第九十八話:仕掛けられた罠
剣を抜いて猛然と走り出すリーンハルト。
しかしAztoTHは対して有効な動きを取るわけでもなく、ただ悠然と立っている。
「はあっ!」
掛け声のとともに竜牙剣を袈裟斬りに、左肩口から胸を切り裂く形で剣を振り下ろす。
剣は容易くAztoTHの体を切り裂いた。
AztoTHの体からは何か体液が出るか、と思われたが何も出ない。
斬られたというのに、触手が渦巻く顔の中から口がかすかに見えて、それがわずかに口の端に歪みを作っていた。
「むっ」
何かの異変に気付いたリーンハルトは剣を抜こうとするが、体に食い込んだ刃が抜けない。いや、逆に斬られた体から触手が生えて剣を絡めとっている。
それどころか、AztoTHは頭の無数の触手でもってリーンハルトの体を拘束したのだ。
「その体に馴染みすぎて戦い方までヒトを模倣するようになったのか? 愚かしいな観測者よ」
「しくじった、か」
リーンハルトはすぐさま叫び声を上げる。
「罠だ、今すぐこの部屋から脱出しろ!」
「もう遅い」
AztoTHの体は漆黒から白熱した金属のように色が変化し、あまつさえ白い蒸気さえも上げ始めている。
あからさまにこれから大爆発でも起こしそうな雰囲気だ。
扉の方を振り向いてみると、既に扉の灯火は赤を示している。
「施錠されたからと言って、厚みはそれほど無い扉のはずだ」
野太刀を構え、正眼から上段に振り上げ、唐竹割りの要領で勢いよく刀を振り下ろす。
「噴!」
扉は真っ二つに切り落とされるはずだった。
しかし俺の目に映ったのは、切ったはずの扉の前の空間に歪みが生じたのみで何も切れていないという現実だった。
「なにっ」
「君達も逃がすつもりはない。観測者が協力を得る現地民など、生かして帰したら厄介な事になるに決まっている」
「だったら、この兜を使えば!」
ノエルが鞄から天使の兜を取り出して強く願う。
天使の兜は
兜はノエルの願いに応じ、輝きを一瞬発した。
しかしすぐにその輝きは失せ、願いを失ってしまう。
「何故、どうして? 壊れたの?」
「いや、その道具は正常だよ。このブリッジの空間と外に繋がる空間の接続を、今現在の三次元空間から少し位相的にズレた所に切り離させてもらった」
そういえば、以前黒ずくめのカイムスに聞いたのだが、空間転移という魔術は現在の自分たちが居る空間の座標と転移先の座標を魔術師が正しく認識していないと、命に関わる魔術でもあると言っていた。
それは当然だ。
今居る座標がどこかわからなければ、指定した先の座標もずれているのは明白。
間違った場所に転移してしまう。
運が悪ければ冒険者たちが恐れる「石の中」に埋もれてしまう。
そうなったら二度と蘇る事すら叶わず、一発で魂すらもこの世から
天使の兜は天使の飾り羽と異なり、使い切りではなく何と六度も空間転移が使える優れものだ。
その上、転移地点を念じる際に指定先が転移不可能な石の中や熔岩、海の中だったりすると赤く光って転移しないという、いわゆる安全装置みたいなものまであるのだ。
おそらくは兜の中で空間の座標認識が行われているものと考えられる。
故に、今現在のブリッジのように現実の三次元空間とやらから切り離され、空間の座標認識が正しく行えなくなった為、天使の兜は使用不可能になってしまったのだろう。
「ならば、貴様を攻撃して止める」
「無駄に命を散らしたいのであれば、今すぐに斬り掛かり給えよ。だが君の目的は死ぬ事ではないだろう? 生きて迷宮探索を成す事ではないのか」
「くっ……。何故こんな真似をする。貴様、仲間を探すのではなかったのか」
俺の問いかけに対し、AztoTHは初めて笑い声を上げた。
「無論、その辺りの事を考えてないはずがない。わざわざ自爆をして君達を道連れにしようなど、普通に考えれば目的と手段をはき違えているからな」
