第三十六話:貪食の悪魔
激昂はしたものの、女王にはもはや俺に対する有効な手段は無いはず。
その証拠に、女王は次の手を繰り出そうにも考えあぐねている。
それなら今度は俺たちの手番だ。
我ハ目覚メタバカリデ酷ク腹ガ減ッテイル。
ならば喰らおう。盛大に。
女王が貯えていた魂は、長きにわたって現世にとどまっていた為に新鮮さには程遠い。
だが数だけは膨大にある。
食いでが足りないという事は無い筈だ。
無造作に間合いを詰めてくる俺に対して、女王はあらゆる呪文を放ってくる。
唖然とする女王の目前についに立った俺は、転移で逃げようとする女王の右腕を何気なく斬った。
右腕にこそ、俺たちが求めるものがあったから。
「ぎゃあああああああああああああああああっ!」
今まで俺は奴が人間の形である事に囚われ、頭部や心臓と言った急所を狙っていた。
だが不死の魔物、特に高位の存在ともなれば、もはやそこは急所でも何でもない。
女王の場合、自ら魔術を操る右腕にこそ不死としての命、大量の魂たちがあった。右腕からは遠くからでもわかるほどに魂の匂いを放っていた。しかし、人のままであれば分からなかったであろう。鬼の力を借りたからこそ、気づけたのだ。
惜しむらくは肩口から斬れなかった事で、それによってまだ女王は命を繋いでいる。
右腕から青い焔の如き魂があふれ出てくる。
膨大な数の人魂が広大な空間の中に次から次へと現れるが、それでも埋め尽くす程ではない。魂はほとんどが意志を失い、虚ろに漂うだけだ。
魂だけになった屈強な男は見るからに顔を歪めている。
「これだけの魂をどうやってかき集めて来たんだか……」
「聞きたいか?」
「いやいい。吐き気がしそうだ」
男は呆然としたままそれを見つめている。
その一部となっていたら、きっとこの男も自我を失っていた事だろう。
溢レ出タ魂ドモハ、シカシ我ガアル事ヲ失念シテイタ事ヲ思イ出サセテクレル。
久シイ眠リカラ目覚メタバカリデ、我ノ頭ハ寝ボケテイタノカモシレナイ。
「……魂が汚染されている。ひどく匂うな」
『女王ノ魂ダケガ匂ウノダト思ッテイタガ、違ッタカ』
あまりにも長きに渡って女王と共に居た魂達だ。
女王の腐った魂に影響されたせいか、もはや喰らうに値しないものに変貌していた。
……マア、イイ。
御馳走ハソレコソ最後ニ取ッテアルカラナ。
浮かぶ魂どもを切り払い一掃し、再び女王に向き直る。
刀を構えて歩き出すと、突然女王は高笑いを上げた。
「ついに狂ったか?」
『ソレトモ命乞イデモスル気カ』
元より命乞いなど今更受け入れる気も無い。
どれだけの非道悪逆の限りを尽くして来た事か。
生きて居て良い理由がもはや存在しない。
世界にとってこいつは害悪でしかないのだ。
女王の右腕はまだ黒い靄が掛かったままで、魂を半数ほど失った痛手なのか再生に時間が掛かっているようだ。
しかし女王は高笑いを止めると、狂気の笑みを浮かべながら詠唱を始める。
「その尾は
――出でよ、ベヘモス――
女王がその名を呼んだ瞬間、女王の真下の地面から何かが現れ、あっという間に女王を丸ごと呑み込んでしまった。
呑み込まれる瞬間、女王は叫ぶ。
「勝てぬのなら、世界を支配出来ぬのなら、全て滅べ」
呪詛の叫びは召喚された悪魔に呑み込まれて消える。
目の前に現れたそれは、俺は今までに見た事の無い魔物であった。
まず俺の目に映ったのは、巨大な口。
巨人や竜ですら丸飲み出来るのではないかと思うほどに大きい。
顔面に相当する部分には口しか見当たらない。
鼻も無く、耳も無い。歯は鋭い牙となっており、鮫の歯を思わせる。
常に涎を垂らして荒く息を吐き、酷く腹を空かせた餓鬼のようにも見える。
大口の顔の他にも人間に似た上半身を無数に生やしている。
上半身にはもちろん腕が生えており、手探りで食物を探している。
下半身は竜のような鱗に守られた四肢を持っている。
尻尾は長大な蛇であり、俺の国の妖怪の
何物にも喰らいつきすべてを呑み込むというその悪魔の名前だけは知っていた。
