外伝二話:大穴から現れたもの
サルヴィの街を足早に駆け抜ける宗一郎。
その後を追う私たち。
サルヴィの街は何かの墜落のお陰で惨憺たる有様になっている。
元々地震などが少ない土地柄の為に、建物は強度があるような作りにはなっていない。
築年数が経過した古い建物は崩れてしまっている。
新しい建物でも、丈夫でない安普請の建物はひび割れてしまっていて、中にこのまま住み続けるには不安を覚えてしまう。
窓ガラスが壊れたくらいなのはイブン=サフィールやアル=ハキムの店のような、ちゃんとした建物くらいだけど、それでも震動で中の物は滅茶苦茶になっている。
わたし達が無事なのは不幸中の幸いだった。
冒険者の宿に居た人々は無事だろうか。
顔なじみも何人かいるだけに心配は心配だけど、今はそれ以上に迷宮がどうなっているのかが気になった。
魔物が驚いて地上まで上がってきてなければいいのだけど。
それにしても、わたしは元々足が速くないからともかく、なり立てとは言え忍者であるはずのアーダルを置いていく宗一郎の健脚ぶり。
どんどん宗一郎の姿は豆粒のように遠くなり、見えなくなっていく。
こうなると追いつくのは無理なので、わたしは駆けて行くのをやめてゆっくりと歩く事にした。
「遅いぞ。特にノエル。走ってくるのを途中でやめたな」
「宗一郎が速すぎるだけよ。わたし達に合わせてくれなきゃ」
「まあ、それよりもこの現状を見てくれ。どう思う?」
宗一郎が視線を向けたその先には、迷宮から少し離れた横の所にぽっかりと大穴が大口を開けていた。
流石にサルヴィの街中に震動が響き渡り、衝撃で建物にも被害を与えただけにわたし達以外にも街中から野次馬が来ている。
冒険者、住民、街外れのスラムや迷宮内部に棲みついているはずのならず者たち、そして警備の兵士。
誰もが穴を覗き込んでは好き勝手なことを口にしている。
しかし確かなのは、周囲に何も無い砂漠に何かが落ちて来たという事実。
まだ魔物は地上には上がってはいないようだ。
わたしは宗一郎の問いに答える。
「どう思うって、途方もなく大きい穴ね。幅は人間百人居てもまだ足りないかな」
「底が見えないですね。どのくらい長い縄梯子を用意すれば降りられるのか、想像もつかないです」
「小石を投げてみるか」
宗一郎はそこらに転がっていた石を掴み、大穴に投げ入れてみた。
あっという間に石は虚空に吸い込まれ、その後の残響は響いてこない。
数分経っても穴から聞こえるのは空気の流れだけだった。
「やはり、余程深い穴であるのは間違いないな」
「それでどうするの? 何かが落ちたのはわかるけど、わたし達だけで調査は無茶よ」
「ひとまずは王に情報が伝わるまで待つしかあるまいな。その後、何らかのお触れがあるに違いない。兵士たちが調査するのか、あるいはギルドに依頼が来るのかわからぬが、いずれにせよ大規模にやらなければ終わらぬ」
ああ、と宗一郎はひとつ舌打ちをした。
「これだけの衝撃を受けたのなら、迷宮の構造が変わってるやもしれん。これは面倒な事になったぞ」
「迷宮って構造が変わるものなんです?」
「普通なら有り得ぬがな。サルヴィの迷宮ではときたま起こるのだ。かつて高名な魔術師が研究の為に造り出した由縁のせいか、あるいは迷宮に満ちているとされる
「それで、構造が変わるとどうなるんですか?」
「まあ、まずそれまで作っていた地図は役に立たなくなるな。以前は無かった水脈が現れたり、熔岩が噴出したりしているかもしれぬ。それに加え、地形変動によって魔物の縄張りも変わる。深い階層に居たはずの魔物が浅い階層に追いやられたりな。
「何故か地下五階にドラゴンゾンビ、いますもんね」
「まだ討伐されてないの? あれ」
「イル=カザレムは今現在、竜を倒せるだけの実力を備えた上級冒険者が少ないからな。かつてはそれなりに揃っていたんだが、加齢での引退、冒険中の不慮の事故や魔物による死、国外に出て行ったりして一気に減ったものだから
「なるほどねえ。だから迷宮の深層探索も中々進まないわけだ」
「ああ。迷宮の奥深くに潜るには竜のみならず、巨人の群れや
ちなみにわたしや宗一郎はギルドによるランク付けだと上級に位置する。
ランク分けは上から特級、上級、中級、下級、更にその下に初級とある。
ドラゴン殺しや厄介なヴァンパイアの排除は上級以上でなければ手を出すな、とはよく言われている。
「宗一郎でも無理なの?」
「流石に俺一人では如何に腐って本来の力が出せぬとはいえ、竜は竜だ。あれを一人でやるには相討ち覚悟でやらねばならん。幸いな事に、地下五階に縄張りをつくってからは動きを見せていないがな」
宗一郎がそう言った瞬間、大穴から吐き気を催す程の腐臭が立ち込めて来た。
