第百話:二つのAztoTH
精神攻撃を打ち破った。
相手の次なる一手を待ち受けるべきか、それとも攻めに転ずるべきか。
戦いにおける迷い、惑いは即ち敗北へと繋がる。
今、俺の心はまだ攻めへ行くべきではないと言っている。
敵の手の内を全て見切っていない内に攻め込むのは愚策。
なればここは「
野太刀を構えつつ様子を伺っていると、AztoTHは頭部の触手の中から僅かに見える口の端を歪ませた。
「余程慎重な性格なのだな。ならばこちらから行かせてもらおう」
AztoTHは無造作に歩を進めてくる。
距離にしておよそ五人分の間合いの所で足を止めたかと思うと、頭部の触手を一つ、鞭のようにしならせて振って来たので、野太刀で受ける。
その速さは熟練の拷問官による鞭捌きを想起させる。
熟達した鞭使いの鞭捌きは音速を越えるとも言われ、皮膚や肉を切り裂く。
苦痛を与えながらも一撃で死には至らしめない塩梅で鞭を加えるのだ。
まあ、鞭を十回も打擲されれば人はその痛みで死んでしまうのだが。
斬られた触手もいつの間にか再生しており、無数の触手があらゆる軌道から攻め立ててくる。
無論、それらの攻撃は全て捌ききる。
どの一撃もまともに受ければ戦闘不能になりかねないほどの衝撃が野太刀に伝わって来る。
が、俺にとってはAztoTHの攻撃は避けられない程ではない。
今や数々の魔物と戦い、師匠との勝負を経て強くなったという自覚がある。
見えぬはずがない。
そう思っていた瞬間、胴鎧に触手の一撃が掠めた。
「むっ」
見えていた筈の一撃、何故喰らったか。
疑問符が脳内に浮かぶ。
頭部を狙ったものに見えたが、更に変化して胴を薙ぐ軌道に変わっている。
戸惑っているばかりでは次の一撃に対応できない。
既に更なる触手が襲い掛かっている。
「一つ、二つ、三つ、四つ……!?」
野太刀で受けようとした四つ目の触手が、今度は目の前で消失した。
代わりに五つ目の触手が下から顎をすくいあげるように現れる。
咄嗟に顎を引いて仰け反ったものの躱しきれず、顎を殴られて吹き飛ばされる。
とはいえ、上体を反らしていたおかげで致命傷にはならず。
痛い事に変わりはないが。
「君は大したものだ。私の触手を躱せる者などそうそう居るものではない。しかし全て躱しきれるものではないよ」
その口振りに違和感を覚える。
防いだ筈なのに防ぎきれない。
見えたはずなのに消えているのは何故か。
頭の中で、一つの糸が繋がった。
精神攻撃といい、偽物を用意して罠に嵌めるなどといい、まともに戦ってくる相手ではないことにもっと早く気付くべきだったのだ。
だが気づければ何の事はない。
「何のつもりだ」
AztoTHが問う。
当然だ。
戦いの最中に目を瞑るなど自殺行為だろう。
普通の者であれば。
「貴様の攻撃を見切る為だ。とっとと掛かって来い」
「ならば遠慮なく行く」
AztoTHの触手がしなる。
ありありと闇の中に浮かぶ、AztoTHの殺気。
殺気は触手の形を取っているのがはっきりと「見えて」いる。
それを弾く。
弾く、弾く、弾く。
何度も弾くにつれ、ようやくAztoTHの気配にも訝し気なものが浮かんで来る。
「噴、破!」
軌道がより鮮明に見えた触手の一つを斬り上げ、切断する。
一つ見えれば、二つ目はより見えるようになる。
確かにAztoTHの攻撃は速く、鋭い。
しかし戦いの為に鍛錬を積んではいないのが立ち合いをしてわかった。
殺気を消して攻撃を仕掛ける芸当などは恐らく出来ぬだろう。
ならば勝機はある。
殺気と気配を辿り、AztoTHの元へじりじりと近づいていく。
ついに野太刀が届く間合いまで踏み込み、胴を薙ぐ一撃を叩き込む。
「ぐむっ」
くぐもった悲鳴と共に、確かな手ごたえを感じた。
目を開くと、横から斬った腹部の半分までに刀がめり込んでいる。
暗紫色の血が体を伝い、床に血だまりを作る。
これならいける。
俺は二の太刀、三の太刀を繰り出す。
どちらも躱す事が出来ず、肩口と右腕を斬られるAztoTH.
右腕は切り落とされるが、やはり傷口同士が繋がってそのまま癒着し元通りに戻る。
この再生力はやはり寄生体に由来するものなのだろうか。
やはり急所を狙って行くしかないのかもしれない。
だが上位者は、果たして脳や心臓を狙って死ぬものなのだろうか?
