第百九話:決断

 平和をもたらさねばならない。

 その言葉は静かに、重い響きを持って俺の心に伝わった。

 五百年もの間、歯噛みし続けた老人の胸中や如何ばかりであろう。

 平和が如何に脆く崩れ去るかは、枚挙に暇がない程に見て来た。

 それは薄氷のように薄く、一歩強く足を踏み込んだだけでひび割れてしまうほど儚いものだ。

 

 俺の故郷のように。


 今や故郷がどうなっているかを知る術はない。

 いや、知ってどうするというのか。

 俺は故郷を守れなかった。

 無様に逃げて、逃げて、逃げ続けてきた。

 知った所でどうしようもない。


 だからこそ、今度こそ今居るこの土地を守りたい。

 此処にいる人々の安寧を保ちたい。

 流れ着いたよそ者の俺に親切にしてくれた街の人々。

 出会い、仲間となり、その中で俺を愛してくれたノエルを守りたい。


 ここはもはや第二の故郷だ。

 

 いずれ去り、何処かへ流れる事になろうとも、俺の大事な故郷となった。

 何があろうとも守りたい。


「さて、これで儂が話したい事は全て話した。元より自らの不始末が原因である故、これを話すのは我が恥を晒すのと同義。また、開いてしまったゲートを閉じるのは大変な危険を伴う。我が命のみならともかく、他人の命までも危険に晒す事になる為、今まで事情を話すのは憚られた。それでも、そなたらに頼みたいのだ」


 自らの後始末をつけるためにも、そなたらの仲間にしてもらえまいか。

 フォラスは頭を下げ、頼み込む。


「わたしは文句ないわ。フォラスさんが居てくれた方が戦力的にも大幅に増強されるわけだし、断る理由がないもの」

「同感です。フォラスさまが居てくれればまさに百人力ですよ」

「買いかぶりすぎじゃ、二人とも」


 ノエルとアーダルの答えに対し、フォラスは顔を上げて僅かに笑みを作った。


「それで、そなたはどうなのかな」


 フォラスの視線は俺に向いている。

 しばらく間を置いてから、俺は口を開いた。


「一晩考えさせてくれ」

「え、宗一郎。何を考える必要があるの? 是非もないでしょう」

「そうですよ。一体どうしたんですか」


 二人からは怪訝な目で見られてしまった。

 しかしこれは、大事な決断だ。

 フォラスは顎鬚を撫でつけながら言う。


「三船殿には何か懸念材料があるのだろう。ゆっくり考える時は必要だ。儂が見限られる判断が例えなされようとも、それもまた運命。受け入れるまでよ」

「済まない、二人とも。でももう少し、考えてみたいんだ」


 ノエルは口をとがらせ、アーダルは首を傾げながらも渋々俺に従ってくれた。


 迷宮の入り口まで送ってもらい、イブン=サフィールにて各々の部屋に戻り、今日はこれまでとなる。

 何時の間にか時は過ぎ、外は夜になっていた。

 宿屋の食堂は既に閉まっていたが、イブン=サフィールにはルームサービスなるものがあり、簡単な食事を部屋に持ち込んでくれた。

 それを腹に詰め込み、風呂を浴びて装備を外し、寝台ベッドに倒れ込み俺は天井を眺める。

 寝台横に設置されている、弱い魔光灯の青い光のみが部屋をうすぼんやりと照らす。

 ぼんやりとした灯りの下、考えを巡らせていく。


 普通に考えれば、フォラスの加入には何の問題もない。

 

 魔術師の全体火力は依然として必要不可欠。

 それ以外にも様々な探索に役立つ魔術を魔術師は使いこなす。

 迷宮深層を潜るには熟練の魔術師が居なければ無理に等しい。

 何を疑う余地があろうか。


「野心……」


 自然と、言葉が口から漏れた。

 

 王が内心に抱く野望。


 果たしてそれは本当なのだろうか。

 フォラスが語る、王の野心なるものは存在するのか。

 彼はいささか、感情的になってしまっているのではないだろうか。

 無論、俺は過去のエシュア家の所業を知らない。

 だがそれを抜きにしても、一方的な憎しみだけを持って語っているような気がしてならない。

 今までは語られるままに鵜呑みにしていたが、果たして本当なのだろうか。

 確かに、初代のネブカザル王の所業を思えば、フォラスが一族に対して良い感情を抱くのは難しいだろうが。

 

 勿論、王の内心など一介の冒険者などには窺い知れるものではない。

 日頃から王と顔を突き合わせ、まつりごとの話をしている者達であれば、王が何を考えているのかを予測する事は出来よう。

 それもあくまで「予測」に過ぎないが。

 人の内心など、その当人にしか知り得ない。

 

