第四十三話:不安の種

 バカスカ飲んだ。

 酒の神もかくやと思うほどに俺は黄金の泡酒を飲み、振舞い、普段ならば絶対にやらないような阿呆みたいな騒ぎも起こし、喧嘩もした。

 アーダルは騒ぎに呆れ果て先に自室に戻り、他の酔客も飲みすぎて千鳥足になりながら帰ってしまった。俺としてはまだまだ飲み足りないというのに、もう酒場には俺一人だ。

 店主と従業員は床に山と転がった酒瓶と、机に散らばった食器と食べ残しを愚痴りながら片付け、机に突っ伏している俺に視線をやる。


 長居しすぎだ。流石にそろそろ帰ってくれ。


 そういう雰囲気をありありと醸し出している。

 仕方なく、一人外に出る。

 深夜も深夜。

 今宵は満月。月の光が煌々と冷たく辺りを照らしている。

 松明や灯明ライトの呪文が無くとも足元が確かなくらいに明るい。

 

 朝までやっている飲み屋は他にあっただろうか。

 そんな事を考えながらぶらついていると、いつの間にか迷宮の入り口にまで来てしまっていた。

 持っているのは打刀一本。

 鎧すら着ていない。

 吸い込まれるように俺は迷宮の中に入り込んでいく。


 あれだけ飲んだというのに、全く酔いが来なかった。


 飲んでも飲んでも、心の奥に一つの種が埋まっている。

 それは芽を出すと、俺の体に根を生やしはじめ、やがて生えるツルで俺の意思をも絡めとろうとするだろう。

 種は不安。根は焦燥。ツルはやがて俺を全て支配するであろう存在。


 酔っ払えない原因は、俺の中に居続ける奴のせいだ。

 俺の手には余りすぎる力を持ち、暴虐の限りを尽くさんと願う荒ぶる神。


 鬼神。

 

 荒ぶる神に対処するには、古来より生贄を捧げなだめるか、あるいは打ち倒し神の名を剥奪し、その存在を貶める事で力を削ぐのが定石であった。

 我らが先祖はそのどちらでもなく、むしろ力を取り込もうと鬼神を喰らい、文字通り「鬼のような」力を得て勢力を伸ばした。

 そうやって取り込む事でついでに鬼神をも滅する。

 良いことづくめのように思えた。


 だが鬼神はそれで死に絶えるほどの儚い存在ではなかった。


 脈々と俺たちの血脈の中に、息を潜めて生きながらえていたのだ。

 人にとっては長い歴史だとしても、彼らにしてみれば瞬きする程度の時間でしかない。

 自分たちに都合の良い存在が現れるのを待ち、頃合いを見て現れる。

 鬼に乗っ取られた者達の末路は悲惨だ。

 大抵は真の鬼神として覚醒したことはなく、中途半端な状態のまま、三船家の「鬼狩り」部隊に狩られてその人生を終える。

 鬼神にすれば一人失敗したとて、また適合するものを待てば良い。

 俺たちは鬼に準ずる力を得たが、いずれは鬼神として目覚めてしまう運命を背負っている。

 俺でなくとも、その子供が。あるいは数世代下の誰かが。


 ……俺の世代で断絶してしまえばいいのではないか。


 そうすれば鬼神の呪いは断てる。三船家も断絶してしまうが、こんなものを残すくらいなら無くなった方がマシなのかもしれない。

 いや、ダメだな。

 俺には弟が二人いる。

 もしこれでどちらかが生き延びて子を成していた場合、呪いは受け継がれる。

 

 やはり鬼神と対峙するしか道はないのか。


 考えているうちに迷宮の中を灯りも無しに進んでいく。

 俺の目は闇に慣れているとはいえ、遠くまで見通せるのは幾らなんでもおかしい。

 鬼として覚醒しつつあるせいだろうか。

 迷宮の地下一階から三階まではもはや散歩に等しく、俺に襲い掛かってくる魔物は不死アンデッドのように知能が無くなっている連中に限られる。

 迷宮の湿って冷たい空気が心地よい。

 余計な思考を頭から追い出してくれる気がする。


 地下四階に辿り着く。

 深夜なので流石に信者達も寝静まっており、神殿の周囲にはわずかに見張りが立っている程度だ。

 その見張りも深夜とあって集中力を欠き、寝ぼけ眼で大あくびをしながら交代の時間を待ちわびている。

 この状態の見張りに見つかるような俺ではない。

 視線の間をすり抜け、神殿内部に辿り着く。

 礼拝堂は何時になく静寂を保っている。

 元より礼拝の時間以外は人が訪れる事は無い。

 祭壇の前に立つ。

 いつも変わらぬ逆十字に掲げられた御神体は、普段は俯いて寝腐っているのに俺が来ると顔を上げて触腕を動かしながら喋りだす。

 毎度の事ながらこいつは無駄話が好きだ。

 多分俺しか声が聞こえないから、話し相手が居なくて寂しいのかもしれない。


「こんな夜更けに迷宮に来るとは、気でも違ったかね? しかも一人で、軽装で、随分と酒臭いじゃないか。そのくせ頭の芯は冷え切っている。最近喜ばしい事があったのにどういう風の吹き回しかな」