一抹の不安が脳裏をよぎる。
AztoTHは傷を負っても不敵に笑っている。
「ヒトは目に頼りすぎている故に、目を幻惑させれば容易く倒せると踏んだがな。まさか一番感覚器官として優れている目を自ら遮断し、幻影を見えなくすることで対処するとは」
「貴様の手はそれだけではなかろう。全て打ち破ってみせるぞ」
「大した自信だ。ならば惜しみなく披露させてもらう」
再び俺は目を瞑り、AztoTHの次なる一手に備える。
またも触手の攻撃。
鞭のようにしなる一撃が、音速を越えて訪れる。
次いで殺気がAztoTHの頭部から伝わって来る。
恐らくこれは光線によるものだ。
殺気が恐るべき速度で空間を奔っていく。
殺気を感じた瞬間、俺は身を左に翻した。
空気の灼ける匂いが鼻をつく。
触手と光線の連携をするようになったか。
だがこれが次なる一手だとしたら、あまりにも単純。
口に笑みを作った次の瞬間。
「!」
背後から謎の殺気を感じて鳥肌が立ち、咄嗟に屈んだ。
そのまま立っていたら後頭部を突き刺す勢いの触手が、頭の上をかすめる。
何故背後からの攻撃が?
空間転移で移動してきたわけでもあるまいに。
そして手数が急に倍に増えた。
触手攻撃と光線の密度が上がり、方向も前と左右からだったのに対し、背後からも同じような攻撃が来ている。
前後から挟まれている?
いくらなんでもおかしいと思い、瞑っていた目を開いた。
「やはり、か」
前にAztoTHがあり、そして背後にもAztoTHが居る。
二つのAztoTHが居る。
これは幻覚ではない。
「そのまま目を瞑っていてくれれば楽に倒せると思ったが、流石にそうはいかないか」
「分身か?」
問うと、AztoTHはゆっくりと首を振る。
そして背後のAztoTHが答える。
「我らはどちらも全く同一の存在だよ。どちらも本物だ」
本物、全く同一の存在が同時にこの場に居るとは、俺の理解を越えてしまっている。
いやしかし、複製体の話が先ほど出たから可能と言えば可能なのか。
「同じであるが故に、下等生物の場合はどちらがオリジナルであるか相争う事態になるだろうな。だが我らはどちらがオリジナルでも構わない。故に連携も完璧だ」
前後からAztoTH二体が近づき、挟み撃ちを仕掛ける。
背後のAztoTHが足元に光線を打ち込んでくるのでそれを足さばきで回避しようとすると、前のAztoTHが回避する方向を読んで触手をしならせてくる。
それを避けるためには思い切り横っ飛びするしかなく、転がり体勢を立て直そうと膝立ちした所をまたも光線で狙われて飛ぶ。
態勢を崩した所を、前にいたAztoTHが右腕を上げて此方に手のひらを向ける。
そして手を握り、拳を作る。
さながら林檎を握りつぶして圧搾するような手つき。
瞬間、俺の頭に圧力を感じた。
すぐさまその「位置」から頭を外す為に伏せる体勢に転じた。
一拍置いて、頭のあった空間から風船が割れた音が聞こえて弾けた。
「
「知っているのかね」
「かつて極東シン国で似たような芸当をする奴と出会った事がある。しかし貴様のように物を潰す程ではなく、わずかに移動させるのが関の山だったがな」
「ヒトにも部分的に上位者のような技能を持つ者が生まれるという事か。やはりこの星の生物は興味深い」
触手に加えて光線、念動力と来たか。
いよいよ奥の手を切り出して来たように思える。
なれば俺も、後の事を考えている場合ではない。
「呼っ」
呼吸を整え、霊気を巡らせる。
深く、大きく腹の底まで息を吸い、吐く。
丹田から巡る霊気の循環が急速に早くなっていくのを感じる。
体から白い
「溌」
更に霊気の循環が上がり、意識が研ぎ澄まされ時の流れが遅く感じるようになる。
ふっと息を吐くと、爆発的な霊気の上昇気流が俺の体から発された。
「霊気錬成の型・刹那」
霊気の循環は台風が訪れた後の川のような濁流を思わせるほどに凄まじい激しさだが、同時に長続きできるようなものでは無いと感じる。
ここで全ての力を出さねば何時出すというのか。
俺は野太刀の鞘を腰に差し、刀を鞘に収めた。
そして居合の構えに入る。
「奥義・
既に触手と光線の乱舞が襲い掛かるが、構わず踏み込む。
霊気錬成の型・刹那によって全てが研ぎ澄まされ、密度の濃い攻撃の中を皮一枚で躱していく。
野太刀の間合いまで踏み込み、神速の抜刀を放った。
躱せる者などいない。
そう自画自賛しても良い程の居合だった。
師匠、結城貞綱の剣技を再現できた、いや越えたと思える程の。
しかし目の前のAztoTHには傷一つついていない。
刀はAztoTHの体にめりこんだかと思いきや、素通りしていったのだ。
先ほどは刀の攻撃は通じていたはずなのに、一体何故なのか。
「不思議に思うだろうね。何故刀が我が肉体をすり抜けたのかを」
空振って隙を晒した俺に触手が容赦なく襲い掛かり、胴にまともにくらって俺は遥か彼方へ吹き飛ばされていった。
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