第百二十六話:生まれと意志

 影法師をスカウトした後は、ソウ国で出会ったイシュクルと共にイル=カザレムに帰国する事にした。

 実は私の気功は、イシュクルから学んだものだ。

 これをアサシンギルドの団員が全員使えるようになれば、教団の戦力がさらに底上げされると思っていたが、気の扱い方というのはかなり難しいようで、最終的に使えるのは私とイシュクルと影法師くらいだった。


 三年ほどの旅で世界の行ける所はだいぶ回ったし、教団の幹部よりそろそろ戻ってきてほしいという手紙も貰っていた。

 長いようで短い三年間だったように思う。

 

 イル=カザレムに戻った後は、早速影法師にも暗殺術の粋を叩き込んだ。

 如何に影法師が優れた武術家と言えども、暗殺に関してはまた違った素養が必要となる。

 あせらずじっくり教えていこうと思っていたのだが、影法師は瞬く間に教えた技術を全て習得し、自らでも影技を駆使した独自の暗殺術を編み出し、ギルド内でも一、二を争うほどの実力者となった。

 彼が使う影技は影潜み、影縫い、影纏い。その他にも影刃、幻影拳もあるな。

 私が見たのはそれくらいだが、今はもっと修練を積んで違う技を編み出しているかもしれぬな。

 

 暗殺者として経験を積んでいくと、影法師は何かに誘われるようにふらりと居なくなる事があった。

 しかし、長くても数週間すれば帰って来るので出奔を止めようとはしなかった。

 帰って来た時は例外なく殺意を内に漲らせていたので、恐らく強者を探して果し合いをしたのだと思っている。

 その度に武術家、暗殺者としての実力も上がって居たので、何も言う事は無かったが。


 

 ある時、仕事をこなしギルドに戻って来た影法師にねぎらいの意図を込めて酒でも飲まないかと誘った時がある。

 とはいえ、幾度となくこの誘いは断られていた。

 影法師は戦いの中に身を投じられれば良く、時にアサシンギルドには厄介な強者を倒してほしいと言う依頼がそこそこ来るのだが、そう言ったものは影法師に振っていた。

 彼はそれだけで良かったのだ。

 娯楽にはあまり興味を持っていない。

 酒や煙草、薬物や賭け事、女と言ったものには関わりをほとんど持たず、金も食べ物に困らず、最低限の暮らしぶりが出来ればそれでよいとも言っていた。

 全ては強者と出会い、戦う為にある。

 それ以外は余計なものだと言わんばかりだった。


「いいだろう。偶には付き合ってやってもいい」


 影法師からこのような返事が聞けたのは、極めて珍しい。

 今回の相手が余程気に入る相手だったのだろうか。


 とはいえ、私達はそこらの飲み屋に顔を出せるような立場ではない。

 地下に世界中から集めた酒を保存するセラーがあり、そこには古今東西あらゆる酒に精通した専用のソムリエを置いている。

 そこに赴き、各々好きな酒を頼む。

 私は白ワイン、影法師は焼酎なる酒を頼んだ。

 影法師が酒を飲む姿は本当に珍しい。

 グラスの中に注がれる透明の酒を、ぐっと一気に飲み干しては一息を吐く。


 影法師の感情を読み取るのは難しい。

 だが何年も彼の事を見て来た私には、ようやく少し読めるようになってきた。

 表情はほとんど険しく変わらないのだが、その体に浮かび上がる気配が、今日はだいぶ昂って揺らいでいるのが見えたのだ。

 気の巡りも良く、大気に発散されるような陽の気の気配が見えると、大分機嫌が良い。


「本日の相手は、我が生において一、二を争うほどに強き者であった」

「満足していうか」

「目を瞑れば幾度となく鮮明に思い出せるほどに。あれほど強かった相手は他に比較できる者はアル=ハキムしか居ないだろう」


 影法師は技術を覚え、経験を積んでいくにつれて私とも戦いたがる素振りを見せるようになった。

 強くなった自分が、今度こそ私に通じるのかを試したい気持ちが生まれていたのだろう。

 しかし、私と戦う事は即ちアサシンギルドに対する反逆になる。

 例え純粋に戦いたいだけだとしても、私と影法師が戦う事それ自体が既にアサシンギルド存続の危機になりかねない。

 その事を重々承知しているが故に、影法師は度々出奔するのかもしれなかった。


「今日は、ハキムが知りたがっていた事を話してもいい」

「本当か?」


 私はいつも影法師の過去が如何なるものであったのか、気になっていた。

 

 ギルドの団員の過去は、出来る限り把握しておきたかった。

 

 素行、性格、行状を知っておかねばどのような仕事に向いているかもわからない。

 もしかしたら、過去に何らかの辛い出来事があってそれがトラウマになり、出来ない事もあるかもしれないからだ。

 影法師の性格は知っていたから、振っておけば良い仕事がわかりやすいのは助けにはなっていたが。

 それと、興味本位の部分も無くはなかった。

 特に影技をどうやって会得したのか、その秘密が知れれば気功のように自分も使えるかもしれないという淡い期待もあった。


「楽しい話ではない」


 姿勢を正し、私は影法師と真っすぐ向き合う。


「我が生まれた時、父は居なかった。その姿も形跡も家には無く、母は首を吊って死んでいたという。その時のショックで我は生まれたらしい」


 身寄りのない赤子として生を受けた影法師は、その生まれ方ゆえに村では誰もが不気味がって育てようとしなかった。

 仕方なく、近くにある寺院に影法師は預けられて育てられる。


「寺院はある拳法の流派を興した事でも有名で、我はそこで幼い頃から僧としての修業と、拳法の修練に励んでいた」


 幼き頃から影法師の物覚えは非常に良く、すぐに様々な事柄を吸収していった。

 しかし、天涯孤独の上に死んだ母親から生まれた子、というのが不吉だと言われ続け、大人からは腫物を触るような扱いをされ、寺に送り込まれた他の子どもたちからは事あるごとにいじめを受けていたようだ。