 野心があるのか、と直々に尋ねた所で恐らくは無意味だろう。

 例え王が大いなる野心を抱いていた所で、まだ道半ばの時点でそんなものを露わにするはずがない。

 俺が王であるならば、野心を果たすにふさわしい時を見計らって言う。


「もしや、フォラスには別の考えがあるのやもしれん」


 例えば、フォラスは本当はわざとあのゲートを開き、徐々に門を広げていって地上へ魔物が満ちる為の準備をしているのかもしれない。

 フェディン王は今や地下迷宮を俺たちを利用して制圧しようとしている。

 俺たちはいわばその目的の邪魔となる。

 あえて最深部までおびき寄せ、俺たちを門を完全に開く為の生贄に利用しようとしているのやも。

 

「……流石に妄想が過ぎるか」


 古代遺物アーティファクトを盗み出されたとなれば、王の一族に対して怒りを抱くのも致し方ないだろう。

 だが人は憎しみを抱き続けると、その精神に変調を来す事もある。

 フォラスもまた、内心では何を思っているのかはわからない。

 口にした事全てが真実とは限らないのだから。


 悶々として寝返りを打つと、机の上に置いていた籠手こと金属生命体のアラハバキがその体に一筋の光を走らせた。

 体の表面には文字が浮かび上がっている。


(どうした。随分と脳波に乱れが生じているが)

「俺の感情がわかるのか?」

(君と直に肌を接していたからな。君の生体エネルギーの波長がこちらに流れ込み、読み取れるようになった。今、迷っているな)

「お主は人の心まで読み取れるのか」


 そうだとしたら、籠手を着けた状態で王やフォラスに触れる事が出来れば、二人の思考を読み取れるのではないだろうか。

 一瞬期待が心を躍らせる。

 しかし、アラハバキの答えは俺の期待をあっさりと挫く。


(波長が読み取れるようになるまで、長い時間接触していなければならない。そして、感情の起伏がわかっても、何を考えているかの詳細までは読み取れない)

「……そうか」


 残念だ。

 やはりそう簡単に人の心を読める手段などないという事か。

 

「……そういえば」


 一つ、思い出した事があった。

 観測者より貰った真理の手鏡。

 真理を知れるのであれば、相手の内心までも知れるのではないだろうか。

 

 鞄から真理の手鏡を取り出し、アラハバキにかざしてみる。

 

 真理の手鏡に映るアラハバキ。

 

 するとアラハバキの投影された姿の上に、光る文字が浮かび上がって来た。


<金属生命体、あるいはアラハバキ。

 この世界線とは別の世界で生じた、金属を基調とした生命体。

 その体は炭素生命体と同じように自己再生能力及び、成長するという機構を持つ。また状況に応じて自らの体を構成し直す事も可能である。

 長大な寿命を持ち、過酷な環境に耐える頑強さもある。他にも同種の生命体は存在しうるだろうが、未だ彼らはお互いに遭遇した事はない。

 秘められた力の全てもまだ、解き明かされてはいない>


「成程、これは確かに便利だな」


 知らない物を調べるには本当にうってつけだ。

 鑑定士の仕事はこれがあったら用済みとなるだろうな。

 しかし今俺が求めているものではなかった。


(結局、思考が読み取れるような代物ではなかったという訳か)

「相手の思考を読み取る術は、かなり高度なものなのだろうな」


 実際それをやってきたのは、不死の女王くらいだったな。

 俺とて戦いにおいては相手の思考を読んだりもするが、それはあくまで相手の行動を見て判断しているだけで、間違っている場合もある。

 予想、予測の範囲を越えてはいないのだ。

 思考を読み取れれば、戦いは容易くなるだろうが世の中そう上手くはいかぬものだ。

 

「……悩んでいても仕方ないな」


 俺は何をしたいのか。

 結局はここに立ち戻るしかない。

 

 迷宮の主を倒す。

 そしてもし魔界のゲートがあるのならそれを閉じるまで。

 フォラスの思惑や王の野心がなんであれ、やる事はその二つだ。

 フォラスが何か血迷ったとしても、王が野心を抱いて背後から襲い掛かって来るにしても、そうなったらどちらも打倒するだけだ。

 難しく考える必要はない。

 

 何かが眼前に立ちはだかったら、一刀の下に斬り伏せる。

 侍とはそのようなものだ。


「肚は決まった」


 



