第三十七話:侵食される意識

 獄炎は果たして、貪食の悪魔ベヘモスを焼き尽くすかに思えた。

 だが突如、燃え盛る炎の一部分が穴が開いたように消えたのだ。


「なんだ?」


 消火は次々と起こり、火の勢いは瞬く間に衰えていく。

 どこかから水を召喚して消しているようには見えない。

 泉は地下二階に存在したが、あの程度の湧き出る水の量ではこの業火は消せやしない。

 川から大量の水を引っ張ってでも来ない限りは、この広大な墓地の天井に届きそうなほどの背丈の悪魔にまとわりついた炎は消えないだろう。

 

 よくよく観察してみれば、貪食の悪魔ベヘモスの周囲には異空間が現れ、そこから目鼻のない大口を持った人の頭が体の表面ごと炎を削り喰っている。

 大口は高温の炎すら苦にせずに胃袋の中に収めていく。

 流石に冥府の悪魔と言うべきか、多少の炎なら喰ってしまえばよいと言う判断か。

 胃袋も強靭に出来ているというわけだ。


 やがてすべての炎を喰らい尽くした時には、貪食の悪魔ベヘモスはだいぶ小さくなっていた。

 天井に届きそうな背丈から、いつの間にか俺より二倍程度の大きさにまで縮小している。

 一つの大きな人型の上半身だけを残して、他の小さな上半身も喰われ消えており、馬人ケンタウロスのような形に変化していた。

 一体どういうつもりなのか。


「グガアッ!」


 貪食の悪魔ベヘモスは遠い間合いから瞬く間に俺の目の前にまで接近してきた。

 空間転移ではない。

 鬼の力を得て、各動作を時が止まったが如くに捉えられる今の俺の目をもってしても、その動きを捉えきるのは難しかった。

 ただただ真っすぐに近づいてきただけだ。

 それが異常に速すぎる。

 瞬きの次に、悪魔が俺を呑み込まんと大口を開けているのを見た。

 咄嗟に虚空牙を放ち、頭を分断し難を逃れる。

 斬って飛んだ頭の上半分は飛んで落ちた後、そこからもう一つの貪食の悪魔ベヘモスが新たに生成される。

 一難去ってまた一難か。


 と思いきや、二匹の悪魔は互いに同士討ちを始めた。

 どちらも喰らい合い、体に穴を開けている。

 どうも頭の中身はよろしくないようだ。

 女王が最後の最後まで呼び出さなかった理由の一つが分かった気がする。

 つまりは、自分が知覚したもの全てを手当たり次第に喰らってしまうから、召喚した所で使い道が無い。

 生物だけ喰らうのかと思いきや、炎や土のようなものまで喰らってしまうとなれば、敵地に放った所で文字通り全てを喰らいつくしてしまい、更地にしてしまうだろう。

 命令を聞くかどうかも怪しい。

 となれば、自爆覚悟か世界滅亡を望んで召喚する以外には使えない。

 今の状況のように。


 同士討ちはすぐに終わり、喰らいつくした方の貪食の悪魔ベヘモスが向かってくる。既に喰らわれた肉体の穴は再生しており、再生力の強さだけは悪魔にふさわしい。

 わざと俺は物音を立てている事もあり、アーダルや男の魂は潜んで動かないと言うのもあるが、こうやって意図通りに向かって来てくれるのは戦いやすい。


 悪魔は腕を振りかぶり、振り下ろす。

 攻撃は獣が行うものとなんら変わらない、本能に基づいた動きに過ぎない。

 だが速度と膂力が桁違いだ。

 鬼の膂力を得てもなお、受けた野太刀・無銘が持っていかれてしまう。

 由来もわからぬこの刀は悪魔の一撃を受けても、よく持ってくれている。

 闘気を帯びて強度が上がっているにしてもだ。

 思えば無銘は今まで折れも欠けもしたことが無い。

 ふしぎな刀だと変な所で感心してしまう。


 カギ爪の攻撃では崩せないと見るや、またも貪食の悪魔ベヘモスは口を開く。

 噛みつきかと身構えていると、突如口から瘴気が勢いよく噴射される。

