第百二十五話:接触
アル=ハキムは前置きとして、奴に出会ったよりも以前の仔細は知らぬと言ってから語り始めた。
* * *
”奴との接触時の事を話すには、私の過去の事情も少し話す必要がある。
影法師と遭遇する前、私はアサシンギルドに所属して数年が経ち、余す所なく暗殺技術を習得した。
その後、アサシンギルドの中で地位を高め、前の教祖の右腕とまで呼ばれるようになったが、やがて考え方の違いによって衝突した。
前の教祖はアサシンギルドは独立した勢力であり続けるべきであり、どの陣営にも与するべきではないと考えていた。
もはやその様な時代ではないにも関わらず。
理由として、王が代替わりした事で国の方針が変わったのだ。
フェディンの一つ前、カディシュ王が新たに王座についたのだが、彼は苛烈な性格で自らに反旗を翻すものは何であろうと許さなかった。
当時のアサシンギルドは独立勢力であり、その勢力と暗殺技術だけで他勢力と渡り合ってきた。
それは国も含めて、だ。
しかしカディシュ王は、国内に残存していた独立勢力を潰し始めていたのだ。
アサシンギルドも、遅かれ早かれこのままでは潰される。
私は、アサシンギルドは国の諜報機関および、国にとって害となる者を排除する、影の機関として早急に手を組むべきと考えた。
方針の違いから必然として、私と前の教祖は殺し合いとなった。
壮絶な殺し合いの結果、生き残ったのは私だった。
私が教祖となり、国との結びつきを進めたおかげでアサシンギルドは組織として存続されることを許された。
……今、思い返すと果たして王の一族や国と結びつきを深めて良かったのだろうかと考える時がある。
王の一族は間違いなく、迷宮の奥に何があるのかを知っている。
初代の王、ネブカザルが迷宮を荒らし、持ち去った古代遺物を使って興した国である故に。
そして今の王フェディンは迷宮の奥を再び目指している。
迷宮の奥に至り、目的を果たしたとして、その先に何を見据えているのか。
私はもしかしたら、道を誤ったのかもしれぬ。
当時は正しいと思っても、後になって間違いだったと知る事もある。
だが今更、王に刺客を送るわけにもいかない。
まがりなりにも秩序を保っている者を無闇に排除した所で、訪れるのは混沌だ。
王は正しい手続きによって代わらなければならない。
戦争で他国に負けるか、あるいは代替わりによるか。
もっとも、国を簒奪して王になった者が居ない訳でもない。
その者が強く、人を率いるだけの魅力に優れていれば簒奪しても民衆が両手を挙げて迎えてくれるものだ。
宗一郎、君が王になるのも悪くはなかろう。
君も王の一族として生まれたのであれば、一度は夢見たのではないか?
……済まない、話が逸れたな。
私が新たなアサシンギルドの教祖となって組織を安定させた後、国内外の状況を把握すべく商人に擬装して、世界を三年ほど旅して回っていた時の事だ。
東方の今はシン国と呼ばれていた国はかつて、ソウという国であった。
ソウ国にて、次の街へ行く為に山道を歩いていたのだが、森の中から異様な音が聞こえてきた。
峠道に潜む獣同士の争いかと思った。
この山には人の背丈の三倍以上もある魔獣が潜み、夜な夜な通りがかった旅人に襲い掛かって無惨にも喰い殺すという事件が何度か発生していたらしい。
故に、峠道を超える時は旅人同士で徒党を組むか、あるいは護衛を雇って道を進んでいたようだった。
しかし獣同士の戦いにしては、時折違う音が響いてくるのに違和感を覚えた。
金属を叩いた時に響く強い反響音と同時に、呻く声。
それが私の好奇心を引いた。
ふと峠道の横の森に目をやると、草が踏みならされて獣道が出来ているのが見えた。
その声と音は、獣道の方向から聞こえている。
音を出さず、気配を消しながら争いの声が聞こえる方向に足を踏み入れた。
草木をかき分けながら、やがて少しだけ開けた場所に出ると、そこで見た物は人間同士の果し合いであった。
二人の姿は極めて対照的だった。
片方は息も乱さず、傷一つなく立っているのに対し、もう片方の男は血まみれになり、打撃を受けて内出血した痕だらけの上に、左腕をへし折られて本来曲がってはいけない方向に曲がっている。
それでも、怪我をしている男は持っている片刃の剣を以て果敢に突貫した。
鋭い斬撃は腕を狙っていたかのように見えたが、それはフェイントだ。
怪我をしている方の手に隠し持っていた暗器、恐らくは毒が塗ってある。
拳の隙間から金属の刃が陽光の光によってぎらりと輝いた。
腕を叩きつけるように、顔目掛けて振ったのだ。
もう片方の男はフェイントを見抜き、かつ暗器を持っていた腕を容易く弾き飛ばし、そのまま懐に入り込んで内股に足を掛けてそのまま相手を転ばせる。
倒れた怪我だらけの男に、首目掛けて体重を掛けた足を踏み抜いた。
骨が砕ける鈍い音と、喉を潰されて出る、蛙のようなくぐもった断末魔の声が辺りに鳴り響いた。
怪我だらけの男の首は、直角にへし曲がっていた。
即死だろう。
壮絶な決闘だった。
これが行われていると最初からわかっていれば、わざわざ見に行くなど愚行を犯さなかったというのに。
後悔をよそに、今すぐ私は生き残った男に悟られぬように、息を殺し、音を殺し、そして気配を殺す。
ゆっくりと後ずさる。
だが手練れの男は、決闘の最中に既にこちらに勘付いていたようだった。
「隠れていないで姿を現せ。逃げるなら、その背から心臓を貫いて殺す」
