外伝三話:影法師

 宗一郎が行くと言った馬小屋に向かってみたら、当の本人は既に居ない。

 居るのは本来の住人たる馬だけだった。


「何よ。馬小屋に行くって言ったのに居ないってどういうわけ?」


 毒づいても仕方が無いが、つい口に出したくなってしまう。

 馬は見慣れない人が近づいたためか、興奮気味にいなないている。

 動物は好きだけど、ここの馬はちょっと気性が荒くて好きじゃないのよね。

 宗一郎は多少のじゃじゃ馬の方が戦場では役に立つ、って言うけど。

 

 馬房の中には馬が入っていない所があり、そこを間借りする形で冒険者は泊まっても良い事になっている。

 もちろん馬房が空いてなければ泊まれないけど、大概どこかは空いているものだ。

 環境が良くない分、無料で寝泊まりしていいと宿の主人は言うけれど、宗一郎は長期利用しているからか、一月に一度料金を払っている。

 彼が寝泊まりしている馬房では最低限ながら彼の生活用品が置かれている。

 煮炊きをする鍋やフライパンが藁の上に転がり、洗った衣服を干した洗濯ひもが壁と壁にかけられて居たり、寝起きをしている藁の上にはシーツ代わりの端切れを縫った布が掛かっている。

 そのまま使うのでは虫が湧くから、防虫効果のある薬草を燃やして寝具となる布や藁を燻しているからか、薬草の独特の匂いが部屋には残っている。


「何処に行ったのかしら、全く」


 馬小屋の主でもある、冒険者の宿の主人を探す。

 冒険者は何処に行くかはだいたい主人に報告してから出るようにしている。

 誰かが訪ねてくる事はよくあるから。

 

 冒険者の宿は思ったよりも原型を残していたけど、至る所が崩落していてやっぱりしばらく営業はできそうにない。

 泊まり込んでいた冒険者が瓦礫の中から自分の荷物を探しているのを、ぼんやりと瓦礫の上に座りこみながら眺めている無精ひげのおじさんがいた。

 これからどうやって宿を直していくのか、お金は何処から調達すべきか、おそらくそればかりを考えてため息を吐いている。


「こんにちは、主人さん」

「……おう、誰だい。何だノエルか……ってノエル!?」


 主人は驚いてわたしを二度見した。

 半ばもう居ない者と思われていたのだろう。

 顎が外れんばかりに口を開けている所からも見て取れる。


「亡霊でも見たのかって顔ね」

「い、いやあ……まさか本当に宗一郎は蘇らせるとはね。東国の男は何を考えているのか読めない顔つきだったが、奴の愛は本物だったわけだな、うん」

「宗一郎だけど、どこに行ったか聞いてる?」

「あいつなら、今月の馬小屋の家賃払った後に鍛冶屋に行くって言ってたよ。打刀と野太刀、防具の手入れしてもらうとさ」


 なるほど。道理で既に馬小屋から姿を消しているわけだ。

 前衛を務める戦士たちは、なにより自らの武具の手入れを大事にしている。

 命を預け、それで糧を得るのだから当然だけども。

 それで、宗一郎が一旦鍛冶屋に足を運ぶと長い。

 と言うのも、珍しい武具を見ると試したくなったり、手直ししてもらった武具の感触を確かめる為に中庭の道場みたいな所で試し切りしたりするからだ。

 特に東国の刀がブリガンドさんの店に流れてくると、必ず情報が宗一郎に伝わるようになっているので、そんな日は宗一郎は半日は鍛冶屋に入り浸っている。

 わたしがレオンさんの店に行くと半日はアクセサリーを値踏みしているのと同じだと思うけど、興味のない物を興味津々で眺めている人の横に居るほど辛いものはない。

 鍛冶屋にわたしが行った所で、きっと退屈を噛み締めているだけになる。

 わたしもメイスや盾、胸当てを手入れしてもらう事はあるけども、そこまで武具に思い入れはない。わたしの手に馴染み、体に合うものであれば何でもいい。

 

