第七十九話:不安
眠っている彼女を迎えに行く。
これほど心待ちにしていた瞬間は無い筈だ。
なのに、寺院に向かおうとする足取りは酷く重い。
「どうかしました?」
先を行くアーダルが、振り向いて窺う。
忍びの装備は軽さを信条としているが、流石に急所は金属の防具で守っている。
胸当て、籠手や脛当てなどがそうだ。
修行をしたおかげで体力と筋力が相当付いたのであろう。
前は金属の鎧を着るだけでも重そうにしていたのに、今やその影は見られない。
「いや、何でもない」
「何でも無い筈がないでしょう。浮かない顔して」
「浮かない? 俺が? ようやく想い人を蘇らせる時が来たんだぞ。嬉しくない訳がないだろう」
口にしながら、それは嘘だと瞬時に気づいていた。
本当は、怖い。
蘇生の儀式に絶対はない。
先日も述べたが、死者が蘇生できるかは生命力がどれだけあるかに掛かっている。
シルベリア王国のマディフ前王があまりの高齢で生命力を失っていた為に復活を果たせたなかったのは記憶に新しい。
その時の儀式の様子を俺も見ていたが、
更に灰状態からでも復活できる
脳裏によぎるその時の光景。
もしそれがノエル=ファスティアであったら。
考えたくもない。
ノエルは俺と大して年齢は変わらない。
まだ魂も色褪せてはいない。
職業は僧侶だから、神の祝福も受けているはずだ。僧侶は蘇生成功の確率が高いとは専らの噂である。
何より、僧侶は仲間の盾となり時には前衛と立たなければならない場面がある。
生命力や体力はある程度備えているはずだ。
それでも不安は募る。
胃から酸っぱいものがせりあがってきそうだ。
その時、俺の背中がバシンと叩かれた。
アーダルが叩いたのだ。
その顔は何時になく真剣で、真っすぐに俺の目を見据えている。
「しっかりしてください。何のためにいままで頑張って来たんですか」
「そうだな。すまない」
アーダルから喝を入れられ、頭を振った。
どんな結果であっても、それが彼女の信じる神の定めなのだ。
受け入れる心がまえを持つしかない。
「でも、気持ちはわかります。僕も父さんが死んだ時は果たして本当に蘇生出来るのか、不安でした」
「そうだろうな……」
「僕もノエルさんと話しをしてみたいですし、是非こっちに戻ってきて欲しいです」
「俺も話したいよ。本当に」
もう何カ月も彼女と会話をしていない。
たわいもない話しをして、笑い合っていた時が尊い時間だったと今になって俺は気づかされている。
「行こう。足を止めていたら、それだけ彼女が離れていく。そんな気がする」
* * *
サルヴィの寺院に着くと、既にカナン大僧正が聖堂で待っていた。
「ようやく、この日が来ましたね」
「ああ、頼む。……随分と人が集まっているな。それにこんなに祝福の供物があるとは」
いつもの簡素な石の
がっしりとした木製の
祭壇には聖遺物「預言者の右腕」以外にもカナン大僧正が直々に祝福の儀式を執り行ったと見られる供え物が多数置かれている。
金銀の十字架、水晶の聖杯、預言者の血にも例えられる
それに加え、何やら白いローブに身を包んだ少年たちも並んでいる。
彼らは一様に本を携え、熱心にその内容を確認していた。
首には十字架の首飾りを下げており、本にも十字架の意匠が刻み込まれている。
「彼らは聖歌隊です。彼らの聖歌によって、神へより祈りは届きやすくなるでしょう」
神への祈りを歌にしたものが聖歌、讃美歌と呼ぶらしい。
我らが仏陀教の僧による読経と似たようなものだろうか、と最初は思ったのだが、あれよりももっと音楽として体を成している。
彼らの聖歌を聞く為に民衆も集まったりしているようで、音楽とはここまで人の心をひきつけるものかと感心していた。
「それでは聖歌隊の皆さん、準備はよろしいですか?」