西洋の大陸に伝わる有名な悪魔で、出会ったが最期、肉体どころか魂までもを消化され、天国に行く事も叶わずに悪魔の糧となってしまうらしい。
圧倒的な存在感に、思わず俺は仰け反ってしまう。
『異空間ヘ放リ込ム術ガ最後ノ手ダト思ッテ居タガ……アノ
鬼神は嬉々としてこの状況を楽しんでいる。
怖くはないのか。
『強者トノ戦イモマタ、我ガ欲望ノ一ツ。強者ト戦ワズシテ何ガ鬼カ。三船家ノ者達モ自ラヨリモ強イ者達ニ挑ンデコソ、礎ヲ築イタノダ』
鬼神は先祖の事も知っているのか。
いや、神に近き存在であればあるほど、人には及ばぬ領域の命の長さを持っている。
この鬼神が先祖をその目で見ていたとしても何の不思議もない。
目も鼻もない為に感知能力は低いのか。
そう思い、間合いを取るために一歩、忍び足で後ずさると俺の方に口だけの顔を向ける。
音や振動に対しては敏感、か。
俺は野太刀を構え、相対する。
呼吸を整え、丹田から巡る気を体中に流す。
身体の表面からうっすらと闘気が発され、白い靄のように俺を包む。
思ったよりも鈍い。
「ふっ」
斬り上げて腕を飛ばすが、悪魔は意にも解さない。
次から次へと別の上半身から腕が伸びてくる。
しかも斬った腕はすぐさま再生し、なおかつ斬られた側の腕から新たな悪魔が生まれてきている。流石に本体と比較すると小さいが。
なるほど、これでは斬った所で意味がない。
無数の腕を躱しながら、どうすべきか思案する。
腕の中にはアーダルの方へと向いているものもあった。
「アーダル、起きろ!」
俺はまだ気絶しているアーダルに駆け寄って抱え上げ、顔を軽く平手ではたく。
「う、うん……」
「目が覚めたか」
「うわっ、化け物!」
「落ち着け、俺だ」
「み、ミフネさん……? どうしてそんな姿に」
「説明は後だ。今はとにかく回避に専念してくれ」
「回避って……何ですかあれは!?」
目の前に居る見慣れぬ魔物を見て、アーダルは叫び声を上げそうになる。
「あまり騒ぐな。あいつは音や振動でこっちの位置を探る」
「は、はい」
「それに再生能力が半端じゃない。ただ斬るだけでは倒せんようだ」
「じゃあどうするんですか?」
「その為に準備が必要なんだ。お主が食われては今までの苦労が水の泡だ」
「わ、わかりました……はっ」
アーダルは上半身が露わになっている事に気づき、顔を赤らめて腕で隠す。
乙女の恥じらい、か。
俺は鎧を脱ぎ、下着を渡して着せてやる。
「ちょっと大きいかもしれんが、それを着て凌いでくれ」
「あっ……はい」
何だか目が潤んでいるが、今はそれを気にしている暇はない。
悪魔は俺たちが何をしているかなど気にもせず、次から次へと腕を伸ばす。
腕を躱し、間合いを腕が伸びる範囲よりも更に外に逃れて呼吸を整える。
闘気錬成の型・刹那。
霊気錬成の型・瞬息よりも更に闘気の循環を高め、更なる力を身体から引き出す。
鬼神の持つ力に闘気までもが重なれば、それすなわち無敵に等しい。
人のままでは決して届かぬ領域に、今俺は居る。
闘気が巡り、更に体から発される靄は明確に見えるようになる。
野太刀にも闘気が巡り、白い光を放ち輝く。
更に巡る、巡る、巡る。
いつしか俺の体と刀に炎が宿り、燃え盛る。
青白い炎は、鬼火と揶揄される輝きに似ていた。
悪魔は腕の範囲に何もない事を確認すると、下半身の四肢を動かして熱のある方、即ち俺の方向へと進み始める。
俺は上段に構えた状態から、一度だけ刀を振り下ろす。
刀の描いた軌道からは青い炎が発され、燃え盛りながら空気を焼いて進む。
行く先は
「ギャアアアアアアアアアアアアッ」
炎を避ける様子もなく、
「奥義・獄炎」
地獄の炎を呼び出し体に宿す事で、敵を一つの欠片も残さずに燃やし尽くす。
炎は悪魔にまとわりつき、勢いは更に強まっていく。
もだえ苦しむ
「さて、悪魔狩りと行こうじゃないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます