第七十八話:マルクとの別れ

 マルクはきょとんとしながら俺とアル=ハキムを交互に見ている。

 アル=ハキムは首を傾げながら顎に手を当てた。


「その提案はこちらに利があるとは思えぬがね。彼は見る限り、至って普通の子供であろう」


 確かに、アル=ハキムにマルクを預かる理由も義理もない。

 従業員ならそこらの民衆から雇えばいいだけの話だ。

 だからといってはいそうですか、とあっさり引き下がるつもりもない。

 そう思っていると、マルクが俺を見て口を開いた。


「そうだよ。おら商人になる気はないよ。だって商人って強くなれないし」

「じゃあ何になりたいんだ?」

「サムライ! 教祖さまもあんちゃんもサムライでしょ。おらもあんな風に強くなりたいんだ」


 この答えには少し困ってしまった。

 まさか俺や貞綱のようになりたいとは。

 しかしマルクには俺たちのようになってもらいたくはない。

 侍の心構えと剣技、両方を兼ね備えるまでには少なくとも十年は必要だ。

 俺は五歳の頃から貞綱と寝食を共にし、修行に励むことでようやく十三歳の元服目前に侍として戦えると言われるようになったものだ。

 マルクとつきっきりで修行すれば恐らく十年後には立派な侍になれるだろうが、今の俺にはそのような余裕はない。

 冒険をしながら、片手間に修行となれば何十年かかることやら。

 そんな事を考えていると、アル=ハキムが興味深そうに言う。


「教祖さまとは一体誰なんだね?」

「俺の師匠ですよ。貞綱はシュラヴィク教のある一派の教祖でもありました」

「ほう、シュラヴィク教か。そういえば以前、シュラヴィク教の伝道者を名乗る者と会った事がある。名をアフマドとか言ったか」

「え? 伝道者さまと会った事あるの? どうして?」

「アフマドは商人でもあるからな。隣国シルベリア王国からイル=カザレムに渡って来た時、私に商売上の仁義を通すために挨拶に来たというわけだ」

「伝道者さま、商人だったのか……」


 アフマドが商人であったと聞いて、マルクのアル=ハキムを見る目は一気に輝き始めている。


「マルク、伝道者とやらの事は詳しくは知らないのか?」


 俺が尋ねると、マルクは首を振った。


「教祖さまも詳しくは言わなかったし、おらの父ちゃんも母ちゃんも伝道者さまの事は知らなかったんだ」


 貞綱は恐らく教祖をやっている以上、伝道者アフマドに信仰を全て持っていかれてしまうのは避けたい考えを持っていたはずだ。だから必要最小限の、彼がシュラヴィク教を興したと語るに止めたのだろう。

 俺が信仰している仏陀教の教祖は過去に何をしていた、という記録が残っているからこそ、教祖の出自や足取り等を知っているというのもあるが、現在まだ生きているアフマドはそれほど記録がないと考えられる。

 後世に信者が記録を書き起こすまで、彼の仔細全てを知っている者は限られているのかもしれない。


「アフマドは商人をしながら布教もしていると言っていた。私はシュラヴィク教なるものに興味は抱かなかったが、隣国のシルベリア王国は教徒数が増えていると情報が入っている。布教は上手くいっているようだな。イル=カザレムではイアルダト教のサルヴィ寺院の影響もあってか、あまりシュラヴィク教が入り込む余地は無い様だが」

「アフマドは今どこに?」

「最後に会った時は北へ向かうと言っていた。今頃は恐らくイスティンに居るはずだ」


 世界を股に掛け、商売と布教に命を懸ける男。

 信仰に裏打ちされた行動は多くの人々をひきつける。

 

「やっぱり、おら商人になりたいかも」


 もじもじとしながらマルクが言った。

 教祖さまも憧れではあるが、それ以上に伝道者アフマドはシュラヴィク教徒が一番に憧れる存在なのだろう。

 それにしても、先ほどの決意をさっさと翻してしまうのは子供とは現金なものだ。


「商人は物を売る、仕入れる為には何処へでも行く。世界を見るにはうってつけの稼業だ」


 しかし、とアル=ハキムはマルクを見据える。


「我々は利潤を追求する集団だ。君は自分が何か利となる物を我々に提示できるかね?」


 子供にその質問はいささか酷なのではないか?

