第三十四話:覚醒
俺は今どこに居るのだろうか。
わからない。
全ては闇の中。俺の体も闇の中に溶けているかの如く不確かで形も何もなく、ここにあるのは俺の意識だけという事になる。
これが死か。
死んだあと、人は何処へ行くのか。
生きている者では決して知る事のない世界。
死後の世界。
一度死に、蘇った者であればその一端を知っているのやもしれぬが、彼らは蘇った後は一様に語った事が無い。その時の記憶を失っているのか、覚えていたとしても黙して語らぬのか。
例外にして、唯一語った者がいる。
彼は青ざめた顔色をして冷や汗を流しながら、一言だけ呟いた。
筆舌に尽くしがたい苦痛を味わった、と。
俺の意識はある。
何も見えない。聞こえない。
何かを触っているのかすらわからない。
全ての感覚が遮断されている。
暖かいのか冷たいのかすら感じられない。
これが無か。
はてさて、死後の世界へと俺は辿り着いたのだろうか。
一体誰かによって裁きを受けるのかもしれない。
地獄の入り口に居ると言われる冥界の大王か、はたまた地獄全てを統治する死神か。
死後の世界なら導く何者かが居るか、俺と同じように魂のみとなった者が居てもおかしくはないのだが。
『ココハ死後ノ世界ナドデハナイ』
どこからともなく声が聞こえてくる。
その瞬間、ぼんやりしていた俺の意識は急速にはっきりとしてくる。
霧散していた感覚が収束し、俺の肉体の形を徐々に思い出して来た。
肉体を取り戻し、精神を目覚めさせてもなおまだ俺は闇の中に立ち尽くしていた。
未だ現実世界ではないようだ。
では一体俺は何処に居るのか?
「声の主よ。お主は一体誰だ」
『我ガ誰カ等些事ニ過ギヌ』
闇の中から何処からともなく炎の玉が集まり、徐々に炎は人の形を取りだしていく。
いや、それは人とは似て非なるものであった。
俺よりも背丈は倍以上もあり、額には角が二つ生えている。
歯は鋭い牙が並んでおり、筋骨隆々とした肉体。
人間が極限まで鍛え上げてもああはなるまい。いや、肉体について優れた
筋肉の密度が根本的に違う気がする。
人間を軽々と数十人を片腕で持ち上げるだろう。
赤銅色の肌は金属を思わせる光沢を放っている。
金棒ではなく、俺の野太刀に似ている刀を持ち、粗末ながらも鎧らしきものを身に着けている。
その特徴は、かつて俺の故郷に存在していたと言われる「鬼神」によく似ていた。
「貴様は……かつて我が領土、松原の地に居たと言われる鬼神か」
『如何ニモ。良ク覚エテイタ』
「俺に何か用か」
『何用ト尋ネル暇ハアルノカ? 今ノオ前ハ死ニ際ニアッタハズダ』
そこでさらに俺の頭は鮮明になり、状況を思い出す。
俺の目の前には女王が立っており、俺の胸を黒い闇の手で貫いている。
そうだ、奴は俺の魂を抜き取ろうとしていたのだ。
「……俺はあいつに勝てなかった。何一つ歯が立たなかった」
『デ、アロウナ』
「無様な俺を笑えよ。鬼神よ。何しに現れたのかは知らんがな」
『今、ココデウヌニ死ナレタラ我モ困ルノダ』
故ニ力ヲ貸ス。
鬼神はそう言った。
「……何故だ。鬼神が人間如きに力を貸すとはどういう風の吹き回しだ」
『疑ッテイル暇ガアルノカ? 我ガ力ヲ借リ蘇ルカ、未練ヲ残シテ死ヌカ、オ前ハ何方ヲ選ブ?』
鬼神は笑みを浮かべ、俺に問いかける。
俺に選択の余地はなかった。
「……俺は女王を倒し、宝を持ち帰り、ノエルを蘇らせる。その為には神だろうが悪魔だろうが、誰の力でも借りてやる」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、鬼神は俺の目線までしゃがみ込んで答えた。
『ナレバ我ガ力ヲ身ニ宿シ、再ビ目覚メヨ!』
鬼神は再び炎の玉へと姿を変え、俺の体に入り込む。
燃え盛る炎に包まれる感覚。
しかし今はこの灼熱の力が俺には必要なのだ。
「ぬおおおおおっ」
鬼神と俺は融合し、闇の中から解き放たれて意識は現実世界へと戻される。
* * *
「何故だ、何故魂が抜き取れぬ」
俺が目を開けると、女王が狼狽えながら俺の胸に黒い手を突き刺していた。
魂を吸わんと力を込めているのか、黒い手には赤黒い血管が浮き上がり脈動し、女王は額に玉のような汗を流している。
怒りを見せる事はあれども、女王がこのように狼狽える姿は戦いの最中では見たことが無かった。
女王は俺が再び目を覚ました事に驚愕し、呆けた表情を見せる。
「どうした。死人が蘇って驚くか。自らも不死の化け物の癖に」
「おのれ、まだ死に切っておらなんだか。ならば今度こそ心臓を握りつぶすまで!」
黒い手に力が入るのがわかる。
ミシミシと俺の心臓が今にも握りつぶされそうな圧力を加えられる。
しかしその程度の力では、もはや俺を止める事は出来ない。
女王から伸びて俺の心臓をわしづかみしている黒い手の腕部分を掴み、無造作に握りつぶす。
ばちゅん、と弾ける音と共に黒い手はあっけなく霧散して消えた。
女王はその様を見て、更に驚愕の為に口を開けて俺の手と顔を交互に見ている。
「馬鹿な、物理的にそれを触り潰せる人間など、この世にはおらぬはずだ!」
「人間なら、な」
「……お前、一体誰じゃ」
女王は怪訝な顔をして「我」を見つめる。
気づけば、俺の額には二本の角が生え、体も薄く赤身を帯びていた。
少しばかり背丈も伸びているような気がする。視点がいつも見ている所よりも高い。
俺は丹田に力を込め、腹からゆっくりと呼吸を整える。
すると俺の体にはいつも流れている霊気とはまた異なる気が巡り始める。
純粋な闘気とも言うべき力か、それは溢れんばかりに天へと昇る。
俺の体には無限の闘気が迸っているのを感じていた。
女王は驚きながらも、納得した風に呟く。
「なるほど、お前の体に手を付き立てた時、妙な抵抗を感じたがそう言う訳か。人ならざる存在を体の内に抱えていた、と。ミフネよ、お前も
『ソノ様ニ語ラレルノハ心外ダナ。異国ノ女王ヨ。我コソハ鬼神ナリ』
「うつけめが。鬼神が何するものぞ。
女王の叫びと共に、黒い手が無数に襲い掛かってくる。
これで俺は一度死んだ。
だが今は全ての手の動きがはっきりと見える。
遅すぎるほどに。
俺は打刀を鞘から抜刀し、全ての手を斬り伏せる。
黒い手はぼとぼとと地面に落ち、虚空へと消える。
「く、くそっ」
「さあ、もっと貴様の奥の手を見せろ。それだけじゃないだろう」
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