第百七話:サルヴィの迷宮、その成り立ち

 フォス=フォラス。

 彼こそは迷宮の管理人をうそぶく、謎の老人。

 時折、迷宮で迷い彷徨う冒険者を空間転移の魔術で助けたり、或いは迷宮を気ままに散歩しているという、冒険者には馴染みがあれど奇異に見られる存在であった。

 迷宮を一人で歩けるのは、間違いなくそれだけの実力があるという訳だが。

 間違いなく、魔術師としても上級あるいは特級位の力量はあろう。


「しかし一体なぜ、俺たちの仲間などになろうと思ったのです? いや、有難い申し出なのは間違いないのですが」


 老人は杖を持っていない空いた片手で顎鬚を撫でつけながら、髭の下に隠れた口に笑みを作った。


「その話はここですべきものではないな。そなたの仲間が集まった時、改めて話すとしようか。明日、三人で迷宮の入り口まで来てくれぬか」

「承知しました」


 老人はゆっくりとした足取りで夜の闇へと消えていく。

 音もなく、まるで最初からその場に居なかったかのように。

 砂漠の夜の風が吹き抜ける。

 風を受けて、少しばかり震えを覚えた。

 寝巻に籠手を着けただけの薄着では、砂漠の夜は少しばかり寒すぎるか。

 歩いている時は心地よかったが、もうそんな熱は今は失われてしまった。

 

 俺はイブン=サフィールに戻り、もう一度眠る。

 先ほどまでのもやのかかった感覚は頭から消え去り、入眠は実に速やかなるものだった。





 翌日。

 アーダルとノエルが泊っている部屋に赴き、フォラスが仲間になってくれることを告げる。

 二人ともあの老人の事は怪しげだと感じてはいたが、同時に魔術師としてはかなりの腕前である認識は一致していた。


「とはいっても、果たしてあの老人は本当に正気なのかしら。一人で迷宮を歩くなんて宗一郎でもないとやろうなんて気にならないでしょうに」

「そうはいっても、一人で迷宮を歩けるだけの力量を持った人なんて、このサルヴィに他に居ますかって話ですよ、ノエルさん」

「それはそうなのよね……」


 流石に俺でも迷宮を鼻歌雑じりで歩くような気持ちにはなれない。

 あの老人は本当に鼻歌を歌いながら、すいすいと魔物たちの間をすり抜けて歩いているからな。

 迷宮にはあの老人に似たような姿をした者も居る。

 大抵は気が狂っていてまともな話は出来やしないが。

 提燈ランタンを持ちながらぼろきれを纏い、迷宮をあてもなく歩き続ける、瞳は濁りきって光を失ってしまっているのだ。

 冒険者が正気を失ってなお、迷宮に順応し生き延びた者の成れの果てであると言われているが真実は定かではない。

 間違いなく、あの老人はこのような手合いの者ではない。


 半信半疑ながらも、ノエルとアーダルは着いてきてくれた。

 迷宮の入り口まで行くと、フォラスが立っている。

 まだ朝なので迷宮の出入りをする冒険者はまばらだが、彼らが老人を見る目は実に奇怪なものを見てしまったと言わんばかりの目つきをしている。

 冒険者組合ギルドの職員も同様だ。

 まあ、浮浪者同然の格好をした者が近くに居たら誰もが警戒心を上げるのは仕方のない事だが。

 フォラスは全く一切気にする素振りは見せない。


「ようやく来たか。全く遅い。老人を待たせるものではないぞ」

「御老体は早くお目覚めしてしまいますからな。申し訳ない」

「うむ。では早速」


 フォラスは口をもごもごと動かすと、空間転移特有の内臓を持ちあげられるかのような不快感に襲われた。

 風景が瞬く間に切り替わり、辿り着いたのは地下六階のフォラスの居室である。

 木製の寝台ベッドに本棚と箪笥、同じく木製ながら頑丈そうな、繊維が密な素材で出来ている机と椅子がある。

 壁際には食べ物と水を保存する壺が並び、その傍らに魔術師の相棒と言われる杖が、前は一本しか無かったはずだが、今は何本かが立て掛けられている。

 灯りを点けた燭台を机に置き、老人は俺たちに椅子を勧めた。


「さて、何処から話そうか」

「フォラス老、貴方は何故俺たちに力を貸してくれようと思ったのですか」

「それはひとえに、そなたたちこそがこの迷宮を踏破できるだろうと踏んだからだ。言うまでもない」

「そう思って頂けるのは非常に有難いわ。でもフォラスさん、貴方は一体何者なの? わたし達はまず、貴方がなぜ迷宮の深層に至ろうとしているのか、その理由も知りたいわ」


 ノエルが尋ねると、フォラスは珍しく声を上げて笑った。


「確かにノエル殿の言う通り。いい加減、迷宮の管理人などと言う戯けた言い草は辞めて、本当の事を明らかにしよう」


 本当の事。

 フォラスは真っすぐに俺たちを見据えた。

 少しばかりの静寂の後、ゆっくりと老人は語り始める。


「まず初めに、この迷宮を作ったのは儂だ。正確には迷宮ではなく、魔術の研究の為の研究室だがな」


 曰く、フォラスは既に千年以上も世を生きている只人ヒュームだと言う。

 エルフでも無ければ千年以上を生きるのは叶わないはずなのに、只の人間でどうやって生きているのか。

 

