第八十八話:古の侍と主

 階段手前にある扉を勢いよく蹴破った。

 扉の先に待つ魔物は無し。左は壁、右を見る。

 行き止まりの通路。

 行き止まりに行く必要性は特に無いのだが、妖精の地図を見返した時に空白があると気になって仕方が無い。

 埋まっていない場所には何があったか? と後から行くのもまた手間だ。

 盗賊の迷宮にあった即死の罠が仕掛けられてない限りは出来るだけ空白を埋めるようにしている。

 冒険者の性と言うべきか。

 この辺りは性格によるものだとは思うがな。


 迷宮には灯りなど無いのが当たり前だが、この階層はうっすらと光るキノコが生えているおかげで比較的先まで見通せる。

 勿論灯りの奇蹟を唱えていれば、より遠くまで見通せるが。

 シルベリア王国で師匠を探す時に入ったあの洞穴の事を思い出す。

 うっすらと光るキノコと苔で演出された幻想的な鍾乳洞の風景。

 魔物さえ居なければ観光地にも成ろうかと言う場所だった。

 

 時折、鳥の鳴き声が聞こえ始める。

 雉に似ているかもしれない。


「こんな迷宮に鳥なんて居るものなんですね」


 アーダルはそう言うが、迷宮には鳥以上に何故居るのかと問いたい生き物は幾らでもいる。

 

「そんなこと言っても、迷宮にはドラゴンとか巨人が棲んでるのよ。そっちの方がありえないと思わない?」

「確かに」


 迷宮は狭いとはよく言われるが、大型の魔物が存在したりもするから驚きだ。

 実際この迷宮には腐竜ドラゴンゾンビが潜んでいたし、さっきは巨人も見かけた。

 迷宮には何が居ても不思議ではない。


 それはさておき、俺たちは地図を見る限りでは南に進んでいる。

 南の行き止まりまで行くと、道が左右に分岐しているのが分かった。

 俺の目から左へ行くと、扉がまたも見えた。

 扉を蹴破るとまた扉が。

 再度蹴破る。


「むっ」


 眼前に広がった光景は、煮え滾る熔岩が流れる開けた領域だった。

 隕石? が衝突したせいで地下の熔岩だまりが刺激されて噴出したのだろうか。

 隕石の衝撃で壁が破壊され、外から光が差し込んでいる。

 熔岩は粘度が高いのか、流れているとは言ってもゆっくりとしている。

 地下七階に流れる水が熔岩と接触するたびに、激しい蒸気が立ち上る。


「あっつい、なにこれ」

「溶岩流ですか……。迷宮の下にそんなものが溜まっていたなんで」

「見ろ。熔岩の中に蠢いているものがある」


 リーンハルトが熔岩の中に目を凝らして言う。

 確かに溶岩流の中を泳ぐ、人型のものが存在している。

 人型と言っても粘土でおおまかに形を作ったかのような、その程度のものだ。

 精霊エレメンタルなのだろうか。

 

「こっちに気づきましたよ」


 アーダルの声。

 気づいた熔岩の精霊エレメンタルが何をするのかというと、手で熔岩をすくい、こちらに投げつけてくる。


「うわっ」

「げっ」


 ノエルとアーダルの悲鳴。

 不意打ちでなく見える所からの投擲なので避けられるが、それでも熔岩が着弾した所は床が熱で溶けてじゅうじゅうと音を立てながら蒸気が立ち上る。

 熔岩の精霊エレメンタルは次々と熔岩の中から姿を現し、熔岩を更に投げつける。


「これは少し厄介だな」

「ミフネ、奴らと戦うのか?」

「……いや」


 戦っても今は益が無い。

 溶岩流はこの開けた領域の至る所に流れており、足場が極めて限られている。

 先に進むに慎重に溶岩流を飛び越えて足場を渡っていかねばならないのだが、熔岩の精霊エレメンタルが邪魔をする。

 熔岩の精霊エレメンタルはこちらには一切近づかずに熔岩を投げるばかりだが、それが効果的なのも事実。

 