 濃い紫色のそれは、闇の息ダークブレスと呼ばれるもので、悪魔系の魔物が良く使ってくる攻撃だ。

 噛みつかれれば丸呑みされてしまうと警戒していただけに、まともに瘴気を浴びてしまう。


「ぐうっ」


 瘴気は視界を遮るとともに、俺の意識を朦朧とさせる。

 人のままであればひとたまりもなく死んでいたたかもしれない。

 貪食の悪魔ベヘモスの瘴気はそれほど凄まじいものだ。


 膝を着いた俺を感じたか、貪食の悪魔ベヘモスはすぐさまカギ爪による攻撃を繰り出してくる。

 胸から腹にかけての軌道を描いて振り下ろされた爪は、俺の皮膚と肉を斬り裂いた。

 咄嗟にのけ反って内臓が零れ落ちるのだけは避けたものの、傷はけして浅くはない。

 鮮血が飛び散り、飛沫が地面を染める。

 だが今の俺には痛みを感ずるものではない。

 血の熱だけが俺の皮膚に感じられる。

 痛みは戦いが終わってから感ずれば良い。


 傷も血も顧みず、俺は刀を振るう。

 斬撃は確かに悪魔の腕を狙った。

 しかし、腕は刀の軌道からいつの間にか消えうせている。


「!?」


 腕があった場所には歪んだ異空間が姿を現しており、刀は空間を素通りする。

 かと思いきや、俺の目の前に歪曲した空間が現れ、刃が飛び出して来た。


「ぬうっ」


 思わず屈んで躱したものの、その刃は俺の持っている刀と同じ刃文を描いている。

 頭が一瞬混乱したが、恐らくは空間を歪曲させて繋ぎ、俺の刀を攻撃に転用したのだと思われる。

 貪食の悪魔ベヘモスは次々と空間歪曲からの噛みつきや闇の息ダークブレス、爪のひっかきを繰り出し、間合い関係無しに攻撃を仕掛けてくる。

 歪曲攻撃をする前に、わずかに空間が揺らぐ。

 視認出来れば避けるのは難しくはないが、背後からの歪曲攻撃は流石に殺気を感じるしかない。

 幸いなことに、鬼の力によって殺気や違和感にはより敏感になっているのが有難い。


 これであちらの攻撃は手の内まで見れたと思う。

 さて、どうやって貪食の悪魔ベヘモスを倒すか。

 表面を焼いた所で炎ごと喰らって再生する。

 斬った所で分裂するだけと来た。


『ドウヤッテ倒スツモリダ』

「……決まっている」


 俺は貪食の悪魔ベヘモスに真正面に向かっていく。

 貪食の悪魔ベヘモスは向かってくる俺に対して、闇の息ダークブレスを吐き出してくる。さっきは意表を突かれただけで、来るのがわかっていれば避けるのは容易い。

 息を刀の斬撃による風圧で退けると、次はカギ爪の振り下ろしと振り上げが同時に来る。

 所詮は獣じみた攻撃だ。

 爪の間合いよりも前に踏み込んで懐に潜り込むように躱す。


 突如、背中に悪寒が走った。

 

 更に前に一歩踏み出すと、ガチンという音が俺の後頭部で聞こえた。

 一瞬振り返って確認すると、尻尾の蛇が大口を噛み合わせて牙をむき出しにしている。

 蛇は何処から現れたのかと言えば、歪曲された空間からだ。

 前に更に踏み出していなければ、今頃俺の後頭部は無くなっていた事だろう。


 肝を冷やしたものの、無事に攻撃を躱しきった俺は腕を斬り飛ばし、無防備になった悪魔の口に左腕を突っ込む。


『何ヲスルツモリダ?』

「まあ見てろ」


 俺は呼吸を整え、闘気を纏い、即座に獄炎を左の掌に作り出す。


「たらふく喰らえ!」


 掌から発された獄炎を、勢いよく俺は貪食の悪魔ベヘモスの臓腑へと送り込む。

 外側を焼いても喰われるだけなら、中から燃やし尽くしてやる。

 当然、悪魔は苦しみながら抵抗を試み、口を閉じて牙を俺の左腕に突き立てる。

 血が噴出し、肉が裂けて骨が軋む。

 鬼の力で肉体の強度も飛躍的に上がっているが、それでも容易く胸と腹の肉を斬り裂かれただけに貪食の悪魔ベヘモスの牙はなおも鋭い。

 

