第百二十九話:熾天使

 蹴破った扉の先に見えるものは、やっと人が三人横に並んで通れるくらいの細い通路だった。

 そういえば、この地下九階という階層の様子は、以前隣国のシルベリア王国にあった洞窟の中に似ている。

 あの洞穴の中のように光る苔などはないが、いわゆる普通の洞窟の風景だ。

 地面や壁、天井は岩で出来ており、至る所に

 整然とした石造りの床や壁ではない。


「このフロアも変わってしまったの」


 フォラスがぼやいた。


「以前、儂が作った迷宮は全フロアが地下一階のような造りだったんじゃよ。こんな自然あふれる様相ではなかった」


 迷宮は生きており、その姿を時折変貌させる。

 地下八階も水晶の輝きが煌めく迷宮へと変わっていた。

 もはや原初の様相を残している階層はフォラスが言うように、地下一階くらいしか無いのかもしれない。


 さて、三度蹴破った扉の先に魔物は居なかった。

 通路を歩いていくと、突き当りの行き止まりの左の壁に扉があった。

 蹴破る。

 小道の先に扉。

 蹴破る。

 真っすぐ進み、突き当りを左に曲がって行くとまたも扉。

 蹴破る。

 本当に短い真っすぐな道の先に、やはり扉。

 蹴破る。


 さて今度は、少しだけ広い空間に出た。

 小部屋に細い通路が合わさったような場所。

 左には扉が見えるが、細い通路の方の奥に何があるかを確認するために進んでいく。

 しかし、これだけ歩いてまだ魔物と出くわさない事にかえって不気味さを覚える。

 もしかすると、影法師が先にこの階層に訪れているからか、彼が魔物を排除しているのかもしれない。

 無駄な戦闘を控えられているという点においては有難いが。


 妖精の地図を開き、今どこにいるかを見る。


「現在地は東6、北19の地点にいる。此処から東へ進んでみるか」


 しかし、行った先は只の行き止まりだった。

 魔物との遭遇や罠に引っかかっていないとはいえ、迷宮探索は神経を尖らせている為、体力の消耗はあるものだ。


「少し休憩を取るか」

「そうね。お茶でも飲みましょう」


 魔法陣を描き、その中で休息を取る。

 その時、ふとアーダルが声を上げた。


「そう言えばミフネさん。ひとつ気になっているんですが」

「なんだ?」

「以前、地下七階で助けた金属生命体の人? がいるじゃないですか。今どうなってるんですか」

「ああ、それならこいつだよ」


 身に着けている籠手を差し出すと、アラハバキは少し形状を変化させ、音声を発した。


『金属生命体こと、アラハバキだ。改めてよろしく頼む』

「喋った!? 前に会った時は光で文字を浮かび上がらせてたよね?」

『あれだと伝達が面倒だと思ってな。人間の声帯を少し真似させてもらった』


 いつどこで構造を調べたのだか。

 フォラスは目を丸くしてしげしげと眺めている。


「これが生物とはな。世の中の事をだいぶ知ったつもりでいたが、まだまだ儂の知見も狭いわい」

『私も炭素が主体となっている生物と会うのは驚きだった。今はこうやって宗一郎と共に歩み、様々な物を見ていきたいと思っている』

「中々面白い奴だよ」

『しかし、この迷宮を踏破しなければ知見を広める前にこの星が滅亡してしまう。故に彼に協力している』

「それで宗一郎。このアラハバキ君は凄いの?」


 ノエルのざっくりとしすぎた質問を投げかけられる。


「様々な形態に変化できるし、アラハバキに霊気を流すと武器の重さを感じなくなるんだ。俺の霊気とは相性が良いらしい。こないだは核爆撃滅ニュークリアブラストの爆風をも防いでくれた」

「あれを!? 本当に凄いじゃない!」


 ノエルは驚きながら、べたべたとアラハバキに触っている。


『あまり無闇に触らないでくれないか』

「あ、ごめんね。でも有難う。宗一郎の命を守ってくれて」

『大した事ではない。長きに渡って囚われていたのを君達は解放してくれたのだ。これくらいで恩を返せたとは思っていない』


 恩返しか。

 報いる為にも、早く迷宮深層に辿り着き魔界へつながる門を閉じなければな。




 仲間をたわいもない話をし、茶を飲み、行動食を食べて仮眠を取る事で体力と精神力も回復した。

 立ち上がり、今度は新たな道へと続く扉を蹴破る。

 