 引き取った寺の高僧にかばわれてはいたものの、影法師の立場は非常に弱かった。

 影法師はその屈辱をバネに、拳法の修練を怠らずに積み続けていた。


「そんな中、寺の子供たち同士で組手を行う事となった。我の相手は、子供たちの集団の頭目となる者だった」


 影法師の体格はこの時、けして大きくはない。

 対して相手は十歳も行かないくらいの年齢にしては、かなりの大きい体をしていた。

 普通に戦えば間違いなく影法師に勝ち目はない。

 周囲の大人はなにかあれば止めに入ろうと思っていただろう。


「我はこれを、千載一遇の機会と思った。今この時こそが、相手を一泡吹かせてやれる時だと」


 影法師は、はじめ、の合図と同時に突進してきた相手を躱し、目潰しと金的を仕掛けた。

 目潰し攻撃は外れたものの、金的は的中し、相手は白目を剥いて失禁し倒れてしまう。


 組手では目潰しと金的、関節技は禁じ手であった。


 それを使った事に取り巻きの子供たちはいかり、乱入しようとしたがその場は大人たちが抑えたので大きな騒ぎにはならなかった。


 しかしその夜、影法師が寝ようと寝所に向かった時に事件は起きる。

 影法師が部屋に入った途端、夜襲を受けたのだ。

 もちろん相手はわかっている。

 取り巻きの子供たちは、布に石を詰めた武器や、鉄の棒、あるいはナイフなどと言った凶器を持っていた。

 口々に、お前は忌み子だ、忌み子なんか死んでしまえと罵り、影法師に襲い掛かって来たと言う。


「初めて、命の危機に晒された我は非常に憤り、血がかっと全身に駆け巡るのを感じた。何故ここまで虐げられ、呪いの言葉を投げかけられなければならぬのか。死ねと言われ悪意を叩きつけられるのであれば、もはや生死を掛けた闘争を行うしかないと決断した」


 ナイフで切られ、石や棒で叩かれ、散々に血が出てついに影法師は殺意を抱いた。

 その時、月に照らされた影法師の影が伸びて、襲い掛かって来た子供たちを絡めとり、縛り付けた。

 影法師は影を槍の如く鋭く先端を伸ばし、子供たちの心臓をことごとく貫いた。

 朱に染まる、寝所の床。


「我はこの時、自らが普通の人間ではない事を知った」


 如何に虐げられていたとはいえ、人を殺してしまった以上はもはやここにはいられない。

 影法師はわずかな荷物をまとめ、寺院の裏門から密かに去ろうとする。

 しかしその時、影法師をかばい続けていた高僧に見とがめられた。


「やはり血が勝ってしまったか」


 高僧は影法師を沈鬱な面持ちで見つめている。


「お主の所業を見た。最早ここで暮らす事は叶わぬ。しかし、追っ手を放った所でお主は歯牙にもかけず倒してしまうだろう」

「……」

「行く前に、お主の出自をせめて話しておこう。影法師。お主の父親は人ではない。闇に紛れし者と呼ばれる、魔の物だ。人に似ているが非なる存在である」


 闇に紛れし者なる存在は、度々人間の女に襲い掛かり、子を成そうとするらしい。

 それ以外にも、闇や影の中に潜み紛れて、人間を殺しその魂を奪い糧とするとも。


「お主の母は闇に紛れし者に襲われ、身ごもり、その結果発狂してしまった。儂は如何に魔の者の血を受けた子であろうとも、人間として生きていけるはずと思って引き取ったが、このような事となり残念だ」


 影法師は、それらを聞いても何ら動揺などは無かった。


「左様ですか」


 返事はそれだけだった。

 むしろそうであるほうがしっくりくる、とすら振り返っていた。


「如何なる血が流れて居ようが、我に思う所はない。己は己だ。己は何故生を受けたか、幾分なりともこれにて分かった。戦う事こそが我が行く手を切り開く事に他ならず、生きる術である」


 如何なる時、所であろうとも我は此処に在り。

 己は己の意志によって動き、それに従うのみ。


「国を放浪し続け、やがてハキムと戦い、今はハキムの下に居るのが良きと判断した。だから我は此処に居る。今はな」


 影法師は語り、酒を呷った後に押し黙った。

 これにて話は終わり、と言わんばかりに。




* * *




「どうかな。少しは参考になったかね」


 アル=ハキムは再び煙管キセルの中に煙草の葉を詰め、火を点けた。


 影法師の過去。

 影技は血に潜む生来の物で、人間に使えるものではないのは分かった。

 影法師の闘争への渇望もまた、過去の出来事に由来するものであるようだ。

 生きる術、生きる為の目的。

 なれば、その血と才能に恃まず修練を更に積み上げているだろう。

 例え迷宮の中であろうとも。

 再び対峙した時、全く以前と同じ相手と思ってはならぬという訳だ。


「そなたらが何時再び影法師と出会うかは知らぬが、次に相対した時には果たしてどちらが勝つだろうかな。楽しみにしているよ」


 アル=ハキムは言い残し、煙を大きく吐いた。

 紫煙は天井まで届き、やがてうっすらと空気中に広がって消えていった。

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