第八十九話:清泉の白蛇

 泉から這い出て来た白蛇は何を仕掛けてくるか。

 鎌首をもたげて赤い目を光らせ、敵意があからさまに伝わって来る。


「しゃあああああっ」


 白蛇は威嚇音と共に、もたげた頭を振り下ろしながら噛みついてきた。

 大振りながら素早い噛みつき。

 しかしそれに当たるような面々ではない。

 ギリギリを見極めて俺とリーンハルト、アーダルはそれぞれ背後に飛び退いて躱す。

 地面にそのまま頭を叩きつける形になり、通路に流れている水が飛沫となって上がる。


「所詮は獣、戦いに脳を使いもしないか」


 リーンハルトは独り言ち、晒した隙の間に踏み込んで胴体に竜牙剣を突き刺した。

 竜の牙を模した剣は見た目通りに鋭く、蛇の鱗を貫いていく。


「む」


 リーンハルトの顔色が曇り、すぐさま剣を抜いた。

 すると、血が噴き出しながらもみるみるうちに傷口が塞がっていく。

 剣を突き刺したままにしていたら、抜けなくなっていただろう。

 寄生された人やオークなどよりも訳が違う再生力だ。

 元々蛇は生命力が強く、頭を落とされてもしばらく胴体は動いていたというくらいにはしぶとい生き物だ。

 それが寄生された事で強化されたとなると、本当に厄介な手合いとなる。

 

 そして大きい。

 竜と比肩しうる程の大きさとなれば、体をただ動かしたり叩きつけるだけでも脅威になりかねない。

 実際、これほどの巨体ともなると迷宮内では如何に広めの通路であると言っても攻撃を避けるのは中々難しい。


 だが蛇にとっても、この迷宮というのは窮屈なようだ。


 巨体ゆえに物理的な攻撃は単調にならざるを得ない。

 上からかぶりつくか、真っすぐ直線的にこちらへ向かってくるか。

 左右から来るには少し空間の余裕が足りない。


「しゅるるるるる」


 業を煮やしたのか、一旦白蛇は後ろに下がって尻尾を泉に浸け始めた。


「何をするつもりだ?」


 すると、水が鱗を伝って蛇の体に纏い始めた。

 頭まですっぽりと水の鎧を覆うと、やがて顔の前に水が渦を作り始める。

 渦は徐々に大きくなり、やがて蛇の頭の大きさと同じくらいになる。

 この技は何処かで見たような……。

 水が収束した瞬間、それは目にも止まらぬ速さで射出された。


 俺の目でも捉えきれない水の高速射出体は、リーンハルトの胴体を貫いた。


「ぐぶっ」


 口から血が零れるリーンハルト。

 彼が着けていた君主の聖鎧は、よほどの攻撃でもない限り破壊されるような代物には見えなかった。

 蛇の射出した水流はそれを越えるほどの威力らしい。

 狙いがブレたのか、心臓ではなく腹部を貫かれたのは幸いだった。

 

「ウォーターレイじゃない! なんでこいつが使えるのよ」


 ノエルの叫び声で思い出した。

 あれは確かに魔神パズズを仕留めるときに使われた技だ。

 ウンディーネという水の精霊の強力な一撃。

 これは今後を考えて戦っている場合ではない。


「呼ッ」


 俺は呼吸を整え、丹田に意識を集中させる。

 深く息を吸い、吐くことで体に留まっていた霊気が徐々に勢いよく巡り始める。

 白い靄が体から立ち上り、そして持っている刀にも霊気が伝わり始める。


「霊気錬成の型・瞬息」

 

 霊気の巡りを急速に良くし、身体能力を向上させる。

 更に俺は霊気の巡りを目にも集中させる。


「奥義・心止観しんしかん


 目にも止まらぬ技を捉えるには、自らの目をも研ぎ澄ませるしかない。


「ノエル、リーンハルトに回復を頼む。リーンハルトは下がれ」

「わかったわ」

「仕方あるまい」


 リーンハルトは後列まで下がり、ノエルが回復奇蹟を使う。

 腹部を貫かれたとはいえ、綺麗な水による攻撃なのがまた幸いであった。

 貫かれた穴の大きさも指一本分くらいだ。

 

