外伝十三話・城地下、女二人


 落ちてどれくらい時間が経っただろうか。

 落下の衝撃でわたしは気絶していたようだ。

 そしてここは何処だろう。


「痛っ」


 体の節々が痛み、特に左足に激痛が走る。

 左足を見たら、曲がってはいけない方向に曲がっている。

 言うならば鳥の関節みたいに。

 どっと脂汗が額に浮かび、叫び声を上げそうになる。

 でも、我慢しなきゃ。

 大きな声を上げたら、魔物があっという間に押し寄せてくる。

 叫びを歯を食いしばってかみ殺し、わたしはグレートヒール大回復を唱える。

 まだマナが残っていて良かった。

 これでマナの残量が枯渇していたら、宗一郎から譲ってもらった麻薬で痛みをごまかさなくてはいけなかった。

 奇蹟の光がみるみるうちに、あらぬ方向に曲がっていた左足を元通りに治してくれる。

 いまこの瞬間ほど、自分が僧侶で良かったなぁと思う時はない。


「う、うん……」


 アーダルの声が聞こえた。

 思ったより近くに、一緒に落ちて来たアーダルがいるようだ。

 パーティが分断してしまったせいか、陽光サンライトの効果が切れている。

 ひとまずわたしは灯火ライトの奇蹟を唱えてひと時の灯りを得る。

 ぼうっと浮かび上がる光は遠くまでは見通せないし、途中で切れてしまう頼りの無い灯りだけど、今はこれで十分。


「うわっ」


 どうやら、わたし達二人が落ちた場所は牢獄だった。

 牢屋の壁際の至る所に、無念のまま壁にもたれて死んでいる人々の骨が残されている。

 わたし達は部屋の中心部に落とされたみたいだ。

 城一階から落とされたのだから、ここはおそらく城地下だろう。

 地下は一階よりも冷えた空気が地を這いずっている。

 足下から背中まで登ってきて、首筋の産毛を逆立たせるくらいに。

 地面に直接座っていると、よりその冷たさが際立ってくる。

 あんまり長く座っていたくはないな。


「ふう……」


 精神の疲労が激しい。

 先ほどの戦闘で様々な奇蹟を使ってしまったし、今も自分の怪我を治す為に奇蹟を使っている。

 もうそろそろマナの残量が厳しい。


「はっ、ここは!?」


 アーダルが飛び起きて周囲を咄嗟に警戒する。

 高い所から落ちたというのに、どうやら怪我らしい怪我はしていないみたい。

 忍者の身体能力の高さには恐れ入る。


「おはようアーダル」

「ノエルさん、無事でしたか」

「無事ではなかったけど、なんとかね」

「くそっ、こうしちゃいられない」


 アーダルはすぐさま牢屋を出ようと扉に飛びつかんばかりの勢いで走りだそうとする。

 完全に気が動転しちゃってるな、これ。

 わたしはアーダルの後ろ襟首をつかんだ。


「ぐえっ、何するんですか!」


 文句を言われるのも構わず、平手打ちをかます。

 頬を打つ音が牢屋に響き渡る。

 呆然と頬を抑えながら、わたしを見るアーダル。


「ちょっとは落ち着きなさい。泡食って出て言ったら死ぬわよ」

「でも、でも、ミフネさんたちが心配で!」


 実はわたしもパーティが分断されている事態には驚いているのだけども、アーダルの慌てっぷりを見て、なんだかかえって冷静になってきた。

 子供に言い含めるように、ゆっくりとわたしは諭す。


「あの人はね、一人でもずっと迷宮を歩き通して来たのよ。わたし達なんかよりよっぽど生存の可能性が高いわ」


 さっきまで油断してたし、一人心配なのが着いてるけども。

 とはいえ、宗一郎が生存に全力を傾ければ、それこそ迷宮の中でも一人で何日でも生き延びる事が出来るだろう。

 それくらい準備に余念はなく、あらゆる想定をしてから探索に臨んでいるはず。

 何より宗一郎は、今まで死んだことがないのだから。

 わたしはその生存力を信じて居る。

 

「だから、まず状況を把握して休みましょう。わたしのマナはもう大分消耗しちゃって、あと何回奇蹟を唱えられるかわからない。それとも一人で出てく?」

「……わかりました」

「ここで死んだら元も子も無いからね。宗一郎と再会したいなら、まずはわたし達が生き延びる事を第一に考えなきゃ」


 そう、生きていればいつかは会える。

 死んでしまったら、あとは運否天賦に任せるしかない。

 わたしが蘇る事が出来たのはひとえに宗一郎の努力のおかげでもあるけど、神様がわたしに再び生きるように慈悲を与えてくれたのだとしか思えない。

 わたしは死の淵にあり、冥府に旅立つ寸前だったのだから。

 

