第九十四話:シュルヴィ

 虚ろな目つきでリフレッシュルームから出てくる狂信者たち。

 教祖のけじめとして、リーンハルトは擬態を解いて前に出て剣を抜いた。

 人の顔から人ならぬ貌へ、蛸のような貌へと変化する。

 我らの世界より異なる世界からやってきた上位者の本当の姿。


「うううう……ああああああ」


 その姿を見るや否や、狂信者たちは畏れ慄き、後ずさりを始めた。

 明らかにリーンハルトの真の姿を見て、何か感ずるものがあったようだ。


「これは一体……?」

「ふむ。試してみる価値はあるというわけか」


 リーンハルトは抜いた剣を一旦納める。


「何をするつもりだ」

「今なら我が呼び掛けも届くやもと思うてな」


 この声も、俺以外にはまるで届いていない。

 現にアーダルとノエルは俺とリーンハルトのやり取りに気づかず、首を傾げているのみだ。

 リーンハルトの真なる姿は念話によって意思疎通を図る。

 彼は慄く信者達の前に立ち、脳に直接届く声を発する。


(跪け、我が迷える子どもたちよ。我が声が聞こえるならば指示に従うのだ)


 すると、涎を垂らしていた信者たちの瞳に急に光が宿った。

 そしてリーンハルトを見たかと思えば命令の通りに跪き、頭を下げてひれ伏している。

 信者たち全てが涙を流し、歓喜に打ち震えていた。


「遂に我が神が現世にご降臨なされた。奇蹟は起きたのだ!」


 地響きのような、おおおおおおおと唸る声が辺りに響き渡る。

 彼らは元より知覚できない、超越した存在を信仰するという精神性の為か、あるいは狂信による精神の変容があったのかはわからないが、とにかく驚く程に寄生体の適合を見せたとしか言いようが無かった。

 でなければ、上位者の声なき声が聞こえるはずもないのだから。

 寄生された事で正気を失いかけていたものの、彼らの信ずる「神」の声によって正気を取り戻したのだろう。

 

「我が神よ、お見せしたい者がおります。どうぞ中にお入りください。そちらの方々は?」

(彼らは我の協力者である。丁重に迎えよ)

「はっ、御心のままに。皆様方もどうぞこちらへ」


 俺たちも導かれてリフレッシュルームの中へ入る事になった。

 それにしても見せたい者とは一体誰なのであろうか。


 リフレッシュルームなる部屋の中は大変に広かった。

 百人が入っても未だ空間が余るほどには。

 白を基調とした部屋であるのは他とは変わらないが、休憩のための柔らかい素材で出来た長椅子が幾つも連なり、またそれぞれの椅子の前には先の居住区で見た立体の透明な箱が置かれている。それに虚像が写し出されて何かしらの娯楽映像を見るのだろう。


 それ以外にも、体を動かす為と見られる機材がいくつも置いてあった。

 ネズミが自らの本能を満たすように走る為の動く床。

 筋力を高めるための鉄亜鈴てつあれい

 屈伸運動を補助する機械やなにやら荒縄を固定して腕で激しく上下させる道具など、見た事も無い器具が豊富に設置されている。

 

 その奥には区切りがあり、長机が置かれている区画もあった。

 おそらくそこで食事を取るのだろう。

 調理場もあり、もしこの宇宙船が普通に運用されていれば、談笑しながら人が食事をとっている光景がありありと思い浮かんだ。

 しかし今は、残念ながら誰一人長机に座るものはない。

 

 食堂と思われる区画には、自ら命を絶ったと見られる狂信者の倒れた姿があった。


 自傷では死ねぬ故か、彼らは恐らく呪死の言葉ワードオブデスによって死んだのであろう、目を見開いて苦悶の表情を浮かべている。

 如何に寄生体と言えども呼吸器や心臓、脳機能を止められては再生のしようがない。


「寄生していた奴らは何処へ行った?」


 俺が尋ねると、狂信者の一人が前に出た。

 それは子どもくらいの背丈であり、一際目立つ姿をしていた。


「私が殺しました」


 女の子なのだろうと思われるが、その姿は既に人間から外れ始めていた。

 彼女は頭から黒く鈍く輝く触手が何本も伸びており、目が紫色に輝いている。

 手足も黒紫の半透明な色に変わっており、見るからに眷属へと進化しかけている。

 寄生体との適合具合が良かったのだろう。

 むしろ彼女の方が寄生体を取り込んで居るのではと思えるほどに。


「どうやって?」


 ノエルが尋ねると、彼女はからからと笑って触手の先端を光らせた。


「触手から光が出るようになったから、そこから光を発したらあっという間に焼けちゃった」


 彼女の視線は部屋の片隅に向いている。

 そちらを見ると、なるほど確かに焦げた寄生体の残骸が積み重なっていた。


「そなた、名を何と言ったかな」


 いつの間にか顔の擬態を人に変えているリーンハルトが問うと、彼女は跪いて答える。


「シュルヴィと申します。我らが神様がこの世に姿を現してくれたこと、心より嬉しく思います」

「結構。それよりもそなた、その姿はもしや」

「はい。寄生された時はこの世の終わりと思いましたが、まさに神様の思し召しにより生き延びる事が叶いました。それどころか神様の声を聴き、またこのように力をも得る事が出来て、私には奇蹟が起きたとしか思えないのです」