 口を挟もうとした時、マルクは毅然とアル=ハキムを見上げて答えた。


「おっちゃん、シュラヴィク教についてどれくらい知ってる?」

「一応、アフマドから一通り教義などは聞いたが詳しい事は知らぬな」

「じゃあ、おらたちが祈る時は敷物を敷いたりするのは知らないんだ」

「ほう、なぜ敷物が必要なのかね」

「祈りは決まった時間に捧げる事になっているから、どんな場所でも出来なきゃいけないんだよ。その時には膝を着いて、頭を地面に付けるように祈るから汚くならないように敷物は必要なんだ。祈る時は身は綺麗じゃないといけないんだ」


 その話を聞いたアル=ハキムは机から用紙を取り出し、書きつける。


「他には何かあるかね?」

「そうだなあ。お酒は悪魔の飲み物だから禁止されてる。代わりに甘いものが好きな人が多いね。おらの教祖様はなんやかんや理由をつけてお酒飲んでたけど」


 それを聞いて思わずずっこけそうになった。

 若い時から貞綱は好んで濁り酒や清酒を口にしていたが、宗旨替えをしても酒好きは変わらずか。こちらの土地の黄金色の泡酒はもう飲んだのであろうか。

 

「どうやら、君は我が商店に利益をもたらしてくれそうだな」

「シュラヴィク教徒なら誰でも知ってるよ?」

「イル=カザレムにはほとんどシュラヴィク教徒はおらんからな。今後は我が商店も国内のみならず、国外にも目を向けていこうと思っていた所だ。手始めにシルベリア王国に支店を作ろうと計画していたが、シュラヴィク教徒に向けた商品を揃える為には、マルク君の知識は必要だろう」

「そうなの? それは嬉しいけど」

「加えて、君は侍に興味があるのなら忍者にも興味はないかね」


 アル=ハキムはイシュクルに目を向けた。

 イシュクルは露骨に嫌な顔をしている。

 

「ニンジャってどんな感じなの?」

「技を一つ見せてやれ。派手なのをな」

「……御意」


 しかし彼は主に逆らう術はない。

 イシュクルは印を結んだあと、目を瞑り、叫んだ。


「克!」


 すると、イシュクルがなんと四人に分かれたではないか。

 分身の術か。


「すっげえ! なんだこれ!」

「忍者も極まればこのような術を使えるようになる。ここまでになる為には相当な修行を積まなければならないがね。君にはその覚悟はあるかね」

「ううん……正直わかんないけど、でもニンジャもカッコいいよね」

「そうだろう。ここまでになれとは流石に言わんが、君は世界を巡るのが夢ならば、商売を覚える以外にも強くならなければな」

「うん、わかった!」

「それでハキム様。俺はこのガキにも忍者の技を教えなきゃならんのですか」


 イシュクルが口をとがらせると、アル=ハキムは無言でイシュクルに視線を向ける。

 有無を言わせぬ目だ。

 首を振り、肩を落とす忍び。


「わかりましたよ。もはや俺の仕事は子供のお守りですかね」


 先日戦った時の印象が嘘のように、彼の背中には哀愁が漂っている。

 

「さて、マルク君はうちで引き取るとしよう。しかし万が一にも彼に何かしらの問題があった場合、三船君には落とし前をつけてもらう」

「問題などあるようには思えませんが、殺しや人を陥れるような依頼でなければ何時でも承りますよ」

「言質を取ったぞ」


 アル=ハキムは笑っていた。

 そのような日が来るとは俺も思ってはいない。

 もとよりアル=ハキムの店で働く従業員は皆が優秀で頭の回転も速く、受け答えもきっちりしていて、客が何を求めているかを敏感に察知する。

 もし、アル=ハキムの店で愚鈍な従業員でも居た日には、店の評判は落ちてしまうだろう。

 だからきっと、マルクも優秀な商人に成れるに違いない。


「では達者でな。たまに店に顔を出すし、休みの時には俺の所にも遊びに来てくれ」

「うん、わかったよあんちゃん。おら頑張るだ!」


 番頭に連れられ、マルクはどこかへと行った。

 俺はアル=ハキムと別れの握手を交わしたあと、昇降機エレベータに乗って地上へと戻る。

 長く地下に居たから、太陽の光が眩しい――などという事は無かった。

 アル=ハキムの居室は本当に地上とまるで変わらない明るさだった故に。


「それで、これからどうします?」


 アーダルの問い。

 そんなもの、もちろん決まっているだろう。

 俺はその為に今まで生きて来たのだ。


「眠っている姫を迎えに行くさ。もうだいぶ、待たせてしまったからな」

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