 俺とアーダルが前に出て、白蛇の気を引きつつ立ち回る。

 再び白蛇は水を纏い、高圧水流ウォーターレイを使おうとし始めた。


「そうはいかない!」


 アーダルが懐から苦無くないを取り出して放つ。

 苦無には付与した雷撃が纏われている。

 蛇はあからさまに雷撃を嫌がり、渦巻いていた水は全て迎撃に使われる。

 地面に力なく落ちる苦無。

 その間に俺は両脚に力を込め、高く飛び上がる。


「奥義・四の太刀、兜割」


 苦無に気を取られている隙に蛇は此方への反応が遅れ、身をよじって躱そうとするも既に遅い。

 全身のバネを使い、背筋を力の限り反らし、反動を使って落下の勢いと共に一気に野太刀を振り下ろす。

 

 白蛇の頭は硬い鱗に覆われていたが、それでも落下と霊気、筋力を乗せた野太刀は鱗を切り裂き、頭骨を破壊して柔らかな脳髄を両断した。

 その勢いのままに地面にまで刀を叩きつける。

 白蛇の頭は真っ二つに裂け、普通ならばこれにて絶命したと思ってもおかしくはない。

 だが、これでも白蛇は絶命しなかった。

 傷口から触手が伸び始め、割れた頭を繋いでいく。

 瞬く間に傷口は塞がり、元通りに戻ったのだ。


 それでも傷つけられると痛みは感じるようで、自分をこれだけ痛めつけた俺を更に睨みつける白蛇。

 その間に、今度はアーダルが紫色の気を纏いながら飛び上がっている。

 俺に気を取られている為に、白蛇はアーダルの接近に気づくのが遅れた。

 飛び上がりざまに蛇の首を斬り上げた。

 確かに首は両断されたかに見えた、が。


「首周りが太すぎる!」


 だらんと頭がちぎれて血が噴出しているものの、肉がまだ繋がっている。

 やはり傷口は再生して何事も無かったかのように元に戻る。


「もっと気を増幅させて、自分の腕以上に気を展開できるようにならないと」


 アーダル曰く、暗殺教団に居たダークエルフの忍者イシュクルは、マスターを名乗るだけあって気の扱いに非常に長けていたらしい。

 自らの腕よりもさらに気の範囲を増幅させ、数百年も生きた大木の幹であっても気の刃で一刀両断したと聞く。

 非常に興味がある。

 もっと平たく言えば、手合わせをしたい。

 只の試合ではなく、命のやり取りをだ。

 もっとも、まずはこの蛇をどうにかして生き延びないとなのだが。


 さて、現状は膠着している。

 俺やアーダルの一撃では致命傷になりえない。

 雷撃の苦無ならば寄生体そのものにも痛手を与えられようが、水の弾丸や水流で落とされてしまう。

 リーンハルトの核爆滅撃ニュークリアブラストも今は品切れだ。


 とはいえ、白蛇もまた決定打に欠けていた。

 俺もアーダルも高圧水流や水の弾丸には当たっていない。

 ならばと蛇は足元から滝のような水を噴出させるが、それ単体では致命傷にはならない。

 高く吹き上げられても着地でヘマをしなければよいだけで、俺もアーダルも身のこなしには優れている。

 リーンハルトも腹の傷を治療し、前列に戻って来た。


 お互いに長期戦を覚悟したその時であった。


 唐突に白蛇は天に向かって叫び声を上げたかと思うと、みるみるうちに泉の水量が増幅していく。

 水は瞬く間に通路を満たし、猛烈な勢いで水位は上がっていく。


「こ、これは」

「まずいぞ、水でこの通路を満たして窒息でもさせるつもりだ」


 通路の扉を開け放したままにしておけばよかったか。

 いやしかし、それでは背後ががら空きになる。

 開けた扉は閉める事。

 冒険者として歩み始めた頃にまず教わった事の一つだ。

 扉を開ける魔物も居るには居るが、それほど多くない。

 扉が開いていれば、徘徊している魔物は気まぐれにそちらへ向かってしまうかもしれない。

 無駄な魔物との遭遇を避けたいのであれば、扉は閉めた方が良いのだ。

 