「つまり、このAztoTHは偽物という訳だ。我らはまんまと罠に嵌められたというわけだよ」
「じゃあ、手詰まりって事ですか!?」
アーダルの悲鳴が響き渡る。
どうやら俺たちの手持ちの札ではもう打つ手がないようだ。
不死の女王のような、空間魔術を究めた魔術師ならばまだ考えられる手段はあったかもしれないが、生憎俺たちには魔術師が居ない。
そうでなくとも、あそこまで空間魔術を究めた魔術師など全世界を探して片手に収まるかどうかと言った所だ。
辞世の句でも詠むか。
いや悪あがきを続けるべきか。
三船流剣術では相手を斬り倒す技はあれど、異空間に消し飛ばす技など無い。
いや、秘奥義の深奥にはその様な技もあったような気がするが、しかしそれは開祖と十代目しか開眼できなかったと聞いている。
秘奥義が書かれた巻物に目を通した事もあるが、実際に試してみても上手く行かなかった。
一か八かでやるべきか。
どうせ死ぬのなら失敗を前提にやるのも悪くはない。
だがそこで、リーンハルトは断言する。
「手詰まりなどではないよ。君達はニュークリアブラストの原理を知っているか」
勿論知っている。
魔術師によると、異世界で起こした核爆発なる甚大なる爆発から、熱と衝撃だけをこちらの世界に持ってきて炸裂させるとかいうとんでもなく恐ろしい魔術だ。
魔術師が達人位になってようやく習得できる、空間転移に並ぶ高位魔術。
それがどうしたというのか。
「空間を操る事くらい、我とて出来ないわけがなかろう」
リーンハルトはAztoTHの偽物ごと自らの周囲を黒い空間で覆い尽くした。
「まさか、爆発を遮断するために空間を切り離したの!? わたし達は無事でも、リーンハルト貴方は!」
「ノエル、心配する事はない。我もまた上位者なり。宗一郎、あとは頼む」
瞬間、黒く隔離された空間の中で爆発が見えた。
空間が満たされるほどの爆発はしかし、遮断されている為に何も届かない。
黒い空間は爆発が起きた後、徐々に縮小して虚空の中へと消えていく。
もちろん、AztoTHの偽物とリーンハルトの存在はもう目の前には存在しない。
「そんな……」
「奴が自分を犠牲にしなければ、この危機は脱せなかった。奴の犠牲を無駄にしてはならぬ」
しかし、奴は迷宮に出発する前にこう語っていた。
自分が居なければ、AztoTHを倒す可能性は万に一つくらいしかないだろう。
俺の持つ野太刀ならば傷を負わせられる。
だがAztoTHは、恐らく空間転移に似た能力を持っている。
俺は一太刀浴びせる事は出来るのか。
いや、斬れるのなら倒せるはずだ。
自分に言い聞かせ、唇を噛む。
幾ら必要だったとはいえ、ここでリーンハルトを失うのは非常に痛い。
それでも俺たちは向かわねばならぬ。
俺たちの住む世界を守るためにも。
「嘆き悲しんでいる暇はない。行くぞ」
言いかけた瞬間、突如俺たちの足元に落とし穴が開いた。
ブリッジ全体の床が抜けるように、大穴は口を開けて俺たちを飲み込んだ。
「何っ」
「わあっ」
「きゃあっ」
成す術もなく、俺たちは暗い穴へと吸い込まれていく。
* * *
……ここは何処だ。
目を覚まし、周囲を見回すとそこには「無」が広がっていた。
いや、正確には無ではない。
光だ。真っ白い、全てが白い光で覆われた空間が広がっている。
距離感すら危うくなる光の包まれた虚無の空間の床に、まだ倒れ伏しているノエルとアーダルが居た。
どうやら気絶しているだけで死んではいない様だった。
「む」
何もない空間かと思いきや、遠くに一つだけ何か物体が見える。
誘われるように、俺はふらふらとそれに向かって歩いていく。
近づいてみて、ようやくそれが何なのかわかった。
台座だ。
大理石に似た素材でよく磨かれた台座の上には、黒い光沢を放つ球が鎮座している。
