第九十三話:ある世界の終わり


「世界の滅亡を促進だと?」

「ああ」


 能面のような無表情でリーンハルトは言った。

 俺たちよりも遥かに長く生きている彼の、何もかもを押し殺した顔色からは何を思っているのかは読み取れそうもなかった。

 長すぎる年月と多すぎる経験が感情をすり減らしてしまったのかもしれない。

 今まで見せていた笑顔などは仮初めのものだったと思わせるほどに。


「我の愚行を知りたいのだろう。少しだけ語らせてもらえないか」


 そしてリーンハルトは、観測者として過ごして来たこれまでの事を語る。


 

”我が何時から世に出でて世界を観測する事になったのか、それは遠い記憶の果てにありもはや定かではない。

 ただ我が世に生まれたと「認識」した瞬間、世界は混沌の渦の中にあった。

 熱と元素だけが渦巻く世界は、ただひたすらに赤く光に満ちていた。

 やがて熱が冷えて元素がまとまり、星が生まれる。

 星々が生まれてもなお、光を発する恒星か気体が集まってできた惑星ばかりだった。


 我はしばらくその世界をただ見つめていた。

 誰かによって命じられた「世の在り様を観続けよ」という言葉の元に。


 その間、我は何の為にこの世界を観測しつづけていなければならないのかという自問自答を繰り返していた。

 意味などあるのか?

 あるとしたらそれは何か?

 疑問は常々付きまとう。

 だがそれでも観測を止めようとは思わなかった。

 何か予感めいたものがあったのかもしれない。


 観測を続けて幾星霜。

 いつの間にか生まれていたマグマが煮え滾る惑星の一つが良い感じに冷え、陸と海に分かれていた。

 それでも陸は火山が噴火し、嵐が吹き荒れるような有様だった。

 だが海の中で密かに息づくものがあった。

 

「生命」


 元素が寄り集まり、それはいつしか細胞を作り、細胞は命となって動き出した。

 生命ははじめは儚く消え行きそうな程に小さな存在であったが、いつしかそれは寄り集まり、様々な種族へと分岐していく。


 初めて我が心が躍った瞬間だった。


 我が見るべきものはこれだと初めて魂に閃きが走った。

 しかし生命が輝く時は儚い。

 我が瞬きをする間にひとつの命が終わり、次の命が芽生えているという有様だ。

 ひと時の輝きも逃す訳にはいかない。

 観測を瞬きもせずに我は行っていた。


 生命はやがてあらゆる分岐を果たし、その中から知的生命体が生まれる。

 この世界における君たち只人ヒュームとその亜種のように。

 姿形、扱う言葉は違えども知性は君達と変わりない程に高かった。

 彼らは地に満ちた後、技術を生み出し、海や空を支配し、やがて宇宙に出るまでに至る。

 宇宙に出た彼らは更に広がり、もはや前の世界における支配者となった。


 此処まで来ると、もはや我はこの「生命」という存在に愛おしさに似た感情を抱いていた。

 人が思う愛おしさや価値あるものを大切に思う気持ちと同じかはわからない。

 失いたくないと思ったのだ。

 どこまでも、世界の果てまで広がっていく様を見つめていたかった。


 しかし唐突に、我は残酷な事実を知る事になる。

 

 それは我よりさらに上位の存在が居る事を初めて識る時でもあった。

 我よりも更なる上位者は、間もなくこの世界は終わりを迎えるであろうと確かに告げたのだ。

 終わりを迎える、何故なのか。

 終わりを止める術はないのか。

 終わりを迎えた後はどうなるのか。

 それらの疑問には答える事無く、更なる上位者からの声は無かった。


 数万年後に世界は終わる。


 我からすれば慈悲無き言葉であった。

 生命の輝きも、星々の輝きも、宇宙が広がっていくのも全て無に帰すのか。


 終わりなど認められなかった。

 まだまだ彼らの行く末がどうなるのかを観ていたかった。

 数万年は我にとって何度か眠り目を覚ますくらいの期間でしかない。

 残された時は少なかった。


 何を救うべきか。


 我はこの世界全てを救うほどの力はない。

 なればこそ選別しなければならない。

 この中で一番救いたいものはなにか。

 救うとは如何なる意味であるのか。

 