 シュルヴィの言葉に、リーンハルトは頷いていた。

 さらに彼女は驚きの事実を告げる。


「私は声を発する事なく、意思を皆に伝えられるようになりました。その言葉に皆は従ってくれます」

「成程、念話に加えて精神支配も行えるようになったか」


 リーンハルトは笑っていた。

 今までの顔に貼りつけたような、感情を模倣しようという笑みではない。

 心からの笑みに俺には思えた。

 AztoTHによる強引なやり方とはいえ、これほど早く進化する人類を目の当たりにした観測者からすれば嬉しい事はないだろう。

 同時に、AztoTHも仲間となりそうな者たちを見つけられた訳だ。


「そなたが眷属へと足を一歩踏み入れたという事は、上位者になる素質もある。我らが信者にもその素養があるのもわかった。ならば、少なくともAztoTHも我が信者達を無闇に殺せなくなった」

「私達はどうすればいいですか、神様」

「ひとまずこの部屋に留まって居てほしい。他の眷属たちやブロブが襲い掛かって来た事はあるか?」

「いえ、命令を受けているのかはわかりませんが、遭遇しても襲い掛かってはきませんでした」

「ならば一安心と言えよう。我らがAztoTHを倒したら、シュルヴィは他の信者たちに命令を告げてすぐに脱出せよ。我らと合流し神殿まで帰るのだ。幸い、リフレッシュルーム近辺を爆破したお陰で外に出やすくなっている」


 リーンハルトの言葉にシュルヴィは頷いた。

 そして彼は、食堂の倒れている信者達の亡骸に目を向けて溜息を吐いた。


「全てが終わったら、彼らを神殿に戻してやらねばな」


 彼は跪き、祈りを捧げる。

 旧き神の信者たちがする祈りの形は、一般的な僧侶たちがするものとは異なる。

 跪きながら天を仰ぎ、星の光を集めるが如くに両手を開き、その後握りしめ両手を胸に引き寄せる。

 集めた光を亡骸に捧げるように両手を組んで合わせて祈り、念ずる。

 他の信者達も彼に倣い祈りを捧げた。


 やがて立ち上がり、リーンハルトは告げる。


「我らは行く。今しばらく待っていてくれ」


 彼の、神の言葉に力強く頷くシュルヴィと信者達。

 俺たちはリフレッシュルームを後にする。

 

 密かに俺たちは安堵していた。

 狂信者たちと戦わずして部屋を後に出来る事を。

 もし戦う羽目になっていたらどうなるかは想像すらしたくもなかった。

 

 ひとまず信者達の安全は確保できたと思われるので、次はいよいよ元凶たるAztoTHを探す。

 何処に居るのか。


「AztoTH? とかいうのは話によるとこの船の指導者なんでしょう。指導者が居そうな場所って言うと何処ですかね」


 アーダルが問うと、リーンハルトは地図を指し示しながら答える。


「考えられるのはブリッジや船長室だが、果たして居るとは限らぬぞ」

「俺たちに手がかりはないのだ。しらみつぶしに行くしかあるまい」


 と言うわけで、俺たちはブリッジなる場所へと向かう。

 幸いな事に、通路内で眷属と蠢く腐肉ブロブ、寄生体と遭遇はしなかった。

 思ったよりも船内をうろついている個体は少ないのかもしれない。


 そしてブリッジ及び操舵室なる部屋の前までたどり着く。

 しかしながら、この部屋の扉は一筋縄ではいかないのがすぐにわかった。

 扉の上に光る灯火は赤を示している。

 今まで通過してきた扉は緑の灯火を示しており、鍵が掛かっていない事を表していた。

 赤は鍵が掛かっていると見て間違いないだろう。

 

【パスコードの入力及び、生体認証を行います。虹彩を読み取りカメラの前に示してください】

 

 という虚像による文字が浮かび上がっていた。

 パスコードとは一体何なのか。

 そして虹彩とは?


「パスコードは、扉の隣に数を入力するキーがある。それを使って数の組み合わせを入力する」

「虹彩とやらはなんだ?」

「目の角膜と水晶体の間にある薄い膜の事だ。それを読み取って本人であるかの認証を行い、鍵を解除する。二重鍵だな」


 成程。とにかくふたつ解除しなければならないのはわかった。

 鍵ならばアーダルの出番かと思いきや、これでは任せようがないな。


「パスコードは手がかりとなるものを探す必要がある。目の虹彩はそもそも該当する者を連れてこなければならない」

「目だけ持ってくるわけには行かないのか?」

「それも出来なくはないが、死後数時間経過すると使い物にならなくなるようだ」

「目を抉るの? 勘弁してよ」


 ノエルが呻くが、そうはいっても目が鍵となっているのならやらざるを得ない状況になるやもしれない。

 しかしパスコードと目の虹彩か。

 コードとやらはともかく、目をどうやって調達すべきか。

 そもそも誰がこの鍵を解除する目を持っているのか。

 難題極まりなかった。


「やむを得まい。まずはパスコード、そして鍵を解除できる目を持つ者を探そう」


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