第九十九話:古の記憶、二つ目の魂
故郷が燃えた日は何時だったか。
確か俺が初陣を済ませて戻って来た時だったように思う。
十三歳になったばかりで元服も済ませていないのに、跡継ぎとしての箔を着けさせる為なのか戦場に出る事になったのだ。
とはいえ、俺が指揮を執って戦うわけではない。
戦場の雰囲気を感じ、生死を賭けて戦うとは如何なる事かを父、三船宗正は知って欲しかったのだろう。
戦いそのものは三船家の圧倒的優位に終わる。
敵は追い散らされ、散々に逃げ回った。
しかし、あれは陽動だったと今になって感じる。
俺たちが陽動の部隊を追っている間に、本命の部隊は内通者を通じて松原の本城への奇襲を行っていたに違いない。
どこから掴んだのか、父の急逝の情報を得て今こそ襲撃の機会を逃さんとばかりに、三船家の治める松原の領地を東西から挟み込んでいる二大国が、示し合わせたように攻め込んできた。
当主を失った軍勢は脆い。
あっという間に分断され、蜘蛛の子を散らすように追い散らされ、各個に抵抗はしたものの、やがて兵たちは全て根切りにされ、侵略されていった。
民は成す術なく男は殺され、女は凌辱され、子は攫われ売られていった。
俺は僅かな手勢と共に山の獣道を逃げながら、その光景を歯噛みして見ているしか出来なかった。
何故いまさらこんな過去の事を思い出す?
いや、思い出すにしてはあまりも鮮明過ぎる。
山の中を駆けているうちに、手勢は落ち武者狩りによって一人、また一人と殺されていく。ただ当主の息子であった俺を逃がすために、自らを犠牲にして。
俺の命の重さなど、他の皆となんら変わらぬはずなのに。
やめてくれ、こんなことで無闇に命を捨てずとも良い!
叫ぶと、風景は暗転し次に現れたものは父、三船宗正の居室であった。
父は死装束を着て布団に寝かされている。
顔は土色になり、水分を失ってかさついた肌は当然だが生気を感じさせない。
俺は家来と一緒に父を見下ろしていた。
家来に促され、隣に座り、改めてその顔を見る。
あの鬼の如き父が、こんなにも呆気なく死ぬ。
所詮鬼と例えられても人間なのだと思い知らされる。
呆然と見下ろしていると、死んでいるはずの父の瞼が痙攣し始めた。
思わずあとずさりをする。
蘇生の儀式も行っていないのに死者が蘇るなど、冗談にも程がある。
いや、俺は迷宮の中でそのような魔物を幾らでも見て来たではないか。
それでも、目の前で死者が蘇る光景は背中に怖気が走る。
「宗一郎よ、そなたは使命を忘れたか。愚か者め」
地獄の底から響き渡る恨み言が、ろくに開けぬ口の隙間から漏れる。
やがて父は掛け布団を振り払い、ゆっくりとからくり仕掛けの人形のようにぎこちなく起き上がった。
父は濁った黄色い目で俺を見下ろす。
今や俺は父よりも成長し、背丈ならば父を超えているはずなのに何故見下ろされているのか。
自分の姿を省みてみると、初陣の時の年齢に戻っているではないか。
父に両肩をわしづかみにされ、壁に押し付けられる。
とんでもない腕力だ。鎧具足に指が食い込む程の握力、凹んだ鎧が肉に食い込んで痛い。
吐息が掛かるくらいに顔を近づけ、睨みつけている。
父の体はいつのまにか腐り始めており、肉がぼとりと落ちて蠅がたかっている。
「三船家は所詮滅びる運命だったのです、父上。この世に未練がましくしがみつこうとしないで頂きたい!」
俺は父を振り払い、居室から出ようと襖を開くと、今度は母が立ち塞がった。
幽鬼のような母上。
腰まで伸びた黒髪は今や萎びて振り乱し、かつての絹の如き艶と輝きは失われている。
やせ細り、骨と皮となってなおその眼に宿る光は狂気を秘めている。
父と仲睦まじかった母。
俺を全く顧みようとしなかった母。
次男と三男には愛情を注いでいたのに、なぜ俺を疎ましがっていたのか。
父は母の振る舞いを見て、俺を跡継ぎとあえて明言していなかったのかも知れない。
とはいえ、父の行動は俺を当主とすべく準備していたもののはずだった。
言わずとも行動で示せばいずれ理解すると思っていたのだろうか。
言葉にせねば通じない者も居るというのに。
言葉を残さねば、後の禍根にもつながっていくのだ。
母もまた、父と同じような恨み事を垂れ流す。
「我が国の当主、三船宗正を蘇らせもせず、異国でのうのうと冒険者などという遊びに現を抜かすなど言語道断。蘇生の儀式を行える者も見つけておるのに、何故国へ戻ってこぬのか」
「俺は国へ戻るつもりはありませぬ。国同士の戦や跡継ぎ争いなど、もううんざりだ。人は相争う為に生まれてくるのではない」
「馬鹿な事を。戦って勝たねば御家を後世まで残せぬというのに、何故そなたはわからぬのだ」
「鬼の力に頼るような家など、滅びた方が良い。邪な力に頼ったが為に、今俺は鬼神に苦しめられているのだ!」
母を突き飛ばす。
地に倒れると、母や闇に溶け込んでいく。
いつの間にか周囲には誰も居なくなり、あったはずの部屋や城までもが消えている。
また、闇から二つの影が浮かび上がる。
「隆正、宗次……」
次男と三男。
二人とも何も言わず、ただ睨みつけている。
無言の圧力。
何か言いたければ口を開けば良いものを。
これは現実なのか、それとも幻覚なのか。
現実ならば時が戻ったのか。
それならなぜとうに死んだはずの者が苛んでくるのか。
俺が何をしたというんだ。
こんな家に生まれたくなどなかった。俺はただの民草でありたかった。
家に縛られ、争いに巻き込まれ、逃げてなお鬼神という超常の存在に苦しめられ。
現世は苦しみしか存在しないというのか。
一切皆苦。
ならば彼方の世界に安息はあるのか。
それとも虚無か?
