第七十一話:出藍の誉れ

 お互いに気が逸れ、故に判断が遅れてしまった。

 師匠、結城貞綱ゆうきさだつな破邪顕正はじゃけんしょう、青き光波を飛ばす秘奥義は祈りが半端で途切れたが為に、初撃ほどの勢いは失われていた。

 俺もまた、いつ刀が振るわれて光波が発射されたのかを見失い、結果かわしきる事は出来なかった。

 光の速さで来るものを注視もせずに見逃していたら、どうやって躱せばよいのか。

 師匠の狙いが半端でぶれたのは幸いであった。


 胴体ど真ん中には喰らわなかったものの、右肩口に直撃し、俺の右腕は吹き飛んでいた。

 

 右腕は肩口から綺麗に千切れており、腕は背後に転がっている。

 光波の傷は不思議なもので、出血は伴わない。

 まるでそこだけを綺麗に空間がちぎり取れたかのような傷。

 苦痛は当然伴うものであるが。


「兄ちゃん!」


 マルクが駆け寄ってこようとするが、師匠がマルクの前に立ちはだかる。


「男の勝負に水を差すなよ、マルク」

「なんで、なんで戦ってるんだよ! 師匠と弟子なんでしょ? 教祖さまと信者みたいなものじゃないの? どうしてなんだよ!」


 頭では対立の理由は理解していても、心で納得いかないのは無理もない。

 まして子供だ。理屈で脳を抑えられるほどの理性はまだ成長していない。

 情動に突き動かされるのもやむなしだ。

 しかし師匠は、ぴしゃりと言う。


「互いに譲れぬものがあるのだ。如何に師匠と弟子と言えども今は立場が異なる。故に戦って決着を付けねばならぬ。今はそなたには理解できぬだろうがな」

「それよりもマルク。俺の言いつけも守らずになぜ城に来た。大人しく待ってろと言ったはずじゃないか」


 俺が問うと、マルクはばつが悪い顔をしてうつむいてしまう。


「街が騒がしくなって、外の様子を眺めてみたら何か皆が争ってて……。宿のおっちゃんにも隠れてろって言われたんだけど、暴れてる人たちが押し寄せてきて、どこも安全じゃないって思ったから、兄ちゃんとこ行くしかないって思ったんだよぉ」


 泣きそうにしゃくりあげながら、マルクはたどたどしく言葉を紡いだ。

 結局、街も宰相たちの策によって混乱に陥れられたのか。

 もし城への襲撃が失敗したとしても、首都の暴徒の鎮圧には時間がかかるだろう。

 元よりイアルダト教徒とシュラヴィク教徒の仲は最悪であり、いつ火の手が上がってもおかしくはなかった。

 暴徒鎮圧に手間取っている事を理由に王たる資格なし、などと難癖をつけて引きずり下ろすつもりだったのかもしれない。

 結果は師匠に殺され、目論見は潰えたわけだが、それでも巻き起こした暴動や反乱は未だ収まっていない。

 どうやって収束させる?

 王にまだその手腕は残されているのか。

 気になる事は山ほど脳裏から這い出てくるが、まだ俺が考えるべき時ではない。


「ひとまずマルクは大僧正の側にいるんだ。俺たちの戦いを見ていろ」


 もちろん、マルクとの約束を忘れたわけではない。

 不殺の誓いは未だ胸に生きている。

 マルクは頷き、カナン大僧正の側に駆け寄って服の裾を掴んでいる。


 もはや片腕となった俺。腹も欠けている。

 師匠は対して表面的には無傷ではあるものの、明らかに顔が青ざめて消耗している。

 神の力を借りるのは、やはり対価を捧げずにはいられないようだ。

 

 師匠は腹から声を絞り出す。


「決着を付けよう」


 お互いに残っている力はわずか。

 俺はもう立っているのもしんどくてたまらない。

 今すぐに膝を着いて地面に倒れ込みたいが、それをやるのは目の前に立ちはだかる敵を倒してからだ。

 意識も朦朧とする。

 気を抜けばすぐに目の前が暗転し、俺は天を仰いでいるだろう。



 

 ふと、目の前が光り輝き、自分が空の上にいるかのような錯覚を覚えた。

 

 雲の上に立ち、周囲から穏やかな光が差し込んでいる。

 まだ死んではいないはずだ。

 これから天国か地獄へ行くにはまだ早い。

 この光景は一体何なのだ?


