第七十三話:切腹

 王妃マルヤムは王位を継承すると宣言した。

 しかし、誰もが呆気に取られてぽかんと口を開けている。

 誰も状況が呑み込めていない。

 

 それはそうだろう。

 蘇り、反乱者を殺したかと思えば今度は王位継承である。

 何が一体どうなっているのか理解できないだろう。


 その時、マルヤム王妃は首に提げている飾り物を掲げた。

 太陽を模った意匠だが、兵士たちが付けているものとは形が異なる。

 太陽の上に、天使の羽と喇叭ラッパがあるのだ。


「そ、それは……! 建国者ラーフィルの血族の者しか持っていないはずのペンダント! 既に血族は絶えて久しいと言われていたはずなのに……」


 マディフ王派の大臣の一人が声を上げた。

 マルヤム王妃は建国者の血筋の者であったわけだ。

 しかし何故、マディフ王は年端も行かぬ女子おなごを二人目の正妻として迎えたのか。

 ともすれば幼女趣味とも受け取られかねない。

 俺も実際そう思った。

 思っていた事を見透かすように、マルヤム王妃は訥々と語り始める。


「マディフ王は、密かにラーフィルの血筋の者をずっと探していたのです。王は自分は僭称者の血筋であり、子を成しても亡くしたのは呪いを掛けられたからだと常々語っていました。わたしは、そんな呪いなど無いと思うのですが、現在シルベリア王国は行き詰まりを見せていました」


 マルヤム王妃はため息を吐いて続ける。


「王様はわたしが山奥でひっそりと暮らしている所を見つけてくれました。そして王妃とする事で、迂闊に手を出せなくしたのです。同時に耄碌したと思わせる為にも有用でした。王は自分に反逆するものをあぶり出し、また根回しを済ませ次第にわたしを後継者とすると告げられていたのですが、このような事態となったので、やむなくわたしが宣言した次第でございます。マディフ王は高齢である故、蘇生の確率は極めて低いでしょうから」


 今の混乱を収める為にも、やらざるを得なかったとマルヤム王妃は言った。

 なるほどと思わなくもなかった。

 しかし、幼い子供であることに変わりはない。

 果たしてまつりごとを取り仕切る力量はあるのだろうか。

 誰もが疑問を抱くだろう。


「ところで、そちらの男の方は?」


 マルヤム王妃は貞綱を見やって言った。

 貞綱は困ったような笑顔を見せてこちらを向いた。

 確かに、狂信者集団の教祖であることを自分では説明しづらいのはわかるのだが、全く世話の焼ける奴だ。


「シュラヴィク教原理主義集団、ザフィード教祖の結城貞綱ゆうきさだつなです」


 近衛兵の耳打ちを受けながら、マルヤム王妃は頷く。


「なるほど。首都では随分暴れたようですね。我が国民にも多大な迷惑を駆け、どうやら今日来たのもカナン大僧正の奪取が目的ですか」

「一切の申し開きが出来ない事でございます」


 貞綱は座り込み、土下座をする。

 これで許されるとも思ってはいないだろう。

 とはいえ、謝罪の形を取るならばこれしかない。

 もう一つあるにはあるが……。


「その格好を見る限り、貴方は侍と呼ばれる存在のようですね。実に興味深い。そちらの貴方も侍ですね?」


 マルヤム王妃は俺の方を向いた。


「はっ、隣国イル=カザレムにて冒険者として糧を得ている三船宗一郎と申します。今回はカナン大僧正の捜索、救出及び儀式の警護を務めました」

「ありがとうございます。貴方の力もあってわたしは蘇りました。感謝致します」

「勿体なきお言葉」

「さて、貞綱よ。貴方は教団教祖として首都を襲い、なおかつ我が兵士達を殺傷した。その罪は非常に重い」


 マルヤム王妃は氷の目つきで貞綱を見つめている。

 貞綱は土下座のまま動かない。


「面を上げよ」

「はっ」

「侍とは非常に名誉を重んずると聞きます。同時に誇り高くもあると」

「……はっ」

「ただ処刑されるのは名誉ではないでしょう。貴方も一介の侍であるならば」


 この流れは不味いぞ。口を挟まねば。


「お待ちください。確かに貞綱は罪を犯しました。しかし当時は、全く記憶を失っており、本来の貞綱ではなかったのです」

「若、苦しい言い訳をせずとも結構ですよ。記憶を失っていたとはいえ、自分の行為には責を持たねばなりません」


 貞綱は放り投げていた刀から脇差を抜き、正座する。

 脇差の刃を右わき腹に当てた。

 