 構わない。腕一本失っても倒せれば釣りは来る。


 獄炎を力の限り、次から次へと送り込む。

 貪食の悪魔ベヘモスの臓腑が燃え盛り、焼けていく音が聞こえる。

 焼け焦げる臓腑の臭いが漂い始める。

 悪魔の臓腑は鼻も曲がる臭いだが、焼け焦げるのはそれにも増して酷い。

 脳天を刺剣レイピアで突かれるが如くの強烈な臭いがする。

 臓腑を焦がし、焦熱はやがて肉へ骨へ皮膚へと侵食し、ついには貪食の悪魔ベヘモスは獄炎の青白い炎に包まれる。

 体内から焼かれており、かつ炎を送り込み続けているので着火した炎を喰らう事も出来ない。

 奴は炎で溺れている。

 胃袋のみならず、肺腑も燃えているために呼吸もままならない。

 

 俺が取った行動は、作戦と言う程のものでもない。

 奴が再生するのであれば、それを超えるくらいに燃やし尽くしてしまえば良い。

 身体のひとかけらも、毛の一本すらも残さぬほどに。


 貪食の悪魔ベヘモスは、やがて噛みつく力を緩め叫び声を上げ始める。

 断末魔の叫び。

 しかしその声は響かない。

 息すらも灼けて声は炎となり宙に吐き出されるのだから。

 

 やがて貪食の悪魔ベヘモスは、炎を纏いながらゆっくりと地面にくずおれていった。

 動かない。爪先ほども。

 焼け焦げた肉体はやがて灰へと変わり、土に混じって消えていく。


「……倒した、のか」

『フム、コノ世界ニオイテハナ』

「どういう意味だ?」

 

 鬼神が言う限りでは、女王が召喚したのは完全体ではなく、分身のようなものらしい。

 本体はまだ冥界に居るとのことだ。

 とはいえ、分身と言っても本体との繋がりが全く無い訳でもなく、あれだけ燃やされて打撃を与えられれば、しばらくはこの世界には現れられないだろうと。

 

「お主にそんな事がわかるのか?」

『ワカル。我モカツテ同ジヨウナ存在ダッタカラナ』

「それは一体、どういう意味……」


 問いかけた瞬間、俺の体に衝撃が走る。

 身体の各部が引き裂かれそうな痛みに襲われ、刀を支えにしていなければ立っていられない。


『ヨウヤク来タカ。マチクタビレタゾ』

「力を使いすぎた反動か……? 待っていたとは一体」

『マダ気ヅカヌカ。何故我ガオ前ニ鬼ノ力ヲ授ケタト思ッテイル』

「まさか……」

『オ前ハ鬼ニコレ以上ナイ位ニ近ヅイタ。今コソ我ガ器トシテ相応シイ』


 動けぬほどに弱っているから乗っ取るのも容易いだろう、と鬼神は笑みを浮かべる。


『オ前ノ体ヲ頂クツイデニ一ツ教エテヤロウ。三船家ノ歴史ノ一端ヲ』


 鬼神は次のように語った。

 