何が姿を見せろ、だ。
見せても見せなくとも殺すつもりだろうに。
背中を晒して逃げれば私の運命は尽きるだろう。
否が応でも、前に進むしかなかった。
姿を現した私に対し、手練れの男は一瞥し、構えを取った。
それはソウ国にて広く普及している、とある拳法の構えである。
どうせ殺し合いをしなければ生き残れぬならば、肚をくくるまでの事だ。
私は荷物を地面に投げ捨て、気を両腕に纏わせた。
構えはない。自然体で立つ。
両腕に宿る紫色の気こそが、私が持つ唯一の、一番頼れる武器。
男は気を纏った腕を見て、興味を抱いたようだった。
「如何なる技か」
「体内を巡るマナを外に現出し、武器と成すものだ。覚えたいなら教えてやってもいいが如何かな」
「教示は不要。貴様を殺し、魂を得れば済む」
「戦う前に名を教えてくれ。戦うからにはそれくらいは教えてくれてもいいだろう。我が名はアル=ハキム」
私が言うと、男はぶっきらぼうに答える。
「影法師」
太陽が少し傾き、影が延びる時刻。
影法師から延びる人影から、黒い刃のようなものが飛び出して襲い掛かる。
即座に気を纏った腕で弾くが、影の刃はそのまま私の腕に絡みついて離れない。
「これは……」
「纏い影。我が影技を見た後、生き残った者は居ない」
「果たしてその通りになるかどうか、な」
私は腕に絡みついた影を、気を膨らませ爆裂させることによって影を霧散させて纏いつきを解除した。
一瞬だけ影法師の目が見開かれる。
「影の技とはこの程度か?」
「……行くぞ」
すると影法師は、影の中に潜み姿を消した。
何処から現れるか。
姿を消し、気配も感じない。
暗殺者も舌を巻く程に恐ろしい暗殺向きの技だ。
だが、影法師はこの時は生粋の暗殺者ではない。
雲が西の空から流れ太陽の光を遮り、影の姿がわずかに曖昧となる。
その時に漏れ出た殺意を、私は肌で感じ取った。
殺意の出でる場所は、私の影そのものからだ。
「
影法師の殺意のこもった叫びと共に、心臓を狙った手刀の一突きが襲い掛かる。
それをまともに受けた。
影法師の口元が、わずかに歪む。
次の瞬間には驚愕の顔色になるのであるが。
乾いた音と共に、影法師の手刀の指はへし折れてしまっている。
「……!」
瞬時に私は、体全体を気で覆って硬化し、如何なる攻撃も通らない様に防護した。
気による体表の硬化は、硬気功なる技である。
気功の習得は此方に来てから学んだものであるが、腕に気を纏うのと同じ要領で体全体を気で覆うようにしたのだ。
タイミングさえ合えば如何なる物理攻撃も通さない鉄壁の技。
しかし、これはわずかな間しか持続しない。
一部に気を纏わせるならまだしも、体全体を覆うのは達人であろうとも至難の業であると気功の使い手には教わった。
相手の攻撃を読み、打ってくるタイミングを逃さずに発動する。
少しでもタイミングをずらされたら、私は死んでいた。
確実に仕留められる、と影法師が確信していたからこそ、覚悟をもってこの技を使う事が出来た。
指が折れ、一瞬だけ動きを止めた影法師を逃す訳がなかった。
即座に懐に飛び込み、体重を乗せた肘打ちを影法師の心臓に叩き込む。
気を纏った打撃は、体の内部、芯にまで浸透しダメージを与える。
影法師はごう、と肺の中にあった呼気を全て吐き出し、そのまま膝をついてうつぶせに倒れ込む。
気を込めた打撃を叩き込んだ心臓は、やがて拍動を止めて死ぬ。
動かなくなった影法師を見届けて去ろうとした瞬間、影法師の体から伸びていた影から黒い手が飛び出し、体の中に入り込んだ。
瞬間、影法師の目がかっと見開かれて跳ね起きたのだ。
影法師の顔色は酷く青ざめ、息を荒くしているが、まだこちらを睨みつけるだけの力は残っている。
「蘇生したというのか、まさか」
「一時、我が背後に死神が迫って来たのを見た。しかし、我はまだ黄泉路へ旅立つときではないようだ」
「……貴様の影は何をした?」
「停止した心の臓を握り、滞っていた血の巡りを再び流すように処置した。そして我が体は息を吹き返したのだ」
体の内部から心臓をマッサージして蘇生を行ったのか。
影が何らかの意思を持っているとしか思えなかった。
果たしてそれは尋常の人間が習得できるものなのか。
疑問は浮かび尽きない。
「しかし、我が死合いに敗北したのは事実である。我が命は其方が握っている」
影法師は介錯を待つ侍が如く、地面に座した。
「……私が命を握っているというのであれば、私に従う気はないか」
「如何なる考えの下、そのように言うのか」
暗殺の技術も習得せずに、これだけ暗殺向きの技術を持っているものを誘わずして何がアサシンギルドか。
これほどの人材を野に放ったままにしていて良い筈がない。
「影法師。お前は何故生きる」
「我が生の始まりは祝福されぬものだった。故にあらゆるものと戦い、あらゆるものと争い、生き残り、敗北した相手を喰らい、糧とし、なおも戦いの為の力と成す。我が生は即ち戦いそのもの也」
「ならば我が教団に来い。私はアサシンギルドを率いる長だ。暗殺の技術は、お前の戦いの助けとなるであろう」
「なるほど、その気という技も暗殺者ならではの技術か」
「少し違うが、そう考えてもらっても差し支えはない」
「……厄介になろう」
影法師は、そうして我がアサシンギルドの一員となったのだ。
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