第百二十四話:影法師、その過去
フォラスの
元より、魔術師の魔素の残りが半分を切った時点で撤退を考えるべきとは冒険者の間では良く言われている。
魔術師は冒険者集団の要である。
魔術師の火力は敵全体に対して発揮でき、また敵の能力を低下させたり、あるいは幻惑、封じる事も可能である。
熟練した魔術師ともなれば移動に便利な空間転移さえも使えるようになる。
魔術師の力の源である魔素が無くなった冒険者集団は極めて脆弱だ。
撤退はなんら恥ずべき事ではない。
冒険者として恥ずべき事は、退くべきところで退かずに進み犬死にする事だ。
そこを履き違えている連中はかなり多い。
戦場で誉れ高い死ができれば家名を繋げられる可能性のある侍ならいざ知らず、冒険者が死んでも何の意味も無い。
たとえ名を残したとしても、吟遊詩人に讃えられる詩を作られて終わりだ。
勇者と名を冠された冒険者の英雄譚は数多いが、その子孫がどうなったとかはほとんど聞かない。
もとより冒険者のまま死んだ者の中で、子孫を成しているものは極めて少ない。
幸い、地下八階は未だ魔物の気配を感じない。
昇降機まで戻れば、そのまま地上へ帰れるのは有難かった。
気絶しているノエルを起こし、状態が戻るまで休息を取ったあとに昇降機まで戻った。
全員が乗り込み、昇降機が上に上がり始めるとようやく皆がほっと息をつく。
魔素切れを起こしたフォラスはへたりこんでおり、ノエルもまだどこかぼんやりとしていた。
「これからどうします?」
「ひとまずあの瓦礫を撤去しないといけない。専門の業者が必要だ」
「となると土木工事できる人を呼ばないといけませんね」
手っ取り早いのは王に頼むことだろう。
だが王は頼みを聞いてくれるのか。
中に居た冒険者もどきたちの事を考えると、少しばかり不安がよぎった。
* * *
「瓦礫の崩落で先に進めなくなったのか。よかろう。すぐに業者を派遣する。だが迷宮の中での作業は危険が多い故、そなたらも警備に参加してほしい。勿論、我らの部隊も派遣はするが迷宮には不慣れだ。それらの手助けも頼みたい」
「それは是非とも」
当たり前ではある。
工事をしている最中に魔物が襲い掛かって来る可能性は十二分に考えられる。
迷宮の先へ進む為の協力を惜しむはずがない。
「それともう一つ、不可解なものがありました」
「それは何か」
「我ら以外の冒険者が地下八階に居ました。残念ながら、影法師なる者の手によって全て殺害されていましたが」
「……成程」
王は顔色も変えず、椅子のひじ掛けに肘を乗せ、顎に指をかけて考え込んでいる。
流石に王はこのような報告でも顔色は変わらないか。
或いは何も知らぬか。
「冒険者にしてはやけに小奇麗な身なりをしていました。
普通の冒険者であれば、仕事を紹介されたりやりやすくする為に冒険者組合に入っている者が大半だ。
入っていない者は後ろめたい理由があるか、或いは冒険者を自称するただのゴロツキである。
「迷宮の浅い層なら、例え登録されていない冒険者が居たとしてもおかしくはありません。そういった輩が強盗まがいの事をしたり、死体漁りで小銭を稼ごうとしていたのだと予想がつきます。しかし迷宮の深層は話が違う。何らかの目的がなければ絶対に足を踏み入れようとはしないはず」
「誰かの命令を受けて入った者ではないかと疑っているのだな」
「はい」
貴方達の命令ではないのか、とは流石に言わなかった。
それでも王に動揺は見えないが、王の背後に立っていた大臣の一人が、途端に顔色を悪くし始めてそわそわしている。
しらばっくれる腹芸もできないような者が大臣などやるものではないな。
この調子だと奴の独断でやったのだろう。
フォラスが協力すると知って、慌てて手勢を送り込んで魔界へ通じる門を確保するつもりだったのだろうが、その目論見はあえなく影法師に潰されてしまった。
「しかし、影法師とやらはそれほどまでに強いのか」
「
「何故、そのような者が迷宮などに入るのか謎だな」
「奴は暗殺以上に強い者と戦う事に、異常な程のこだわりを見せました。迷宮の深層に向かう事で、更なる強者と出会うつもりなのでしょう」
暗殺教団は国と裏から繋がっていると聞いている。
王ならば影法師の事も知っているかもしれないがな。
「影法師は崩落を作った元凶。きっと迷宮の先へさらに行っている筈。瓦礫の撤去にはどれほど時間を要しますか」
「それは工事の者が見なければ判断がつかぬだろう」
と言って、土木工事が専門の者を王は呼びつけた。
担当者は語る。
「迷宮の通路と天井の高さがどれくらいかというのは、私共にも情報共有がなされております。詳細は現場を見ない事にはわかりませぬが、恐らくは三日から一週間を要すると思われます。何の邪魔も入らないという前提となりますが。また、これから人手を集めるので作業を始められるのは早くとも明後日以降となるでしょう」
つまり最速でも明日までは休息の日となるわけか。
致し方あるまい。
「了解です。王の協力に感謝します」
「迷宮の封印に手を貸さなければ国が亡びるのだろう。やらなければ為政者失格よ」