「せめて若の手で、それがしを介錯してくだされ」

「……断る、と言ったら」

はらわたをぶちまけながら、のたうって死ぬでしょうな。そのような醜態を晒させぬためにも、若、そなたが斬ってください」

「待ってよ!!」


 悲痛な叫びが中庭に響いた。

 見れば、マルクが涙目になっている。


「勝手に話を進めるな、馬鹿!」

「ガキ、王妃様に無礼な口を利くか!」


 王国兵の一人がマルクの腕を捻り上げようとするが、俺が間に入って立ちはだかる。

 

「年端も行かぬ幼子をどうするつもりだ」

「うぐっ」


 ひるみ、気まずい顔をして引き下がる王国兵と代わる形で、マルヤム王妃がマルクの側に歩いてくる。


「マルクと申しましたか。貴方は一体、貞綱と宗一郎さまとどういった関係なのです?」

「おらは教祖様の信者で、あんちゃんとはダチだ! 教祖様を殺すなんてあんまりだ! 信者たちを大切に思ってくれた人なのに。あんちゃんにも教祖様を殺さないで、って約束を守ってもらったのに、この人殺し!」


 マルクは大粒の涙を流しながら、思いのたけを叫ぶ。

 マルヤム王妃はひざまずき、マルクと同じ目線にまで姿勢を下げた。

 マルクは少し怯んで後ずさる。


「では、貴方が教祖様の身代わりになりますか」


 言われ、マルクはびくりと体を震わせ始めた。

 明らかに狼狽えている。

 身代わりに命を捧げよと言われ、果たしてマルクにその覚悟などあるだろうか。

 彼はそこまで狂信的な信者ではない。

 親が信者だったから、自然とその教えを受けていただけだ。

 何も言えなくなったマルクは、そのうちうつむいてしまった。


 逆にマルヤム王妃は、マルクの様子を見て微笑み、頭を撫でた。


「安心しました。盲目的に教えを信じるような信者であれば、すぐに身代わりになったでしょう。わたしとて、同じくらいの年齢の子供の命を奪うのは忍びないですから」


 しかし、必要があればやるのであろう。

 今確信した。

 マルヤム王妃は、見た目と年齢で侮ってはならない。

 彼女には人を率いていくだけの器量と覚悟、胆力が備わっている。

 

「もうよい、マルク。それがしは世の中を正そうとして、結果的に荒らしてしまったのには変わりないのだからな。その償いはせねばならない」

「教祖様!」

「確かにそれがしは罪を犯した。認めよう。しかし、シュラヴィク教そのものは素晴らしい教えである。それがしがその伝え方を誤っただけだ。これだけは皆に申し上げておく」


 貞綱は俺を見て頷いた。

 いよいよやるのか。

 俺は貞綱の左隣に立って野太刀を抜き、構えた。

 そして貞綱は腹の底から叫ぶ。


「皆のもの、眼を開いて見るが良い。侍の覚悟を、死に様を!」


 脇差を右わき腹に突き刺し、そのまま勢いよく左のわき腹にまで斬り通す。

 当然、腹からは血が溢れだす。

 更に、一文字に横に斬るだけではおさまらず、鳩尾から縦に臍までを切り下げた。

 当然、はらわたが零れ落ちる。

 貞綱の視線がこちらを向いた。


「御免」


 野太刀をくびへと振り下ろす。

 頸椎の骨に当たらぬよう、関節のつなぎ目を狙った。

 思いの外、感触はなかった。

 すっと刃は入り込み、皮一枚だけを残して首を斬れた。

 

 貞綱の体は、そのまま自然と前のめりに倒れ込む。


「介錯、仕った」

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