 いずれにせよ、宗一郎は夜まで帰ってこないだろう。

 わたしも冒険の為の準備を進めるべきだとは思うが、その前に一つ思い付きがあった。


 アーダルに会いに行こう。

 

 今のちょっと気まずい状態のままで冒険に出かけるのは、連携の面で言っても良くない。

 多少は仲良くなっておかないと、今後に差し支える。

 レオンさんの店に行って、あれこれどれが好きかって話し合えば少しは仲良くなれるんじゃないか。

 おぼろげな期待感を持って、わたしはアル=ハキムの店に向かう。

 いつでも賑わっているアル=ハキムの店に入り、店員に尋ねる。


「アーダル、ですか。失礼ですが貴方はどちら様で?」


 怪訝な目で店員がわたしを見つめる。


「わたしはノエル=ファスティアです。三船宗一郎のパーティの仲間です」

「ミフネ様のお仲間ですか。成程。それでしたらこちらにどうぞ」


 信用されたのか、店員に案内される。

 仲間と言うだけで信用されるって宗一郎はそれだけ信用があるのかしら?

 もし仲間じゃない奴が仲間って言ったらどうするつもりなんだろう、と思ったけど、アル=ハキムの店の事だし有名な冒険者くらいは把握してるのかも。


 案内された先は、店員が休憩するバックヤードの通路だった。

 バックヤードに入る扉の横を、店員は丁寧に壁を探っている。


「此処に何が? アーダルは自室に居ないのですか?」

「まあ、焦らないで」


 そうして何も無い壁を押すと、壁がするっとせりあがって奥に続く通路が見えた。


「隠し扉ね」

「ご案内します」


 通路は魔光灯によって煌々と照らされていて明るい。

 さらに先へ進むと、行き止まりの所にはエレベータがあった。

 乗り込んでしばらくの間、下に降りていく。

 やがて地の底へと降りたのかと錯覚するくらい降りて行った時に、チンと唐突に音が鳴った。


「これより先は我々は入れません。おひとりでどうぞ」


 開いた扉の先には、やはり長い通路が待ち受けていた。

 魔光灯の青い光が煌々と照らす通路は、左右に牢屋らしき鉄格子の扉があって、時折鉄格子には血錆びのようなものが所々に付いている。

 一人でこんな所歩きたくないんだけどなぁ。

 

 しばらくとぼとぼと歩いていくと、見える大扉の向こうから音が聞こえてくる。

 何かがぶつかり合う音と叫び声? みたいなものが。

 入りたくないなぁ。

 でもこの先にアーダルがいるみたいだし、お邪魔するしかないか。


「こんにちはぁ……」


 そっと大扉を開けようとしても、錆び付いているのかぎしぎしと音をたてるものだから誰かが来たって丸わかりだし。

 でも、中に居る人たちはわたしが立てる音なんて気にもしない程の集中力を保っている。

 入った先は闘技場で、観客はわたし以外には誰も居ない。

 いや、一人居た。

 いつの間にかわたしの横に立っている、浅黒い肌とサファイアのような綺麗な目をした、漆黒の忍び装束に身を包んでいる人。

 じろりと彼はわたしを見た。


「誰だ。ここはアサシンギルドの領域だぞ。みだりに入っていい所じゃない」

「ノエル=ファスティアです。ここに入る許可は頂いています」

「ああ。宗一郎の彼女か。本当に生き返ったんだな」

「よくご存じで」

「あいつは一時期、アサシンギルドのターゲットだった。そりゃ調べるさ、ことごとくな」

「宗一郎はギルドに何か恨みを買っていたの?」

「あいつが俺たちの仕事の邪魔をするものだから、うちの団員を差し向けたんだよ。そうしたら返り討ちに遭いまくってな」

「宗一郎のその時の仕事って、確か死体回収業でしょ? 貴方たちと何か競合するような事なんてあったかしら」


 そう言うと、忍者の男は大きなため息を吐いた。


「わかってねえな。せっかく迷宮の中で、ターゲットを魔物の仕業に見せかけて殺したのに、それを回収されて蘇生されたら仕事にならないんだよ。他の回収業者は俺たちの仕事を知ってるからあえて回収しなかったが、宗一郎はどんな遺体でも持ち帰って来るからな」

