第八十一話:ふたりの再会
俺はこの
おかえりと迎える時を。
ただいまと言われる時を。
俺が笑えば、微笑みを返してくれる君を見たかった。
自然と嗚咽が漏れていた。
「本当に長かった。君をこんなに待たせるつもりは無かったんだ」
口から漏れたのは言い訳だった。
本当はこんな事を言うつもりではないのに。
山ほど言いたかった事があるはずなのに、いざその時が来ると何を言っていいのかわからない。
胸が詰まるとはまさにこれだ。
万感の思いとも言うべきか。
しかしノエルは俺の頬を打つわけでもなく、しばらく胸に顔をうずめていた。
やがて顔を上げた時には、酷く涙の痕が頬に残っていた。
「ずっと寂しかった。狭間の世界では、誰一人虚ろな目をしていてまともな受け答えをしてくれる人が居なくて、気が狂いそうだった。それでも、信じていてよかった」
「信じて居てくれて、ありがとう」
数カ月もの間、魂のまま狭間の世界に居続けるというのはどういう気持ちであろうか。
俺はまだ一度も死んだ事がない。
正確には死の淵に立った時はあった。
一度目は真っ暗な闇の中。
この時は鬼の力を借りて目覚めた。
二度目は狭間の世界。
俺は魂の状態のノエルと出会っていた。
狭間の世界に辿り着いた人は幽体、魂の状態で天国へ行くか地獄へ行くかを待っている。
それまでの人生における行った行為、罪状によって決まるとされているが、もちろん完全に天国あるいは地獄から現世に舞い戻った人間など居ないので、誰も知らない。
もっとも、生贄の魔石を使って完全に天界や冥界から戻って来た人がいるのなら、是非とも話しを聞きたい所だ。
「ノエル、君は天国へ一度行けたのか?」
聞くと、ノエルは首を振った。
「わたしは天の導きにしたがって、ちょうど行こうとしていた所を引き戻されたって感じかしら。乱暴に連れていかれるものだから、ちょっと痛かったわ。でも、こうやって宗一郎とまた会えた。もう、それだけで今日は何もいらない」
ゆっくりとノエルの顔が近づいてくる。
その時、大きな咳払いが聞こえて慌てて俺とノエルは顔を逸らし、咳払いの方を見た。
「感動の再会は大変結構。ですが、ここで睦み合うのは控えて頂けますか。神のおわす神聖な聖堂ですので」
「すまない、カナン大僧正。しかし世話になった。感謝してもしきれない」
「いいえ。まだまだ私の祈り、信仰が足りないとわかりました。信仰をもっと深め、神の奇蹟をもっと体現できるようにならなければ。本来なら、三度目の奇蹟を祈ることなどありえなかったのですから」
本来の使い方を知らない者しか居ない今、生贄の魔石を後生大事に持っているなど、道具を揃えたがる癖を持つ者しかいないだろう。
しかもどこで見つかるか、今の所全く不明だ。
唯一、それ以外にも死者を復活させる奇蹟はあるらしいが、それは本当に神頼みそのものでしかない。うまく願いを聞き届けてもらえればいいが、そうでない天啓がもたらされた場合、絶望しかないであろう。
「それでもノエル様が復活して良かったです。これで我が寺院の面目を保てます」
「また何かで世話になるだろう。その時はよろしく頼む」
「寺院はいつでも迷える人をお待ちしております。しかし、流石に今日はもう疲れ果てました。私はしばらく、休みます……」
カナン大僧正はそう言って、僧ふたりの肩を借りて聖堂を後にした。
聖歌隊の少年たちも役割を終えて去り、残ったのは後片付けをする僧と俺たち三人のみ。
そしてアーダルは一歩前に出て、ノエルに挨拶をする。
「初めまして。ミフネさんの新しいパーティメンバーのアーダル=ゼハードです。職業は盗賊から忍者に転職したばかりです。よろしくお願いします、ノエルさん」
「あら? 宗一郎ったら、こんな若い子を捕まえてどうしたの一体」
