第百二十八話:かつての主従

 俺はノエルの修業を見届けた後、暗殺教団へと赴く。

 目的地は闘技場だ。


 アル=ハキムの店の地下に潜り、闘技場に続く扉を開く。

 赤錆びた鉄の扉が音を立てて開くと、眩い魔光灯の光が降り注いでいる。

 青白く、太陽とは異なる冷たい光。


 闘技場の中央では、二人が睨み合っている。


 一人はアーダル、もう一人はイシュクルだ。

 お互いに次の動きが悟られぬよう、極めて殺気を抑えるよう務めている。

 どちらも武器は握らず、素手である。


 先に動いたのはイシュクルだった。


 イシュクルはアーダルの首筋を、手刀で横薙ぎに狙う。

 その手刀を左腕で回し受けし、弾き飛ばしてアーダルはイシュクルの懐に踏み込み、正拳突きを叩き込む。

 だがイシュクルは動じず意にも介さない。


「まだまだ」


 反撃として、イシュクルは踏み込んできたアーダルに対して膝蹴りをわき腹に叩き込む。

 アーダルの顔が苦痛に歪むが、いくらかたたらを踏んで地面に砂に足を喰い込ませただけで、吹き飛ばされてはいない。

 よく見ると、わき腹のあたりをうっすらと気で覆っているのが見える。


「影法師が使っていた技か」


 体を気で覆い、あらゆる攻撃から身を護る為の気功術。


護身勁ごしんけい。教えてまだ数日と言うのに呑み込みが良い。本当に数年前までただの小娘だったとは恐れ入る」

「僕の父は名のある戦士ですから。何より、僕のすぐ近くには目標とすべき人がいますし」


 アーダルはちらと、俺に目をやった。

 戦いに集中しているかと思っていたが、こちらにも気づいていたか。


「目標があるのはいい事だ。その方が成長も早い、修業に身も入る」

「俺も、その気功法とやらを教わってみたい物だな」


 俺が口を挟むと、イシュクルはあからさまに嫌そうな顔つきをする。


「お前は霊気術とかいう技を既に習得しているのだろう。今からこの気功法を学ぶつもりなら、それを捨てて一から覚えなければいかんぞ」


 それは少し困るな。

 霊気を自由に巡らせられるようになるまで数年も掛かったし、イシュクルが習得した気功法を気まぐれで覚えようとして霊気術を捨てるのは本末転倒だ。


「そこだ!」


 アーダルが気を纏った手刀をイシュクルの喉に目掛けて叩き込む。

 鋭く、早く、無駄のない軌道。

 初めてイシュクルの目が見開かれる。

 次いで、イシュクルは足を踏ん張った。


「ぐっ」


 うめき声は上げたものの、アーダルの手刀が喉を貫く事は無かった。

 確かに当たってはいる。

 しかし、手刀は喉の表面で止まっている。

 イシュクルはやはり、体表を気で覆って守っていたのだ。


「影法師の手刀だったら死んでいたな」


 言葉の次に、イシュクルの回し蹴りがアーダルの顔に直撃する。

 流石に気を張る間が無かったのか、腕で防御しながらも吹き飛ばされる。

 闘技場の円形の石壁に叩きつけられ、呼気を吐き出しながらうずくまる。


「俺との組手は今回で終わりだ。後は気の使い方をしっかり鍛錬しておけ。部屋でも出来る修業の仕方は教えたから、暇が出来たら常にやっておけ」


 イシュクルは言い残した後、闘技場を後にする。


「大丈夫か」


 アーダルに近寄り、手を取って引き起こす。


「なん、とか。あたた……」

「骨は折れてないな。あの男も非情なように見えて随分と甘い」

「まだ手加減されてたんですね……」


 俯き、歯噛みするアーダル。


「慰める訳じゃないが、俺は師匠が本気を出して戦ってくれるようになるまで何年も掛かったぞ。しかも立ち合いの最後、ほんの少しの間だけだ」


 師匠を得て日が浅いうちに本気を出してもらえるなど、余程の才能を持ってなければ無理からぬことだ。


「でも最終的には、師匠に勝ったんですよね?」

「あれは紙一重だったよ。今戦ったとしたら、また同じように勝てるかは全くわからん」

「それでも、いつかは超えたいです」


 アーダルは立ち上がり、天を仰いだ。

 

「その意気だ。宿に戻り、休もうか」




* * *




 一週間後、つつがなく工事は終了した。

 再び準備を整え、俺たちはついに地下九階へと足を踏み入れる。

 フォラスも長い事踏み入れていない階層は、恐らく地形も変化しているであろう。

 地下八階の階段を降りていくと、小さな部屋と共に扉が見えた。


「踏み込むぞ」

 

