第七十七話:人質はくノ一となりて戻る

 サルヴィの大通りを歩いていくと、商店が立ち並ぶ一角がある。

 そこは日が昇り、沈むまでサルヴィ中の人々で賑わう活気ある場所だ。

 あらゆる出店や商店が揃い、ここにくれば大抵の生活用品は揃うと言われている。

 その中に一際大きな敷地と白い石造りの、宮殿と見間違うほどの建物がある。

 

 アル=ハキムの商店がそれだ。


 サルヴィの街に住んでいるものであれば、誰もが一度は利用したことがあるだろう。

 武器防具はドワーフのブリガンドの鍛冶屋が扱い、貴金属や宝石を利用した装飾品はハーフエルフのレオン=アーヴィンスの細工工房が扱う。

 それ以外の雑貨、日用品、食品などの生活必需品全てを取り扱っているのがアル=ハキムの店だ。

 そしてアル=ハキムにはもう一つ裏の顔がある。

 暗殺者を取り仕切る暗殺教団アサシンギルドの主だ。


 アル=ハキムの商店は今日も人で賑わっている。

 人混みの中をかきわけ、会計を行う為に店員が詰めている空間に行く。

 何人かの店員が忙しそうに客が持ってきた商品を計算している。

 その中で一番身なりが良く、客とは直接やり取りせずに帳簿らしきものを睨みつけながら計算をしている番頭と思しき一人の店員に声をかける。


「三船宗一郎だ。店主のアル=ハキム殿に用事がある」


 番頭は眼鏡を外し、俺の顔をじっと見た後に眼鏡をもう一度掛けると立ち上がる。


「ミフネ様ですね。主が貴方の事を待っておりましたよ。それはもう首が長くなるほどに」


 番頭の口振りに思わず苦笑する。

 そうか。アル=ハキムとて首を長くして待つしかない時もあるものだ。


「こちらへどうぞ」


 番頭に案内され、二階へ続く階段へと歩いていく。

 途中、中二階まで歩いた所で番頭は歩を止め、おもむろに白い壁を手で探り始める。

 一見なにも無い所に手のひらを当て、ぐっと押すとその部分だけが凹んだ。

 凹んだ壁の隣の壁が上にせり上がり、奥へ続く道が開かれる。


「すげえ! 隠し扉じゃん!」


 マルクが興奮する。

 番頭は何故子供がいるのかと怪訝な顔つきを今更していたが、あえて問わないようだった。


「案内します」


 番頭を先頭に、隠し通路を歩いていく。

 等間隔に青い光を放つ、魔光灯が天井に設置されており、通路を煌々と照らしている。

 やがて行き止まりに突き当たるが、やはり壁に隠された操作盤のボタンを操作すると、壁に隠された昇降機エレベータが姿を現した。


「乗ってください」


 俺とマルクが先に乗り込み、番頭が最後に乗る。

 そしてまた番頭が操作盤のボタンのどこかを押すと、昇降機エレベータは急激に下へと降り始めた。

 いつ乗っても、内臓がぐっと上下する感覚は慣れない。

 始めて乗るマルクならば尚更の事で、何とも言えない顔つきで胸のあたりを手で押さえていた。


 階層を示すであろう扉の上の表示板は下を示す記号に数字が表記されている。

 数字が勢いよく増えているが、俺たちは果たしてどこまで降りていくのであろう。

 地獄まで降りていくのではないか、と錯覚を覚え始めた頃、唐突に昇降機エレベータは停止した。

 

「これより先はお二人でどうぞ。主がお待ちしております」


 促され、二人で歩き出す。

 先ほどの若干薄暗い通路とは異なり、魔光灯がふんだんに使われて昼間のように明るい部屋へと出た。

 

 地下だというのに土が敷かれ、植物が植えられている。

 天井が高い。部屋の中央には噴水までも設置されている。

 魔光灯を多数設置し、地上の日光かと思うくらいの光量があるからか、植物が地下でも成長できるのであろうか。

 一瞬だけ地上であるかと錯覚してしまうような、酔狂な部屋。

 部屋の奥へ進むと、部屋の造りには似合わない机と椅子が置いてある。

 がっしりと繊維が密に詰まっている素材の机。

 革張りのゆったりとした椅子は、背中を預けているだけで眠気を誘うほどに心地よさそうだった。


 部屋の主は椅子に背を預け、紫煙をくゆらせている。

 この地域では水煙草みずたばこなるものでよく喫煙されているのだが、主はそうではなく煙管キセルを使って喫煙している。

 地下だというのに、空気の流れまでも確保できているのか。

 煙草たばこは、地下迷宮のような密閉空間では嫌われる。

 匂いが強すぎる上に、自分たちの居場所を魔物に教えているようなものだ。

 ただし、魔物によっては煙草たばこの臭いを嫌うものもいるのであえて使う場面も無くはない。


「随分と、遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ」


 背を向けていた椅子をくるりと主が回し、ようやく顔を拝む。

 浅黒い肌の小柄な老人は煙管キセルを灰皿に置いて立ち上がった。

 彼こそがアル=ハキムだ。


「思った以上に手強い仕事でした。なんせカナン大僧正を攫ったのは俺の師匠でしたので」

「君の師匠か。さぞかし強者であったのだろうな。出来うるのであれば教団に引き入れたいがね」


 俺はマルクの方を見やってから言った。


「残念ながら、師匠は死にました」

「惜しいものだな。しかし、よくカナン大僧正を救ってくれた」


 そう言ってアル=ハキムは依頼書を懐から出し、次いで机から小刀を取り出した。

 自分の親指を小刀で切りつけ、血の指紋を依頼書に付けて俺に差し出す。


「我が血判に誓って、二度と君に刺客を差し向けぬと約束しよう」

「承りました」

「それに伴い、人質も返却する」


 アル=ハキムの発言と共に、天井から勢いよく降りてくる人影があった。

 軽やかに音もなく着地するや否や、いきなりその影は襲い掛かって来る。


「な、なんだ!」

「下がっていろ、マルク」


 マルクを下げさせ、俺は影と対峙する。

 