「こんな所に閉じ込められているというのに、随分と俺の事をわかっているじゃないか」

「これでも我は神の化身なのでね。世の中を全て見通す千里眼で、何時でもどこでも誰の事でも把握できる。だから君が何故ここに来たのかをこれから見通すとしよう」


 神を名乗る何者かはぎょろりと黄色く猫のような瞳を俺に向け、名状しがたき言葉を並べ立て始めた。

 やがて言葉が途切れたかと思うと、頷いて口角を上げる。


「血に潜む荒ぶる神の残滓、それを君は恐れているのだろう。残滓の癖に機を見て宿主を支配し、元の存在に復活しようという業突く張りと来たものだ」

「素晴らしいな。本当に何でもお見通しか」


 今度ばかりは感嘆の声を漏らす。

 本当に神に近しい奴なのかもしれない。

 得体の知れぬ蛸人間にしか見えんのに。


「荒ぶる神とはいえ、残滓如きに君が苦しむのは何故だと思う?」

「……」

「それは君がひとえに人間などと言う、脆弱、惰弱、虚弱な存在だからだ。肉体も、魂も飴細工のように簡単に砕けてしまう。嘆かわしい。人間は早く幼子おさなごの時を終えて次の世代へと進まねばならぬのに、誰も自覚しない」

「つまりお主は、俺が人で無くなって化け物になれというのか?」

「化け物とは人聞きが悪い。人間から次の次元へと進むだけだ。そうして人は地上から宇宙へと自らを適応させ、より強くなれる。我らのようにな。そうすれば鬼神などという存在に振り回される事は無くなる。我らはその手助けをしようじゃないか。手始めに三船宗一郎、君からな」


 相変わらずこいつの言う事はよくわからぬ。

 次なる次元。宇宙に適応?

 そもそも人間が幼子おさなごの時とは一体何を指しているのだ。

 やはり狂っている。

 それとも神の如き存在と人間を比べる事自体が間違っているのかもしれない。

 

 人は確かにか弱い。

 奴の言う通りだ。

 獣の一撃で容易く肉体は傷つく。

 悪魔の甘言一つで心も容易く惑わされ、堕ちてゆく。


 俺がもし孤独であったなら、人間を捨て次なる次元とやらに進んで居たかも知れない。

 神の如き何かに向き直り、俺は言う。


「折角のお誘いは有難いが、まだ人であることに俺は絶望などしていない。次へ進む前に、まだまだ俺たちは強くなれる余地がある。個人としても、種族全体としても」

「……やはり君も愚か者か」


 神の如き何かは、明らかに声の色が落ちて俯いた。


「せっかく我らが次元に近づける肉体と魂の器を持っているというのに、その素晴らしさを全く理解していない」

「お主らの信者の中から、俺と同じ資質を持った者を探せばよいだろう」

「駄目なのだ。信者は我らを妄信するのみで、我らと同じ高みに上り詰めようという意識が無さすぎる。高みを目指す、まずそこから意識を改めねば」


 人を超越するとなるにもまずはそれを考えつく意識、思考がなければ行動に至らないという訳か。

 一体信者は何を思って彼らを信じているのだろう。

 どの宗教も何らかの目的があって信者はそこに至るべく修行を、信仰を続けているのだが、ただ崇めているだけでは意味はない。

 信者を強力に導く指導者がどうやら必要なようだ。

 そういえば、旧神教には明確な指導者が見当たらない。


「お主らの宗教には、指導者が必要だと思うぞ。預言者のような者がな」

「我らの声が聞こえる者が全くおらぬ。宗一郎、君を除いてな。君が指導者となってくれれば話は早いのだが」

「……悪いがその話は受けられない。俺は先へ行く。また会おう」

「愚か者の君よ。また来るが良い。いつでも我らは君の進化を待っている」


 神に近しいモノの声を背後に、俺は地下五階へ進む。

 いずれまた、そういう機会もあるかもな。気が変われば。

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