第九十一話:未知との接触
俺たちは宇宙船の中に恐る恐る足を踏み入れる。
宇宙を巡る船、か。
そもそもの話として、俺はまず空を飛ぶ船なるものがあるとは信じられなかった。
元より人々は船で海を駆け巡る事は出来ても、空を飛ぶ術は未だ持たない。
空間を転移する魔術を会得してもなお、空を飛ぶのは羽を持つ生物だけの特権だ。
鳥、羽虫、蝙蝠、そして竜。
彼らはどのような心持ちで空を飛ぶのだろう。
地上を這いずる生き物である俺たちには知り得ない。
太古の昔より、空飛ぶものを大地から眺めてうらやんでいるばかりだった。
いつかあの大空を飛べたらどんなに素晴らしいか。
まして下の景色を眺めながら、風を体に感じながら空を飛べたなら、きっとそれは最高に心地よいに違いないのだ。
更に、俺には宇宙という世界はまるで想像が及ばない世界だ。
空を飛ぶ事すら叶わないのに、それよりももっと広がっている世界があるというのはにわかには信じられなかった。
確かに夜空を見上げれば輝く星々や月が見られ、昼間でも太陽が空に昇っているけれど。
それは「空」に浮かぶものと俺たちは信じて居た。
空よりも更に高い世界があるなどと、今この世の中の人々の誰が信じるのだろう。
「全く中は壊れていないのだな……」
通路を探索しながら、素直に驚いた。
普通墜落したのなら全て滅茶苦茶になっている筈なのだが。
思えば宇宙船の外壁も殆ど凹みなどは見られなかったし、どのような技術や魔術を使えば衝撃にも耐えられるのか。
「それよりも、この中すごい明るいわよ。通路の遠くまで見通せちゃう」
「一体この明かりはどうなってるんだ?」
「君達は知らぬだろう。空を引き裂く雷光の力を使った明かりだ」
「雷の力だと?」
雷は神の怒りとも称される程すさまじい力だ。
人には扱いきれぬ物だと思っていたが、この船に使われている技術は俺たちの世界よりも遥かに進んでいるという訳か。
「床も壁も見た事ないくらい平坦に仕上げられています。壁は恐らく金属でしょうけど、床は木や石、金属とも違う素材で出来ています」
アーダルが足を踏み込ませたり滑らせたりしながら感触を確かめている。
俺もしゃがみこんで床を触ってみる。
確かに今までに触れた事のない手触りだ。
適度に滑らない程度の摩擦を感じるが、その抵抗はけして大きくはない。
そして壁には、金属で作られた手すりが延々と続いている。
「何故手すりが付いている?」
リーンハルトに尋ねる。
「宇宙空間は重力が無い。仮に宇宙でジャンプすると、その力が延々と上に向かってしまう。船の中なら頭をぶつけるだろう。まあ、この船の技術力から考えれば普段は重力装置が働いていて、普通に歩けるはずだ。もしもの時の為の備えだな」
宇宙空間か……。
「宇宙とは一体どんな場所だ」
尋ねると、リーンハルトは遠い目をして虚空を見つめる。
「暗く、冷たく、空気も何も無い死の世界だ。命あるものはあの空間に投げ出されたが最後、瞬く間に全て凍り付いて死んでしまう」
「それこそお主のような、人を越えた存在でもなければ宇宙には居られぬか」
「だからこそ、彼らはこのようなゆりかごを作ったのだ」
「でもおかしくない? 寄生体たちは並行世界から来れるくらい凄い存在な訳でしょ。こんな物必要あるかしら」
ノエルの質問に対し、リーンハルトは口ごもった。
「また、別の事情がある」
「別の事情なんて一体何? 貴方、隠し事はしない方が身のためよ」
「……それは」
何かを言おうとした瞬間、通路の向こう側から顔を覗かせる者が一人。
「なんだ?」
それは確かに人型であったが、明らかに人ならざるものだった。
体は半透明で、さながら
頭には太い触手のような長い髪の毛らしきものが何本も伸びており、七色に発光している。
目や鼻と言った器官は人と似ているが、目は青色に発光していた。
背丈は子どもと同じくらいだ。
「魔物……なのか?」
「でも敵意は見られないですね」
アーダルの言うように、ひょっこりと近づいてきて首を傾げてこちらを見ているだけだった。
まるで物珍しい生物でも見たかのように。
「どうする、宗一郎」
「手出ししてこないのなら、無闇に襲う必要もあるまい。お互いに素通りしよう」
半透明の海月人間は、ひとしきりこちらを眺めたあとに通路の奥へと消えた。
ぺたぺたと言う足音を立てながら。
消えたのを見届けてから、俺はリーンハルトに問うた。
「あれは一体なんだ?」
「眷属だ。この船を率いてきた上位者の眷属」
「眷属って、神様の使者みたいなもの?」
「その様なものと考えてもらって差し支えない。上位者が船を作った理由、それは彼らが居るからだ」