 より際立って強い光が差し込まれ、そこから現れた存在があった。

 観音菩薩かんのんぼさつ

 慈悲深き、救済されようとする存在に合わせて姿を変える、変幻自在の衆生しゅじょう救済を成し遂げんとする菩薩。

 その顔は、心なしかノエルに似ている。

 俺に合わせて姿を変えて来たのか。

 金色の艶やかな髪は光に映えて一層輝いている。金糸の束が風にたなびいて、美しい。

 碧眼の瞳は翠玉エメラルドの如き輝きで、どの宝石よりも煌めいている。

 丸みを帯びた顔立ちは誰もが安心するような安らぎを与えてくれる。


 一体これは俺に何を見せている。


「一切合切の苦悩を知り、現世の苦しみを知り、一切皆苦、諸行無常を悟ったその時に其方そなたはやがて涅槃ねはんへと至る」

「何だ、何を言っている?」

「まだ、その時ではない。今は其の力は目の前の者へと使う為にあり」


 観音菩薩かんのんぼさつは言い残すと、一層光は強くなり、やがて俺の体へと宿った。




「兄ちゃん!」


 マルクの叫び声に意識が急遽、引き戻された。

 幻覚を見ていたのか。

 死に瀕すると脳が幻覚を見るとは言うが、焼きが回ったものだ。


 悟りを得て涅槃ねはんに至る。


 果たしてそのようなものが今生の人生で得られるものだろうか。

 

 まだかろうじて維持できている意識を前に向ける。

 すると、師匠が刀を構えながらこちらに向かっている。

 瑜伽ゆがの呼吸すらおぼつかず、霊気が体を巡ってすらいない。

 それは俺も同じだ。

 霊気錬成の型・刹那を使った反動が体に帰ってきている。

 体の節々には強烈な痛みが走り、筋肉が引きちぎれんばかりの悲鳴を上げている。

 骨は音を立てんばかりに軋みを上げ、気力で立っているだけだ。

 俺は二度目の死を意識している。

 今度こそ死ねば、鬼は待っていたと言わんばかりに体を乗っ取るだろう。


 その時。

 師匠の幻影が見えた。

 向かってきている現実の師匠とは別の、その先の行動――即ち、俺に斬りかかっている姿の師匠が見える。

 幻影はそのまま真っすぐ向かってくるかと思えば、何故か体を捻って何かを躱す姿勢に入り、胴体を薙ごうと刀を振っている。

 何故その光景が見える?


 一歩踏み込み、正眼の構えを作ると更に幻影の動きは増える。

 もう一つはそのまま勢いに乗って身体を投げ出すかのように突きを繰り出してくる。

 

 一体俺は何を見ているのだ?


 幻影は刻一刻と姿を変える。

 しかし、更に一歩を踏み出し距離を詰めると、幻影の取る姿は一つとなった。

 俺がこれから取るであろう行動、右肩から胴に振り下ろす袈裟斬りを躱して背後に回り、居合の構えを取っている。


 あれは、奥義・阿頼耶あらやだ。


 一番師匠が信頼している技だろう。

 自らが血の滲む修行の末に会得した技こそが、勝利へと導くと知っているのだ。

 神は気まぐれである故に、何度も御業を授けてはくれぬ。


 不意に幻影は姿を消した。

 師匠は幻影の取った姿の通りに動いている。

 俺が放った袈裟斬りを躱し、背後に回り一度納刀し、ここで呼吸を発して爆発的に霊気を循環させる。

 やはり、この為に抑えていたか。


「奥義・阿頼耶あらや……!」


 無論、消耗しているため全力と比較してもその抜刀速度は及ぶべくもない。

 それでもまだ七割ほどの速度を出せるとは、素直に驚いた。

 もはや満身創痍である俺にはこれでも十分すぎるほどに、死に至らしめる威力があるだろう。

 