 初めにフォラスがこの土地にやって来た時、サルヴィはオアシスがいくつか点在するだけの場所だった。

 時折行商人や旅人が渇きを潤し、体を休める為に利用する事はあれども、人が定住する事は無かった。

 だがその人気のない、という所が彼にとっては良かった。

 研究と言うものは、静かな環境で誰も邪魔者が来ない所の方が捗る。

 加えて、この場所には洞窟もあった。

 暗く、何が潜んでいるのかわからない洞窟に入ろうとする人間は殆どいない。

 フォラスは研究に没頭するために洞窟を魔術で改築し、最深部に自らの研究室を作った。

 そして洞窟に万が一誰かが入ってこないように階層を作り、魔物を召喚して配置したのだとか。

 

「それで、ここで一体何を研究しておられたのですか」

「……人は何故、生まれ、成長し、やがて老いて死ぬのだろうな」

「それが自然の摂理であるからでしょう。どのような生き物であろうとも、時の流れに逆らう事は叶いませぬ」

「そう、時だ。時間、時空、次元こそが儂が追い求めてやまないものだ。時空を操り、次元を超える術を持つ事で人は何時しか、神へ至る道筋を辿れる。儂は生まれてからずっと持っていた欲望、即ち自然の摂理の根源たる時間を我が手中に収める為に魔術、いや魔法を究めようとしている」


 時。

 万物が支配されている唯一のことわりである。

 万物は全て時の流れに身を任せる故に変化し続ける。

 永遠に存在するものは無い。

 生物は生まれ、やがて死に至る。

 生物でないものもまた、悠久と思える時を経ればやがてその姿を変化させて別のものへとなり、最後には朽ちていく。

 空に瞬く星ですらも例外ではない。

 誰もが時の流れから逃れる事は叶わない。

 別の世界線より訪れた、観測者やAztoTHですら次元を移動し並行世界を旅する事は出来ても時を操る術は持たなかった。


 もしも、時すら操れる者が居たとしたら。

 それこそが「神」という存在なのかもしれない。

 この老人は壮大で途方もなく、無謀で馬鹿げている事に挑んでいる。

 誰もが永遠に在る事を求める。

 すぐに誰もが気づく。

 永遠など願った所で叶わぬ夢なのだ。

 諸行無常。

 何物も全て変化し、変わらぬものなどないと仏陀は語った。

 しかしこの老人は未だ諦めてはいない。

 この老人の言を信じれば、彼は千年以上生きているのだから。


「時を操るのはまさに神の御業である。なればこそ、まずは神の居る次元へ近づかねば時を操る術は掴めぬと考えた。我らの居る空間、旧き神は三次元空間と呼んでいたが、この次元に居たままでは時を操る研究をしようとも切っ掛けすら掴めなかった」


 そしてフォラスは研究室に一つのゲートを生成した。


「一つ高い次元空間へのアクセスを可能とするゲートを作り、その中に入った。四次元空間なるものは我ら三次元に生きる者にとって、まさに異なる世界。始めは空間の中を歩く事すらままならなかった」


 四次元空間なる場所は、時の流れすらも所によっては危ういらしい。

 未来も過去も現在すらも、同時に存在している。

 空間の距離や位置も我らにとっては揺らいでいるように感じ、常に不確定なのだとか。

 だからこそ、時の「本質」の一端をフォラスは掴めたと語る。

 

「四次元空間に入る事により、知見を我が身を持って体験した。閃きが生まれ、時を遅く、あるいは早くする魔術を編み出した」


 時を遅く、あるいは早くとは。


「時の流れを遅くし、動きを緩慢にさせたり、自らの時の流れを早くすることで早く動けるようになる。大した事が無いように思えるかもしれないが、儂はこの魔術を自らに掛ける事で老化を遅らせている」


 その言葉を聞いた女子二人が、途端に目の色を変えて老人を見た。


「老化を遅らせる、ですって?」

「人間が千年も生きられるはずもないですし、これは信用に値する話ですよノエルさん!」

「まだうら若き二人よ、千年も生きるのは大いなる目的も無ければ飽きてしまうぞ。人間の時間感覚を捨て、エルフの時間感覚を体得せねばそれこそ無為な時を過ごす羽目になる」

「フォラス老は、なぜそこまで生きながらえようと思ったのですか。確かに時を操る魔術なるものを研究するには、幾ら時があっても足りないのかもしれませぬ。しかし、これだけ冒険者が入り込むような所では、最早研究どころではないでしょう。何処かへ移った方が研究も捗るはずですが」


 言うと、フォラスは俯き顎の前で手を組んでしまった。


「端的に言えば、儂は過ちを犯したのだ」

「過ち、ですか」

「四次元空間へつながるゲートを生成できたことで気を良くした儂は、次なる次元のゲートを作った。それこそ、神へ至る道に繋がる門をな」


 そして門を作った瞬間に、フォラスは過ちに気づいた。


「確かに更なる高次元へ至るゲートは作れた。しかしそれは、神へ至る道などではなく、底すら見えぬ奈落へ至る、深淵の入口そのものだったのだ」

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