし、戦争は避けたいはずだ。

 勿論、表の外交や交渉など幾らでも重ねているだろうが、裏でもある程度の繋がりは持っておいた方が損はないのかもしれない。

 それにしてもこんな所で再会するとは思わなかった。


「イシュクルが、泡を喰って街を走っているのを見たのです。声を掛けると、暗殺教団の本部が襲撃されているという話を聞いたので、急いで戻るとか」

「なんと。暗殺教団とも王たちは手を切るつもりか」

「王の手下らはアル=ハキムなるものの店に対して何らかの疑いがある、と強引な言いがかりをつけて客を追い出し、兵士を入れたようです」


 フェディン王はもはや暗殺教団すら不要と判断したのか。

 確かに今は王に従っているものの、独立独歩でやってきた歴史を持つ集団だ。

 いつ心変わりをしてもおかしくはない。

 何より、アル=ハキムという男は聡明かつ危険な男だ。

 その下には圧倒的な腕前を誇る忍者、イシュクルも居る。

 その隣には影法師が居た。……今はいないが。

 元より、暗殺教団は有象無象の暗殺者を処分したばかりでもある。

 有象無象でも数が居なくなり、単純な戦力が低下したのを見越して襲撃を仕掛けただろう。


「そして城の方も騒がしいがなぜかと聞けば、若たちとマルクが捕縛されたと言うではありませんか。これは助けなければ不味いと思い、はせ参じた次第です」

「かたじけない」

「我らの目的があっての事です。お気になさらず」


 そう言えば、シルベリア王国は何の為に隠密をこの国に放ったのか。

 疑問を話すと、貞綱は口を開いた。

 

「若には我らの目的を教えましょう。マルヤム女王はイル=カザレムに迷宮がある事は知っておりましたが、その中から何か良くない気配を感じると仰り、その原因を探って欲しいと我らを送り出しました。そして調査の結果、フェディン王が魔界の門を制御しようとしていると情報を掴み報告した所、何があってもその門は封じるべきとの結論を下しました」


 俺と協力して達成してほしいと、マルヤム女王は言ったらしい。


「そして、野心を抱くフェディン王を何としても止めろとも仰られました」


 女王は手段は問わないとも貞綱に告げた。

 となれば、暗殺しかないだろう。

 表だって軍隊を送るには大義名分がなく、また勢力に劣り情勢が不安であるシルベリア王国としては、取れる手段はそれしかない。

 

 元より、俺たちも王を止めなければならない。

 その為の牢からの脱出はつまり反逆者となる事を意味する。

 迷宮を封印したとして、イル=カザレムにはもはや居られない。

 

「封印を成し遂げ、王を止めたとしてもこの国を脱出するしかないな。俺たちは」

「我が王国に来ますか。若とそのお仲間であれば女王も歓迎する事でしょう」

「いや、マルヤム女王にこれ以上面倒ごとは背負わせたくない」


 とはいえ、何処に行こうかなどという当てはまるでないが。

 ひとまず仲間と相談はしなければなるまい。


「ところで、マルクはどうなった?」

「マルクなら我らの手の者に保護させました。暗殺教団も危ないとなれば、シルベリア王国に連れていくしかないかと」

「マルクとは会ってないのか、貞綱」


 聞くと、貞綱は俯きゆっくりと首を振る。


「某は影の中に生きる者です。光の当たる世界に生きる者とは、会わせる顔はありませぬ」

「それでも、一度は会っておくべきだろう。今生の別れと思った相手が生きていたのなら、やはり会いたいとはだれでも思うはずだ。俺は貞綱は死んだと嘘を吐いてしまったがな」

「何と酷い事を仰るか。死んだと思わせて、姿を見せたら幽霊と叫ばれてしまうではありませんか」


 貞綱は口を尖らせ、腹を立てる。

 

