第三十九話:帰還

 カナン大僧正は不穏な気配を感じたと言った。

 先に乗り込んできた冒険者たちは、女王が居る事を知らずにのこのことここまで入り込んできた。

 女王の気配はわずかながらも、この墳墓を抜けて外へと伝わっていたと言う事なのか。

 聖職者は極まれば邪悪の気配に敏感に気づく事が出来るのかもしれない。

 

「再び、と言う事は一度ここに入った事があるんですか」

「まだ若き冒険者であった頃の話です。依頼を受け、この不死の迷宮の探索を行いました。その時はただのリッチが迷宮の主でした。それ自体は大した事なく退治できたのだが、倒した後も異様な気配を感じましてな」


 古く高貴な屍リッチ以上におぞましいものが隠匿されている、と大僧正は語る。


「一緒に居た魔術師も同じく不穏なものを感じ取っていたが、その時の我らでは隠された者が何なのか、暴くことが出来ませんでした」

「亡国の女王は、空間を高度に操る魔術師でした」

「でしょうね。私が探索した時にはこのような階層は存在しなかったので」


 戦いで荒れ果てた広大な空間を見回し、嘆息する。


「しかし、これほどまでに破壊の限りを尽くす程の相手だったとは」

「女王の戦いばかりではなく、召喚された悪魔との戦いもありました故」

「悪魔、ですか」

「はい。貪食の悪魔ベヘモスという、全てを喰らい尽くさんとする悪魔でした」

「ベヘモス、か……。まさかそのような名前を聞くとは。後で仔細を私に話してくれませんか。事と次第によってはイル・カザレムの王にも伝えておく必要があります」

「承知いたしました」


 俺が頭を下げると、つかつかとカナン大僧正は俺の元まで歩いてくる。

 しゃがみ込み、俺の傷の具合を見る。


「ふうむ。酷い怪我をしている。特に左腕、もはや皮膚でかろうじてつながっているようなものではないですか」

「何のこれしき」

「ミフネ殿はやせ我慢をする癖がある。誰が見てもこれは大怪我ですよ。事態を事前に収めてくれた礼と言うわけではないが、ここで治療をして進ぜましょう」

「良いのですか」

「構いませぬ。貴方はこの国を未然に救ってくれた。このくらい安いものですよ」


 それならばノエルの蘇生費用も少しくらいまけても良いのではないか、と俗な言葉が喉から出掛かったが、無理やり呑み込む。

 カナン大僧正の詠唱と共に、彼の手がにわかに光り始める。


完全回復トゥルーヒール


 柔らかな光が彼の手を離れ、俺に降り注ぐ。

 聖なる光に何が宿っているのかさっぱりわからないが、光が降り注ぐ事で身体の傷が飛躍的にふさがっていく。

 回復ヒールでは一度かけたくらいでは、多少の切り傷や打撲くらいしか治療できない。何度もかけなければ骨折などと言った重傷は治療出来ないのだ。

 完全回復トゥルーヒールはその点呪文としての格が違う。

 体中の痛みも、砕けた骨も、ちぎれかけた左腕すらも瞬く間に元通りだ。


 完全回復トゥルーヒールを習得している僧侶は数少ない。


 冒険者として経験を十分に積んだ僧侶とて、中回復ミディアムヒールをようやく覚えているくらいで、大回復グレートヒールを覚えているともなれば冒険の仲間としてひっぱりだこだ。

 僧侶は如何に仲間の回復を出来るかが鍵で、特に回復系の呪文が何を覚えているかが大事だ。だから完全回復トゥルーヒールを覚えているともなれば、争奪戦が起きるのは確実だ。俺が冒険者として過ごして来た中で、完全回復トゥルーヒールを覚えている冒険者は一人たりとも存在しなかった。