穴の付近に居た人は耐えきれずに、胃の中身を吐き出している。
「うわっ、何ですかこの臭い」
アーダルも耐えられず、下げていた口布を上げて腐臭を防ぐ。
しかめ面の宗一郎は、何やら覚えがあるのか冷や汗を流していた。
「この腐臭、おそらく
「ってことは、落下物は最低でも地下五階にまで届いてるって事!?」
戦闘態勢、という宗一郎の言葉と共にわたし達は武器を構える。
宗一郎は大型の魔物に対して使用する、野太刀と呼ばれる大振りの東国の剣を。
アーダルはハンドアクスに脇差という、宗一郎と同じく東国の短剣を持った。
わたしは、金属製の円い小盾にトゲの付いたメイス、すなわちモーニングスターを構えた。
小盾とモーニングスターにはカナン大僧正による祝福が掛けられている。
祝福は装備している者を少しずつ癒す力があり、かつこの世の理に反する存在に対して大きな効果がある。
即ち、スケルトンやゾンビや亡霊、ヴァンパイアと言った不死の者やレッサーデーモンと言った悪魔などに対して有効打を与えやすい。
わたしは腕力と体力に優れた僧兵と違って直接攻撃にはそれほど自信はないけど、それでも前に立って戦うだけの覚悟は持っている。
癒すだけが僧侶じゃない。
弱き者の盾になり、守るのも僧侶の役目だから。
「来るぞ!」
宗一郎が叫ぶとともに、より強い腐臭が穴から上がって来る。
果たしてドラゴンゾンビは地上に上がるつもりなのか。
穴からおぞましい竜のなれ果てが姿を見せる。
その飛翔の姿だけは、かつての竜の面影が残っていた。
だけど竜は地上に降り立つことなく、穴から大空へと飛んで行き、いずこへと消えていった。
南西の方角に飛び去った竜。
穴の周囲に居た人々は、誰もがひとまずはほっと胸をなでおろしていた。
「とりあえず街に降りなくて良かった、ってところかしら」
「そうだな。しかし
「イル=カザレムから国外に行くかもしれないしね」
「いずれにせよ、討伐のお触れが出るんでしょうかね?」
「だろうな。王やギルドからの情報があり次第、動けるように準備をしておこう」
そう言うと、宗一郎はさっそく自分の本拠にしている馬小屋に戻りたいとその脚で向かっていった。
宗一郎は一度決めると行動が速い。
彼らしいと言えばらしいのだけど、わたしとしては残念だった。
もっと宗一郎とゆっくりと一緒に過ごすだけの時が欲しかったのに。
せっかく蘇ったばかりなのだから、もっと二人でただ買い物や食事を楽しみたかった。
もっとゆっくり考えてもいいじゃない、と思うんだけど、宗一郎に言わせれば軍神は拙速を尊ぶとかなんとか言っていた。
確かに何事も早く手を付けるのは大事だけど、熟慮も同じくらい大事なはず。
でもこれは種族差なのかもしれない。
わたしはハーフエルフだ。
ハーフエルフはエルフほどではないにせよ、寿命は長い。
もちろんそれ以上に長く生きたハーフエルフも居る。
エルフやダークエルフともなれば千年くらいは生きるとも言われているし、それだけ人生における時間が長いと、悠長に考えていられるのかもしれない。
だからエルフやハーフエルフは気が長く、保守的な気質の人が多いのだろう。
逆にわたしやレオンのように
ただしダークエルフは例外で、彼らはむしろ他種族との交流を好み、貪欲に様々なものを取り込みたがる。
わたしは彼らの性質を好ましいと感じている。
そんな事を考えていたら、背後に立っていたアーダルがぽつりと言った。
「僕もひとまず自分の寝床に帰ろうと思います」
「あら、そうなの? いつもどこで寝ているのかしら」
「前は冒険者の宿でしたけど、今はアル=ハキムさんの所で部屋を貰いました。何か連絡があったらハキムさんの店に言伝をしてもらえれば」
「わかったわ」
「ノエルさんは?」
「わたしは、そうね。とりあえず宗一郎の所に行くわ」
言うと、アーダルは口をとがらせる。
「そうですよね。恋人ですもんね」
アーダルはくるりと背を向けて、一目散に駆け出して行った。
さて、どうするべきかしら。
わたしはもちろん宗一郎を愛している。
どうやら彼女も同じみたい。
譲るつもりは一切ないけど、これから仲間としてやっていく以上、アーダルには変な気持ちを抱いてほしくはない。
背後からぶっすりと刺されるとか、寝首を掻かれるとかは御免被りたい。
人間関係はいつだって難しい。
冒険者パーティが崩壊する一因が、仲間内でのもめごとだ。
どんな仲間とでも上手くやっていける方法があるのなら、わたしは何時だって今持っている財産を全部あげてもいい。
でもそんなものは何処を探したってないんだ。
海よりも深いため息を吐いて、わたしは宗一郎が居るであろう馬小屋に向かって歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます