第三十五話:女王の切り札

 俺の、いや鬼神の力はこれほどのものなのか。

 鬼神の力を借りる事により、本気を出した女王すらも圧倒出来ている。

 対して女王はわずかながら歯噛みをしている。

 

「ちょこざいな!」


 女王は詠唱し霊魂矢ソウルアローを生成する。

 しかしそのまま発射せず、女王の周囲にふわふわと矢は漂っている。

 一体どういうつもりだ、と訝しむとすぐに意図はわかった。

 音も無く風景の中に女王は溶け込んだ。

 十八番の空間転移だ。懲りずに。

 消えたと同時に霊魂矢ソウルアローは俺に向かって射出される。

 霊魂矢ソウルアローは誘導性を持っているのか、俺が避けようと駆け出した所、後をずっと追いかけてくる。

 

「ならばかき消すまで」


 俺は遠当てを即座に繰り出し、霊魂矢ソウルアローとかち合わせて相殺させた。

 これで前方の脅威は消滅した。

 となればあとは女王だけだ。


「なるほど、そっちか」


 俺はまだ何もいない右側面の空間へ顔を向ける。

 よくよく見れば、幽かに何かが輪郭を形どっているのがわかる。

 それは女王の姿に他ならない。

 既に気づいている俺を見て目を大きく見開いている。

 何度も同じことを繰り返していたから予測された、読まれたわけではない。

 完全に俺が察知している事に気づいたのだ。

 女王にとってはこれが初めての事だろう。

 一旦空間転移をした場合、一度完全に姿を現すまでは再度空間転移を行うのは不可能だと魔術師に聞いた事があった。

 何でも体を作る要素と座標が完全に確定しないうちにまた転移しようとすると、体を作る要素が収束できずに無秩序に散らばってしまうらしい。

 空間転移は魔術の中でも高度な術法だ。

 世の中の理を幾らか曲げて可能にしている魔術なだけにその扱いは慎重を期せねばならない。

 故に、女王は無防備な姿を俺に晒すしかなかった。

 姿を現してからなら無詠唱の魔術を繰り出して何とでも出来るだろうが、転移最中の女王の顔に俺の刀はやすやすと突き刺さる。

 完全に女王が姿を現し、同時に刃は後頭部まで突き通り、女王は叫び声を上げながらのけぞって痛みにのたうつ。

 今更だが、例え魂を喰らう化け物になって何度復活出来たとて痛みは克服できるわけではないらしい。


「おのれ、なぜわらわの居場所がわかる! 今度は転移の場所を変えたはずなのに」

「わかるも何も、お前の魂は脳天に突き刺さるような刺激臭がするんだよ。卵が腐った時くらいに酷い匂いだ」

「魂の匂い? そんなものが感じ取れてたまるか!」


 不死の魔物であれば火に吸い寄せられる虫の如く、魂の気配に敏感だ。

 魂を喰らう者として転生したとはいえ、まだまだ不死としてはひよっこだ。

 生粋の喰らうものたる存在には程遠い。

 

「故に、今の俺には貴様の空間転移など無意味だ。貴様の動きは一挙一動、手に取るようにわかる」


 黒煙が収まり、傷が再生した女王は苦り切った顔をし、次の一手を繰り出す。

 女王が右腕を掲げると、うっすらと青い光が発される。

 目を瞑り、集中を高めている。何らかの呪文を詠唱するのか。

 今までは詠唱を繰り出す事など無かったが、いよいよ切羽詰まって来たか。


「我が言霊に於いて大気の精霊に命ずる。彼奴へ黒鉄よりも重き軛を負わせ、永遠の重苦に苛ませよ」


 ――重力圧壊グラビティプレス――


 女王は確かにそう呪文を唱えると、にわかに大気が震動し始める。

 同時に、俺の体に強烈な重圧が加えられる。

 石抱きの拷問もかくやと思うほどの、いやそれ以上の重石を体中に感じる。

 周囲には勿論、重石となるようなものは何もない。

 女王は一体何を操作したと言うのか。


「この世界には重力と言うものが存在している事を知っているか」

「知らぬ」

わらわも原理はよく知らぬがの。つまりは我らが踏みしめている大地に向かって働いている力だ。今、お前の周囲にのみ掛かる重力を強くした。這いつくばれ、下郎!」


 肩に、首に、頭に、全身に負荷は強まってきている。

 何時かは忘却の彼方へと過ぎ去ったが、「我」は以前似たような状況に陥った。

 巨大な岩石を不思議な力で飛ばしてきて、「我」は圧し潰されたのだ。

 その時は這い出るまでに一ヶ月も掛かった気がする。

 今となっては懐かしい思い出だ。


「それに比べればこんな重さなど、大した事ではない!」


 俺は足跡を地面に遺しながら女王の前へと歩を進める。

 

