第六話:雌伏の日々
よくわからない老人の手助けを受け、俺は何とか迷宮から脱出出来た。
ところで、なんで俺がわざわざ一番高い宿屋「イブン・サフィール」に泊っているかと言うと、疲労を抜く為というのはもちろんあるが、一番は自分の身の安全を守る為にある。
高級宿屋は宿泊者の情報を守るし、警備員も雇われており大広間や応接室などに常駐しており、廊下も巡回している。
客を身分で差別せずに、金さえ払えば上客のように扱ってくれる良い宿だ。
一日目は泥のように眠った。
禁制の薬の反動もあったし、いくら怪我を呪文で即座に治せたとて疲労は抜けない。
疲労回復の呪文もあるにはあるが、むやみに呪文で疲労を抜くのは好ましくない、というのが常識であった。呪文で疲労を抜き続けると肉体が持っている回復力が無くなってしまうらしい。
結局一日中目覚める事なく、二日目の昼まで寝ていた。
二日目も疲労が抜けず、同じく泥のように眠った。
時々起きだしては、宿から用意された食事と水分を取り、また眠るという事を繰り返した。とはいえ、寝て起きるごとに体の節々の痛みが減ってきた。
風呂に入り、気持ち悪い寝汗も流す。
三日目。
体の軋みや痛みがようやく収まり、体を動かしても問題ないかと思えるようになる。
この日から手持ちの武器防具や道具の手入れを行う。
打刀は迷宮探索と度重なる戦闘により、刃が欠けていた。
ドワーフの鍛冶工房に研ぎを依頼する。
同時に鎧や篭手、脛当ても出して修理を行ってもらう。履物についても新しく買う事にした。これらの代金もけして安いものではないが、命には代えられない。
仕上がりは四日後になると言う。
宿屋の宿泊期限と同じ頃合いと言うわけだ。
四日目。
鍛錬は中庭などでしているが、ずっと同じ場所に居ると精神が倦んでしまう。昨日鍛冶屋に行っただけで気晴らしも何もしていないので、たまには街に出ようかとしたところ、受付の人から気になる事を聞いた。
暗殺教団の人員が何やら動き始めている、と。
この手の宿には情報も集まってくる。大広間で人々が歓談している内容が宿屋の従業員にも漏れ聞こえてくるのだ。
どうやら暗殺教団の輩は一人の侍を探していると。
その侍の特徴が、俺と全く一致するので恐らく探しているのは貴方ではないかと受付の人が言って来た。
暗殺教団の連中は頭のおかしい奴もいるからくれぐれも気を付けてほしいとも。
「まさか、暗殺教団の連中が白昼堂々と襲い掛かってくるわけでもないだろう」
あの手の連中は夜の闇に乗じて襲い掛かってくるもの。
俺は故郷の忍びとの戦いを思い出す。
「ところがですね、あいつらは昼間でも標的を見れば襲い掛かってきますよ。曲がり角ですれ違いざまに首を一刺しとか、人が居ても関係無しに、教団の連中で囲ってごちゃついている間に殺すっていう手段も使ってきます。貴方様は手練れと存じますが、くれぐれもお気をつけて」
どうやら国が違えば暗殺の手段も常識も異なるようだ。
「ついでに言いますと、教団の手の者と思しき奴から質問も受けまして。貴方様のような特徴を持った客が宿泊していないかと。もちろん、当店は宿泊客についての質問は一切答えられないとは言いましたが、忍び込んでくる事も当然ながら考えられます。その際には、私どもの警備兵では防げないかもしれません」
まともに戦えば兵が勝つかもしれないが、相手は卑怯な事を厭わない暗殺者だ。
状況的に不利だろう。
「わかった。今日で宿を引き払おうと思う」
「誠に心苦しいのですが、お客様の安全を考えるとそうしていただけるのが一番助かります。この後はどうなさるおつもりで?」
「サルヴィの寺院を頼るつもりだ」
「わかりました。それでは一週間分の代金から三日分を差し引いてお返しいたします」
金を受け取り、荷物をまとめて俺はサルヴィの寺院に向かった。
実はサルヴィの寺院も宿を提供している。
それはもっぱら旅の僧侶の為のものだが、危険に晒されている人々を保護する為の役割も持っている。
サルヴィの寺院の背後にはイアルダト教の権威がある。
暗殺教団は実力行使を是とする教えがあるらしいが、イアルダト教の総本山に向かって表立って喧嘩を売る事は流石にすまい。
かといって、寺に密かに侵入するのも実は難しい。
寺院には僧兵たちによってあらゆる場所が警備、巡回されており、また侵入者を検知するための警報装置も取り付けられている。
僧兵たちも手練れ揃いであり、暗殺者からの不意打ちも想定している為そうそうやられたりはしない。
俺は寺院の入り口に佇む一人の僧に声を掛けた。
「今週の布施を納めに来た。それと、宿も願いたい。三日ほど」
僧は微笑みを返し、木製の器を懐から取り出した。
この中に布施と宿泊料を入れると、僧は頷いて部屋を案内する。
部屋は先ほどの高級宿屋と比較すれば望むべくもないが、結構な料金を支払ったおかげで個室に泊まる事が出来た。
木製の寝台に布団が敷かれており、小さな机と椅子のみ。
雪隠や洗面所は共同のものを使用する。
寺院の生活は過度な贅沢は建前においては禁じられている。
なので、俺のような一般人や僧にとってはこれが一番良い部屋なのだ。
俺は荷物を置き、部屋を出た。
向かう場所は死体安置所。
寺院の地下にあり、死体を扱う場所とあって人の出入りは少ない。
狭い棚のように五段以上の多段になっている寝台が何列も並んでおり、その中には死体が安置されている。死臭を消す為に香が焚かれているが、俺はこの香の匂いが嫌いだ。
比較的損傷が少ないものはそのまま寝かされているが、損傷の酷いものは布で何重にも巻かれている。
すいません、と声を掛けるとここを担当している僧が奥から姿を現した。
「俺の仲間の遺体の場所に案内してください」
僧は俺の言葉にうなずき、こちらだと身振りして死体置き場の奥の扉を開けた。
地下の更に地下。
湿気た空気が更に重く、じっとりと立ち込めている。
徐々に空気が冷たくなって俺の吐く息が白くなっている。
僧は扉の前に立つと呪文を詠唱し、扉の鍵を解除した。
「どうぞ。部屋は寒いので長居は禁物です」
俺は扉を開くと、ひゅうと身を刺すような冷気が通り抜けた。
この部屋は呪文によって部屋の温度を零下に保っている。僧の言葉によれば北の大地が真冬で雪が降りしきる時の温度くらいであるらしい。
当たり前だが死体は常温で置かれている限り、腐敗が進んでいく。
腐敗が進んだ死体は死体置き場にも置いておけないので、埋葬されてしまう。大体一週間、夏ならもっと早いだろう。
より多くの布施を払う事でこちらの冷温室に死体を保管してもらえるというわけだ。
それがまた死者復活の枷になっているのだが。
俺は仲間の遺体と向かい合う。
氷漬けになって寝台に置かれている仲間は、今は眠っているようにしか見えない。
他の仲間は、実は蘇らせる事には成功した。
したが、彼らは一度冥界を覗いてしまったせいか、あるいは死んだ後の魂の所在の無さ、孤独に苛まされてしまったからかわからないが、二度も三度も死にたくないと言われてしまい、冒険者を止めてしまった。誰も彼もが故郷に帰ったのだ。
今目の前に居る彼女は孤児で、故郷すらない。
引き取るべき縁のある人も居ない。
俺以外には。
俺以外に、誰が彼女を蘇らせてやれると言うのか。
今の俺はその為だけに生きていると言っても過言ではない。
ノエルと俺はいずれ夫婦の契りを結ぼうと思っていた。
迷宮を攻略したら……そう思っていた矢先の事だった。
地下五階探索中に罠で仲間の体力が減っていた上に、更に魔物、
俺とノエルだけは生き延びたのだが、ノエルはその後に毒を受けてしまい、解毒の呪文も毒消しも切れてしまってどうしようもなかった。
結局、地下五階から脱出出来たのは俺だけだった。
その後仲間を回収して、蘇らせて、金を稼いで……を繰り返して三か月が経ってしまった。
あと少しだけ待っていてくれ。
必ず、きっと必ず、蘇らせる。
俺は遺体に向けて拝み、地上に上がった。
いつの間にか外は暗くなっている。俺は部屋に戻り、眠りに着いた。
五日目と六日目は、動きがあるかと思って寺院の中でも警戒していたが、特に何もなかった。
暗殺者たちはやはり目立つ事は避けるのか、それとも寺院には本当に忍び込む隙間もないのか、侵入者が入ったという報せが寺院に響き渡る事は無かった。
疲労はすっかり抜け、体も十二分に動き、精神も張りがある。
もっと英気を養うために外に出ても問題は無いだろうと思い、野太刀だけ持って俺は酒場で飯を食べる事にした。
寺院の飯は俺たちのような肉体労働者には、量が物足りなく味も薄い。
香辛料と塩をたっぷり効かせた肉と、泡立つ金色の酒の味が恋しい。
故郷に居た頃は獣肉など食べたことは無かったが、今は獣肉を口に出来ないと体がなんとなく元気が出なくて物足りなさを感じる。
酒場に顔を出してみると、まるで幽霊と出会ったかのような表情で俺を見る奴らが多数居た。失礼な連中だ。
とはいえ、迷宮に行って帰ってきたらギルドに顔を出すのは冒険者の決まりであり、その際に酒場を通るので、迷宮に入ったまま姿を現さないと言うのは、つまりそう言う事だ。
俺は飯と酒を頼みながら、周囲の冒険者たちに何か変わった事はないかと尋ねてみた。
何でも最近、暗殺教団らしき者の動きが慌ただしいと言う。
何故そうなのかはわからないとは言うが、やはり俺の死体を確認できていないからだろうか。あの二人はまだ迷宮に潜っているのか、それとも一旦地上に出たのか。
その時、顔なじみの戦士から一つ面白い事を聞けた。
「ディーンとアンナ? って連中かはわからないが、僧侶と魔法使いの二人組がよ、お前が不意打ちして自分たちの持ち金とアイテムを盗んで逃走した、見つけたら報告をくれって言ってたぜ。んで、自分たちは迷宮にまだ居る可能性を考えて再度迷宮に潜るとか言っていたな。逃げたらそのまま地上までとんずらするんじゃねえかって思うけど、迷宮で死体になってるとでも思ったのかねえ」
俺がそんな狡い真似をするか。
周囲の冒険者も俺がそんな奴ではないと知っているから笑い話として話すが、冒険者の信用を著しく貶める嘘だ。
許せぬ。
「それよりもその二人、恐らく暗殺教団の一員だぞ。気を付けた方が良い」
「げ、マジかよ」
戦士は怖えなぁ、と呟いて酒をあおった。
迷宮に入った、となれば好都合だ。
恐らく地下六階をまた徘徊しているに違いない。
それか地下五階の階段で待っているか。
どちらにせよ、俺は逃げるつもりはさらさらない。
明日には武器防具も仕上がって帰ってくる。
どんな事があるにせよ、侍はただ一つ守らなければならない事がある。
舐められたら、殺す。
一族を、自分を、武士の誇りを汚すような奴らは許さぬ。
俺を舐めた事を後悔させてやらねばならない。
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