第九十七話:AztoTH

 培養槽に行くとリーンハルトは言った。

 そもそも培養槽とは如何なる場所であるのか。

 俺は培養と言う言葉には全く馴染みが無く、何をするのか相変わらず想像もつかない。

 

 宇宙船は主に上層と下層に分けられるが、培養槽は下層の方に位置している。

 他にも下層には乗員の出入り口となる昇降口、倉庫と搬入出口、培養槽、コアブロック、そして位相時空転送装置なるものがあるらしい。


「培養槽は搬入出口の奥にある。向かおう」


 船長室から船の下層へ向かう事になったが、随分と距離がある。

 一旦リフレッシュルームの方まで行き、下層に繋がる階段まで行く必要があった。


「これだけ技術の進んだ世界の船だというのに、階段を使うのか」

「転送用の魔法陣みたいなものがあると思ったか」


 俺の疑問にリーンハルトは含み笑いを返すだけだった。

 

 白く清潔な廊下を歩いていく道すがら、そういえば手術室やコールドスリープルームなる部屋もあったと思い、横目に見やる。

 手術室は固く閉じられた扉しか伺えず、中は確認できない。

 進んだ世界の手術とはどのようなものか実に気になるが、窺い知る術はなかった。


 そしてコールドスリープルームは、外からでも中の様子が確認できるように透明な仕切り板で区切られていた。

 中に入るにはもちろん扉を通る必要があるが、こちらは手術室とは異なり外から様子が伺えた方が都合がいいのだろう。

 AztoTHの日記の記載にもあったように、白い素材で透明な蓋が付いた寝台には何やら明滅する機材と配線が接続されており、その中には眷属が眠っていた。

 寝台は何台にも連なっており、眷属の多くは長き眠りに着いている。

 恐らく先ほど遭遇した眷属の子どもと親らしき存在のように、起きているのはそれほど多くないのかもしれない。

 日記にも交代で寝起きさせている、と言ったような記載もあったしな。

 道理で船内であまり遭遇しないわけだ。

 無用な戦いをせずに済むというのは有難いが。

 それと何故、AztoTHは電算室で倒れていた眷属を放置しているのだろう。

 考えると謎が深まってくる。

 だが追求しようにも考えられる要素はほとんどない。

 考える意味はないと割り切り、俺はその考えを振り払った。


 通路を通り抜けて階段を降りていく。

 だがその階段も摩訶不思議なもので、一旦段差の上に乗ると人の存在を感知するのか、自動で動作し下り始めたのだ。

 ノエルとアーダルが驚きながらも喜んでいる。


「足を使わずに降りられるなんて凄い楽~! 全ての階段がこうなってくれたらいいのに」

「本当ですね。階段の上り下り、疲れてる時は本当にしんどいですし」

「お主ら怠惰な事ばかり考えてるな。そのうち自動で床を進めるようになればいいのにとか言い出すんじゃあるまいな」

「自動で進む床はあるぞ。この船内には取りつけられていないが」


 俺は耳を疑った。

 