誰か答えてくれ。
宗教にすがろうと思っても、肝心の仏陀はこう言う時に何も教えてはくれない。
頼りになるのは己のみ。
己に火を灯し灯りとなり、闇を照らす道しるべに自ら成れと貴方は仰る。
火種となるものすら、いまや消えかけているというのに。
不意に炎が巻き起こった。
闇が炎によって振り払われ、風景が様変わりする。
それは地獄。
血の池が沸騰し、煮え滾る油が大きな甕の中に入れられ、その中には亡者が入れられて苦しめられている。
針の山の上に渡された細い縄の上を恐る恐る歩く亡者は、足を滑らせて落下して串刺しになっている。
何人もの亡者が息絶えたかと思うと、また息を吹き返し繰り返し拷問を受けさせられている。
そして鬼たちが亡者の死に様を見ては手を叩き、酒を飲んで金棒で逃げようとした亡者を殴り倒している。
俺はついに地獄へやって来たのだろうか。
そう思っていると、遠くに山の上に立っている一つの影があった。
山へふらふらと近づいてみると、それは正確には山ではないことに気づいた。
大量の鬼の死骸だ。
うず高く積みあがった死骸が山を作り、その上に鬼が立っている。
その鬼の姿には見覚えがあった。
俺よりも倍以上ある背丈。
額には角がふたつ生えている。
肉食獣のように鋭い牙が並び、荒縄の如き太い筋肉を持った肉体。
赤銅色の肌は金属光沢に似た輝きを放っている。
唯一違うのは、持っている武器が野太刀に似た刀ではなく金棒だった所だ。
俺に憑りついている鬼神だ。
何故奴は鬼を屠り、立ち尽くしているのか。
体中に血がへばりつき、死骸の山から夥しい血が流れ血だまりを作っている。
ふと、気配に気づいたのかこちらに振り向いた。
『何故、貴様ガ此処ニ居ル』
言った瞬間、鬼神は赤黒く染まる空を睨みつける。
『不埒ナ輩メガ。我ガ魂、我ガ領域ニ踏ミ込モウトスルカ!』
鬼神の闘気が瞬く間に迸り、天を衝き穿ち、死体の山ごと地面を吹き飛ばす。
俺は闘気の勢いに耐えんと地に身を伏せるばかりであった。
赤く燃える空と大地は消し飛び、再び訪れる闇。
鬼神と俺だけが残っている。
ようやく、俺はこの空間が何であるのか気づいた。
鬼神と初めて出会った時もこのような闇の中だった。
あの時とは違い、今や俺の姿形はしっかりと現実と同じように模られている。
即ち、十三歳の時の姿ではなく大人となった今の姿だ。
今見た光景は、鬼神が過去に起こした出来事であろう。
地獄で鬼たちと何をして諍いになったのかは知らぬが、その為に奴は地上へ出る羽目になったのかもしれぬ。
そして確信を得た。
今ここで見たものは現実ではない。
過去の記憶を元に捏造された幻影だ。
ノエルとアーダルも、きっと過去の心の古傷を抉られているに違いない。
俺も過去を見せ続けられていたら、精神が崩壊し二度と現実へ戻れなくなっていたかもしれぬ。
しかし俺の中には生憎、もう一つの存在があった。
間違いなく上位存在に並ぶもの。
自らに対する干渉にいち早く気づき看破した。
鬼神は忌々し気に俺に告げる。
『三船ノ子孫ヨ。目覚メルノダ』
鬼神はそう言って闇の中へ溶けていった。
言われずともだ。
何処からともなく、一筋の光明が差している。
光へ向かって駆けて行くと、やがて光は広がって――。
* * *
目を開くと、ノエルとアーダルが発光する触手に縛られて身動きが取れない状態になっていた。
動けない二人に、寄生体が近づき今にも寄生しようと触手を伸ばしている。
「殺!」
背中の野太刀を抜き、触手と寄生体を細切れに切り裂いた。
二人は地面に倒れ呻く。
彼女らを現実に戻す為にはもうひと手間必要か。
AztoTHは触手全体を虹色に不定に輝かせ、驚いている。
「馬鹿な、何故下等生物に精神攻撃が破られる!?」
「生憎だが、俺の中にはもう一つ、厄介なものが蠢いておる。今回ばかりは奴のおかげで助けられた」
左腕に着けている追儺の数珠が、鬼神の怒りに呼応するが如く緋色に燃え盛っていた。
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