「しいっ!」


 影は右手に手斧ハンドアクス、左手には脇差に似た短刀を逆手に持っている。

 まず影は突進しながら短刀を横薙ぎに振るう。

 咄嗟に野太刀を抜いて弾くと、続けざまに右手の手斧ハンドアクスを下から振り上げて来た。

 仰け反って躱しつつ、前蹴りを放つと影は後方に転回して蹴りを避ける。

 かなり身軽だ。さながら軽業師の芸を見ていると思うほどに。


 一旦間合いを取った事で、影の姿がはっきりと確認できる。

 影は忍びと同じような黒い装束を着ている。

 顔には目だけを出した頭巾と面頬めんぽを付け、素顔は確認できない。


「久しぶりの挨拶にしては、随分と過激だな」

「……」


 忍びは武器を投げ捨てると、深呼吸を始めた。

 何度か呼吸を繰り返すと、両腕に青い気を纏い始めたではないか。

 イシュクルなる忍びが使っていた気は赤黒く、殺気に似た物であったが、使い手によって色が異なるのであろうか。

 実に興味深い。


「ずあっ!」


 気を纏うや否や、忍びは一直線にこちらに向かってくる。

 さながら強弓で放たれた矢の一閃が如く。

 鋭き刃の槍のように、ただただ迷いなく一直線に。

 勢いに乗って繰り出した貫手は、俺の心臓を狙いすましていた。


「甘い!」


 咄嗟に野太刀に霊気を纏わせ、貫手を下から斬り上げる。

 青い気を纏った右腕は刃が食い込む事はなく、むしろ甲高い金属音を立てて弾かれる。

 弾きながら一歩前へ進み、続けざまに俺は突きを繰り出した。

 弾かれて体勢を大きく仰け反らせた忍びは、避ける事はかなわない。


「……!」


 息を呑み、覚悟を決めた忍び。

 しかし俺は、喉元に刃を突きつけた所で止めた。

 元より殺すつもりなど毛頭ない。


「たったひと月見ないうちに、随分と成長したではないか。アーダル」

「お久しぶりです。僕は強くなれましたか、ミフネさん」

「間違いなく、そこいらの冒険者など歯牙にもかけぬだろうよ」

「……貴方の背中を、僕はずっと見続けていました。でも今は違う。並び立ちたいから、忍者としての修行を無理やりにでも受けたんです」


 言いながら、アーダルは頭巾と面頬めんぽを外した。

 その下からはあどけない少女の顔が姿を現す。

 

「やれやれ。そこまで仕込むのは本当に骨が折れたんだぜ」


 いつの間にやら、アーダルの背後にはイシュクルなるダークエルフの忍者が姿を表し、彼女の肩に手をやった。


「ひと月足らずでここまで使いこなせるようになったのは俺も驚いたさ。あとは房中術でも覚えればくノ一としては完璧だな。流石にそこまでは仕込みようがなかったが」


 イシュクルが言うと、アーダルはイシュクルを睨みつけた。


「おいおい。本場のくノ一ってのはそこまでやるもんだろう?」


 助けを求めるようにイシュクルが俺の方を向いた。

 確かに間違いではない。


「うむ。忍びとは元来、敵の領内に入り込んで情報収集や攪乱を行う者だ。情報を集める為ならばどのような手段でも取る。色仕掛けとて例外ではない。しかし俺はアーダルにそこまでは求めておらぬ」

「へっ。お互いに初心うぶだねえ。まあミフネ相手ならアーダルもその気になるだろうさ」


 その発言には流石に癪に障ったか、アーダルは気を纏った手刀をイシュクルに向かって繰り出した。

 流石のイシュクルは難なく手刀を気を纏わずに掴み取り、捻り上げる。

 アーダルの顔が苦痛に歪む。


「いつも言ってるだろう。不意打ちをするなら殺気は隠せって。見え見え過ぎるんだよ」

「くうっ」

「ミフネが言う通り、こいつはまだまだ甘ちゃんだ。時間を見てここに来るように言ってくれ。まだまだ仕込んでいない技があるからな」

「承った。しかし意外と面倒見がよいのだな、お主は」

「ああ? 勘違いしてもらっちゃ困るな。俺の技はマスター・イーストウィンドから教わったものだ。その技を学ぶ者が弱いなんてあっていいはずがねえんだよ」


 東方の風、か。

 良い名を持った忍びだ。さぞかし忍びとしては名のある者だったのだろう。

 そしてイシュクルもまた、忍びとしての矜持を持っている。

 アーダルは良き師匠を持ったようだ。


「とはいえだ。彼女は我々の予想以上に才能があったようだ。絶対に学び取るという強い意思も感じたがね」


 アル=ハキムは長い髭を撫でながら言った。


「それほどまでに過酷なのか、忍びの修行は」

「内容は私も知らんがね。全てはイシュクルの胸の内だが、ひと月でも生き延びた、あるいは根を上げなかった者は彼女一人だよ。それは間違いなく誇っていい」

「ありがとうございます」


 アーダルは膝を着いて答える。


「さて、人質も強くなり帰って来た。これにてミフネ君の依頼は全て終了した……が、どうやら君はまだ私に何か用件があるようだね?」


 アル=ハキムは噴水の辺りまで下がっていた少年に目を向ける。

 俺は彼を呼び寄せ、頭を撫でた。


「ああ。実はマルクを貴方の商店で雇って欲しいのだ」

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