 ゆらりと、刀の描く軌道から体を翻した。


 師匠の刀は胸の皮膚を薄く斬り、血は滲むものの致命傷には至らない。

 抜刀の一撃を躱された師匠は目を見開き、そして俺は体を捻りながら逆袈裟斬りで下から上に野太刀を振り上げた。


「ぐむうっ!」


 師匠の胸から血が噴出する。

 傷は斜めに描かれ、鮮血が地面に滴り落ちる。

 師匠は胸を押さえながら膝を着き、仰向けに倒れた。


 勝った、のか。


「ああっ!」


 カナン大僧正の側にいたマルクは駆け出し、師匠の側に座り込んで叫ぶ。


「教祖様! 死んじゃだめだ!」


 そして俺を睨みつける。目には涙が浮かび、頬を伝っていた。


「どうして殺した、なんで、なんで! うわあああああああっ」


 俺に向かって駆け出し、小さな拳で何度も残っている腹を殴りつける。

 子供の拳は、確かに非力だ。

 だが、今の俺には死にそうなくらいに痛い。


 その時、師匠の足がぴくりと動いた。


「勝手に、殺されては、たまったものではないな」

「教祖様!」

「師匠……」


 胸の傷を押さえながらもむくりと立ち上がり、師匠は息を荒げながらも微笑む。


「左腕だけで刀を振られたのが幸いでございました。おかげで出血はあるものの、深手ではない」

「片腕だったのが良かったか」

「ええ。若。両腕で渾身の力で振られていたらきっと死んでいた事でしょう」


 若、という言葉を聞いて思わず俺は目を見開いた。


「師匠、もしや……」

「長き夢を見ていた。そのような心持ちでございます……。あまりにも長い、夢のような現実ですが」


 記憶が戻ったのか。

 瞬間、俺の脳裏にも懐かしい思い出が駆け巡る。

 何故おれは泣いているのだろう。

 涙がとめどなく流れ、止まらない。


「これまでの無礼、お許し願いたい。それにしてもお強くなりましたな。もはやこの貞綱には敵わぬほどに」

「これも師匠のおかげ。礼を言うのはこちらの方です」

「もう、師匠と呼ぶのもおやめくだされ。貴方はそれがしの主です。口調も主らしきものに」

「そうか、貞綱。ありがとう……。しかしもはや、三船家は領地のある大名にあらず。俺に付き従う理由もない」

「何を仰る。それがしは貴方と共に海まで超えたのですぞ。今更そのような事は言いなさるな」

「それもそうか」

「え、なに、どうしたの教祖様」


 マルクが困惑しながら、俺たちを交互に見ている。

 貞綱はそんなマルクの頭を優しく撫でた。


「マルク、そなたには申し訳ない事をした。親を信徒とし、その挙げ句に死に至らしめ、そなたを一人きりにしてしまった」

「そんな事ないよ。教祖様。おらには教祖様と兄ちゃんがまだいるから」

「そう言ってもらえるのなら、救われる」

「決着は着いたのですか」


 カナン大僧正が俺たちに問う。


「ええ。完全に」

 

 貞綱がそう言うと、彼は持っていた刀を投げ捨てた。

 俺はと言うと、完全に力尽きて中庭の地面に大の字になって転がっている。

 もう限界だ。

 カナン大僧正は吹き飛ばされた右腕を回収し、俺の側にやってきて祈りの姿勢を見せる。


完全回復トゥルーヒール


 光が何処からともなく現れて俺の周りを囲むかと思うと、まず傷口に光は宿り、欠けた腹を再生していく。

 もちろん右腕も繋がり、手を握ったり開いたりして感覚を確かめているが神経までも完全につながっている。

 何度かけてもらっても、身体が疼くようなかゆみには慣れないが、ともかく命は助かった。

 体の中に残っている疲労感は抜けず、今日はもはや戦えそうもないが。

 怪我を治す奇蹟があって、なぜ疲労を抜く奇蹟は無いのだろうか。

 それさえあれば一日中戦えるというのにと思った所で、頭を振った。

 休息はどの生き物にも必要だ。

 ひと時の休みすら与えられずに戦い続けたら、疲労はともかく精神の方が参ってしまう。

 表面的には大丈夫なように見えても、心の奥底には必ず蓄積していくのだ。

 海の底の澱のように。


 立てないと思っていたが、傷が治ったおかげでどうにか立ち上がれるようにはなった。


「これで、私がいま使える奇蹟は打ち止めです。蘇生の儀式のために魔素マナは残しておかねばいけないので」

「いや、有難い。カナン大僧正の魔素マナの保持量には恐れ入る」


 城の混乱は未だ続いていた。

 なればこそ、混乱を治めねばなるまい。

 マディフ王に目配せすると、無言でうなずいた。

 城中に響き渡る声で俺は叫ぶ。


「勝負はついた! 反乱の首謀者たる宰相どもは既に死に、また教団教祖たる剣鬼も負けを認め、武器を捨てた! もはやこの反乱は無意味である。武器を捨て、抵抗を止めれば命だけは助けると約束しようではないか!」

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