 最初の扉を蹴破ると、目の前には突き当りを右に曲がる通路と、一歩先の左右の壁に扉があるのが見えた。

 どこに向かうべきか。


「ひとまず、左の扉に入ってみるか」


 異論はなく、二度扉を蹴破ると、今度は少し広い程度の小部屋に入った。

 魔物の襲撃は無し。

 小部屋の隅の一角に、立て看板が立っている。

 そしてその隣の岩に、東洋の僧が座っているのが目についた。


「誰だ」


 武器を構え、警戒するも僧は両手を上げて立ち上がる。


「待て、拙僧は魔物などではない」

「なれど、敵かもしれんだろう。俺たちの背後からだまし討ちするかもしれぬしな」

「なれば我が身を検めてもらってもいい。気が済むまでな」


 確かに、僧からは一切殺気などは認められない。

 俺とフォラスでその身を調べてみたものの、護身用と思われる錫杖は持っていたが、それは地面に横たえていたので拾って使うには間が必要だ。

 他に武器と思われる物は一切持ってないし、服に隠しても居ない。

 僧は見た目は老境に差し掛かっているが、動きは鈍くはない。

 そうでなければ、魔物が蠢く迷宮深層を歩けるはずもないが。


「邪心はないようだが、お主は一体何者だ?」

「拙僧は典玄と申す。かつての主、三船宗成に仕えていた僧である」


 五百年前から生きて居るというのか。

 いや、かつて地下七階で出会った侍も若返る泉を用いて命を長らえていた。

 迷宮内では地上ではありえない道理がいくらでも通る。


「見ればそなた、この土地の者ではないな。何処から来た?」


 典玄の言葉を受け、背に負っていた野太刀を見せた。


「これは、もしや」

「三船家の跡継ぎが代々受け継ぐ、無銘の刀だ」

「貴方様は三船家の子孫であられますか」

「子孫だが、三船家はもはや滅亡した。俺以外の親族の生き残りはわからぬ。領土も奪われてしまった」

「それは、なんと」


 絶句する典玄。

 無理もあるまい。

 五百年後、子孫が西の大陸に流れる羽目となり、家は滅亡ともなればその衝撃は計り知れぬ。

 

「我が名は三船宗一郎。後ろの者は、忍びのアーダル、僧侶のノエル、魔術師のフォラス。迷宮の主を倒す為に来た」

「主を、ですか」

「今、この迷宮から危機が訪れようとしている。迷宮の最深部には魔界の門があり、今にもその門が開かれようとしている。お主はその門を見た事はないのか?」


 質問すると、僧はゆっくりと首を振った。


「我が当主が最深部にある部屋に入ってからというもの、我らはその部屋に入ったことはありませぬ。けして部屋に入るな、と厳しく言いつけられてました故。しかし、その禁を破って様子を見ようとした側小姓が何人かおりました」


 その続きは聞くまでもない様な気がするが、僧は続ける。


「部屋に入った途端、凄まじい悲鳴と斬撃の音が響き渡りました。恐らく気が触れた宗成様に殺されたのでしょう」


 なるほどな。

 それでは部屋に足を踏み入れようなどとは思えぬはずだ。


「宗成様はこの国に移ってからというもの、精神を平常に保とうと努めていました。しかし宗一郎様ならば知っているでしょう。三船家の血筋に潜む鬼神の浸食が進み、結局は連れてきた妻子を殺めてしまったのです。もはや自分が災厄を振りまく存在になったと知ったあの御方は、故に地下迷宮に潜り、俗世間との関わりを断つ事にしたのです」


 典玄は顔を上げた。


「いくら子孫の宗一郎様といえども、鬼神と成っているであろう宗成様に勝てるとは思えませぬ。その血脈を繋ぐためにも、地上に戻った方が賢明かと存じますが」

「案ずるな。俺もその宗成様と似たようなものよ」

「なんと、まさか!」

「なれど、俺は鬼には成らぬ。人として、勝ってみせる」

「……成程。その様な御覚悟があるのであれば、もはや止めはなさいますまい。しからばご武運を願います」


 典玄は頭を下げ、岩に座り込む。


「あのー、所でなんですけど」


 ノエルが口を挟んだ。


「この看板、なんだろうね」


 僧の隣に立っている立て看板の文言を、アーダルが読み取る。


「落とし穴注意。この領域に踏み込む事なかれ、ですか」


 ノエルが竜骨の大槌で床をつつくと、確かに床がばかんと開いて穴が見えた。

 落とし穴と言っても下に槍があるわけでもなく、下の階層へ落とされる類のものだ。

 なるほど、これは確かに恐ろしい罠だな。

 立て看板を立てて注意を告げるとは、誰が作ったのか知らないが気が利いている。


「一つ聞きたいのだが、典玄殿は影法師なる男と遭遇したか? 奴もまた迷宮の深部を目指し進んでいるのだが」


 容姿を伝えるも、典玄は首を傾げるばかり。


「残念ながら、見覚えはありませぬな」

「では俺たちは此処を探索し、下に降りるための階段を探そうと思う」

「御身が無事である事を願っております。しかしながら、一つだけ助言をよろしいでしょうか」

「何なりと」

「今一度、その御心に向き合ってみるが宜しいかと」


 心、か。

 典玄は既に、俺が何について恐れ迷っているか見破っているようだ。


「我が主も、心に迷いがありました。迷いがあれば猜疑を生み、それがやがて大きく育てば自らを蝕む毒となります。鬼神はそこをつけ込み、心を支配し宿主を鬼へと変じていくのです」


 自らの迷いと向き合う程、難しい事はない。

 自らの心を直観する。

 それを成さねば勝ち目は無いのだろう。


 ……三船宗成と会い、話をしてみれば何かわかる事もあるやもしれぬ。

 同じ先祖返りであるがゆえに。

 ただ、先祖が正気を保っているのかわからぬが。

 

「お主の助言、無駄にはせぬ。時に、お主はこれよりどうするつもりか」

「さて、今更五百年ぶりに地上に上がる気にもなれませぬ故、しばらくはここに留まっていようかと思います」

「なれば、無事でいるのだぞ」


 典玄と別れを告げ、俺たちは目の前に見える扉を三度、蹴破った。



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