「一度撤退する」


 またも後回し。

 仕方ないが、打開する手段がない事にはどうしようもない。

 熔岩の流れを抑える何かがなければ……。


 一旦下がり、扉を閉めてまだ行っていない所を探索する。

 振り返ると、突き当りの右に扉がある事に気づいた。

 そちらの扉を開けて進むと、その先には泉があった。

 泉からは水が溢れており、この階層に水が流れているのはここから広がったと見て間違いないだろう。

 泉の前には人影が何やら行水している。

 近づくにつれて、人影の詳細な姿が露わになって来る。


「何奴じゃ」


 人影はこちらの姿を認めると、壁に立てかけていた刀を手に取った。

 壁には他にも俺が着けているような鎧や兜、籠手や具足などがある。

 ふんどしだけを身に着けた侍の裸体は、傷だらけながらも見事に引き締まっている。

 頭はただ髪を伸ばすに任せて後ろに縛っている。


「この迷宮に潜んでなお正気を保っているのか」

「お主、三船家の追っ手か? 全くしつこいものよ。外国に逃げても蛇のように執念深く追って来るとはな」


 その口振りは以前にも聞いた覚えがある。

 確か地下五階でゼフの首を落とした侍だっただろうか。

 もしや、この男はあの侍の仲間やもしれぬ。


「何か勘違いをしているようだが、俺は追っ手ではない」

「ならその右腕に着けている数珠はなんだ」

「迷宮の管理人をうそぶく老人から貰ったものだ」

「それは我らの仲間が持っていたものだ。やはり貴様らは追っ手であろう」


 どうも猜疑心が強い。

 始めから俺たちを敵と決めて掛かっているようだ。

 迷宮で話が出来る相手は貴重だから話しかけてみたものの、これは徒労に終わりそうだ。

 既に仲間たちは戦いの気配を感じて武器に手を掛けようとしている。


「聞く耳を持たぬのであれば已むを得まい」


 俺が打刀を抜こうと手を掛けた時、侍は怪訝な顔つきになる。


「待て。その背負っている刀を見せてくれぬか」


 背中の野太刀を外し、鞘ごと示すと侍の目から涙があふれ始めた。

 そして自らの刀を鞘に納め、いきなり土下座の形を取る。


「その野太刀こそ、三船家の代々の当主に受け継がれる家宝にござります。大変失礼仕りました。まさか貴方様が三船家の当主だとは思いも至りませぬで。このような外国まで訪れるとは一体何があったのですか」

「まず俺は当主ではない。三船家が滅亡したので、俺もこちらまで逃げてきたのだ」

「なんと……」


 言葉を失うとはまさにこの事であろう。

 二の句を告げずに絶句する有様の侍は、言葉を紡げずにただ俯くばかりだ。


「我が名は三船宗一郎。お主らは何故、この迷宮に居るのだ」

「話せば長くなりますが……」

「良い。先日、俺はお主のような侍と地下五階で遭遇し斬り合いとなった。十文字槍を使う、かなりの手練れであった」

「十文字槍、それは我らの仲間に相違ありませぬ。奴は長年の迷宮暮らしでついに精神の均衡を崩し、敵味方の区別がつかなくなってしまったのです。故に追放しました」


 それは迷宮暮らしをしている以上、仕方のない事だ。

 迷宮には魔素マナが濃く渦巻いており、それに中てられて精神に変調をきたす者は数多い。

 短期の探索なら影響はそれほど受けないが、長期間、あるいはずっと閉所で暮らして居れば人間はおかしくなるのが道理。

 だが、迷宮に順応できればそうでもなくなるという話もある。

 この侍は順応したのだろう。

 そうでなければ説明がつかない。

 また、迷宮は敵が存在しない平和な街と異なり、魔物が跋扈する危険な場所だ。

 いつどこで襲われるかわからない。

 魔法陣の書き方も知らなければ休息を取るのも命がけだ。


 そして侍はどう見ても俺と同じ人間にしか見えない。

 フォラス老のような、秘術を使いそうな魔術師でもないのに五百年もどうやってこの迷宮を生き延びて来たのか、実に気になる。


「お主は見る限り壮年のように思えるが、一体どんな神通力を使っているのだ?」

「それはこの泉に秘密がございます」


 泉に近づいてみると、水は透き通り底は計り知れぬ程に深い。

 どこまで潜れば水底に辿り着けるのか見当がつかぬ。


「この泉は不思議な効能がございまして、浅い所では体に不調しかもたらさぬのですが、深くまで潜れば肉体が若返るのです。今回もその為に某はここへ参りました」


 侍の言葉を聞いて、女子二人の目の色が明らかに変わった。


「それじゃ、もしおばあちゃんになってもこの泉に潜れば若返るって事!?」

「絶対に他の人にこの泉を知られたくないですね……」

「深さがどれほどか分からぬ以上、命がけになるぞ。みすみす命を捨てる羽目になりかねん」


 俺が言うと、侍はからからと笑って首から提げている護符を掲げる。


「我らにはこのようなカラクリがございましてな。これは大気の護符と申しまして、これを口にくわえていると水の中でも呼吸ができる優れものにございます」

「もしや、それは迷宮深部にあった遺物ではないか?」

「よく御存じで。宗一郎さまも目的はこれらの遺物ですか」

「いや、俺たちの目的は迷宮の主を倒す事だ。遺物の回収は冒険者であるからには勿論欲しいが、それは主目的ではない」

「その言葉を聞いて安心しました。もはや我が主、三船宗成みふねむねなりは正気を失のうてございます。もはや鬼にとって代わられている有様かと」


 侍は涙ながらに、ここに流れ着いてきた経緯を話す。


 曰く、三船宗成はおよそ五百年前の三船家の当主、宗隆むねたかの弟であった。

 彼は人ならぬ体格と膂力を以て生まれ、十五にして戦場を駆け巡り一騎当千の戦働きを成す程の強さを誇ったと。

 まさにその姿、鬼神の如くと誰もが称する程に。

 しかし彼は、当主の宗隆からその強さ故に疎まれていた。

 いつその武力を用いて自らに叛くか、直々に刃を向けるか恐れていたと言う。

 やがて宗隆は宗成に謂れの無い罪を擦り付け、切腹を言い渡した。

 宗成は当然了承できるはずもなく、憤慨し家族と家来を連れて出奔してしまう。

 当然、宗隆は追っ手を差し向けたが殿となった宗成は追って来た軍全てを斬り捨てたと言うのだ。

 血に塗れたその姿は鬼そのものと恐れられた。

 その後、宗成らはどのような手段を用いたかは不明だが国外へ脱出し、更に流れてこのイル=カザレムに辿り着いた。


 過酷な旅の末に流れ着いた国であるが、幸いな事に家族も家来もほぼ失うことなく辿り着いた地で安住を得るはずだった宗成は、しかし徐々に精神に変調を来すようになる。

 ある日、宗成は気づくと目の前の風景が血に塗れている事に気づいた。

 その血は妻と我が子ふたりのものであり、いずれも自らの刀によって惨殺されたのである。

 宗成は鬼の先祖返りと呼ばれていたが、実は鬼そのものが宗成の中に宿っていたのだ。

 それが徐々に成長し、やがて宗成を支配するようになり、凶行に及んだのだろう。

 宗成は深く嘆き悲しみ、自らを殺したいと願ったがそうすれば鬼神が出てきて自分を押しとどめてしまうだろう。

 誰かに殺されたいと思っても、自分より強い者はこの地にも見当たらなかった。


 考えた末、宗成は迷宮の奥深くに入る事にした。

 いずれ来たる自らを打ち倒す者を待つ為に。

 おあつらえ向きに、サルヴィには迷宮が存在した。

 迷宮には魔物も棲んでいる。

 鬼神の荒れ狂う殺戮衝動を満たすにもうってつけだった。

 宗成は誰もついてこなくて良いとは言ったが、家来の中には着いていくものが半数居たそうだ。

 残りの半数は地上に残り、今のサムライと呼ばれる者達の原型となったらしい。


 宗成は今もなお、迷宮の最深部に潜んでいる。

 最深部の部屋からは、荒れ狂う叫び声と何かを斬る音が毎夜響いてくる。


 侍はそう語った。


「我らは宗成さまを守る為に共に迷宮へ入りました。しかし、毎夜鬼となって猛り狂う主の姿を見るのは辛うございます。今となっては身勝手な願いですが、我が主を楽にしてもらえぬでしょうか。このような事をかつての三船家の子孫に頼むのは心苦しいのですが」

「その願い、承った。俺も先祖が未だに苦しんでいるというのは忍びない」

「かたじけない」


 鬼神は俺の中にも潜んでいる。

 もうひとつの鬼神と会う事で、本来の鬼神とはいかなるものかと確かめられるはずだ。

 そして、鬼神と三船家の繋がりを断つ。

 三船家はかつて鬼の力を欲したが、滅亡した今となっては不要だ。

 身勝手と鬼はあざ笑うだろう。

 だが元より鬼神も松原の地で傍若無人に振舞い、人に害を成す存在であった。

 お互いに身勝手なものなのだ。

 

 だからこそ鬼神は倒す。

 俺が人として死ぬために。


「では、我らもここで少し休憩していこう。この泉は水が澄んでいて飲めそうだ」

「賛成。暑い所行って喉乾いちゃったし、ちょうどいいわ」

「某が水を汲みましょう」


 侍が立ち上がり泉に向かうと、何やら泉からぼこぼこと音が立ち始めた。

 やがて水が荒れ狂いながら吹き上がったかと思うと、何か巨大なものが現れて侍をあっという間に一思いに丸呑みにしてしまった。

 侍は声を上げる間もなく消えてしまう。


「なっ」


 絶句するアーダルとノエルに、泉から現れたものを呑気に見上げるリーンハルト。


「どうやらこの泉には蛇が棲んでいたようだな。それにしても、これは中々の大物だ」


 天井に届く程に頭をもたげ、こちらを見下ろしているのは大きな白い蛇だった。

 蛇は水神としても親しまれているが、泉が清く満たされていたのはこの蛇のおかげなのかもしれない。

 しかしその赤い眼には、明らかに敵意が宿っている。

 蛇の口からは無数の触手がはみ出しているのが見えた。

 成程、寄生された故にこの泉の水量がおかしくなって階層に水が流れ出したのやもしれぬ。


 白蛇は今にも俺たちを喰らい尽さんと大口を開けて威嚇している。


「憐れにも寄生された水神よ。せめて天へ帰して供養としてやろう」

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