第七十二話:王妃は蘇る


 俺の宣言を聞いてか、あるいは逃げようとした宰相の遺体から首を斬って掲げたからか、侵入者たちは我先にと逃げ出し始めた。

 中には黒装束の頭巾を脱ぎ、投降する者も居た。

 それらはおおよそシュラヴィク教徒の王国兵であり、彼らはひとまず牢に入れられる事になった。


「とはいえ、これだけの兵士が参加しているのだ。牢だけではおさまりきらんだろう」


 貞綱の言葉通り、見張りをつけられながら廊下にしゃがみ込んでいる反乱者たちもいる。

 ともあれ、すっかり戦意は失ったようで、ひとまずは反乱は収められた。

 頭を失った集団など、所詮は烏合の衆に過ぎない。

 

「マディフ王。ひとまず城内の反乱は鎮圧できた模様です」

「うむ。ミフネ殿には大分苦労を掛けてしまった」

「役目を果たしたまでです。とはいえ、儀式を完遂するまでは仕事は終わっていません」

「近衛兵たちを呼び戻すとしよう。もはや剣鬼以上に強い者が現れるとは思えぬが、街で暴れている者達が城に来ないとも限らん」


 王の言葉が伝わり、一旦は退いていた近衛兵の生き残りが中庭に戻って来る。

 もはや三十人にも満たない数では護衛にいささかの不安がある、という周辺の声もあり、王国兵たちもある程度招集されて近衛兵と共に中庭と周囲の通路を固めていた。

 

 そして貞綱の周囲にも王国兵が集まっている。

 拘束の為だろう。

 本人も抵抗の意志は示さずに大人しくしている。

 鉄製の手枷がはめられようとした時、貞綱は声を上げた。


それがしを牢に連れていく前に、儀式を見せてもらえぬか。興味があるのでな」


 王国兵たちは戸惑い、マディフ王を見やる。

 傷を負っているとはいえ、再び刀を手に取ればそこらの兵士くらいなら斬り捨てるくらいの力は残っているだろう。

 いや、武器なしの無手であろうとも、兵士の武器を奪って戦うくらいの芸当はきっとやってのけるはずだ。

 俺と戦えば、今度こそ刺し違える格好になるかもしれない。


「大人しく見ているなら構わぬよ。ただし、手枷はした上で隣にはミフネ殿に居てもらうがね」

「それでかまわぬ。マディフ王の厚情に感謝いたす」

「疲れ果てているだろうが、ミフネ殿。もう少し気を張ってくれたまえよ」

「承知しました」


 元より、俺の仕事はカナン大僧正と王を守りつつ儀式の完遂までを見届ける事だ。

 肉体は治ったのだから、仕事には戻るのが当然だ。

 

「とはいえ、流石に疲れたがな……」


 独り言ちると、貞綱がわずかに口の端に笑みを作った。

 お互いにそういう気持ちだ。

 本音を言えば、すぐにでもこの芝生が綺麗に手入れされている中庭に横になって、イビキをかいて眠ってしまいたい。


「では、これより儀式を始めます」


 カナン大僧正は聖遺物「預言者の左腕」などが収められている祭壇の前に立ち、ひざまずく。

 両手を組んで目を瞑り、祈りを捧げ始めた。

 厳かに、密やかに儀式は進んでいく。

 祈りの言葉が連なるにつれ、天からの光が祭壇周辺に降り注ぎ始める。

 誰もがその様子を固唾を飲んで見守っている。

 

 しかし、俺の胸に何かがつっかえて仕方が無い。

 何か、忘れていないか?


 ふと、俺の隣にいるマルクを見る。

 儀式を食い入るように眺めている少年。

 シュラヴィク教徒としては蘇生の儀式は認められないのだろうが、それはそれとして今目の前で行われている儀式そのものには興味があるようだ。

 儀式の持つ神聖な雰囲気に呑まれているのかもしれない。

 俺は小声で尋ねた。


「なあマルク。宿からどうやってここまで来たんだ?」

「ん、ん? なに?」

「宿から城の姿は見えるとはいえ、その道のりは大分遠かったはずだ。お主は首都に来たのは初めてなのに、どうやって城までたどり着いた?」

「宿から外に出たら、ちょうど兵隊さんが城に向かってたんだ。それで、どうしたの? って聞いたら、休みだったけど城で反乱が起きてるから急いでいるって言ってた。だからその後を着いていったんだ」

「なるほど……?」


 いや、少し待て。

 今回の蘇生の儀式をやるにあたり、近衛兵は勿論、城勤めの王国兵は全て招集されていた。城内、城外至る所に詰めていたはずだ。

 首都の警備隊が来る事は有り得ない。彼らは街を警備するのが仕事であり、城に来たら仕事が果たせない。

 嫌な予感がして、背中の野太刀の柄に手を掛けたその時。


「ぐうっ!」


 祭壇から悲鳴が聞こえた。

 次いで、地面に倒れ伏す音が聞こえる。


「襲撃! 王が投擲用のナイフでお怪我をなされた!」


 悲鳴に近い声が何処からともなく上がった。

 王の様子を直ちに見に行くと、首筋には深々と短刀ナイフが突き刺さっている。

 出血が酷い。

 すぐにでも回復の奇蹟を使わねば命に関わる。

 しかし、今は誰も回復を出来る状況にない。

 カナン大僧正はいまなお蘇生の儀式の最中であり、祈りを妨げる訳にはいかない。

 もっとも、儀式が終わってしまえば魔素マナが無くなってしまうのでどのみち無理だ。

 城内に詰めている僧侶たちもまた、負傷した兵士たちの治療で奇蹟を使い果たしている。

 

 脳裏に浮かぶ、死の一文字。


 息も絶え絶えのマディフ王は、祈りを捧げつつも心配そうな目をしているカナン大僧正に向かって、一言だけ残した。


「儀式を、完遂せよ」


 王はすぐに事切れる。

 カナン大僧正は額に皺を寄せながらも、祈りを捧げ続ける。


「王の遺体を今すぐ運び出し、冷凍保存せよ!」


 俺は叫んだ。

 ひとまず保存しておけば、カナン大僧正の魔素マナが回復し次第に蘇生の儀式は執り行える。

 近衛兵たちが王の遺体を運びだしている間に、もう一つの叫び声が上がった。

 そちらを見れば、貞綱によって拘束されている一人の王国兵が居る。

 ……というか、今更ながら手枷の鎖が少し長くないか。

 鎖で首を絞めつけながら相手をうつぶせに寝転がしつつ、膝で抑えつけている。

 

「くそっ! 大僧正を狙ったというのに、王が邪魔をしやがって」

「たわけめ。どうせ狙うのであれば、二人とも殺せるほどの投擲技量を持ってから挑むべきだったな」


 貞綱がそう言うと、じろりと近衛兵たちが睨みつける。

 流石にそういう発言は良くないと思うぞ。


 と、ここで天から差し込まれている光が一層強くなりはじめる。


 ――天におわす我らが父よ。哀れな子羊である我らに今一度、更なる慈悲と奇蹟を御恵み下さい――

 

 大地にささやき、神に祈り、なおも願い、慈悲を請うが如く首を垂れる。


 ――蘇生リザレクション――


 奇蹟の名が唱えられると、天から差し込まれる光芒が更に眩くなったかと思えば、なにか人型のものが舞い降りて来た。

 白い羽を背に持ち、白い布で体を包んだ存在。

 

「……もしや、天使、なのか……?」


 誰もが息を呑んだ。

 大僧正や近衛兵や貞綱、そして異教徒である俺やマルクや反乱者ですらもその姿を目の当たりにしている。

 幻覚などではない。

 天使はまず大僧正に微笑み、次に王妃の遺体を見る。

 手を遺体に差し伸べた天使は目を瞑ると、手のひらから穏やかな光を発した。

 その光は王妃の遺体を包み込む。

 しばらく包み込まれた後、その光は徐々に弱くなり、やがて完全に消えうせた。

 天使はその様子を見届けた後、頷いて天から差し込まれている光に乗り、天上へと帰って行った。

 天使が去った後も、誰もが呆然と天上を見つめていた。

 

 天使が空から降りてくるなど、前代未聞である。

 少なくとも、蘇生の儀式に立ち会った際には一度も見た事は無かった。

 カナン大僧正ですらも、恐らくはそうなのだろう。

 異教徒である俺ですらもその神々しさを目の当たりにし、見惚れてしまった。

 マルクも、貞綱もそうだ。

 イアルダト教徒である王国兵と近衛兵は、涙を流して嗚咽を漏らしている者さえ居る。

 信仰は示され、奇蹟は現世に舞い降りたのだ。

 

 ふと、衣擦れの音が聞こえた。

 王妃の方からだ。


「目を開かれたぞ!」


 誰かが叫んだ。

 王妃は上半身を起こし、次いで周囲を見回している。


「わたしは……どうやら現世に戻って来たようですね」

「復活なされた! 王妃様が蘇ったぞ!」


 兵士たちが歓喜に沸く中、しかし王妃は無表情のまま、近くに居るカナン大僧正に尋ねる。


「マディフ王は、どうなされたのです? このような大事な時に居ないはずがありません」

「……王は、私を守る為にその身を投げうって崩御なされました」


 王妃は一筋の涙を流した。


「そうですか……。貴方は確か、カナン大僧正でしたね。わたしを現世に復活させる為に隣国から、わざわざ御足労頂き有難い事です」


 王族にありながら、王妃はカナン大僧正に頭を下げた。

 これは普通ならば有り得ない。

 国の上に立つ者は決して目下のものに頭を下げるなどしないものだ。

 如何に文化が違えども、これは変わらない。

 大儀であった、などと言葉は掛けたとしてもだ。

 どれだけの感謝の意を示しているのかが伺える。


 涙を手で拭うと、次に捕縛されている侵入者を見やった。


「この方は?」

「はっ。投げナイフを投擲し、マディフ王を殺害した犯人にございます」


 近衛兵が告げると、王妃はつかつかと歩き、反乱者の前に立った。


「誰か、得物を」


 言われるがままに兵士が長剣ロングソードを差し出すと、王妃は無言のままに長剣ロングソードを振るった。


「あ、がっ」


 男の首から鮮血が噴き出し、そのまま男は失血で死亡した。

 死ぬまでの様子を、王妃は表情を崩さずに見つめている。

 誰もが呆気に取られていた。

 まだ幼き子供とは思えぬ行為。

 その眼には確かな意志が宿っていた。

 長剣ロングソードを兵士に返し、更に自分の顔に付いた返り血を手で拭うと、王妃は高らかに宣言する。


「我こそはシルベリア王国建国者、賢者ラーフィルの末裔、マルヤムである。ここに王位を継承する事を宣言する!」

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