球の大きさは人の顔くらいあるだろうか。
これは一体なんだ。
ただの鉄のようにも見えるが。
これがもしや、リーンハルトが言っていた隕鉄なる素材なのだろうか。
そう思っていると、いきなり球の表面に歪みが生じた。
「!?」
歪み、何を形作ったかと思うと、それは俺の顔そのものだった。
驚いて口と顔を見開くと、球もまた連動して変化した俺の表情を読み取ったかのように変わっていく。
次に、あらゆる文字らしき物が表面に浮かび上がった。
その中にはどこから学び取ったのか、サルヴィ周辺で使われる文字もあった。
文字の意味するところは「助けて」である。
「助けて? 何故だ」
訝しみながら、触れてみようと手を差し伸べると途端に弾かれる感触があった。
よく見れば、薄緑で半透明な障壁が展開されている。
「困るな。それに触れてもらっては」
背後から声が聞こえた。
振り向くといつの間にか、AztoTHが姿を現している。
「今度こそ本物か」
「如何にも」
偽物とは異なり、顔じゅうから生えている触手の先端は青色の光が輝いている。
手足の先端もうっすらと明滅していた。
「君達の船内での所業は全てここから見させてもらっていた」
「ここを離れられない事情でもあるのか」
「そこの彼が臍を曲げてしまってね。彼がこの船の動力の要なのだよ。いい加減、説得を続けていたのだがどうにも上手くいかなくてな。そうこうしているうちに君達が来てしまったという訳だ」
そこの彼とは誰の事か、一瞬わからなかった。
もしや、この球体の事か。
「これは一体何なんだ?」
「金属生命体、と言えばわかるかな。炭素を主成分とした生物とはまた異なる生命だ。彼らには無限の可能性がある。長年私は彼を調べているが、まだ分からぬ事が多く大変興味がある」
生きている金属だと?
そのような生命があるとは、全く知らなかった。
錬金術師が見たら研究材料として喉から手が出るほどに欲しがる代物ではなかろうか。
しかし「彼」は助けてと言っていた。
囚われて自らの体から活力を奪われる苦痛は、俺には計り知れない。
「宗一郎!」
「ミフネさん!」
その時、後ろからノエルとアーダルが目覚めて追いついてきた。
背中の産毛が逆立つほどに、既に二人とも殺意を露わにしている。
「そんなに殺意を剥き出しにしないでほしいものだ。意志は内に秘めているだけでも私には感じられるのだから。しかし、殺意を向けられるのは心がささくれだってよろしくない」
アーダルが腕に気を纏い、奇蹟の詠唱を始めていたノエルに対し、AztoTHは発光する人差し指をそれぞれに差し向ける。
すると、二人は糸の切れた人形のようにふっつりと床に膝を着いてしまった。
「ああ、ああ、皆がやられちゃった。誰か、助けて」
「お母さん……何で死んじゃったの。わたしを独りぼっちにしないで」
何を見ているのか、うわ言を何度も繰り返して涙を流して倒れ伏している。
「おい、どうした、二人ともしっかりしろ! 貴様、二人に何を仕掛けた!」
「君も自らの脳で確かめてみるが良いよ」
同じようにAztoTHが俺に人差し指を指した。
指先が青く輝き、その光が目を覆わんばかりに広がった瞬間、急に風景が切り替わった。
「これは……」
一面が炎に包まれ、燃えている。
まだ周囲は夜であるはずなのに、炎によって赤く照らされてしまっている。
周囲の人々は逃げまどい、また敵に追われて背中を斬られ、首を落とされ、断末魔の叫びがそこかしこで上がっている。
助けを求める声や、怨嗟の声がどこからともなく響き渡っている。
誰もかれも成す術がなく死んでいく風景。
それは、俺が故郷を失った時の光景だった。
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