「あまりにも広い建物の中にはつけられている。この世界のサルヴィの王宮よりも広い土地を移動するときに使っていたな。それ以外にも、建物の中を進む為の乗り物もあった」


 全く唖然とするしかなかった。

 サルヴィの王宮は俺が目にした中では一番広い建物だと思っていたが、それ以上に大きな建物があるというのか。

 しかしそれでも、自らの足を使わずに移動すると体は怠惰に慣れていくばかりだ。

 肉体は使わなければ衰えていく。

 ただでさえ年齢を経るごとに肉体は老いて衰えていくばかりなのに、楽ばかり考えてどうするのかと思わずにはいられない。


 いられないが、やはり楽が出来るとなればそちらへ引っ張られてしまうのは仕方ないのかもしれない。

 実際の所、階段の上り下りというのは関節がすり減った老人では一段を上がろうとするのもままならない。

 自動化された階段や床と言うのは、冒険者のような健康な体を持つ人以外には必要な物なのかもしれないな。


 そんな事を考えながらゆっくり下っていくと、いよいよ下層へと到着した。

 上層の白を基調とした清潔な雰囲気とはうって変わり、金属がむき出しの壁や柱などが目につく。

 船の外装が金属で作られていたのだから、内部も同じと言えば当たり前だろうが、金属で作られた船が空を飛ぶというのは未だに不思議な感覚を覚える。

 俺たちの世界で船と言えば木と布で出来たものであって、しかも海を進むものだった。

 鉄で船を作ると言ったら重すぎて沈むに決まっていると言われるはずだ。

 だが技術が進んだ世界なら、鉄の塊をも浮かせて推進させる何かがあるのだろう。

 もっとも、俺たちの世界の魔術も研究が進めば鉄を主素材とした船を空に浮かせる事も出来るかもしれない。

 今の所魔術師どもはそのような方向の魔術の研究はしていないようだが。


「現在地は搬入出口だ。ここのゲートを超えると培養槽に入れる」

「ゲートとやらに鍵は掛かっているのか?」


 重厚な鋼鉄で作られたゲートは、何を搬入出するのか知らないがサルヴィの城の正門くらいの大きさがあった。

 あれも仕掛けで開閉する代物で、人力で押そうと思ったら何人必要なのか分かったものではない。


「ここは鍵は掛かっていないようだ。扉の脇に設置されているコンソールから操作を行うだけで開ける」


 言いながら、リーンハルトは端末の操作を行っている。

 扉が重苦しい音を立てながら横にず、ず、ずと開いていく。

 その先に広がる光景は、またしても異様な物だった。


「これはまた、凄まじいな」


 ずらりと円筒形の透明な入れ物が並んでいる。

 大きさは人が一人入れるくらいだ。

 中には何らかの薄い緑色をした液体が満たされており、時折気泡が立ち上っていくのが見える。

 その中に、あの寄生体が浮かんでいた。

 何体も円筒形のいわゆる「培養槽」の中に保存されているのだ。


「俺たちの世界にやってきた寄生体は、此処から生まれて外へ解き放たれたのだな」

「そして凄まじい勢いで生物に寄生し、増殖し、また寄生するというサイクルを繰り返し、いずれ世界に満ちるはずだった」

「しかし改めてよく眺めてみると……なんでこんなデザインしてるのか理解に苦しむわね」


 人間を内側から裏返して開いたかのような、奇怪かつ醜悪な造形は見る者の嫌悪感を掻き立てる。

 観測者はこれをかつて混沌の端末と呼び、異世界にてばらまいた。

 これが混沌から神気を誘い人に進化を促すというが、やはりこんな物と繋がるのは真っ平御免と言うものだ。

 混沌と今生きている生命体が繋がった所で碌な事にならないのは、AztoTHたちの末路を見ればよくわかる。


 さて、培養槽を一つ一つ確認してみると、中には寄生体が入っていない物もあった。

 これらの機械の周辺にはお決まりのように、必ず操作するための端末がある。

 早速リーンハルトは端末に近づいた。

 こちらは上層のものとは違い、長方形をした鍵盤を模した入力装置を叩くと、何かを操作するための項目が硝子ガラスのような素材で出来た画面の中に映し出される。


「今から鍵となる目の虹彩を持つ眷属を作り出す」

「……そんな事が出来るの?」

「可能だ。恐らく彼らは、船の運用に必要な人物の生体情報を船のデータバンクの中に保存し、万が一の時の為に再生できるようにしていたのだろう」

「生物の死すら超越し、再生すら出来る技術、か」

「命の終わりや始まりは神が決める事だというのに、これは神を冒涜している行為よ」

「君達の奇蹟とてそう変わらぬのではないかな? 人を蘇らせる奇蹟などこれと大して変わらぬと思うがね」

「それは神様の慈悲を願った結果、人の魂を現世に呼び戻せているに過ぎないわ。一から人が生命を作り出すなんて今まで誰も考えた事すらないはずよ」

「今ここで人や神、生命に関する議論をするつもりはないぞ、二人とも。外に出てから思う存分やればいい」


 しかし、人の生死すら操りたいと思うようになるのは人の根源たる願いかもしれない。

 死を厭い、永遠の命を願ったために人の魂を喰らい続けてきた女王が居た。

 人の血を吸う事で不死を得た吸血鬼も居た。

 生きとし生けるものはいずれ来たる死を恐れている。

 だからこそ死から逃れるために人は足掻くのかもしれない。


「一つ疑問なのだが、仮にここで俺の生体情報とやらを登録したら、もう一人俺を作る事は可能なのだな」

「その通りだ」

「記憶も培った刀の技術も何もかもを引き継いで?」

「無論、全てそっくりそのままだ」


 全く同じ存在が出来上がる。

 双子などではなく、同一の存在が。

 想像した瞬間、俺は背筋にぞっと冷たいものが走るのを感じた。


「いいなあ。わたしはもう一人自分が欲しいと常々思ってたわ」

「いやでも、そしたらどっちが本物か争う事になりませんか?」

「俺だったら間違いなくそうなる。お互いの存在を賭けて戦うだろうな」


 だが、どこかでそれを望んでいる俺が居た。

 俺は俺と戦う事が出来ない。

 もし自分と戦う事が出来たなら、それはきっと大きな成長のきっかけになると思うのだが。


「そんな事を言っている間に眷属が出来上がるぞ、諸君」


 いつの間にか操作を続けていたリーンハルトの言葉を聞いて、俺たちは一つの培養槽に目を向けた。

 中には既にあの眷属の姿が出来上がっていた。


「そしてこのキーを叩けば完了だ」


 たん、とリーンハルトが鍵盤の一つを打鍵した。

 すると液体が排出され、培養槽の透明な蓋が開き、中から倒れ込むように眷属が床から転がり落ちる。

 眷属は動き出す気配を見せない。

 リーンハルトはおもむろに近づくと、その眷属の目玉の片方を抉りだして黒い箱の中に放り込んだ。


「なんでその眷属、動かないの?」

「脳が無いからだな。思考をまとめ指令を出す部位がなければ動きようがない」

「何故脳がないんです?」

「脳を作らないように指定したからだ。生きていたら面倒だろう。倒す手間が増える」


 その言葉に俺たちは声を失った。

 生命を作るどころではない。

 弄んでいると言っていい。


「こうすると知っていたら君達は反対すると予想していたからな。だから言わなかった」

「いや、まあ、反対はしないかもだけど、めちゃくちゃドン引きするのは間違いないかな……」


 アーダルの顔色はあからさまに悪くなっている。

 