 もう一つ、不味い事があった。


「わたし、泳げないのよ!」


 ノエルが悲鳴を上げた。

 彼女は大槌を浮き輪がわりにしてなんとか水面に顔を出しているが、自在には動けない。

 

「水で通路を満たして動きを封じてくるとは考えたな。獣が脳を使わぬというのは大きな間違いであったか」


 リーンハルトは何とか立ち泳ぎは出来ている。

 しかし、これでは白蛇の餌食となるのは変わらないだろう。

 対してアーダルは、忍者であるだけに水の中でも身軽であった。

 俺たちと比べて軽装なのもあるが、水の中を河童もかくやという程に泳いでいる。


「アーダル、何とかして扉を開けてくれ」

「ミフネさんは?」

「俺はあいつを食い止める」


 わかりました、とアーダルは返事をして潜水し扉へと向かった。

 水に沈んだ扉を開けるのは容易ではないだろう。

 時間が掛かるのは十分に予想出来た。

 俺もふんどしのみであればアーダル並みには泳げるが、鎧を着ていては普通に泳ぐのが精一杯だ。


 既に水は天井際まで満たされようとしている。


 白蛇は十分に水が満たされるや否や、冷静に俺たちの様子を見て真っすぐにノエルの方へと向かっていった。

 やはり、一番弱い所から狙うか。

 俺は白蛇がすれ違う時に野太刀を喰らわせたものの、水の中では抵抗にあって思うように刀が触れず、刀が肉に食い込んでも思ったほどの傷にはならない。

 白蛇は意にも介さずに突っ込んでいく。


「くっ」


 白蛇はノエルの間近にまで接近すると、大口を開けた。

 その勢いのまま、丸呑みにせんと噛みつきにかかる。


「ノエル!」


 俺は叫ぶ。

 白蛇はばくりと口を閉じ、もはや駄目かと思った。

 せめて完全に消化される前に腹を掻っ捌いて取り出さねば。

 急いで白蛇の元まで向かうも、よく見れば口は閉じきっていない。

 正面に回ってみてみると、口につっかえ棒のようなものが挟まっている。

 