 曰く、彼ら鬼神おにがみは松原の地を根城にし、その地域一帯を支配していた。

 ある時、三船家の祖先となる者が現れ、その後三世代に渡って鬼神おにがみたちと争いを続けた。

 やがて三船家初代の三船宗忠みふねむねただが現れ、鬼神おにがみを調伏するに至った。

 三船宗忠みふねむねただはただ鬼を斃し松原の地を支配するのみならず、鬼の力をも三船家の血脈に組み込むべく、鬼神を喰らった、と。


「……嘘だ。我らが祖先が鬼を倒し、松原の地は平和になった。そうとしか伝わっていない! 文書にも口伝にも残されていない!」

『後ロメタク血腥ちなまぐさイ事ナド残ソウトスル訳ガナイダロウ』

「……」


 反論したくとも、確かにそれはその通りだ。


『故ニ、我ラハ喰ワレテモソノ血ノ中ニ潜ンデキタ。再ビ現世ニ現レル為ニ、鬼ニ還ル者ガ生マレル事ヲ待チ続ケタノダ』


 鬼に還る者。

 それすなわち、先祖返りという事か。


『ドレホド血ノ由来ガ遠クナロウトモ、時折先祖ノ特徴ヲ色濃ク現ス者ガ生マレル。オ前達ノ一族ノ中ニハ、鬼ソノモノト言ワレル者ハ現レナンダカ?』


 確かに、いつかどこかで聞いた覚えがある。


 三船家中興の祖、三船宗隆みふねむねたかの頃だったか。

 宗隆むねたかには弟が居た。

 彼は鬼に見紛うくらいに体格がけた外れに大きく、力も化け物のように強かった。

 一騎当千、いや当万とも言える存在であったが、故に宗隆むねたかは弟が裏切った時の事を考えると疑心暗鬼に陥った。

 ついに宗隆むねたかは罪状をでっち上げ、切腹を命じる。

 しかし弟はそれを拒否し、国外へ逃げた。

 取り囲んだ軍勢を一人でなぎ倒して。

 その後の行方は杳として知れない。


「……俺も、鬼の先祖返りだと?」

『ソノ通リダ』


 鬼神が獣のように牙を剥いて笑みを更に強くする。


『オ前ハ我ノ復活ノ礎トナルノダ。今コソ我トトモニ、一体ニ在ルベキダ。一切ヲ委ネヨ』

「や、やめろ!」

 

 俺の意識は途端に朧気に曖昧になり、鬼神の意識と混ざり合う。

 ………………。








 

 ヨウヤク、目覚メタ。

 シカシコノ体ハ最早ボロクズニ等シイ。

 早ク喰ラワネバナラヌ。


「だ、大丈夫ですかミフネさん!?」


 近ヅイテクル、新鮮ナ肉ト魂ダ。

 ダメだ、近寄ってくるんじゃない……。

 

『何とか大丈夫だ、心配するほどジャナイ』

「ぼろぼろじゃないですか! 左腕までちぎれてるのに何を言ってるんです!!」

『これくらい、すぐに治ル』

「え?」


 ワレハ、小娘ノ首根ッコヲ掴ミ持チ上ゲル。


「ぐ、う、な、に、を」

『お前の肉と魂は実に美味そうだ。涎ガ垂レル』

「ミフネさんじゃあ、ない……?」

『案ズルナ小娘。オ前ノ好キナ宗一郎ハコノ中ニ居ル。喰ラワレレバ一緒ニ成レルゾ』

「た、すけて……」


 何か暖かいモノが俺の頬に触れた。

 小娘カラ流レタ涙。小賢シイ液体。

 ソレガマタ、ワレノ食欲ヲソソル。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 喰ってたまるか! 喰らわれてたまるか!

 仲間を、これ以上無くすのは御免だ!

 

『!? 何、ソンナ事ガ有リ得ルトイウノカ!?』


 涙に触れた事で薄れかけていた俺の意識は覚醒する。鬼神の意識は一瞬だけ消し飛び、混濁した意識は鮮明さを取り戻す。

 俺はアーダルの首から手を離し、地面に降ろした。

 アーダルは咳をしながらも俺から距離を取って離れる。

 俺はアーダルに向かい、一言をようやく捻りだした。


「逃げろ、遠くに。」

「嫌です。僕が乗っ取られたみたいに、今度は僕が助けるんだ!」

「馬鹿な事を言うな! ぐうっ……」


 不味い。意識がまた混濁してきた。

 そんな最中、アーダルは何かに思い至ったようで腰の鞄を探っていた。


「一か八か、正気に戻って!」


 アーダルが俺に向かって投げつけたのは、紫色に輝くエルフの魔水晶だった。

 まだ魔力が残っているそれは、柔らかに輝きながら放物線を描いて俺の額にぶつかる。

 瞬間、魔水晶はひび割れて中から迸る光の奔流が天へ地へと放出される。

 

 鬼神から、地の底から雲の上まで響き渡るような叫びが吐き出される。

 ごぼごぼと、それは濁流の流れのようにも油の煮え滾る音のようにも聞こえた。


 俺と鬼神は光に包まれ、意識を失った。

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