第八十話:聖女は現世に蘇る
異常に間の抜けた声が聖堂に響き渡る。
聖堂の入り口を見ると、なにやら見知らぬ男が立っていた。
彼は両手に布で包まれた箱を持っている。
「貴方は一体?」
カナン大僧正が尋ねると、つかつかと祭壇の前まで歩いてきて、箱の布を取り払った。
その箱は「預言者の右腕」が入っている聖櫃と同じ紋様と装飾が刻み込まれている。
運び手が箱に付いている錠を鍵で外し、蓋を取る。
中からは干乾びた誰かの左腕が姿を露わにした。
「これは……預言者の左腕では」
カナン大僧正が驚きの声を上げる。
この聖遺物を持っているのは、隣国のシルベリア王国だ。
運び手は微笑みながら言った。
「女王よりミフネ様に言伝です。神の祝福が貴方にあらんことを、と」
マルヤム女王。
粋な真似をしてくれるじゃないか。
預言者の右腕には強力な祝福があるが、左腕にも同様の祝福が掛かっている。
左右揃えばもちろん効果は二倍だ。
安心はできないが、いくらか俺の気持ちは楽になった。
「おっと、それともう一つありました」
運び手が懐から取り出したのは、光り輝く石だ。
宝石のような光の反射による煌めきではなく、中に
光の色は青白い。
魂の色に似たそれは、冒険者たちからは忌まわしき名前を付けられている。
「生贄の魔石じゃないか。何故こんなものを女王は持たせたのだ?」
「さて、運び屋の私にはわかりません。女王様は何物にも使い道はあるものだとだけ仰っておりましたが」
そう言って運び屋は去って行った。
こんなものに使い道があるだと言うのか。
何も知らない冒険者が宝だと思ってこの石に内包された力に触れ、灰になったと何件も報告があるというのに一体どういうつもりなのだろう。
一説には神がいたずらの為にただの石に
とにかく懐に入れておく。
何の役に立つのかは知らぬが、賢者の知識を得た女王が持たせたのだ。
何かしらの意味はあるはず。
「では、二度目の儀式を行います」
カナン大僧正は衣服を着替え、更に追加の聖水を幾度となく遺体の周辺に振りかける。
聖歌隊が再び歌を唱歌しはじめる。
『主よ。迷える子羊の我らを憐れんでください。我らが願いを、嘆きを、その耳で聞き届け、その目で見て下さい。我らは生死の境を漂う無力なもの。我らに今一度、慈悲を下さい。そして不断の光明を、我らに照らしますように』
歌と共にカナン大僧正はひざまずき、祈りを再度捧げ始めた。
組んだ両手には血管が浮かび上がり、額には玉のような汗が浮かんでいる。
――天におわす我らが神よ。哀れな子羊である我らに今一度、更なる慈悲を御示し下さい――
大地に囁き、神に祈り、慈悲を請うように更に天を仰ぎ、念じる。
――
奇蹟の名が響き渡る。
しかし、光は発されない。
光の柱が天から降りてくることもなく、天使がやって来る事も無い。
無情にこだまが響き渡るのみ。
そしてノエルの灰となった身体が、崩れ落ち始めている。
「まさか、ロスト……?」
アーダルが呻く。
失われたもの。帰ってこないもの。
肉体は土に還り、魂は天へ、或いは地獄へと行く。
マディフ王がそうであったように。
ノエルもそうなるのか。
ノエルの形を取っていた灰は、崩れ落ちて
馬鹿な。
何のために、おれは!
「あああっ!」
叫びをあげ、衝動的に懐に入れていた生贄の魔石をノエルの寝ている
瞬間、内包されていた
「うおっ」
「うわっ!」
「むうっ」
青い奔流はノエルの
やがて奔流が消えると、崩れ落ちて形を失ったノエルであった灰は時を巻き戻すかのように、ノエルの肉体の形を取り戻していた。
形を保っている、と言う事はまだ魂の戻る余地が残っている事を示す。
誰もが目を丸くし、失ったはずの肉体が目の前に在る事を疑った。
しかし確かに存在しているのだ。
生贄の魔石の欠片は力を使ったためか、もはや光を失って只の石にしか見えなかった。
「これは一体……いや、そうか、そうなのか」
頭の中に疑問符が浮かぶ中、一つの結論を俺は見出した。
生贄の魔石は、本来は消失するはずであった存在を、現世に引き戻す為の道具だったのだ。
完全に昇天するまでは魂は天界と現世の狭間の世界にいると聞く。
蘇生の奇蹟は狭間の世界から魂を呼び戻す奇蹟である。
魂が天界か地獄へ行ってしまうと、もはや蘇生はかなわない。
肉体を失ってしまうのも、魂が帰ってくる場所がないのでやはり蘇生は無理だ。
しかしこの魔石を使えば、肉体を灰とは言え現世に復活させ、かつ魂を天界から狭間の世界へ引き戻すのだろう。
生贄の魔石は、本質は神の奇蹟を体現するまさに神の御業であったのだ。
しかし生者に使うと強大な力の奔流を浴び、灰化してしまう。
本来の用途はいつの間にか忘れ去られ、いつしか罠の道具として扱われていくようになったのであろう。
賢者の持つ知識には本当に感心させられる。
「カナン大僧正、三度目の儀式を行う
「ああ。今度こそ彼女を蘇生させようではないか」
カナン大僧正の疲労の色は濃い。
無理を言っているのはわかっている。
だが俺もサルヴィの寺院には多大な寄付をしてきた自負がある。
一度くらいは我が儘を言ってもいいだろう。
合図とともに、聖歌隊が三度目の讃美歌を歌い上げる。
『主よ。死せる者の魂を底知れぬ洞穴より解放してください。災いをもたらす怪物から解放してください。冥府が彼らを呑み込ませぬように。彼らが暗闇に落ちませぬように。死者を聖なる光の中に迎え入れてください』
歌声の最中、大僧正は崩れ落ちるようにひざまずき、血がにじむ程に唇を噛み、汗を流しながら叫び声に近い祈りを上げる。
――天におわす神よ。哀れなものを、哀れな我らを、哀れな子羊を何故お救いならぬのですか。神よ、神よ。今一度、今度こそ、更なる恵みと慈悲を下さい。たとえ私が冥府に落ちようとも、救いを下さい――
大地にすがり、神に祈り、懇願するかの如く頭を上げ、天を睨み、念じる。
――
三度、奇蹟の名は唱えられる。
その時、天から光の柱が差し込まれ、更に何かが舞い降りて来た。
それはノエルの魂。
青い半透明の儚き存在は、やがて目を開けると目の前に俺が居る事に驚き、次いで微笑んだ。
涙を流しているようにも見える。
俺が頷くとノエルも頷き返し、するりと灰の肉体に入り込んだ。
魂が入り込んだ肉体はやがて光を発し始め、体中が眩い青い光に包み込まれる。
眩しくて直視できないくらいの光で、周りにいる全員が目を手で覆っていた。
やがて光が徐々に弱くなり、完全に消えうせる。
光の中から現れたのは、完全に肉体を取り戻したノエルの姿。
彼女は大きく息を吸い、吐き出した。
俺は彼女の首筋に指をあてる。
脈の拍動を指先に感じた。
そして、あたたかい。
体温を感じる。
生きている。
生きている!
やがて目を開けたノエルは、上半身を起こして周囲を見回し、俺を見た。
「おかえり、ノエル」
彼女は声にならない声を上げて、俺にすがりついて泣いた。
「ただいま、宗一郎」
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