第五話:俺は騙されていた

 ようやく記憶が戻って来た。

 つまりは、俺は騙されていたというわけだ。

 薬が効いて痛みがひいてくると同時に、ふつふつと煮え滾る怒りが俺の頭を支配しようとしている。が、ここは冷静になれ。

 今は怒り狂う場面ではない。

 

 ここは地下六階。誰も踏破した事のない、未知の階層だ。


 度重なる戦闘による疲労、落下による骨折の痛み。

 体をまともに動かせない中で、一人で六階を探索しなければならない。

 少し考えるだけでも状況は最悪だった。

 

 痛みが消えても怪我が治っているわけではない。

 一時的に麻痺させているだけだ。

 回復薬も使えれば良かったのだが、探索中に使っていくうちに全部消費してしまった。

 それに骨折を治すとなると、回復薬がいくら必要になるだろうか。明らかに効率が悪く、僧侶の呪文を使った方が早い。大回復グレートヒールが使えるならそれで一発だが、使えない場合は回復ヒールを何度か唱えてもらう必要がある。

 無理は禁物、だが無茶しなければ俺はここから生きては帰れない。


「絶対あきらめてなるものか……」


 禁制の薬は残り六個ほど。痛みを消してくれる時間は日にちにしておよそ三日。

 あまり時間がない。

 八方ふさがりの状況に思えたが、不幸中の幸いにして俺の持っている地図には、不思議な効果を持っている。

 「妖精の地図」と呼ばれている。

 これはかつて別の地域の迷宮を探索していた時に発見したもので、これだけで城が一つ買えると鑑定した司教ビショップが言っていた。

 この地図には妖精が宿っており、歩いた場所を勝手に地図にしてくれるという素晴らしい道具だ。はじめはただの真っ白な羊皮紙にしか見えないと言うのに、気づけば地図が出来上がっている。

 しかも迷宮の名前や隠された扉、罠までもが記載されていく。

 魔法使いの「空間探知スペースディテクション」が用無しになる優れものだった。


 俺は魔法陣を消し、気力で立ち上がる。

 この階層の敵は何が出てくるか不明だ。

 打刀を抜き、最初から構えつつ一歩一歩、確実に進めていく。


 しかし六階は暗い。

 腰に提げていたランタンの灯りは全く役に立っていない。

 空間は全て闇に包まれ、壁に手を当て、刀で空間の先を探らないと何処に居るのかわからない。

 一歩進むたびに俺は地図を確認する。

 

 今の所、この階層には全く部屋が存在していない。

 まるで迷路のように入り組んでいる。あらゆる通路に分岐や一方通行の扉があり、そして気づけば転移の罠で違う場所に飛ばされている。

 この地図でなければ、飛んだ事に気づかないと間違った地図を作らされ、それでまた迷う要因の一つになるだろう。

 完全に悪意の下に六階は作られている。

 その代り、大部屋が無い分敵との遭遇率は多少低いように思えた。


 その時、まとわりつく空気が冷え始めた。

 何かが来る。

 俺は刀を構え、目を瞑った。

 これほど暗い場所では視覚による敵の確認など役に立たない。

 それ以外の聴覚、触覚、そして敵が持っている独特の匂いなどを感じ取って察知する。

 背後から音もなくそれはやってくる。

 冷気と怖気を伴って、冷たい手を俺の肩に掛けようとしている。

 肩から首元へと命を撫でるように。

 

 死者、特に肉体を持たない霊体特有の気配だ。

 

 今俺に迫ってきている奴は怨霊ガストであり、何らかの恨み憎しみを抱えて死んだ魂の成れの果ての集まりだ。

 奴らには明確な意志は無く、生前に受けた恨みや憎しみが何だったのかすらも忘れてしまい、抱えた負の感情を生者にぶつけてくるという霊だ。

 

 霊体には物理的な攻撃は効果が薄い。

 ではどうすれば倒せるか。

 もっとも一般的なのは、僧侶の解呪ディスペルだが、これは僧侶の力量が低いうちは中々成功しづらい。高位僧侶ハイプリーストともなれば、強大な怨霊であっても天に帰す事ができるらしいが。

 ともあれ、解呪ディスペル以外では魔法使いの呪文で吹き飛ばしてもいい。

 武器に何らかの属性が込められたものでも効果はある。基本四属性の火、水、風、土は言うに及ばず、光属性の武器ならば更に効果は高い。

 或いは不死者に特化した武器もある。

 退魔の力を込めた武器ならば一撃で奴らを昇天させられるだろう。


 だが、それ以外にも倒す方法はある。

 俺たち自身が持っている力を発揮する事だ。

 西洋の国であるサルヴィや他の国々の人々はこの力の使い方を知らないらしく、何度使って見せても摩訶不思議な攻撃だと言われた。

 俺たちの故郷では誰しもが、というわけではないがある程度の素養と訓練さえ積めば使いこなす事が出来る。

 

