第三十八話:戦いの終わり

 俺は何処に居るのだろうか。

 鬼と遭遇した時は真っ暗な闇のただ中に立っていたが、今度は真っ白い光の世界に居る。

 今度こそ俺は死んだのかもしれない。

 天国と言う世界があるとすれば、このような純白の世界なのではないか。

 闇も悪も邪も無い、無垢なる世界。

 呆然と佇んでいると、遥か遠くにゆらりと何かの影が見えた。

 影は蠢いており、誘われるように俺は足をそちらの方向へと進めていく。

 やがて近づくにつれ、それらは人である事に気づいた。

 しかし人影はおぼろな形をしており、青い光に包まれて揺らめいている。

 どうやら彼らは実体ではなく、幽体であるらしかった。

 彼らは大きな門の前に立っており、門が開くのを待っているようだ。

 俺もその群れの中に近づこうとすると、


「貴方はまだそちらへ行く資格はないですよ」


 声が背後から聞こえて来た。

 振り返ると、そこには一人の女性が立っている。

 金色に輝く髪は肩まで伸びて風になびいている。

 碧い目の色は純度の高い翠玉エメラルドと思う程に透き通っている。

 微笑みは阿弥陀如来が降臨したかと思わせる程に安らかで、いつ見ても俺は彼女の笑みに救われていた事を思い出す。

 俺と並ぶくらいの背丈のその人は、呆然としている俺の目前にまで歩いてきて、額をつんと指で押す。


「ここは狭間の世界。あちらは天国へ旅立つ人たちの為の門。貴方はそうじゃないでしょう?」

「ああ。俺はまだ、やるべき事がある。こんな所でグズグズしている場合じゃない」

「それでいいの」

「……済まない。君を待たせてしまって」

「構わないわ。でもなるべく早く、迎えに来て欲しいなって」


 その微笑みは、どこか儚げで寂しそうでもあった。

 俺は何時までこの人を狭間の世界で待たせてしまっているのだろう。

 男として情けない限りだ。

 いつの間にか、俺は歯を噛み締めていた。


「そんな苦しい顔をしないで。貴方を信じているから」


 待っている人が居るのでしょう。早く目覚めて。

 彼女はそう言って、光の中に姿を消していった。


「ああ、待っていてくれ。必ず君を迎えに行く」


 ノエル。

 君を必ず、俺は蘇らせる。




* * *




「ミフネさん、起きて。起きてくださいよ」


 声が聞こえる。

 目を開くと、涙をぼろぼろとこぼしている少女のあどけない顔が目の前にあった。

 いつの間にか、俺はこの子に膝枕をされて寝ていたようだ。

 彼女もひどくボロボロで、体中は傷だらけだ。

 経験も浅いと言うのに、親を助けんが為によくもまあ俺と二人だけで迷宮へと踏み込んだものだ。

 事情があったとはいえ、無謀と言われても仕方がないと言うのに。

 だが彼女もまた、俺の冒険に欠かせぬ仲間だ。


「あ、生きてた! 生きてたよ、良かったぁ」


 安堵の息を吐き、俺に覆いかぶさるように抱き着いてくる。


「おいおい、そんなに強く抱きつかないでくれ。体中がちぎれそうなんだ」

「あ、ごめんなさい……」


 思わず離れ、赤面する少女。

 俺は膝枕から離れ、地面に改めて寝転がる。

 