 すると、今度こそ魔物が姿を現した。

 見かけは牛のような姿をしている。

 その肌は青銅の如く青く光沢を放ち、そして目は不気味に赤く光っていた。

 こちらを見て興奮した様子で鼻息を荒げている。


「ゴーゴンか」


 フォラスが呟いた。


「知っているのか」

「儂が迷宮警備の為に召喚した魔物だ。迷宮の主である頃は制御下にあったが、今はもう主ではない故に儂の制御は及んでいないであろう」


 ゴーゴンなる魔物は幸いな事に一体しかいない。

 だが既に、敵意を露わにしているのがありありと見えた。


「石化ブレスに気を付けろ。他に特筆すべきものはないが、それだけは喰らうと全滅の危機となる」


 石化息か。それは厄介だな。

 ならば一撃で葬るか。

 野太刀を抜こうとした時、ノエルが声を掛ける。


「わたしが相手していいかしら」

「何故だ?」

「特訓の成果を、少し確認したくてね」


 ノエルは竜涙石を手に握り、祈り始める。

 するとノエルの背後に竜の魂が降り立ち、彼女の中に入り込んだ。

 肌が竜の鱗の如く変わり、爪と牙はまさに竜のように鋭く硬く伸びる。

 髪の毛は透き通る水面の色へと変わり、更に目の色は金色に色づいた。

 背中には竜の大きな羽が生え出でる。

 今回はどの竜の魂が降り立ったのであろう。


 ゴーゴンはノエルの竜魂憑依ポゼッションを見て脅威を感じたか、大きく息を吸い込み始めた。

 明らかに、石化息を吐きだそうとする前兆だ。

 だが先手を打ったのはノエルだった。


 轟!


 ノエルの口から、すさまじい衝撃波を伴うものが放たれた。

 竜の咆哮である。

 咆哮は通路と床と天井を振動させ、衝撃波によって表面の岩が剥がれ飛びながらゴーゴンに直撃した。

 青銅の肌を持つ牛は、四つ足を地面に踏ん張りながら耐えていたが、地面に蹄のひっかき傷を描きながら徐々に後ろへと追いやられている。


「流石に丈夫ね」


 ノエルは駆け出し、衝撃に耐えていたゴーゴンの目前に立った。

 ゴーゴンは頭の角を、目前に居る敵の腿を突き上げるように頭を振り上げた。

 だがノエルは、その角を思い切り握り、そのまま左へ捻るように投げ飛ばした。

 角はばきりと大きな音を立てて折れ、砂埃を立てながらゴーゴンは地面に転がる。


 角が折れ苦痛に歪むゴーゴンの元に、更にノエルは追い打ちをかける。


「はあっ」


 今度は竜の吐息であった。

 凄まじい冷気が吹き荒れ、ゴーゴンの体を瞬く間に凍らせていく。

 なるほど今度は氷竜アイスドラゴンの魂を降ろしたのか。

 いや、それにしても吹雪の魔術よりも更に激しい嵐ではないか。

 ゴーゴンは間もなく、凍り付いて動かなくなった。


「さてと」


 ノエルは竜骨の大槌を構えると、それをゴーゴンの頭に振り下ろした。

 凍り付き、柔軟性を失った体は衝撃に極めて弱い。

 大槌を叩きつけたと同時に、ゴーゴンは幾多もの破片となって砕け散った。

 

「竜よ。その御霊の力を我が身に貸して下さり感謝します。今は安らかな世界へ御帰り下さい」

 

 ノエルが感謝の言葉を述べると、氷竜の魂はノエルの体から離れて昇天していった。

 体から魂が抜けると、ノエルは大きく息を吐いて肩を落とす。


「あぁ、しんどかった」

「とはいえ、倒れずに済んでいるのはやはり特訓の成果だな」

「一週間の突貫修業だけど、意外と効果はあったわね。なんでもやってみるべきだわ」


 ノエルの体調が戻るまで小休止し、そして次の扉を蹴破った。


 入って見えたのは小部屋である。

 その中には侍の小集団が火を囲んで休んでいる最中であった。

 勿論、大きな音を立てて部屋に侵入した俺たちを見逃すはずもない。

 すぐに立ち上がり、得物を抜いて構えている。

 

 皆、古ぼけた東国の鎧、兜、籠手などを着けているがその手入れは一切怠っていない。

 何時でも戦えるような体勢を整えている。

 

「侍の人数は六人か。全員が十文字槍。厄介だな」


 刃先が、こちらの陽光サンライトの奇蹟の光でぎらりと輝いていた。

 彼らの鎧の胸元には、三船家の家紋である丸の中に三が上、船の図柄が下に刻み込まれている。

 

「三船家の旗本だった者たちか」


 そういえば、先祖の三船宗成が国を出奔した時、少なからず旗本の者達も共に旅立ったと聞いた覚えがあった。

 それが彼らか。

 

 旗本たちの目はぎらついている。

 口の端からは涎を垂らしていた。

 もはや正気を失っているように感じられる。

 

「おい。俺の刀に見覚えはあるか」


 野太刀を抜いて彼らに見せてみる。

 だが、旗本は俺が刀を抜いた事を臨戦態勢と判断したか、迅速に陣形を組み始めた。

 即ち迷宮における最適の陣形、前に三人、後ろに三人と並ぶ形だ。

 正気の者であれば俺の刀を見た時、即座にひれ伏すものだが、駄目なようだ。

 