「話せば長くなるが、かいつまんで言うと迷宮で死にそうになっていた所を助けたのが始まりでな」
「ミフネさんは僕の父を蘇生させてくれた恩人です。その恩に報いる為にも、仲間として頑張りますよ!」
言い終える前に、アーダルにふわっと抱き着いたノエル。
いきなり抱き着かれ、どぎまぎするのを隠せないアーダル。
「い、一体なんですか?」
「まだ十五歳くらいかしら。可愛いなと思って……あら?」
ノエルは抱き着いた体と肌の感触を確かめ、顔をまじまじと眺め、そしてアーダルの衣服の下に手を滑らせる。
「ひゃあっ!」
「ちょっと薄いけど確かにある肉付き……滑らかな肌。そして何より、男くさくないどころか少し石鹸のような匂いがするわね。宗一郎……?」
これはどういう事かしら。
顔は笑っているのだが、その背後に恐ろしい炎が燃え盛っているのが俺には見えた。
般若の面の中で、この顔はどの段階のものだっただろうか。
あまりの恐ろしさに思考が変な方向へ逸れていく。
「貴方、わたしが死んでいる間に新しい女の子と仲良くやってたわけ?」
「俺の話しを聞いてくれ。これにはとても深い理由があるんだ」
「そう、そうですよ!」
俺の不利とノエルのあからさまな怒りに気づいてか、アーダルも助け舟を出そうとしたが、ノエルの睨みを受けて言葉に詰まり、怯んでしまった。
ああ、そういえばこれが般若の面で言う
間抜けな事を考えているうちに、すでにノエルは詠唱を終えていた。
「不貞を働いた者に、神の鉄槌を!」
天から光が発されたかと思うと、凄まじい衝撃が俺に襲い掛かる。
アーダルが後に語るに、天から拳の形をしたような衝撃波が発生したという。
その時には俺は既に気を失っていたわけだが。
* * *
「ご、ごめんなさい。わたしったら早とちりしちゃって」
気絶から目覚めた俺を待っていたのは、平謝りするノエルの姿だった。
隣には所在なさげにアーダルが立っていて、何となく申し訳なさそうな顔をしている。
上半身を起こして周囲を見回すと、ここは寺院に巡礼しに来た人々の為の宿泊部屋だった。
簡素な木の
もともと一人用の部屋なので狭く、三人も詰め込むと圧迫感がある。
しかし、久しぶりに
魔物と戦っている最中に巻き込まれた時以来だろうか。
前よりも威力が上がっているような気がする。
「アーダルさんの父親を助けるまでに色んな紆余曲折があったのね。わたし泣いちゃったわ。アーダルさんの他にも色んな人を助けてたのね」
「最終的な目的は君を助ける為だよ。その為の死体回収業だ」
「いいじゃない。迷宮に捨て置かれた死体回収。誰もやりたがらないでしょ。でも、自分が死ぬとは思わなかった? 一人で迷宮に潜り込むなんて、自殺行為に等しいわ」
そうかもしれない。
「でも、死ねたらその時は君に会えるだろう。それはそれで悪くないはずだ」
「馬鹿。死んで同じところで会える保証なんて全くないじゃない。わたしが天国へ行けても、貴方は地獄かもしれない。またはその逆かもしれないのよ」
そういえばそうだった。
そもそも、俺は死んだとき何処へ行くのだろう。
イアルダト教徒は少なくとも天国と地獄がある事を信じて居る。
また、俺とノエルは狭間の世界がある事を知っている。
しかし、イアルダト教徒が信ずる所へ俺が行ける保証は全く無いのだ。
信仰しているものが違うのだから。
「それに、わたしがそんな事を望むわけがないでしょう。死んだら後は神様の裁きを受けるだけなのよ。一緒に暮らす事なんか出来るかもわからない。そもそも、死んだ後の魂がどうなるのかも全くわからないのよ」
「……どうやら俺は愚か者だったようだ」
「本当にね。でも、わたしは半分諦めていたわ」
