第百三十話:野心、露わになる

 典玄は息も絶え絶えに俺たちを欺いていたと言った。

 一体どういう事なのか。

 知りたいが、まずは今にも死にそうなこの怪我をどうにかせねばなるまい。


「ノエル、回復の奇蹟を」

「分かった」

 

 完全回復トゥルーヒールによって致命傷のはずであった肉体の損傷は完全に治る。

 だが典玄は、怪我が治っても体を起こせずにいた。

 命に関わる怪我を負ったせいで、老人の残りわずかな生命力を消耗してしまったのだろうか。

 わからない。

 老人は、俺の方を見据えて言った。


「そこにある落とし穴こそが、最後の階層である地下十階に行く為のただ一つの道なのです」

「いや、待ってくれ。儂が迷宮を作った時、もちろんこの階層にも階段は作っているはずだがそれはどうなった?」


 フォラスが口を挟む。

 すると、老人は大きくため息を吐いた。


「拙僧らが埋めました。これ以上、迷宮の主、鬼神の所へ行く命知らずが増えないように。この穴は、もし我らが下に向かう事があれば行く為のものでございます。二度と戻らぬ、死出の旅立ちの為の」

「と言う事は、貴方は少なくとも地下十階までたどり着いた人たちを見ているのね」


 ノエルの問いに、老人は頷く。


「わずかな数でございますが。しかし、彼らは悲鳴と共に、迷宮の主の生け贄となってしまったのです」


 老人は天井よりも遠くの虚空を見つめる。


「鬼神と化した宗成様には誰も敵いませぬ。人の命は尊いもの。無駄に命を散らす程くだらぬものはありませぬ。今の限りある生を全うすべきなのです。名誉と宝を求めるのは人の性と言えども、だからこそ欲に任せて身を滅ぼしてほしくはない」

「典玄。確かに其方の申す通りだ。だが此度は、誰かが迷宮の最奥にまで行かねば、世界は滅びに瀕する事となる」


 それでも良いのかと問うと、彼は目を見開いた。


「それは真にございますか」

「迷宮の最奥部には、魔界に繋がる門があると言う。その封印が弱まっている。魔物が溢れださぬよう、門を閉じて封じなければならない。その時、我が先祖が立ち塞がるのなら倒さねばならない」


 告げると、しばらく典玄は俺の目を見つめていた。

 やがて大きく息を吸い、吐くと目を閉じ、数珠を手に念仏を唱え始めた。


「如何に大きな困難があろうとも、立ち向かわなければならぬ運命とは、酷なものだ。貴方達に仏陀の智慧の光があらんことを願いましょう。例え気休めにしかならぬとしても」


 弱々しい念仏が、小部屋の中に響き渡る。

 その声も徐々に消え入るようになり、やがて完全に聞こえなくなった。

 

 俺たちは典玄を落とし穴の隣に埋葬し、墓標の代わりに彼が持っていた錫杖を立てて墓とした。

 何時の間にか、俺は拳を固く握っていた。


「先へ行こう。行かねばならぬ」


 落とし穴に向かおうとした時、肩に手を置かれた。

 振り返ると、フォラスが首を振っている。


「地下十階の構造がどうなっているかわからぬ以上、下手に行かぬ方が良い。十分に準備を整えてから向かおう」

「度重なる魔物との戦いもあって疲れたし、わたし達のマナも消費しちゃってるしね」

「上に戻る術が無いのなら尚更、今は行かない方がいいですよ」


 諭され、頭に昇っていた血が徐々に冷えていくのを感じた。

 一時の感情に身を任せてはならぬと、教わったはずなのにそれを忘れるとは。

 仲間たちが居て良かった。


「五百年以上経過しているからには、地下十階も構造が変わっていると考えて間違いあるまい。それでも変わっていないであろうと思われる場所はあるが」

「何処なの? それ」

「儂の研究室だ。魔界へのゲートを開いてから、あそこには時の流れを遅くする魔術と空間を歪ませる魔術を施している。故に如何にマナが濃く影響を及ぼすとしても、変化は殆ど無いと考えられる」


 そこには、地上転送用の転移魔法陣を描いたとフォラスは言った。

 即ち、地下十階から出るには迷宮の主を倒し、魔界の門を閉じなければならない事を意味している。


「お主の身内が殺されたからといって血気に逸るなよ」

「全く、皆の言う通りだ」


 ここは退こう。

 