協力を取り付ける事は出来たので、城をあとにする。
しかし、今日明日まで時間が空いてしまったな。
影法師との戦いによって明確に消耗しているのはフォラスくらいで、物資などは一切消費されていない。
何かを買い付けたりする必要性は無い。
俺の刀をブリガンドの所に手直しの為に出すくらいだろうか。
「儂は宿に戻らせてもらうよ。流石にマナ切れで動くのはしんどいからの」
と言って、フォラスはイブン=サフィールにそそくさと戻っていった。
残された三人。
「どうする? 工事が始まるのはまだ先だし、今日は飲みにでも行く?」
「その提案も悪くはないが、気になる事がある」
「それは何?」
「アル=ハキムの所へ行く」
「アサシンギルド? 一体何の用で」
「決まっている。影法師の事を聞きに行くんだ」
奴の事を、もっと深く知るべきだと思った。
次は必ず倒す。その為にも何をしてくるのか、何を思っているのかを知らなければ倒せないような気がするのだ。
「悪いがアーダル、奴と会えるように便宜を図ってくれないか」
「それは構いませんが、素直にアサシンギルドの人員の事を話すとは思えませんよ」
「何、アル=ハキムは非情だが計算は出来る男だ。事情を話せば理解はしてくれる」
アル=ハキムの商店まで赴き、店員に繋ぐ。
アーダルの顔によってアル=ハキムの居室にまですんなりと入る事が出来た。
アル=ハキムは木製のがっしりとした机に灰皿を置き、椅子にゆったりと体を預けながら
部屋はまるで地上の環境をそのまま持ってきたかのような錯覚を覚えるほどの作りになっている。
土を床に敷き詰め、植物を至る所に植え込み、部屋の中央には水道を引いて噴水までも設置している手の込みようだ。
そして天井の魔光灯は、地上の太陽の光と同様の光量を再現するためにかなりの数が設置されている。
そのおかげで植物は枯れずにすくすくと成長しているのだ。
地下深くに部屋は存在するというのに、どれだけの手間と金を掛ければこのような部屋を作れるのか想像もつかない。
煙草の紫煙は、天井に設置されている換気扇に吸い込まれ消えていく。
「今度は如何なる用事かな。貸し借りは無し、お互いにもはや会う事など無い筈であったが」
気だるそうに俺に視線を向ける老齢の男。
しかしその眼光に潜むものは、依然として鋭さを失っていない。
俺はつかつかと机に近づき、勢いよく机に手を置いた。
「影法師の事について知っている限り、教えてくれ」
アル=ハキムは一度、煙管に口を着けて煙を大きく吸いこみ、天井に向けて長く煙を吐いた。
「部外者に何故、私の部下の事を教えなければならないのかね。アサシンギルドの人員の事は数のみならず、誰が所属しているかなども殆ど他者に知らせなどしない。例え同じギルドの者であってもだ」
「では聞こう。俺はイシュクルから、影法師が報告もなく居なくなったと聞いた。だが実は、貴方は知っていたのではないか」
「……」
「貴方は国と裏で繋がっているのは知っている。なれば迷宮の深層に何があるのかも掴んでいるはずだ。貴方が影法師を迷宮に向かわせたのではないのか。もしそうだとしたら、貴方は明確に俺たちの邪魔をした事になる。迷宮を、魔界の門を封印しなければ世界は終わるのだぞ。わかっているのか」
何も確証はない。
しかし、俺はどうしてもその様にしか考えられなかった。
アル=ハキムの頼みに便乗して、影法師は自分の目的を達成するために迷宮へ向かったのではないかとしか思えなかった。
観念したのか、アル=ハキムは煙管を灰皿に置いて机に肘をつき、両手を組んだ。
「……私は、迷宮の深層に魔界へ繋がるゲートがあるなどと言う情報がどうしても信じられなかった。何かの悪い冗談だと思った。情報を確かめるにしても、アサシンギルドの中で迷宮深層を探索出来るのはイシュクルか影法師しかいない。そして、その影法師が迷宮から何やら異様な雰囲気を感じると告げたのだ」
影法師はそのような、異様なものに対する察知能力が極めて高いとアル=ハキムは語る。
その直感を信じて、アル=ハキムは送り出したのだ。
「しかし今は向かわせるべきではなかったと後悔している。いや、引き留めた所でどちらにしろ奴は向かっていたに違いない。奴はそのような男だ」
「それほどまでに、影法師は強者との戦いに焦がれていたというのか」
「アサシンギルドに身を置く事で、幾度となく影法師は強者と戦ってきた。それで奴の滾る欲望を抑えられていたと思っていたのだが、私の目も節穴だったな」
「地上では強者と出会う機会が少なすぎると、奴は言っていた」
「だろうな。だからこそゲートを開きに行くのだろう。そうなったら、この世界は滅ぶ」
言うまでも無い事だ。
地上は魔物が席巻し、人類は滅ぶ。
大きく息を吐き、天井を見上げるアル=ハキム。
やがて覚悟を決めたかのように、俺を見据えた。
「ならば話そう。知る限りの影法師の事について」
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