「ぬうっ、もっと負荷を掛けよ! 大気の精霊よ!」

「無駄だ」


 女王の声に呼応する形で、重力は更に強まってくる。

 足首まで地面に埋まっているが、雪が少し降った日のような足取りで俺は更に前進する。

 この程度の力では俺を地面に這いずらせる事など出来ん。


 ――思イ上ガリモ甚ダシイ奴メ。

 

 女王は重力魔術を使っている間は他の事が出来ないらしく、必死に魔術の効力を高めようと詠唱を続けている。

 ついに女王の眼前にまで迫り、刀を振り上げると女王は重力魔術を解除し転移で逃げた。

 棺のある中央部からこの部屋の壁際までとは、随分と遠くまで距離を取ったものだ。

 遠間でもよくわかるほどに女王の呼吸は乱れている。

 額には冷や汗が浮き出ている。

 奴は今、感じた事のない感情を味わっているだろう。

 

 恐怖、という感情を。


 しかし、やはり女王と言う立場に上り詰めただけあって、胆力もあるのもまた事実。

 しばらく深呼吸し、息を整えると冷や汗はひいて冷静な顔色に戻る。


「……悔しいが認めざるを得ないな。鬼神とやらの力を」

「ふん。新参の魔物に認められる筋合いなど無いがな」

「神の一種を名乗るからには、わらわも覚悟を持ってお前に挑もう。小細工はもう抜きだ」


 俄かに女王の雰囲気が変わった。

 今までの余裕を持った張り付いた笑みは消えうせ、冷徹な支配者の顔に変貌する。

 ようやく化けの皮を剥がせた、か。


「空間を、時空を操る一人の魔術師として、最高峰の魔術を用いてお前を排除する」


 女王は再度詠唱を紡ぎ始める。

 先ほどの詠唱までとは違い、印を組みながら古代のものと思しき言葉を唱える。

 額には玉の汗を流し、周囲から魔素マナを集めその両腕に集束する。

 地面が振動し、空気に伝わり、部屋全体が震えはじめる。

 土や細かい石、砂が宙に浮かぶ。


「我が真名に於いて時空を司るものに命ず。我が眼前に立つ者を、その力を用い永遠に空間の狭間へと封じ給え」


 ――次元断裂ディメンショナルティア――

 

 それが女王が発した呪文の名前である。

 もっとも、魔術が完成した時には既に俺は空間に発生した次元の裂け目にあっという間に吸い込まれ、いずことも知れぬ異空間へと放り出された後だった。

 


* * *



 空気はある。しかし周囲は何もない。

 闇以外には何も見えない。虚無というものがあるとしたら、まさにこのような場所であろう。

 

『イヤ、ソウデモナイ』


 鬼神がつぶやく。

 そこでようやく俺もとある気配が漂ってくる事に気づいた。

 集中して嗅ぎ付ける。

 それはここに遺された死の気配だ。

 俺以外にも憐れに異空間に吸い込まれ、孤独の最中に死んでいった者たち。

 気配を辿っていくと、死骸は一か所にある程度まとまっていた。それでも数は両手で数えられるほどに少ない。

 時間が経っているのか、大抵の死体は骨になっている。

 女王が切り札としていただけに、ここに吸い込まれた人々がどれだけ女王にとって厄介な相手であったのかが伺える。

 死体の傍らには必ず魂が漂っていた。彼らはほとんど自我すらも、自分がどのような形をしていたかも忘れたようで、青い火の玉の形をようやく保っているに過ぎない。


「お前は、新入りか」


 その中にあって、只一人未だに人の形を保っている魂が話しかけてくる。

 見るからに屈強な戦士だ。一体どのようにして女王に切り札を使わせたのか聞きたいが。


「もはや何年過ぎたのかすら忘れたが、女王はまだ生きているのか」

「お主がどの時代に生きたのか知らぬが、女王は千年の眠りの後に不死の魔物として復活したぞ」

「なるほど、道理でな……」


 あの女王なら魔物になってでも生きようとするだろう、と魂は力なく肩を落とす。


「もうここからは出られない。何をしてもだ。出来るなら自ら死を選んだ方がマシだぞ。出ようと足掻こうとせずにな。その方が苦痛も少ない」

『我ニハ魂トナッテモコノ世ニ残ル方ガ苦痛ニ思エルガナ』

「それも事実だ。だが生きている時、餓えと渇きに苛まされるのは地獄の苦しみだった。魂となって存在し続けるのは、孤独に耐えられるならそれよりはマシだ。人によってどちらがマシかは違うだろうがな」

