第百八話:迷宮の守り人


「奈落へ至る深淵の入り口ですって?」


 ノエルが声を上げる。


「即ち魔界、或いは地獄とも言われる」

「そんなものがここにあったなんて、ちっとも噂にすら上がらなかったですよ」


 アーダルが零した。

 にわかには信じ難い事実。

 そう簡単には受け入れられないだろう。

 なんせ俺たちが暮らしている街の地下に、魔界に繋がる門があるなどと誰が想像できるだろうか。

 しかし、俺には確信できる兆候を感じられた。


「実は最近、追儺ついなの数珠の効果が弱まっているような気がするのだ。俺の中で蠢く鬼の気配が、迷宮を深く潜るにつれて強くなっているのを感じる」

「それはひとえに、迷宮の深層へ至るにつれて濃くなっているマナが鬼の力になっているのだろう」


 魔界への門が開かれたせいで、迷宮深層はともすれば魔素酔いするほどの濃度が漂っているとフォラスは言う。

 

 生物は全て魔素なしでは活力を失う。

 即座に死ぬような事にはならないが、魔素を失うと身体が重く感じられ、行動に支障をきたすようになる。

 特に何らかの原因で魔素切れを長い期間起こすと、全く体を動かせなくなってしまう。

 生物にも必要な魔素だが、とりわけ強大な魔物、特に悪魔などは魔素が濃い場所でなければ存在し続けられない。

 基本的に悪魔は実体を持ってこの世界にやってくる事が出来ないからだ。

 魔素が薄い場所でも活動しようと思ったら、依代を得なければならない。

 あるいは、この世界全てを魔界のような世界に塗り替えてしまうか。

 魔素無しでも動けるものは、不死の魔物や魔術によって核を埋め込まれ、書かれた命令通りにしか動かない自動人形ゴーレムなどだろう。


「マナは生物ならば枯渇しても、何も問題がなければいずれ回復する。三船宗一郎、そなたは霊気なるものを使いこなすようだが、儂にいわせればそれは恐らくマナを我らとは別の形で使いこなしているのであろう」


 そういうものだろうか。

 俺にとっては体の中に流れているものがなんであれ、それが自らの戦力になるのであれば何でもよいが。

 

「つまり、俺の中にいる鬼神は、迷宮深層に至るほど力を取り戻し目覚めてしまうかもしれないという訳か」


 フォラスは頷いた。

 願わくば迷宮深層の主を倒すまで、出てこない事を祈るのみだ。

 そして老人は話を続ける。

 

「儂はすぐに魔界へ通じたゲートを閉じようとしたが、既に遅かった。魔界の魔物、悪魔たちは常日頃、あらゆる手段を講じて現実世界へ来ようとしていたが、不意に何の通過手段も用いずに通れるゲートが出来た為、研究室は魔物たちで殺到してしまったのだ」


 故にフォラスは、咄嗟に門に対して時の流れを遅らせる魔術と、魔界の門が開ききってしまうのを防ぐ為の空間操作を行い、大いなる力を持った魔物は現実世界に来られないように封印を施した。

 

「あまりにも時が無く、急ごしらえの封印であった。その為に我が秘法を使う為の触媒であるユグドラシルの枝で作った杖が破損してしまってな。これが無ければゲートを開く事も閉じる事も叶わぬ」

「予備はないのか?」

「ユグドラシルの枝をそんなに用意できるか、と言いたい所だが儂は不測の事態に備えて数本は予備を作っていた。しかしその予備は研究室の中だ」


 封印を施した後、魔物の群れで溢れた研究室から離脱したフォラスだったが、更に洞窟の構造を十階層まで増やし、構造を複雑化させた。

 そうする事で下手に人が入り込まない様に、また魔物が地上まで上がってこないように応急措置を施したのだ。

 

 それでも依然として魔界への門はゆっくりと開き続けている。

 いずれ門を閉じねばとフォラスは思っていたものの、世界樹ユグドラシルの杖を失った状態ではどうにもならない。

 杖は門の開閉以外にも、持ち主の魔素容量と魔力を飛躍的に高める効果があると言う。

 それが無い以上、フォラスは仲間を募って迷宮深層へ挑むしかないのだが、彼の目に適う者は中々現れなかった。

 