「おうおう、お熱いねえ」


 声がする方へ首を向けると、異空間から一緒に脱出した男の魂が俺たちの傍らに立っていた。

 男は晴れやかな顔で天を仰いでいる。


「お前のおかげで良い物が見れた。女王の無様なやられように加えて、悪魔までも退けるとはな」

「いや、見苦しい所も見せてしまった」

「そうだな。俺にはどうする事も出来なかったが、それでも二人で何とかその、鬼の力とやらを封じ込められたのは凄いと思うぜ」

「ああ……」

「しかし、気を付けろよ。お前の体に眠る存在は恐らく、女王や悪魔たちと同類だ。力を追い求めすぎると悪鬼羅刹へと身を落とすぞ」

「肝に銘じよう」


 俺の答えを聞いて頷くと、男に対してどこからともかく光が差し込んでくる。

 柔らかな陽光に似た光は、徐々に男の魂を天へと導いていく。


「逝く前にお主の名前を聞かせてくれぬか」

「アーモス=エシュアだ」

「エシュアだと?」

「じゃあ、また来世でな」


 男は光と共に消え、現世から旅立った。


 エシュアと言えば、このイル・カザレム国を代々治める王家の名字だ。

 彼はもしや、王の血脈の先祖なのではないか。

 もし王宮に行く機会があり、王に尋ねる事があれば問うてみたい所だ。


 アーモスの最期を見届けると、再びアーダルがおずおずと近づいてくる。

 俺はようやく寝転がっている体勢から上体を起こし、かろうじて胡坐をかく。

 更に立ち上がろうと力を足に込めるが、腰が抜けたように力が入らない。

 数日の間、安静にしていなければこの疲労と痛みは抜けないだろう。

 アーダルは俺と同じ目線にしゃがみ込む。


「大丈夫ですか、ミフネさん」

「大丈夫だ、と言いたいところだが流石に駄目だ。立てぬ」


 無理に笑ってみるが、俺の辛さを見て取ってか顔をしかめる。


「しかし最後に、エルフの魔水晶を投げるとは思い切ったな。もう少しで死ぬかと思ったよ」

「今考えれば、流石にやりすぎでしたね。でもそうしないと元に戻ってくれ無さそうで」

「荒療治だが、結果的には正解だったな」


 そうされなければ、俺は今頃アーダルを食い殺し、真に鬼神として覚醒してしまっていたのかもしれないのだから。

 そして俺は、何よりも気になっている事を問う。


「アーダル、お主は女子おなごだったのだな」

「……ええ、そうです」

「何故、男と偽って冒険者になった?」


 アーダルは伏し目がちに答えた。


「私は……いや僕は北の果ての国出身です」

「ああ」

「その国は、男は一度は世の中を知る為に旅に出ろというしきたりがあります。知ってますか?」

「お主の父に聞いたからな」

「そうですか。でも、女は故郷から離れずに家と子を守るべし、というしきたりもあるんです。僕はそういうしきたりが嫌いでならなかった。女だって旅に出たいし、世の中を知りたい。僕以外にも世の中を知りたいと思う女の子は多いですよ」


 それでも、実際に旅に出ようとする者は殆どいないだろう。

 ゼフの娘であるだけに、彼女の本質は自由奔放なのかもしれない。

 

「だからそっと故郷を離れました。男と偽ったのは、女の一人旅だと目立ってしょうがないし、襲われる危険性も高いし、何より旅してる故郷の人間に見つかると面倒だったから」

「そうだったのか」

「でも、冒険者って思ったよりも大変でしたね。初めての冒険でいきなり死にかけるし……。その上父は死んじゃってどうなるかと思いました。でも、僕は幸運でした。何といってもミフネさんに出会えましたから」


 アーダルはぱあっと破顔一笑する。

 その笑顔を見て、俺は流石に次に気になる事は口に出来なかった。

 女王が言っていた、ほのかに好意を抱いているのは本当なのかと。

 聞いた所で藪蛇でしかない気がする。

 

「地下二階で、ミフネさんは仰ってましたよね。今後も僕と一緒に冒険したいって」

「その通りだ。俺は今後もお主を仲間として冒険を続けたい」

「ああ、良かった。これからもよろしくお願いします」


 少女のあどけない笑顔に、俺の心は少しばかり痛んだ。

 

「さて、そろそろ帰りたいところだが……」

「やっぱり立てませんか?」


 アーダルの問いに、俺は苦笑いを返すしかできない。

 やむを得まい。今日はここで休むしかないか。

 その時であった。


「!」

「足音、ですね。それも複数の」


 また冒険者がやって来たのだろうか。

 アーダルは俺の脇差を構え、俺は刀を支えに膝立ちに構える。

 まだ立てるとはいえアーダルも万全ではなく、俺は満身創痍だ。左腕は出血は止まっているとは言えちぎれかけており、まともに体も動かせない。

 それでも、逃げ場がなければ戦うしかない。

 万が一にも倒せないとしても。


 開いていた扉から現れたのは、有象無象の冒険者ではなかった。

 俺がいつもお世話になっている、サルヴィ寺院の大僧正。

 寺院の僧兵と僧侶たちを引き連れて、いつもの法衣ではなく鎖帷子に鋼鉄製の錫杖を身に着けている。

 明らかに大僧正は、戦い慣れしている風体だった。

 

「カナン大僧正……何故ここに」

「不穏な気配を感じ、再度ここに舞い戻ったがどうやら既に解決していたようですね」

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