「それだけ必死だったのよ、彼も」

「……とはいえ、俺たちも仕事だ。仕事の邪魔になる奴は排除する。それは仕方のない事だろう」

「でも宗一郎は殺せなかった」


 わたしが言うと、忍者は苦々し気に吐き捨てる。


「俺か影法師が行けば、少なくとも相討ちにはなっただろうがな。だが、最終的にはハキム様との取引で宗一郎は殺さない事になった」

「ハキムさんは随分と優しいのね」

「違うな。これ以上ギルドのメンバーが減ったら存続の危機だったからだよ。あの人は情じゃ動かない。冷徹な程に利でしか判断しない」

「ふうん」


 昨日の夜、宗一郎にわたしが蘇るまでの顛末を聞いていたけど、やっぱりそうだったんだ。アル=ハキムはアサシンギルドの首領で、ギルドは度々宗一郎と衝突していたというのは本当だったのがこれできちんと確認できた。

 まあ、ある程度冒険者やってればサルヴィの街を暗躍する暗殺者の影と、それを統率しているのがアル=ハキムじゃないかという噂は自然と知れるわけだけど。

 噂や流言ではなく、ちゃんと自分の目と耳で確認できたのは非常に大きい。

 アサシンギルドなんてロクなものじゃないから、滅べばよかったのにな。

 ちょっと残念。

 

 でも、三船宗一郎はやっぱり強い。

 それを再確認できたのは、なんだか無性に嬉しかった。

 小躍りしたくなるけど、場所と雰囲気がちょっとあれなんで流石に自重する。

 後で部屋で歓びの舞でもやろう。


 あとは忍者とも特に話す事も無くなったので、わたしは闘技場の中央で行われている戦いを見る。

 

 アーダルが誰かと戦っている。

 必死の形相で、相手に食らいつくように追いすがっている。

 何度も何度もハンドアクスと脇差しを振り、空振ってもなお当てようと相手を見極めようとしている。

 それに対して、相手は澄ました顔で激しく動いているのに息切れもしていない。


 アーダルの相手をしているのは、この忍者の人が言っていた影法師なる人物なのだろう。

 恐らく人間であるはずなのに、ひどく人間離れした印象を受ける。

 と言うのも、彼の背後には禍々しい程の負のオーラを感じるから。

 怨嗟の叫びや恨みのすすり泣き、憤怒の唸り声が地の底から響いてくるような感触を覚える。

 人から人ならぬ存在になろうとしているのか、彼は鬼のような顔つきをしている。

 まるで戦い以外、全てを棄てたような求道者のようにも思えた。

 

 彼が特異なのは、武器を何も持っていないところだ。

 東国の僧兵の中には、武器を持たずただ己の肉体のみを用いて戦う者もいるらしい。

 果たして彼がそうかはわからないけど、自らの腕に巻いているのは荒縄だけ。

 鎧も足甲も着けていない。

 東国の修行僧が着ているような道着だけだ。

 荒縄は自らの拳の保護にはなるだろうけど、硬い鎧やウロコを持った相手には通じないはず。


 しかし、その拳には紫色のオーラが纏われている。

 掠っただけでもアーダルの頬に切り傷が出来るような鋭い拳。

 蹴りにも同様のオーラがあり、アーダルはお陰で避ける行動しか取れていない。


「まだまだだな。やはり影法師を相手にするには実力不足か」


 止めようかと忍者が一歩踏み出した瞬間、それは起きた。

 アーダルが繰り出したハンドアクスの一撃が影法師の胸を抉ったのだ。

 出血が砂の地面に滴り落ちる。

 その血の色は赤よりも暗い。


「……やるな、小娘」


 その時、影法師なる男は笑みを浮かべた。

 飢えた獣が獲物を目に捉え、口の端に浮かべるような獰猛な笑みを。

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