 それが「霊気」だ。


 俺たちの体には丹田を中心に、生命の力の流れが存在している。

 それらが滞りなく巡る事で俺たちは体を動かせているのだが、これを上手く持っている武器に流せるようになる事で、俺たちは霊気の力を武器に付与できる。

 東国、シン国では似たような技があって、それは単純に「チャクラ」の力と呼ばれていたな。まあどう呼ばれようが、使えれば何でもいい。


 背後に迫った怨霊たち。

 俺は振り向き、下から上に刀を振り上げる。

 怨霊は霊気の力を受け、普通ならば斬られないはずの体を斬られ、明らかに狼狽していた。更に細切れになるまで俺は刀を振るった。

 怨霊ガストはやがて、恨みの感情すら保てぬようになり、霧散して消えた。

 所詮は明確な意志のない霊。対処法さえわかればこの程度の敵だ。


 地下六階は地形には悪意があるが、敵自体は死霊や怨霊、そして不死系が主体とあって、その対処さえしっかり出来ていれば戦い自体は地下五階よりも楽に感じる。

 今まで遭遇したのは怨霊ガストの他にも生霊レイス幻影霊ファントム首無し骸骨サイス鬼火ウィル・オー・ウィスプ生命喰らいライフスティーラーである。

 やはり霊がメインで、たまに不死系が出ると言った感じだ。

 五階にいた吸血鬼ヴァンパイアすすり泣く女バンシーは、なぜか見ない。

 不死系と言っても肉体を失ってより骨や魂に近い存在が地下六階に出るようだ。


 不死や死霊の気配は独特で、気配察知に優れていれば接近を感じる事は容易だと言う。

 死者の感知はやはり僧侶が上手いが、盗賊や忍者、暗殺者もその手の気配察知には優れていた。見えないものを見る訓練をやっているからだろうか。

 俺もかつてその訓練を受けていた。

 忍者は気配を隠すのが上手い。侍はその気配を先んじて察知しなければならない。

 主が暗殺される事もあれば、機密情報を盗まれる事もある。

 忍者の気配に比べれば、死霊、怨霊の独特の気配など駄々洩れでどうという事は無い。

 

 死者の中でも気配を隠すのに長けているのが吸血鬼なのだが、それでも完全に隠せる奴にはお目に掛かった事が無い。

 伝え聞いた限りでは、吸血鬼の主ヴァンパイアロードであれば可能らしいが。


 地下六階をひたすら歩いていく。徐々に地図に図形が描き込まれていく。

 体が万全であれば一人でも探索は出来そうだったが、そうも言っていられない。

 分かれ道に出会った。どちらに進むべきだろう。

 右側からわずかな空気の流れを感じる。そちら側へ進んでみよう。

 歩くと、なにやら光を感じた。

 暗い地下六階に光が上から差し込んでいる。


 階段だ! それも上への階段!

 

 希望が少し見えて来た!


「あの侍、死んだかな」

「死んだでしょ。絶対。だから確認しに行きましょうって」


 上から誰かの声が聞こえて来た。

 同業者か? 助けを求めようかと一瞬思ったが、聞き覚えのある声に違和感があった。


「地下六階は霊だらけで俺は嫌いなんだよな」

「何言ってるの。ディスペルとか退魔の呪文使えるんだから貴方こそ適任じゃない」

「それはそうだが、どうも霊に遭うと鳥肌が立ってね……。あいつら俺たちの力をドレインしてくるし。力を戻すのが面倒でしょうがねえ」

「その為に魔除けの腕輪とかサークレット持ってきてるんじゃない。奴は多分、六階のあの辺に落下してるはずだから。もし生きてても足の骨は絶対に折ってるはずだから動けないでしょ」

「しかし勿体無いな。死体回収をやる冒険者なんて貴重なんだぜ。自分で死体を作り出そうともしない、誠実な奴は特にな」

「それでウチの仕事邪魔してるんだから、しょうがないわよね。死体回収の仕事を始める前に一度、ウチに話を通しておけばこんな事にはならなかったのに」

暗殺教団アサシンギルドが始末した奴を回収して復活させる手助けをしちまってるからな。いつか恨みを持った奴が教団に復讐するとも限らん。良い奴だったが仕方ない」


 この声は、ディーンとアンナのものだ。

 暗殺教団とか言っていた。

 あいつらの本業は暗殺者アサシンというわけか。なるほどな。

 本当の依頼は俺を殺す事だったのか。

 道理でディーンもあれだけ直接戦闘能力が高い訳だ。納得したよ。

 

 階段を上がるべきか?