 我は彼らを、知的生命体を救いたかった。


 この世界が終わる以上、彼らを生き延びさせる為にはこの世界以外の、別の世界へ行ける状態にしなければならない。

 我にはその手段がある。

 生まれながらにして識っている。

 我は観測者なり。

 あらゆる世界を、あらゆる宇宙を観る為に生まれてきたのだ。

 別世界に飛ぶ能力を持っている。


 なればこそ、彼らを我と同じ次元にまで引き上げるしかない。


 我は決意し、前の世界に混沌の端末をばらまいた。

 君達の言う寄生体なるものの元となる存在だ。

 我が見て来た世界は混沌の渦より生まれた。

 命あるものも、命なきものも。

 また混沌はあらゆる可能性と強烈なエネルギーを秘めている。

 ならば混沌に再度接続し、強制的に進化を促して我と同じ次元にまで引き上げられないかと考えたのだ。


 それらをばらまいた結果どうなったか。

 

 宇宙に満ちた混沌の端末たちは、我の思い通りに生きている物全てと融合しようと襲い掛かり、世界は大混乱に陥った。

 生きているもの全ては抵抗を試み、終わりのない争いを始めた。

 無論、彼らには我の意図は通じるはずもない。

 言葉が、意思が届かないのだから。

 抵抗する様に歯がゆい思いを抱きながら、徐々に徐々に融合され劣勢となり、押し込められていった。

 しかもその間、一人も上位者は生まれていない。

 我は自分の意図が外れたかと落胆したが、ようやく一人の上位者が生まれた。

 最後の融合者、その一人だけが上位者となった。


 彼は我と同じ高みにまで昇り、初めて我の存在を認識し、我の声を、意思を識る。


 そして、我を激しく憎んだ。


 彼にしてみれば数万年後に世界が終わるのだから、自分にとっては関係のない話だった。

 少なくとも自分の生が終わるまでには十分すぎる時間があった。

 しかも数万年もあるのなら、世界が終わるまでに自分たちの種族が持っているテクノロジーを以てして何とか出来るはずと言う自負があった。

 もし終わりを迎えるとしても、全ての手を打ってなおどうしようもないと分かってからなら、終わりを受け入れる覚悟が出来ると彼は叫んだ。

 全て我の余計な思惑によって、全てが滅茶苦茶になったと言われ、雷で打たれたかのような衝撃を受けた。

 

 我は何とも愚かな事をしたと後悔したが、既に遅い。


 世界の生あるものは全て混沌の端末と融合し、進化しそこなって生物のような何かにしかなれなかった。

 ブロブと君達が呼ぶ失敗作と、進化しかけながらまだ上位者になりきれない眷属たち。

 そして上位者となった彼は、何故自分だけがこうなってしまったのかと苦悩を抱えてしまう。


 我は彼の激しい憎悪をまともに受け、思わず世界の観測を止めてしまった。


 すると、世界は崩壊をはじめてしまった。

 宇宙の端から徐々に崩れ混沌に返っていく。

 それはゆっくりと、しかし確実に進んでいた。

 

 我の存在意義をここで初めて我は識ったのだ。

 我こそがこの世界を存続させる鍵であったと。

 観測し、認識する事こそが世界を繋ぎとめる手段であり、観測を止めるのは世界を混沌へ返す事だと悟った。

 観測をしなおそうとしても一旦崩壊した世界は止まらない。

 

 上位者となった彼、AzatoTHは世界の崩壊を知ると少しでも自分の種族だったものたちをわずかでも救う為、並行世界を行き来できる宇宙船を作った。

 その中に限られた仲間を入れて、何とか別世界へ逃れる事が出来た。

 我はそれを見届けた後、崩壊する世界から別の世界へと移動した。


 移動した世界にはAzatoTHは居なかった。

 並行世界は無数に存在する。

 彼と巡り会う事はもう無いと思ったのだがな。


 我は今のこの世界に移動した時、AzatoTHから受けた攻撃によって酷く疲弊し傷ついていた。

 故に肉体は捨て、魂と精神だけで渡って来た。

 この世界は観測を止めても世界は存続している事にまず安堵した。

 だがどの世界でもいずれ終わりは迎える運命にある。

 この世界においても上位者へ至る導きはすべきだと考えている。


 今回は時間を掛けて少しずつ導く事にした。

 一方的な押し付けは不幸を生むだけと理解した。

 また急激な進化は、肉体に無理が生じる。

 前の世界での生命体が殆ど混沌の端末との融合進化を果たせず、成り損なったように。

 幸い時間は、我が観測した結果でもまだ猶予がある。

 数億年かける時間があるならば、素質があれば上位者の幼子くらいにはなれるはずだ。


 今度こそ我は、君達を導き救う。”