「済まぬな。俺もその時は二度と会う事も叶わぬと思い、そのような嘘を吐いたのだが、やはり一度は生きている姿を見せた方が良いと感じてな」

「お考えが変わったのですな」

「ああ」


 貞綱は苦笑いしながら、考えておくと言って牢屋の鍵を倒れている兵士から奪い、牢屋を開けた。


「さて、仲間を救出しに行くか」


 貞綱と共に、ノエルとアーダルが何処にいるかを探る。

 他の看守に気取られないように迅速に、音もなく地下の牢屋を探索する。

 他の牢屋に入っている者の姿も散見されるが、彼らは俺たちを見て、出してくれと喚きだす。

 その度に貞綱が脅しをかけ、すごすごと牢屋の奥へと引っ込ませる。

 この国の王がろくでもない事をしでかそうとしているのなら、これらのならず者を国中に放ってしまうのも悪くはないのではないか。


「若、いけませぬ。如何に国王が悪であったとしても、無闇に混乱を招き入れるような真似はしてはなりませぬ」

「顔に出ていたか?」

「悪党の顔をしておりました」


 長い付き合いをしていたからか、俺の考えは貞綱にはすぐに筒抜けになってしまうようだった。

 確かにサルヴィだけでも世話になった者は多い。

 何より罪もない人々に迷惑をかける事にもなる。

 暴力を背景に国を脅かすような真似は、真の愚行である。

 

 探索しているうちに、やがてノエルが入れられている牢を見つけた。

 そこにはもちろん見張りが居たため、殴って昏倒させる。

 その際に兵士から長剣を奪うが、量産を前提に作られた品であるため質は良くない。

 刀と勝手が違い、使い勝手には違和感を覚えるがないよりはマシである。

 鍵は何処の牢も共通らしく、先ほどの兵士から奪った鍵で開ける事が出来た。


「宗一郎、どうやって脱出したの?」


 鍵を開けるや否や、ノエルは抱き着いてきた。

 それを咳払いしながら見る貞綱に気づき、ノエルは慌てて離れる。


「その人はどなたかしら」

「俺の師匠であり傅役だった、結城貞綱だ」

「宗一郎の? はじめまして」


 ノエルが手を差し出すと、貞綱は握り返し握手する。


「貴方が若の想い人であられるか。実に見る目がある」

「貞綱が俺を助けてくれた。目的は俺たちと同じらしい」

「と言う事は、あの馬鹿な王様を一緒に止めに行くって事? でも大丈夫なの」

「某はマルヤム女王の命令を受けて来ている。命を賭しても成し遂げる覚悟だ」

「それに俺の師匠であるからな。刀の腕前は俺を凌ぐぞ」

「なら、何も言う事はないわね。わたしは宗一郎を信じてるから」


 それにしても、悲鳴は一体何だったのだろうか。


「なあノエル、先ほど女性の悲鳴が聞こえたのだが、あれはノエルが発したのか」

「あ、うん。恥ずかしい話なんだけど、わたしの部屋にネズミが何匹も出て、わたしの足の上を這いまわったものだから驚いちゃって」


 少しばかり胸をなでおろした。

 もしノエルが何かされたとしたら、俺は果たして冷静でいられたかわからない。


「アーダルを探そう」

「アーダルならもうちょっと奥の牢にいるわよ」

「見たのか?」

「わたしが入れられた後に連れていかれたのを見てるからね」


 ノエルの言葉の通り、アーダルはこの通路の一番奥の牢に入れられていた。

 忍者とあって警戒されているはずなのだが、見張りの兵士はいない。


「そういえば先ほど兵士の増援があったが、こちらから来たのだな」


 貞綱が呟いた。

 ノエルを救出する時、兵士が騒ぎを聞きつけて来たのだが、難なく倒したのですっかり記憶から抜け落ちていた。


「ミフネさんとノエルさん! そして誰?」


 アーダルが鉄格子にへばりついていると思ったら、鉄格子の隙間から手を差し込んで見えないはずの鍵穴に針金を差し込んでいた。

 どうやら鍵開けをして脱出を図ろうとしていたようだ。


「脱出しよう。王を追いに」


 鍵を差し込み、アーダルを救い出す。


「それで、その御方は?」

「俺の師匠であり、傅役だった。信頼はできる。腕も立つ」

「ミフネさんがそう仰るのなら疑う余地はありません」

「よろしく頼む。時間は無いが、お互いに上手くやっていこう」


 貞綱と固く握手を交わすアーダル。


「それにしても、どうやって貞綱さんはここに?」


 俺と同じ疑問を呈すアーダルに対し、説明をする貞綱。

 するとアーダルは色めき立って喚き始めた。


「冗談じゃない。アサシンギルドの人には凄くお世話になったんだ。フェディン王め、絶対に許せない」

「アーダル、行くのか? アル=ハキムなら何とかすると思うが」

「申し訳ありませんが、僕は一人でも行きます。止めようと思っても無駄ですよ」


 俺とノエルは、顔を見合わせて笑った。


「確かにアーダルは暗殺教団の人質になってはいたが、同時に忍者としての技術と心得を教えてもらった恩があるな。なら、その恩に報いるべく暗殺教団を助ける必要もあるか」

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