「初耳だがそもそも上位者とは何だ? 寄生体や眷属以外にも何かが存在しているのか」
そういえばこの旧き神も眷属を増やしたいと言っていた。
こいつも上位者にあたるのか。
その時、どこからともなく声が響き渡る。
『信徒を攫ったからには何時かは来ると思っていたぞ、観測者』
「誰だ、何処から声を発している」
声は脳に直接響くものではなく、普通に耳に届くものだ。
『私が誰かは、そこに居る観測者に聞けばわかる事だ、原住民。観測者、私は貴様を未来永劫許さない』
「知っている。なればここでケリをつけるべきだ。お前が積年の恨みを晴らすか、それとも我が不始末をここで片付けるかだ」
二人の間で何か物事が進んでいるようだが、俺たちを置いていっては困る。
何より、他所から来た連中が俺たちの世界で争うのは面白くない。
「お主らの争いを、俺たちの世界に持ち込んで欲しくはないのだがな」
『私達とてこのような事態になるのは望んではいなかった。だが、全ては過ぎ去ってしまったのだ。私達の恨みは観測者の魂、精神までもを完全に消滅させねば晴らせぬ』
なにより、と声は続ける。
『私達は少なくなりすぎた。だがこの世界に辿り着き、私達以外の生命を初めて見つけられた。これはまさしく僥倖。私達はこの水と生命溢れる星へ入植し、同胞を増やす』
「同胞を増やすだと?」
『この星の原住民の皆の存在次元を高めさせるのだ』
「どのような方法でだ」
『ここまで来た君達なら散々見て来たはずだ。寄生体、あれと同化してもらう。上手く適応出来れば、我らが眷属に進化できるだろう』
「眷属とは、もしやあの半透明な人みたいなものか」
よく知っているな、と声は言った。
『眷属になれば、上位者へと進化できる時間もそれほど必要としなくなる。それに下等生物が抱く様々な苦しみや悩みからも解放されるだろう』
なるほど、それは確かに魅力的な提案だ。
人はどのような時であろうとも、悩みや苦しみ、怒りや哀しみと言った感情に支配されている。
幸せや楽しさなど訪れたとて一瞬で過ぎ去ってしまう。
生きるとは死ぬまでの苦しみの連続だ。
それらから解放されるというのであれば、誰だってすがりたくもなろう。
しかし、だからこそ俺の答えは決まっている。
「断る。俺たちの進む道は自ら決めるものだ。誰かに決められるものではない。何より、俺たちを原住民や下等な存在と見下すお主は気に入らぬ」
それに、だ。
「この階層の殆どの魔物は寄生体に侵されていた。そして
『……中々鋭い指摘だ。下等生物や原住民と言った物言いは撤回させてもらおう』
「故に、お主には刃を向ける以外の選択肢は無い。覚悟せよ」
『致し方あるまい。しかしこれだけは言っておこう。いずれこの宇宙の終わりも来る。絶対にだ。種族として生き延びるには私の提案に乗るしかない。観測者が私達に寄生体をけしかけたように、君達の種族も寄生体による、わずかな進化の可能性に賭けるべきなのだ』
そう声は言い残して消えた。
「何が下等存在よ。全く失礼ね」
「元から僕たちを生かすつもりなんて無いのかも」
アーダルの声に対して、リーンハルトは首を振って答えた。
「いや、奴は自らの仲間をどうしても欲している。もはや自分と同じ上位者は我しか居ないからな」
「眷属とやらは違うのか?」
「正確には異なる。眷属はかつての奴の仲間ではあったが、今はもはや同じ仲間とは言えぬだろう」
「リーンハルト、いや観測者よ。お主がここに至るまでの経緯を話してくれないか。あの上位者とやらが、何故ここまでやってきたのか、何故お主に執着しているのかを知る必要がある」
「良かろう。だがその前に、排除しなければならぬものがある」
何だ、と聞く前に既に全員が気配を感じ後ろを振り向いていた。
通路の分かれ道から現れた、半透明の魔物。
眷属なるものが一体。
先ほどの個体と異なる点は、背丈が俺たちと同じくらいということ。
何より、全身が赤く強く発光し、明らかな敵意を向けている。
直ちに全員が武器を構えた。
「どうやらこいつは、さっきのとは違って大人って事ですかね」
「大人の方が警戒心が強いのはわかるけどさ。何を仕掛けてくるかしら」
リーンハルトが一歩前に出て、声を張った。
「我が憎かろう。ならば存分にその思いの丈をぶつけてこい! ただし、我らも全力で反撃させてもらうがな」
眷属の頭部から生える触手が、ひときわ輝きを強く放っていた。
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