「来るぞ」


 皆に告げると同時に、雄叫びを上げて前列の侍が襲い掛かる。

 不幸中の幸いとして、彼らが正気を失っているためにその戦いぶりは整然としたものではなかった。

 蛮族の如き突進を繰り出すばかりで、まるで戦術というものを感じられない。


 前列の旗本三人がそれぞればらけて、俺たち前衛組に向かってくる。

 俺に来たのは中央に居た、この小隊の長と思われるものだ。


「きえええっ」


 奇声と共に、十文字槍の三連突きが急所を正確に突く。

 喉、心臓、そして肝臓。

 それらを野太刀の受け流しで躱していく。

 槍の突きは軌道が読みづらく、一気に刃が伸びてくるように見える為、かなり厄介だ。

 一般に槍は刀よりも三倍ほど実力が上積みされると言う。

 刀で相手するには、分が悪い。

 それでも、その槍の軌跡は読み切れないわけではない。


「噴!」


 三連突きと思わせて、さらに四つ目もあった。

 太腿の大動脈を狙った突きであったが、それは槍の穂先を踏みつけて地面に軌道を反らしていく。


「くっ」


 踏みつけた槍の穂先を力任せに振り払おうとした、その力を利用する。

 上の方向に加わった力に乗って更に跳躍し、俺は野太刀を振りかぶった。


「兜割!」


 跳躍し、頂点に達した後は落下運動に入っていく。

 落下の勢いも加えながら力任せに野太刀を旗本の頭に向かって振り下ろす。

 

 だが流石に、相手も歴戦の兵であった。

 すんでの所で身体を翻し、頭に直撃するのは避けたのだ。

 ただし、躱しきれたというわけではない。


「ぎいいいいいいいっ」


 悲鳴と共に、左腕が音を立てて切り飛ばされた。

 目を見開き、歯を食いしばりながらもまだ戦意を失っていない隊長は、血が噴き出るのも構わずに残った右腕で十文字槍を薙ぎ払い、俺のわき腹を狙った。

 だが悲しいかな、片手ではその力は文字通り半減してしまう。

 踏み込み、アラハバキで槍の柄を弾くとそのまま槍を取り落としてしまった。

 そのまま更に間合いを詰めて、心臓を一突き。


「ぐぶっ」


 隊長は血を吐き、そのまま地面へと倒れ伏した。


 他の二人は大丈夫かどうか。


 目をやると、アーダルは今この瞬間に旗本の首を刎ねていた。

 そしてノエルは、大槌で槍の刃先を受けていたかと思うと奇蹟を大槌から放ち、旗本の一人を聖なる光芒ホーリーレイで焼き貫いていた。

 更にフォラスは、前列が全滅したのを受けて前に出ようとしていた後列の旗本たちを、火炎爆裂エクスプロードによって爆散させていた。


「あー、ヒヤッとした! あの侍たちかなり手強かったわね」

「でも、思ったよりは苦戦しなかったですね」

「直接攻撃しかない敵などこんなものよ」

「皆、まだ余裕はあるか?」


 声を掛けると、各々から問題ないという声が帰って来た。

 ならば、もう少し探索は進められそうだった。

 

 更に地下九階の探索を進めるべく、次に見える扉をいつものように蹴破っていく。


「うおっ!?」


 次の部屋は、明らかに様子がおかしかった。

 以前探索したアスカロン廃城にて遭遇した、パズズを思い起こすような強烈な熱気が部屋の中にはこもっていた。

 即座にノエルが女神ディバイン抱擁エンブレイスで緩和領域を張り、熱気をある程度遮るものの、このままでは長くは持たないだろう。

 

 部屋の中心には、眩い光があった。

 同時に、それは熱源でもあった。


「一体なんだ、これ」


 予めかけられていた識別アイデンティファイの魔術により、眩い光が弱まり姿が露わになる。

 

 現したものは、三対に六翼の翼を持った蛇であった。

 

 しかし地を這いずらずに、宙に浮いている。

 

 この姿を持つ者の名前を、俺は覚えている。

 それはイアルダト教の書物の一説に書いてあった、天使の名前。


「熾天使……」


 俺が呟くと、フォラスが吐き捨てた。


熾天使セラフがこのような場所に居るものか。恐らくは天使を騙り、欺こうとした悪魔のなりすましであろう。しかし、これだけの力を持つものは例え悪魔と言えども手強いぞ」


 実際、空気が震えているのを肌で感じている。

 熾天使は俺たちを見て、身に纏う炎の勢いを一層強めていった。

 このままでは、近づく事すらままならない。

 どうするか。

 もう一度、ノエルに氷竜の御霊を降ろしてもらうか?

 ノエルにちらと目線をやると、流石に短時間で連続で降ろすのは躊躇われるのか、彼女は首を振った。

 その時、フォラスがずいと前列に出る。


「相手に不足は無し。さて、不世出の大魔術師、フォス=フォラスの神髄を一つお見せしよう」


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