「成程。そういう込み入った事情があったわけか」


 得体の知れぬ化け物とは思っていたが、どうやらかなりの超越者である事は俺にも分かった。

 あるいは壮大なヨタ話をしている本当の物狂いであるか。

 しかしただの物狂いであれば、やはりあのような変化の術を心得ているはずはない。

 上位者なるものと見ても間違いではないだろう。


 とはいえだ。

 やはり一方的に導くなどと言った物言いや行為は、どうも気に入らない。

 それすらもお主の願望でしかない。

 我らは勝手に生まれ、勝手に死ぬのだ。

 上位存在にあれこれ手取り足取り介添えされる謂れなどない。


「お主のやりたい事は分かった。だが俺たちがそれに従う道理はなかろう」

「理解している。だからこそ我も、我を信ずる者だけ導こうと思っている。君達に無理強いするつもりはない。出来れば信徒となり、導きによって眷属となり、ゆくゆくは上位者となってもらいたいがな」


 それにしても気が長い話だ。

 数億年と言う時の間隔は、壮大過ぎて我らの時間感覚では永遠の先のようにも思えてしまう。


「最終的にこの星に生きる人々が我が意に<否>を突きつけるのであれば、それも致し方なし。滅びまで見届けた後、また別の世界へ行くまでだ」


 その前に、やれるだけの事をするつもりだと観測者は言った。

 何をするつもりなのか俺には知る由もない。

 願わくば途中で気が変わり、強硬手段に出ないよう祈るのみだ。


 そしてあの上位者の言葉も思い出していた。

 いずれこの宇宙も終わる。

 生き延びる為には、わずかな進化の可能性に賭けるしかない……。

 だがそれは、観測者の手によるものでも、寄生体による強制的な進化でもない。

 人類がみずから選び取るべきものだ。


 


 観測者リーンハルトの話を聞き終えた後、俺たちは他の居住区の居室も見て回ったが、めぼしい収穫は無かった。

 どの部屋にもかつての住人である蠢く腐肉ブロブが居るだけだった。


 次に狂信者たちが居そうな場所として、リフレッシュルームと併設されている食堂へと向かう。


 リフレッシュルームなる場所は、運動施設やレクリエーションなるものの為の道具などが置いてあるらしい。

 案内の地図から見てもかなり広い区画のように思えた。

 扉の前に立ってしまうと自動で開く為、少し離れた場所で作戦会議をする。


「ここに信者が詰め込まれているだろうか」

「信者の数は何人いるのかしら、リーンハルト?」

「およそ百人と言ったところであろうか」

「多すぎですよ……。どうやって四人で相手すればいいんですか」


 確かにそれは考慮すべき問題だ。

 死の呪文を唱えられる僧侶が百人。

 想像するだに恐ろしい。

 呪死の言葉ワードオブデスは元々それほど成功率が高くはない奇蹟なのだが、それでも何度でも唱えられると何時か当たるかもしれない。

 それが百人ともなれば、下手な鉄砲数打てば当たるに等しい。

 

「真正面から突撃するのは賢いとは言えぬな。我が真の姿を見せれば戦わずして済むかもしれぬ」

「彼らに正気が残ってればいいんですがね……」


 寄生体に寄生されて正気を保っていた例は二つしかない。

 マクダリナと、この階から脱出しようともがいていた信者。

 信者ならば、先の例のように正気を保っている者が多数存在しているかもしれない、という淡い期待を抱きたくもなる。

 だが信者全てが正気を保っているなどと言う保証はどこにもない。

 楽観視して突撃など阿呆のやる事だ。


 そうこう迷っているうちに、突然目の前の扉が開いた。

 現れたのは、旧神教の寄生された信者である。

 

「うう……ああ……」


 その瞳は明らかに光を失い、口から涎を垂らしてあらぬ方向に首を向けている。

 完全に正気を失っている典型だった。

 俺たちの喋り声があちらまで聞こえて来て反応してしまったか?

 しくじったな……。

 それも一人ではなく、後ろに何人も続いている。


「やはり、か」


 リーンハルトは諦念を露わにし、擬装を解いて剣を抜いた。


「せめてもの情けだ。自らの意思を失った信者を葬ってやるのも教祖としての務めであろう」


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