第百十一話:埋め込まれた者たち

 先ほど道化師が白金の護符を使い放った光によって、強制的に仲間たちと分散させられてしまった。

 無事に合流を果たしたいが、焦ってはならない。

 こういう時こそ焦らずにじっくりと物事を進めなくてはならない。

 

 周囲の状況はどうか。

 改めてこの階層がどうなっているかを見る。


 水晶で出来ている階層なのは先ほども確認した通りだ。

 結晶が床や天井からせり出しているが、よくその中を見てみると何かが埋まっている事に気づいた。


「あれは、下級悪魔レッサーデーモンか?」


 苦悶の表情を浮かべながら、下級悪魔は結晶の中に封じ込められている。

 手を振り上げ、結晶を叩いて外へ出ようとしているようにも見えた。

 床の下の結晶にもふと目をやると、その中には冒険者と思しき姿の者も居た。

 一人ではなく、何人も。

 これもまた道化師の仕業なのだろうか。

 水晶の中に装飾品として飾ってやるとのたまっていたが、全く正気とは思えなくなった。

 暗い迷宮の中にずっと潜んでいたとしたら、順応しきれなければやがて精神を病んでもおかしくはない。


「気味が悪いな」


 水晶に埋まっているもの全てがこちらを見ている気がしてならない。

 実際はそんな事ないのかもしれないが。

 装飾品の感性としては悪趣味極まりない。

 

「さて、向かう先はどこか」


 と言っても、背後は壁で行き止まりだった。

 隠し扉のような仕掛けも無い。

 横の壁も見通す限りは扉も何もない。

 となれば、前に進むだけだ。

 

 一歩先へ進んだ時、かすかに水晶が軋む音がした。


「?」


 気のせいかと思い、また歩を進めると今度はかなり大きい音でぎしぎしと水晶が擦れる音がする。


「何が起きている?」

 

 音のする方向を探ると、それは天井から連なっている結晶の中に存在していた。

 巨人が水晶の中から出ようと、その巨体の膂力を持って腕を動かそうとしている。

 途端にひび割れが結晶全体へと伝わっていく。

 

 割れる!

 

 野太刀を背中の鞘から抜いた瞬間、結晶は粉々に破壊され巨人は晴れて自由の身となり、地面へ着地した。

 自由の身となった巨人はよほど気が立っているのか、呼気が荒く荒み切った目で此方を見ている。

 口の端からは涎を垂らしていた。


「紫色の巨人……。毒の巨人ポイズンジャイアントか」


 この迷宮では地下五階で見かけるはずの魔物だが、ここ最近はお目にかかったことがない。

 深い階層へ縄張りを変えたのかもしれないな。


 毒の巨人はその名の通り、強力な毒を含んだ息を吐く。

 まともに浴びると命に関わるもので、不意打ちで毒の巨人と遭遇して毒息をもろに浴びて全滅していった冒険者たちは数知れない。

 魔術や奇蹟に対する抵抗力も高く、真正面から戦ったら間違いなく強敵である。

 しかし、ある魔術に対しては無力であり、魔術師がこれを覚えてさえいれば途端に倒しやすい魔物へと化してしまう。

 その魔術さえ覚えているかが対処の鍵となる。


窒息サフォケイションさえあれば、な」


 思わずぼやきが漏れ出てしまった。

 とはいえ、相手も一体のみだ。

 ここは一つ一騎打ちと行こう。


 相手の様子を伺う。

 気が立っている毒の巨人は口の端を歪め、明らかな笑みを浮かべた。

 相手も一人だが、俺も一人だけ。

 しかもこんな深い階層にときたものだ。

 如何に巨人の鈍い頭でも、仲間とはぐれてしまっていると勘付くまでには時間はかからなかっただろう。

 長い間水晶に囚われ、自由を得るまでに怒りを溜めこんでいた。

 何より腹も空いていることだろう。

 おあつらえ向きに、向こうから餌がやってきた――。


 そんな風に考えているに違いない。

 

 毒の巨人は一足飛びに跳ねて飛び掛かって来た。

 素手ながら恐るべき膂力を持つ巨人の拳が地面に叩きつけられる。

 衝撃で水晶の結晶が何本も折れ、破片が周囲に飛び散る。

 まともに喰らえば運が良くても複雑骨折、悪ければ即死だろう。

 しかしあまりにも予備動作が大きかった。

 振りかぶり、地面に拳を叩きつける間に俺は前転し、巨人の股をくぐり背後に回る。

 