 昇降機を用いて地上に上がると、迷宮の前にはまたも城の者達が待ち受けていた。

 以前とは異なり、武装した兵士たちが大勢詰めかけて俺たちを囲んでいる。

 その後ろから大臣が現れ、俺たちの前に立った。


「進展はあったか」

「地下十階への道を見つけました。だがそれは落とし穴です。一度降りれば最後、地下十階の魔界への門がある部屋まで行かねば戻れぬ、地獄への片道です」

「そうか。何であれとにかく地下十階へは行けるようになったのだな?」


 返事をすると、大臣は大きく笑って俺たちに告げる。


「王様が御呼びだ。城へ直ちに来るように」

「今から? せめて宿で身支度を整えさせてもらえないか」

「駄目だ。今すぐだ」


 抵抗すれば、兵士たちが身柄を拘束しそうな気配を見せていた。

 この明らかな態度の変わり様。

 これはもしや、来るべき時が来たのかもしれない。

 仲間たちも、明らかな雰囲気の物々しさに警戒心を露わにしていた。






「おお、よく来たな。大儀であった」


 フェディン王が謁見の間で俺たちを立って出迎える。

 いつもの険しい皺を刻んだような顔ではなく、珍しく穏やかな笑みを浮かべていた。

 その変貌に、またしても胸中には一抹の不安を覚える。


「我らは休息を取り、準備を整えた後にいよいよ地下十階へ赴きます。そして迷宮の主を倒し、門を封じます」


 俺の言葉に、王は片方の眉を大きく上げて応える。


「今や迷宮は恵みを与えるものではなく、災厄を振りまくものになろうとしている。魔物が門から溢れ、地上へ蔓延ろうとしている故にな」


 王は言葉を続ける。


「だが、私はこう考える。あの門を自在に操れるとしたら、それはもはやあらゆる国家も抵抗できぬのではないかと」


 迷宮を出てから感じていた悪い予感――。

 それは的中しようとしている。


「迷宮の制圧は、今後は我らが引き継ぐ。冒険者の諸君にはこれまで多大なる苦労を掛けた事をお詫びしよう。勿論、その分の謝礼はたっぷりと支払わせてもらう」

「貴様らがあの門を制御できる筈がなかろうが!」


 フォラスが王に向かって一喝する。

 その勢いに、空気が張り詰めて一気に緊張感が増した。

 しかし王は、一笑に付す。


「フォラス、君は自分だけが時を操り次元を操作できると思っているようだが、それは大いなるうぬぼれではないかね」


 すると王は、右手の中指と薬指に嵌めている指輪を掲げ示した。

 金色の指輪は、よく見ると文字が刻まれている。

 その文字は、サルヴィで使われている文字でも、異国で目にするような文字の類でもなく、誰が書き残したのか全くわからないものであった。

 指輪は光に晒すと、その輝きの色を常に変化させつづけている。


「それはまさか」


 驚愕するフォラス。


「君は知っているだろう。君の研究室から持ち出して来たアーティファクトなのだから」

「神の遺されし指輪までも盗み出しているとは、初代王はよほど目敏いと見える。しかしそれは神々が戯れに作り出したもの。時空を操る代償がどんなものかはまだ儂にもわからぬのだぞ。迂闊に使用するべきではない」


 フォラスの忠告に対し、鼻で笑うフェディン王。


「その言葉、しかと胸に刻んでおくとしよう。この遺物を以て魔界への門を制御し、いよいよ我らは周辺国家へ打って出るのだ」


 王の野心は今ここに明確に発露した。

 周りをすべて呑み込めるほどの武力を得られるのなら、支配者は当然それを手中に収めようとする。

 こちらの世界にやってきた観測者も、遥かに高い技術によって作られた宇宙船を廃棄、消滅させたのも理解できる。

 過ぎたる力を持つのは、破滅への第一歩を踏み出す事に他ならない。


「フェディン王。本気で仰っているのなら、俺は貴方を止めなければならない」

「一介の冒険者が言うではないか。だが、君が持っている力も私は十分に評価している。ここで警備している兵士など、君はものの数分で片付けられるであろうな」


 王が指を鳴らす。

 次いで扉から現れたのは、兵士に刃を突きつけられているマルクの姿であった。


「兄ちゃん!」


 マルクの首筋には長剣の刃が今にも食い込みそうな程に迫っていた。

 既に一筋の血が流れ、マルクの白い半袖の上衣を赤く染めている。


「フェディン王、貴様!」

「おっと、私に敵意を向けないでくれ。この子に限らず、君に関わった者全てを処断したくなってしまう。大人しく捕縛されてくれれば、すぐにでもこの子は解放しよう」

「その言葉、二言は無いな」

「イル=カザレムの王として誓おう」


 その言葉がどれ程信用できるかは知れぬが、今は信用する以外に道は無い。

 無理に押し通ればマルクが死に、その次は俺たちに関わった人々が死ぬだろう。

 俺は武器を捨て、次いでアーダルとノエルも武器を置いた。

 捕縛される瞬間、フォラスだけは空間転移を用いて逃げた。


「やはりあの老人は逃げたか。元より、空間転移できる魔術師を無理に捕らえようとは思わないがな。だが一人では何もできまい。連れていけ。我らが迷宮を支配するまで、大人しく牢で過ごす事だな」

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