 カナン大僧正はどれほどの修行を積んで、この呪文を習得したのだろうか。

 ……いや、それ以上に元々蘇生リザレクションを使えるのだ。

 言うまでも無い事であった。大僧正としての力量は改めて申し分ない事がわかる。


「治りましたか。さて、次は盗賊の子の傷も見ましょう」

「ありがとうございます」


 アーダルには大回復グレートヒールを掛けると、やはり傷は瞬く間に治っていく。


「治っていくのはいいんですけど、どうにも痒いですねぇ」

「それくらい我慢しろ」

「ははは。それは治っていく過程を速めているから仕方のない事なのですよ。ところで」


 大僧正は俺に顔を向けて問う。


「この先も探索したのですか?」

「ええ。何もありませんでしたが」

「何も、か。ふうむ。一応我らも探索してみるとしましょう」


 一瞬だけ息が詰まったが、流石に馬鹿正直に青灰輝石ミスリルがあったなどとは口が裂けても言えない。

 あれは俺たちが先に見つけたお宝なのだ。

 大僧正たちには悪いが、譲るつもりは欠片も無い。

 アーダルにも目配せすると、彼女もまた頷いて口を一文字に結び、目だけ笑った。

 ここを出て換金するまでは二人だけの秘密だ。


「ふむ。確かにこの先はただの行き止まりですね。この棺だけ回収して戻りましょう。貴方達も頃合いを見て戻るのですよ。後ほど、寺院にも顔を見せてください」

「言われずとも、要件がありますから向かいますよ。アーダルの父親を蘇生させなければいけませんからね」

「おお、そうでしたか。では、また地上で会いましょう。おっとその前に、歩いて戻るのは大変でしょうからこれを授けよう」

「重ね重ねありがとうございます」


 カナン大僧正はひとしきりの探索の後、空間転移テレポートで去っていった。

 去り際に、「天使の飾り羽」をくれた。

 もちろん本物の天使の羽ではない。天使の羽根を模って作られた、一度だけ空間転移テレポートが使える道具である。

 駆け出しの冒険者では持てず、何度か迷宮に潜り経験と金を積んでようやく一つ手に入れられるかという代物であり、おいそれと持てるものではない。

 それを気軽に、かはわからないがくれる大僧正の気前の良さよ。

 

「いや、あとで何か面倒ごと押し付けるんじゃないですかね」

「アーダルよ。そういう事は言うんじゃない」


 一瞬俺も頭によぎったが、今はあまり考えたくなかった。


「怪我も治って体は動かせるようになったな。疲労が辛いが」

「早速戻りましょう。僕も硬い床じゃなくてベッドで眠りたいです」


 飾り羽を握りしめ、念じると音もなく羽は砕け散った。

 すぐに空間転移テレポート特有の奇妙な感覚に襲われる。

 気づけば、俺たちは迷宮入口に戻っていた。

 既に空は紫と橙色に染まり、間もなく夜が訪れようとしている事を告げていた。


「地上だ……。やっと帰ってこれたんですね」


 アーダルは目を細め、地平線の向こうへと消えていく太陽を見つめながら声を震わせる。

 

「まるで長く迷宮に潜っていたかのような気分だな」


 迷宮に潜む魔物たちとの連戦に次ぐ連戦。

 そして迷宮の主である亡国の女王。

 大悪魔とも呼ばれる貪食の悪魔ベヘモスとの戦い。

 あまりにも密度の濃い二日間であった。

 それだけにアーダルも成長出来たことであろう。

 もはや彼女は初心冒険者などではない。

 そのような事を言う輩が居れば、この俺が許さぬ。


「さて、酒場にでも行こうか。無事生き延びた喜びを黄金の泡酒で祝おう」

「いやいやいや、流石に今日じゃなくて明日にしましょうよ!」

「冗談だよ」

「冗談には聞こえなかったですよ」


 何を考えているんだか、とアーダルに諫められて俺は曖昧に笑う。

 その後、アーダルも笑い出した。


「生きてて、良かった」


 心底、本音の言葉であろう。

 なんせアーダルには初めての本格的な冒険であった。

 いきなり段違いに強い魔物たちと相対する羽目になり、普通ならば怖気づいて逃げ出してもおかしくはなかった。

 それでも父の為、踏ん張ってこらえて俺についてきたのだ。

 笑いながらも、目からは涙がこぼれていた。


 本当に生きていてよかった。お互いに。

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