 それは竜骨の大槌だった。


 竜の骨は軽いながらも強靭で粘り強く、容易には折れないと評判だったがこうやって見せられると成程と頷く。

 咄嗟に喰われる前にノエルは大槌を立てて口を閉じられないようにしたのだ。


「なめんじゃないわよ!」


 ノエルは口から呼気を吐きながら、祈りの姿勢を取った。

 瞬間、蛇の頭が弾け飛ぶように破壊される。

 まるで口に爆薬でも放り込まれたかのように。


 恐らくノエルは天罰パニッシュメントを唱えたのであろう。


 どの生物も外側は鱗や毛皮で護られているが、内部は柔らかい肉を晒している。

 内側から破壊されればたまったものではない。

 肉片と寄生体の破片が水の中を漂いながら、再生しようと焦って寄り集まろうとしている。

 蛇の血で赤く濁る水。


 そして、扉の方向から轟音が響き渡った。

 同時に水位がみるみるうちに下がりだす。


「開きました!」


 アーダルが叫んだ。

 無理やりこじ開けたのか、扉の蝶番の部分が破壊されており、もはや二度と扉としての用はなさないだろう。

 水が通路から流れるにつれて白蛇の状態も露わになる。

 砕け散った頭を再生するのは容易ではないのか、再生速度は先ほどよりは鈍い。

 痛みで身をよじらせている蛇の体を剣で貫き、地面に縫い留めるのはリーンハルト。


「ミフネ、あの侍は救ってやらねばならぬ」

「……ああ」


 飲み込まれた侍。

 どれくらい消化が進んでいるかわからぬが、時はまだそれほど経っていないはず。

 俺は野太刀を腹側に突き立て、尻尾に向けて駆け抜けていく。


「ぬおおおおおおっ」


 駆け抜けながら、蛇の血を浴びながら、刀を滑らせていく。

 果たして、白蛇はさながらウナギを開いたかのように腹開きとなった。

 血で濡れた蛇の腹肉の中から消化管が露わとなる。

 膨らんでいる所を斬ると、中からごろりと大きなかたまりが零れ落ちる。


 それは喰われた侍であった。


 消化されかかり、見るも無残な姿となっている。

 かろうじて息はあるものの、間もなく死を迎えるのは明らかであった。


「ああ、うう」

「これは……」

「某は、いまどうなっているのです。蛇は」

「白蛇は開きにしてやった。お主は助かる」

「なんと……。それはまた、貴方様に借りを作ってしまった」

「今から白蛇をぶつ切りにして燃やして息の根を止めてくれる」


 俺が呼吸を整えて刀を振り上げようとすると、縫い留められていた白蛇は突然暴れ出した。

 リーンハルトはつい恐れを成して剣を抜き取ってしまい、そのスキをついて白蛇は扉の方向へと猛烈な勢いで向かい、いずこへと逃げ出してしまった。


「獣と言えども勝てぬと悟れば逃げ出すのは道理か。総じて蛇としては賢い奴だったな」


 正直ここで逃げてくれたのは助かった。

 次に会う様な事が無ければより有難いのだが。


「宗一郎、大丈夫!? 酷く血だらけだわ」


 ノエルが駆け寄って来る。


「蛇の返り血だ、心配無用。それよりこの侍を治してやってくれ」


 即座にノエルは臥せっている侍の隣に座るが、彼の光を失った瞳を見て首を振った。


「すでに事切れてる。残念だけど」

「そうか……」


 折角の同胞から、かつての故郷の事などを聞きたかったのだが仕方あるまい。


「その侍、何か握っているぞ」


 リーンハルトが侍の持っている何かを取り上げる。

 それは清浄なる水のように透き通り、澄み渡る青色の杖だった。


「白蛇の体内にあったものなのか、これは」

「もしかしたら、この杖のお陰で白蛇は大いなる水の力を得ていたのかもしれぬな」


 リーンハルトから杖を渡されて握ってみると、杖からかすかにひんやりとした水の冷たさと流れが伝わって来る。

 さながらこんこんと湧く清水に触れた時のような心地よさだ。

 不思議な杖であった。


「これを使えば、もしかすると熔岩地帯を通れるようになるかもしれぬ」


 元より手詰まり気味であった。

 試してみる価値は大いにある。


「行く前に少し休憩しない? 流石に疲れちゃった」

「我も賛成だ。マナの容量が尽きかけている。いざという時に敵をまとめて吹っ飛ばせないのは困るだろう」

「確かにそうだな。一時の休息と、侍を葬ってやらねばならぬ」


 清らかな泉へと向かい、水を汲もうとした時に俺は目を丸くした。

 水位がかなり落ちていて、井戸桶のような仕組みでもなければ水が汲めないくらいになっている。

 アーダルから縄を借りても水のある所までは辿り着きそうになかった。


「あの白蛇め、水をふんだんに使いおって」


 圧縮水筒の水を使わずに済んだと思っていたら、とんだぬか喜びだ。

 今度白蛇に遭遇したら、やはりかば焼きにしてやらねば気が済まぬ。


 そんな事を思いながら、俺は湯を沸かして血まみれになった体を拭ったのであった。

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