「勘違いしてほしくはないが、我とて好き好んでこのような所業に及んでいるわけではない。目的はAztoTHを倒す事だ。どんな手段を取ろうとも奴の所まで辿り着かねばならない。違うかね」

「その通りだ。目の虹彩は取り出してから数時間は保つのだろう。早く行こう」

「うむ。所で我は一つ提案をしたい」

「提案?」


 一体何の提案だろうか。


「先ほど言ったように、この機械に生体情報を登録すれば死んだとしても再生できる。万が一が遭った時、奇蹟などより確実に再生できる手段はあった方がいいと思うがどうかな」


 成程、神の気まぐれに願うよりは確かに。

 しかし、だ。


「仮に肉体と記憶を引き継いで再生したとして、その魂と精神は果たして今ここに存在する俺と同一であると言えるのか?」

「……それはわからぬな。我も複製された事はない」

「で、あるなら、俺はその再生された自分は今ここに存在する俺と同一だとは考えられない。違う存在だ。幾ら他人が同じだと感じたとしても」


 故に俺は、登録しない。

 再び作られた俺は、今この俺とは違う俺へと分岐していくだろう。

 それはもはや別人だ。

 俺と違うもう一人の宗一郎が歩む道のりは気になるが、それは俺が歩く道のりではない。


「そうですね。僕も登録は止めておきます」

「そう考えたら、もう一人のわたしも今のわたしじゃないし、やっぱり止めよう」

「君達の考えを尊重しよう」


 リーンハルトは端末の電源を落とし、俺たちはその場を後にする。


 ようやく目を確保したので、また上層へと踵を返してブリッジの扉の前に立つ。

 まずパスコードを入力し、次に入手した目の虹彩を読み取り装置にかざした。

 

『認証しました。ロックを解除します』


 声と共に、扉の上にある灯火が緑に変化した。

 ようやく中に入れるという安堵の気持ちを蹴り飛ばし、今から戦いに入るのだと気合を入れなければならない。


「皆、心構えは良いか」


 問うと、皆の顔つきが変わり頷きを返す。


「行くぞ」

 

 扉の前に立つと、自動で扉が横滑りして開いた。


 ブリッジの中に踏み込むと、船長が座って指揮を執るのだろうと思わしき椅子と、あとは他の船員が座って操作するのであろう機械が数多く設置されているのが見えた。

 ブリッジの一番先には透明な硝子ガラスらしきものがはめ込まれ、外の様子がうかがえるようになっている。

 とはいえ、墜落した船の窓から見える風景などたかが知れている。

 わずかに見える空の青以外には、墜落して作り出した穴の土壁くらいしか覗けず殺風景極まりない。

 かと思いきや、外の風景はいきなり消えて白い壁へと変わってしまった。


「スクリーンだよ。外の様子を映し出す為のね」


 白い壁の前に、何も無い所からうっすらと一つの存在が現れ始めた。

 人のような肉体をしていながら、顔は放射状に触手が無造作に伸びてそれが未知の異形であることを示している。

 肌もまた漆黒の闇のように暗く、かつ光沢があった。

 人型でありながら人ならぬ存在。

 振り返り、こちらを向くが何処に目があるのやら。


「貴様がAztoTHか」

「如何にも」

「……貴様がこの世界に至るまでの長きに渡る道のり、苦難は俺たちには計り知れぬ」

「これはこれは。私の日記を覗き見したのか。良い趣味とは思えないな」

「今からでも船を修理してここから立ち去るという気はないか」


 俺の言葉に対し、AztoTHは頭を振って溜息を吐いたように見えた。


「ようやく見つけた希望をみすみす手放せというのかね、君は。それはあまりにも残酷だと思わぬかね。我々にあてのない旅を再度続けろと言っているようなものだよ」

「だからと言って、かつての貴様らに起きた出来事をこちらの世界で起こそうとするのを、指をくわえて眺めている訳にもいくまいよ」

「ならば我々がやるべき事はただ一つ。闘争しかあるまい。そうだろう観測者よ」


 瞬間、AztoTHの体から発される一つの感情があった。

 黒く塗りつぶされた憎悪は、呼び掛けられたリーンハルトに向けられている。

 リーンハルトは真正面から憎悪を受け止め、剣を抜いた。


「決着を付けようか、我らの因縁に!」

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