 毒息を使わずとも殴り殺せると判断したのだろう。

 その油断に感謝する。

 もしこの巨人が少しでも警戒心や用心深さを持っており、迷いなく毒息を吐いていたら幾らかの毒息を喰らって今後の迷宮探索が難しくなっていたに違いない。


「溌」


 前のめりになった巨人のふくらはぎに足を掛け、背中まで駆け上る。

 更に背中を踏み台にして一気に脳天まで跳躍する。


「噴、破!」


 脳天の天辺を穿つが如く、野太刀を突き刺した。

 巨人の頭骨はもちろん分厚いが、人と構造はほぼ変わらない。

 頭骨には必ず継ぎ目となる所が存在する。

 継ぎ目の所を突き刺し、貫く事で柔らかな脳髄へ刃は至る。

 

「GUGA、GAGAGAGAAA!!」


 巨人は白目を剥き、暴れる間もなく絶命し倒れ込んだ。

 着地し、突き刺さった野太刀を抜いて緑色の血を振り払う。

 何時の間にか俺の額には玉のような汗が浮かんでいた。

 

「柄にもなく緊張していたか」


 一人で戦う事は慣れていた筈だった。

 しかし、再び仲間と共に戦えるようになった為に、何時の間にか心細さを覚えていたのかもしれない。

 だがこの心細さこそが用心深さを育て、身を研ぎ澄ます感覚を身に着けられる。

 恐怖に呑み込まれさえしなければ。


 野太刀を鞘に納め、進む。

 

 幸いな事に分岐もなく一本道の通路が続くのみだった。

 歩くうちに、またも目の前には扉が現れた。

 鍵は掛かっておらず、取っ手を捻ればすぐに開く。


 少しずつ扉を開き、中の様子を伺った。

 すると眼前に広がるのは、奇妙な部屋であった。


 全てが鏡張りになっている部屋だ。


 床も、天井も、壁さえも鏡が敷き詰められている狂気の部屋。

 やはりあの道化師が考えた部屋なのだろうか。

 悪趣味にもほどがある。

 迷宮の魔素による変化ではこうなるとは考えづらい。

 

 部屋に踏み込むと、四方八方から俺の姿が映し出されていて気味が悪すぎる。


「鏡地獄、か」


 ふと、脳裏に浮かんだ。

 賢者によって万華鏡の中に封じ込められた魔物の逸話を思い出す。

 無数の反射する鏡の中で自分の姿ばかりを見つめ続ける羽目になった魔物は、最後には発狂してしまったか、あるいは何も見たくないとばかりに目を潰したか、どちらだったろうか。

 この部屋に入った者はいずれ発狂すると道化師は言葉を用いずに伝えようとしているのかもしれない。


 ゆっくりと歩を進める。

 鏡が敷き詰められた部屋はそれほど広くはない。

 とはいえ、戦うには十分の空間がある。

 鏡の一枚一枚を調べてみても何の変哲もない鏡でしかなかった。

 

 部屋の中央には一際目立つ物が鎮座している。

 金と水晶によって額縁が装飾されている姿見だ。

 姿見には勿論俺が映っているが、その中に銀で鍍金めっきされたような人影が鏡の中に映っていた。

 背後を振り返るが誰も居ない。

 姿見を見返すと、確かにその中に居るのだが。


 その時、アラハバキが文字を浮かび上がらせる。

 そういえば、俺にはまだこいつが居たのだった。

 厳密には一人ではなかったというわけだ。

 そう考えると、僅かに気が楽になった。

 

(鏡の中の像が少しずつ動いているぞ、気を付けろ)


 そんな馬鹿な、と思いつつ見返すと、確かに鍍金された像は先ほどよりもこちら側へ迫ってきていた。

 

 この像ももしや、封じ込められた冒険者なのか。


 一足飛びに背後に跳躍し、距離を取った瞬間にそれは鏡の中からぬるりと現れた。

 まるで水面からゆっくりと上がるかのように、鏡に波紋が浮かび上がる。

 鏡の中から現れたのは六人。

 先頭に立つ戦士らしき姿をした男が俺を指差して、言った。


「ようやく身代わりとなるものが現れた。お前には悪いが、代わりに魔鏡の虜囚となってもらうぞ!」

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