 改めて翌日、三人で迷宮の入り口に向かう。

 フォラスは果たして、迷宮の入り口で待っていた。

 俺は彼の前に立ち、すっと手を差し伸べる。


「一晩熟考した上で決めました。仲間として貴方を迎え入れたいと存じます」


 告げると、フォラスは顔をほころばせて大きく息を吐いた。

 そして、がっちりと俺の手を握り返す。


「そなたに見捨てられたらどうしようかと思っていた。喜んで仲間となろう」


 迷宮探索の準備が出来たらまた来てくれとの言葉を受け、再度別れる。

 フォラスは既に準備を整えているとのことだ。

 五百年も待っているのなら、今すぐにでも行きたい気持ちがあるだろう。

 こちらもなるべく急いで準備を整えよう。


「それにしても、フォラス様のあのホッとした顔。本当に不安がってたんでしょうね」

「そうだな。いよいよ迷宮探索も最終段階だ」

「気を引き締めなくちゃね。目的を果たして生きて帰ってこそ冒険者だし」


 街外れから街の門まで戻って来た所、珍しい人物が立っていた。

 浅黒い肌をして、黒い忍び装束に身を包んだ男。

 しかし以前装着していた面頬や頭巾は外しており、輝かしい銀髪と蒼玉サファイアのように青く煌めく瞳、それに長く尖った耳が露わになっている。

 煌めく瞳はしかし、刃物のような鋭い視線をこちらに向ける。


「イシュクルさん?」


 アーダルが息を呑んだ。


 暗殺教団アサシンギルドが抱える凄腕の忍者。

 暗殺教団アサシンギルドの首領、アル=ハキムの護衛を務めているはずだが、何故ここに出張ってきたのだろうか。

 イシュクルは俺たちを見るや否や、音もなく駆け寄って来た。


「よう、宗一郎。それにアーダルとノエル、元気か」

「息災だ。お主が表に出てくるとは珍しい。何があった」

「単刀直入に伝えよう。影法師がアサシンギルドから姿を消した」


 消えた、とな。


「仕事ではないのか。暗殺業の性質上、周囲に仕事内容を伝えるようなものではないだろうし、黙って居なくなるのは普通ではないのか」

「首領であるハキム様にだけは仕事の報告はするようになっているんだ。だがハキム様が報告も無しに影法師が居なくなったと俺に告げたのでな。影法師の行方を追って欲しいとは言われたのだが、正直気が進まねえ」

「それはわかったが、何故俺たちにも伝えようとしてきたのだ?」

「嫌な予感がするんだよ。お前たちが迷宮の深層へ足を踏み入れてから、禍々しい気配が迷宮から漏れ出てくるようになってな。奴はその気配を感じて恐らく、迷宮の中に入ったに違いない」

「一体、何の目的の為に?」

「アーダル、お前は奴と手合わせしたから知っているだろうが、影法師は死闘の中に身を置く事に生き甲斐を見出している。暗殺はその為の手段の一つでしかなかったが、今やそれ以上の戦いの場が迷宮にあると思ったのだろう」


 つまり、影法師と迷宮で遭遇する可能性があるというわけか。


「気を付けろと言った所で詮無い事かもしれんが、それでも全く知らない状態で遭遇するよりはマシかと思ってな。忠告しに来た次第だ」

「随分と優しいのね? お師匠様」


 ノエルがからかうように言うと、そんなんじゃねえよとイシュクルは頭を掻いた。


「アーダルには俺が直々に教えを叩き込んだ弟子だ。まだ全てを教えきった訳じゃない。死んだら俺の苦労が無駄になる。だから死ぬんじゃねえぞ」


 アーダルの肩に、イシュクルは手を優しく置いた。

 その言葉にアーダルはぽかんと口を開けながらも、はっとして頭を下げた。

 彼女の瞳には涙がにじんでいるように見える。


「あ、ありがとうございます! 必ずや生きて迷宮から帰ってきます!」

「お主の心遣い、痛み入る。気を付けて歩くとしよう」


 影法師、か。

 ノエルから話を聞いた限りではあるが、戦う事それ自体が目的であり、生き甲斐である男か。

 闘争に魅入られ、如何に命を奪るか、それだけを追い求めている。

 修羅となって命を奪い、いつか奪われるまで戦い続けるのだろう。


 俺の中に居る羅刹もまた、戦いを求めている。

 お互いに匂いを感じ取れば、遭遇する事もあるやもしれぬ。


 修羅と羅刹。

 どちらが果たして命を奪るのか。

 それは戦って見なければわからぬ事だ。


 ぞわり、と背中の産毛が逆立った気がした。

 心中の羅刹が笑みを浮かべていた。

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