「蘇生をか? 君は俺が死にかけて狭間の世界で会った時、待っているって言ったじゃないか」
「その気持ちも半分は本当。でも貴方はわたしを見捨てても良かった。だって、わたしを蘇らせるお金、用意するの大変だったでしょ」
ノエルも名が通った熟練冒険者だ。
その為に蘇生費用も莫大な金額を要求された。
他の仲間を蘇らせた後、俺の財布は空になってしまった。
金を集める為には、危険で自殺行為に等しかろうとも稼げる仕事をするしかない。
「それでも君を思う気持ちに変わりはなかったし、どんな労苦であろうとも背負うと決めたんだよ。だからやり遂げられたんだ」
「……ありがとう、宗一郎」
再度、ノエルは抱き着いてくる。
ぬくもりを感じる。
このぬくもりこそが、俺が求めていたものだ。
抱きしめ返したいが、しかし視線を感じたのでそうはしなかった。
「お二人とも、そろそろ宜しいですか」
「どうした、アーダル」
「今しがた寺院の僧の方から、まだ起きないのかと言われまして。暗にそろそろでていけと言っているようです」
「無粋ね、もう」
これ以上居座るのなら部屋の使用料を払えと言うのだろう。
それは仕方ない。
俺たちはサルヴィの寺院を後にし、外に出た。
「では、復活祝いに酒場でも行きましょうか」
「悪くないが、酒場は少し騒がしすぎる。イブン=サフィールに宿を取って、そこで三人だけで祝いたいな。最近、良い食材をダークエルフの商人から手に入れたんだよ」
「まあ、なにかしら」
ノエルが手を合わせて目を輝かせる。
「鮭という、北方の海に生息する魚なんだ。俺の故郷でもよく食されていた。脂がのっていてとてもうまいんだ」
「初めて聞く魚ねえ。でも宗一郎が言うのなら、きっと美味しいんでしょうね」
「どうやって食べるんです?」
「なんでも美味い。刺身、焼き物、煮魚、なんでもだ。でも俺は刺身が一番好きだ」
「生で食べるなんて野蛮人ですよぉ。寄生虫とかいますよね?」
「勿論、そのまま食べるなんて事はしない。一旦冷凍させて死滅させてから食べるのさ」
「そんな食べ方、あるんですねえ」
「もう、食べ物の話するからお腹空いちゃった。早く行きましょう」
ノエルが足早に駆けて行こうとするのを、慌てて俺は止めた。
まず食材を契約している倉庫から持ってこないと始まらないのだから。
しかし、本当に感慨深い。
もうこれで、俺は冒険者など止めてしまってもいいのではないか。
ノエルと二人で、平凡に暮らせば……。
いや、いやいやいや、それはありえない。
何のためにアーダルを新たに仲間に迎え入れたのだ。
迷宮を踏破する為ではないのか?
それに、今やもう一つの目的がある。
内なる鬼神に対抗し、打ち勝つために、その手がかりになるであろう迷宮の最も深き場所に潜む迷宮の主と出会い、挑む。
迷宮の主もまた、鬼神であると噂が伝わっている。
侍の集団が潜んでいるというのもよく考えれば謎が深い。
西方大陸に、どういう経緯で東国の侍の集団が流れて来たのか。
疑問は尽きない。
「ミフネさーん! 置いていきますよぉ!」
「そうよ、置いてっちゃうわよ」
ぼんやり考え込んでいると、いつの間にかアーダルとノエルがすっかり先に進んでいるではないか。
いつの間にか、この短い時間に二人とも意気投合してしまっている。
「おう、今行くよ」
左手を振ったその時、何かが地面に落ちて転がっていくのを見た。
それは
よく見ればひび割れている。
封印が弱まっている?
俺に残されている時間はあまり多くないのかもしれない。
談笑する二人の背中を見つめ、拳をぐっと握りしめる。
かならず迷宮を攻略し、鬼神を倒す。
ふたつの鬼神を。
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