『ナラバ元ノ空間二戻レルナラ、ソレヲ望ムカ』


 魂は鬼神の言葉に、短く鼻で笑う。

 

「女王に匹敵するほどの空間魔術に長けた魔術師でなければ、ここは出れない。俺たちにはどうあがいても出る手段はない」

『ソウデモナイ』


 「我」の言葉を聞いて怪訝な顔色を浮かべていた魂も、ようやく目の前に俺たちがどのような存在であるかに気づき始める。


「お前、その身体にもうひとつ何かを宿しているのか」

『我コソハ人ナラヌ超常ノ存在ナリ。故ニココカラ出ルナド容易イ事ヲ今カラ示ス』

 

 「我」は魔術の痕跡を辿る。

 大がかりな力が働いた時、目には見えなくとも空間には何がしらの影響が必ず残っているというものだ。

 魔術師本人の魔力の痕跡であったり、或いは力を借りた精霊やら、神や悪魔の匂いが。

 痕跡は数千年経とうとも、隠蔽をしない限りは絶対に消えない。

 それらを探知できるのは彼らが言うように魔術を究めた者か、「我ら」人外の、超常の者に限られる。


「ここだな」


 痕跡が一層強く残されている場所に辿り着いた。

 男の魂も、形を崩した魂も半信半疑ながらついてくる。

 傍目には何もわからない、文字通りの虚無。


「何も無いじゃないか。やはり戯言だったのか」

「肉体の枷から解放されて何年も過ぎたのならば、その眼ではなく心眼で物事を探ってみたらどうなのだ。霊魂は半ば彼岸の存在である故、目に見えぬ物も見えると聞いたがな」


 俺が言うと、渋々ながらも男は目を瞑り、気配を探る。


「……言われてみれば、確かに違和感がある。お前の指している空間は、まるで無理やり糸で縫い合わせたかのような布のように歪んでいる」

『魔術デ裂ケ目ヲ作ッタノヲ無理ヤリ閉ジタ為ダロウ。力場ガ歪ンデイルノダ』

「それが分かったとて出られる手段が無いだろう」

『我ノ力ヲ甘ク見ルカ。良カロウ。我ガ力ヲソノ眼デシカト見ヨ!』


 「我」は背負っている野太刀、無銘を抜き丹田呼吸を始める。

 力が体内を巡り始め、闘気がうっすらと白く体の表面を覆うように発される。

 丹田呼吸の型、闘気錬成。

 無限の闘気を発する為にはまずここから始まる。

 錬成した闘気を刀に流す。

 刀も呼応するかの如く、鈍い光を放ち始める。

 男は興味深くその様子を眺めていた。


「それが気の力か。知ってはいたが初めて見る。実に興味深い。生きていれば会得してみたかったものだ」

「ならば存分に技を見て、来世で習得してくれ」


 刀を構え、一呼吸おいて歪んでいる空間を斬り裂いた。

 縫い合わされた空間は斬撃の軌道に従って縫い目が綻びはじめ、眩い光が暗黒空間の中に差し込んでくる。

 闇に慣れた目には少しばかり眩しすぎる。

 魂たちは我先にと異空間から飛び出し、現世へと戻る。

 彼らは何処からか差し込む光に導かれ、天に昇っていく。


「ああ、現世だ。光だ。ようやく逝ける――」


 形を崩した魂たちはそのような言葉を残して去った。

 屈強な男は、空間から出てもまだ現世に留まっている。


「お主はまだ逝かぬのか?」

「俺はあんた達があのクソ女王をぶちのめすのを、この目で確かめてからにするよ」

「好きにすればいい」


 対して、異空間から出て来た俺たちを見た女王は、安心しきっていたのか今にもアーダルの魂を抜き取らんと胸に黒い手を掛けている。

 空間の裂け目から現れた俺ともう一人の魂を見て、あんぐりと口を開けている。


「鬼の居ぬ間になんとやら、か。良いご身分だな」

「馬鹿な……! 何故生きて帰って来れる!? お前はなんだ、何なんだ一体!?」

『我コソハ鬼神デアル。マダ受ケ入レラレヌカ』

わらわを愚弄するか!」


 女王は激昂し、今にも血管がはち切れんばかりに顔を真っ赤にする。

 男はそれだけで腹を抱えて笑っていた。


「あの女王をあれだけ怒らせるとは、お前たちは凄いな」

「では、それ以上のものをお主に見せてやろう」

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