 もちろん生き延びる為には最善を尽くす必要がある。

 神はただ祈っているだけの者には救いの手は差し伸べない。

 自分で自分を助ける者にこそ、神は微笑みを投げかけるのだから。


「でも、流石にこんな人の骨が一杯あるような牢屋で休憩するのは、落ち着きませんよ」

「それは確かに。ここに何かないか確認しだい、出ましょうか」


 とは言っても、牢屋には人の骨以外に見るべきものは何も無さそうだった。

 そういえば、一緒に落ちて来た宝箱の残骸もあったけど、その中に入っていたのはやっぱり人骨で、あの宝箱そのものがトラップだったみたい。

 アーダルはそれを知って、更にがっくりと肩を落とす。


「罠に対する感覚、大分鈍っちゃったなぁ」

「戦闘訓練ばかりしてたからじゃない?」


 宗一郎の言葉では、そもそも忍者とは諜報や破壊活動、暗殺を主とした任務に就く人の事を指すらしい。

 戦闘を行う事は勿論あるけど、それは任務の中の一つでしかないと。

 そう考えると、西方大陸における忍者の在り様は随分と変わってしまっているように思える。

 物事が伝わっていくうちに概念が変わっていくのは仕方が無いんだろうけどさ。


「アーダルには色んな役目があるんだから、一つにだけ固執しちゃ駄目よ」

「……了解です」


 唇を尖らせてあからさまに不満そうな顔だけど、実際そうなのだから仕方ない。

 鈍ったとはいえ、以前として罠解除やトラップ探知にはアーダルの手腕と感覚がこのパーティの中では誰よりも鋭敏なのだから。


「牢屋の中、人骨以外は特に何も無さそうね」


 そう言った瞬間、どこからともなくうめき声が聞こえてくる。

 白く冷えた空気が立ち込めてきた。


「やっぱり何かいるに決まってますよね」

「こんなに死体があるなら、そりゃ怨霊もって事ね」


 ずるりと、わたし達の真向いにある壁から怨霊は姿を現す。

 青白い霊の群れは、しかし壁に縫い付けられたかのように動かない。

 いや、動けないのだろう。

 怨霊は恨み言や憎しみの叫び、嘆きの声を上げながらこちらを見ている。

 どう見ても戦士や魔術師と言ったようないで立ちの人ではない。


「どういう霊なんですか、あれは」

「恐らくこの牢屋に捕らえられた一般人の霊かな」

「ここを統治していた領主はまつりごとに興味を失ったんじゃなかったんですか」

「興味を失ったとしても、自分に歯向かう連中は面白くないでしょう」

「いくらなんでも酷すぎますよ!」


 アーダルはぐっと歯ぎしりを立て、拳を握りしめた。

 正義感が強い子ね、いいじゃない。


「わたしがここに落とされたのも、神の思し召しかもしれないわね」


 数百年経ってもなお昇天できず、現世に縛り付けられた哀れな彼ら。

 わたしは怨霊の近くまで行き、ディスペル解呪を祈る。

 光の柱が降りて霊たちに降り注ぐと、呪いのくびきが解かれて彼らは壁から離れる事が叶い、光に導かれて上っていく。

 現世に縛られる事からようやく解放された彼らの顔には、ホッとしたような微笑みが浮かんでいる。


 彼らに安らぎあれ。

 

 怨霊たちが昇天すると、いままで壁にもたれていた人の骨が崩れた。

 呪いが解けたからかもしれない。

 そう思っていた自分が甘かった。


「ノエルさん、しゃがんで!」


 アーダルが叫ぶ。

 声に従って反射的にしゃがみこんだわたしの頭上を、何かが通りすがった。

 その何かは壁にぶつかるかと思いきや、壁を蹴って反転し、わたし達の眼前に立ち塞がる。


 人骨に寄生した、あのグロテスクな寄生体だ。

 他の死体の中に埋もれていたのか。


「骨にまで寄生するのか、あいつ」

「どうしよう?」

「僕たちでやるしかないですよ」


 アーダルは武器を仕舞い、即座に気を発して両腕を覆った。

 しかしその表情は硬い。

 わたしも固唾を呑み込みながら、モーニングスターを構える。


 人骨の寄生体はまるで本当に笑い声をあげているかのように、かたかたと顎骨を鳴らした。

 

 絶対に生きて宗一郎たちと合流するんだから。

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