カナン大僧正が聖歌隊に振り返ると、少年たちは固唾を飲んで本の最初の項に戻る。
ついにノエル蘇生の儀式が始まる。
俺はもはやノエルの遺体の傍らに立ち、祈る事しかできない。
俺はイアルダト教の信者ではないが、今だけはその神にすがりつきたい。
アーダルも両手を組んで目を瞑り、祈っている。
カナン大僧正が指を振り合図を送ると、聖歌隊の少年は歌い始めた。
朗々と歌い上げる少年たちの声は、どことなく神聖なものを感じさせる。
『天のいと高き所におわす主よ、主の大いなる栄光に感謝します。世の中の罪を除き給う主よ、迷える子羊に憐憫を下さい。我らが願いをお聞き届け下さい。我らは待ち望んでいます。死者の復活を。おっして生命の歓びを再び聞き届けるのを』
カナン大僧正は遺体の周辺に懐から取り出した聖水を掛ける。
そしてひざまずき、祈りを捧げ始めた。
――天におわす我らが神よ。哀れな子羊である我らに今一度、慈悲を御示し下さい――
頭を垂れて大地にひれ伏し、囁き、神に祈り、慈悲を請うように天を仰ぎ彼は念じる。
――
ノエルの遺体ににわかに光が何処からともなく集まり、鈍く輝き始める。
光はしばらく遺体の周囲を漂い、体の中に入っては出てを繰り返していた。
やがて、光は遺体の中に入り込み、輝きが増す……かに思えたのだが。
「……?」
鈍く輝いていた遺体の光は、徐々に消えていく。
次いで遺体は色を失い、質感が変わった。
それはまるで灰のように。
恐る恐る肉体を触ってみると、触った箇所がはらりと崩れ落ちる。
「う、ぐっ」
胃の中から喉までこみ上げるものがある。
此処で出してはならぬ。
必死に飲み下す。
喉が胃酸で焼けるが、知ったことではない。
問題なのは、蘇生が成功なかったという事実だ。
「まさか失敗するとは……」
カナン大僧正が立ち上がり、滝のように流れている汗を拭う。
蘇生の祈りには多大な
落ち着こう。
まだ蘇生が出来ない訳ではない。
灰になってしまっても
だが、魂が肉体を離れている期間が長かったせいで蘇生できなかったのではないかという疑念がどうしても頭に残っている。
実は、蘇生の儀式は死んでから大体一週間以内に執り行われる。
冷凍保存をし続けるという選択肢を取る人はそれほど居ない。
何カ月も長期的に保存された遺体を復活させる、というのは過去の事例には数例しかないらしい。
そしてどれも、失敗に終わっていると。
失敗の二文字が脳裏によぎる。
失敗したら。
失敗、失敗、失敗、失敗。
目の前が暗くなる。
俺はこれほどまでに心が弱かっただろうか。
幾ら強くなったところで、大切な人を失う痛みは何にも耐え難い。
肉体の苦痛に耐えられても、精神の苦痛に耐えられる人間はどれくらい居るのか。
失ってしまう。
今までの苦労が水の泡。
何の為に俺は今まで苦労を重ねて来たのだ。
ノエルを失ったら、俺は何のために。
「ミフネさん!」
誰かの叫び声で、ハッと正気に立ち戻る。
「しっかりしてください、まだあと一回チャンスは残っています」
アーダルだった。
彼女の目にも涙がにじんでいる。
俺の悲痛な顔を見たからか、それとも見知らぬ彼女の為に泣いてくれるのか。
俺の手は震えている。
灰になった彼女に触れた俺の手には、彼女の灰の欠片が残っている。
「次こそは成功させます。何卒、心を平穏に保ってください」
カナン大僧正も悲痛な顔で行った。
単なる信徒である彼らに罪はない。
しかし、彼らの信ずる神は所詮異教徒には慈悲をくれないのか。
いや、ノエルはイアルダト教に帰依しているはず。
では俺が居るから悪いのか。
くそ、思考がまとまらない。
「こんにちは。お届けものですよ」
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