 そんな折、一人の男が何時の間にかサルヴィの迷宮と呼ばれるようになった洞窟へ足を踏み入れる。


「その男こそが、イル=カザレムの祖となったネブカザル=エシュアよ」


 ネブカザルは元々冒険者ではなく、盗賊だったという。

 当時すでに一人で幾つもの遺跡や廃城を踏破し、その中に収められていた宝を暴く大盗賊として名を馳せていた。

 ネブカザルは単身で魔物が蔓延る迷宮を踏破し、研究室に入り込んで幾つかの古代遺物アーティファクトを奪って地上に戻り、それを使ってイル=カザレムを支配し王になったとか。

 フォラスは憎々し気に語る。


「今現在イル=カザレムで吹聴されている建国の成り立ちなど大嘘だ。ネブカザルは儂が苦労して集めたアーティファクトを盗み、それで他の豪族たちを蹂躙した。いわば国すらも盗んだ泥棒よ。盗人猛々しいとはまさにこのことだ」

「フォラスさまは、だからこそイル=カザレムの王たちには良い印象を抱いていないのですね」


 アーダルが言うと、ふんとフォラスは鼻を鳴らして腕を組んだ。


「儂のアーティファクトを幾つも盗んでおいて、更に研究室で魔界へ繋がるゲートを目にしているはずなのに、ゲートを閉じようとも思わずに一族の繁栄のみに使う輩だからな。初代のネブカザルも憎いが、一番儂が今危惧しているのは当代のフェディン=エシュアよ。あ奴は研究室にアーティファクトとゲートが残されている事を知っている。そして、それらを利用しようと企んでもいる」

「古代遺物や門は初代王の子孫であるから知っているのは当然でしょうが、フェディン王がそれを利用しようなど、だいそれた野心のように思えますが……」


 俺が疑問を呈すると、フォラスは鋭い目つきで睨みつける。


「そなたはフェディン王の事をよく知らぬ故仕方あるまい。儂はずっと彼奴らの事を見続けてきた。それこそ五百年もの間だ。中には善き王も居た。だが此度の奴は駄目だ。内に秘めた野心を解き放つ時を虎視眈々と待っておる」


 野心か。

 かつてフェディン王に、隣国シルベリア王国のマルヤム女王が野心を抱いていると言われた事がある。

 だがその言葉は、もしかしたら自分が抱いている思いの裏返しなのかもしれない。

 野心を抱くがゆえに、隣国の王もそう思っているに違いないという思考が言葉となって現れているのだろうか。


「さて、ネブカザルが迷宮に入ったあと、次に迷宮の深層に至ったのは今迷宮の主と呼ばれている鬼神だ。東方より訪れた奴が軍団を引き連れ、地下十階全域を支配している。鬼神は研究室に居座り、時折ゲートよりすり抜けてくる魔物をなぶり殺しにしながらこもっているようだ」


 そして鬼神は現在に至るまで、迷宮の外には出ていない。


「フォラス老は鬼神が何故迷宮に潜ったか、知っておいでか」

「無論、知っておる。まだ理性が残り会話が成り立つ侍の一人に事情を聴いた。奴もまた苦渋の決断であり、哀しみの末の行動であろう。宗一郎、そなたの目的の一つであろう。憐れな鬼と変じた祖先を討伐するのは」

「その通りです。我が体内に潜む鬼を倒す手がかりになるはずでもあるので」

「我らの目的は合致している。儂はゲートを閉じ、世界に危機をもたらさぬ為。そして宗一郎、そなたは鬼神を倒す為。儂らは協力して深部へ至る理由がある。故に、この時をもってそなたたちに手を貸したい」

「その代わりに、門を閉じる手助けもしてほしいと」


 フォラスは頷いた。


「儂は長年、歯がゆい思いで迷宮の管理人などと嘯いて迷宮とこの街の変遷を見て来た。深部に至れそうな冒険者は何人かは居たものの、全て己が目的のために迷宮に足を踏み入れるのみで、真に迷宮を踏破しようとする者は居なかった。時を経て、今や封印は弱まり解けようとしている。このままでは近いうちにゲートより魔物が溢れ、地に満ちるであろう。儂はもはや、魔物に地上が支配されるのを黙って見ているしかないと思っていた」


 しかしようやく現れたのだ。

 真に迷宮を攻略し、踏破しようとする冒険者とその仲間が。


「封印が解ける間際のこの時にそなたらが現れたのは、まさに僥倖。この時を逃してはならない。ゲートを閉じ、鬼神を倒し、この世界に平和をもたらさねばならない」

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