 いや、冷静に考えろ。こっちは怪我している。対してあちらは呪文が使える暗殺者二人組だ。一緒に探索していた時は後ろに控えていたからわからなかったが、近接戦闘も相当に出来るに違いない。

 今戦うのは明らかに死にに行くようなものだ。

 奴らはまだ降りてくる気配がない。

 とにかく今は逃げるしかない。

 奥へ、奥へ。地図にもまだ記載されていない未知の場所へ。

 夢中で走っていると、目の前には扉が一つ現れた。

 降りて来ただろうか、自分を探しに来ただろうか。

 この先には何が居るか。

 どちらを選ぶか。

 ここで戸惑っているのは時間の無駄でしかない。

 迷う心を押し殺して、俺は扉を蹴破った。


「何じゃ。騒々しいの」

「人が、こんなところに?」


 今までは扉を開けても通路でしかなかったのに、突如部屋が現れた。

 その部屋は、まるで地上のどこかの家の一室と何ら変わりない造りになっていた。

 あるのは机と椅子に人が一人寝るだけのベッド。

 それと食べ物を保存する壺と本棚だけである。

 椅子の傍らには古びているが、がっしりとした作りの杖が立てかけられていた。


 部屋には老人が居た。

 老人は椅子に座り、何か飲み物を口にしていた。

 頭は禿げあがり、皺が多く刻み込まれた顔。髭が伸び放題になっていて顎ひげは胸の辺りまで伸びてしまっている。

 迷宮に老人が何故? 冒険者崩れなどが居るのはまだ理解できるにせよ、何故ただの老人が居るのか一瞬理解できなかった。

 服はぼろきれのようなものをまとい、みすぼらしい世捨て人の風貌。

 しかし瞳は濁っておらず、はっきりとした知性の光が宿っている。

 物狂いの類ではないはずだ。

 老人は俺をじっくりと見据えていた。

 

「俺は怪しいものではない、追われているんだ。この先に進ませてくれないか」


 俺は向こう側にある扉を指さした。

 老人は答えない。もごもごと口を動かしている。


「貴方に危害を及ぼすつもりはない。もし追っ手が来た場合、俺が来ていないとか嘘をついてほしいのだが……」


 老人は飲み物を置き、髭を撫でつけながら言う。


「お主。下に居る鬼とよう似とる」

「鬼? どういう意味だ」

「見た目はまるで似ておらんが雰囲気はそっくりじゃ」


 やはり物狂いだったか?


「鬼と人の半ばに居る若者よ。この先は更に地獄。無下に死にいく事はあるまいて」


 意味がわからない。

 どういう事だと問いかけようとした瞬間、老人は何かを詠唱した。

 その瞬間、不思議な感覚が宿った。


「なにっ!?」


 体がむずむずするような、何度経験しても慣れない感覚。

 空間転移の呪文を受けたようだ。

 空間転移を使える魔法使いは、今まで俺が会った中では片手で数えられる程度だ。

 あの老人、見た目とは裏腹にかなりの魔法使いであるのは間違いない。

 転移した先に広がる風景は、迷宮地下一階の出入り口だった。

 座標指定すら間違えないというのは、相当迷宮の地理にも詳しいのだろう。

 一体何者なんだ、あの老人は。

 しかし今の俺にはそれを考える余裕は無い。

 這う這うの体で俺は迷宮から脱出し、まずは寺院に立ち寄った。


 サルヴィの寺院。

 本当の名前は別にあるらしいが、街の誰もがサルヴィの寺院と呼んでいるのでそう定着している。

 寺院は状態異常や呪いの介助、死からの復活以外にも回復呪文による治療も施してくれる。重傷の怪我であれば自然治癒に任せるより、金を持っているならこちらの方が早い。

 お布施を坊主どもに支払い、俺は完全回復トゥルーヒールの呪文を受けた。

 骨折したあばらもあっという間に治り、捻挫や擦り傷、切り傷なども完全に治癒した。

 だが、疲労は呪文でも回復は出来ない。特に精神的な疲労ともなれば。

 坊主たちに礼を述べた後、俺はいつもの馬小屋ではなく、この街で一番高い宿屋に一週間宿泊の予定を立てた。

 一番高い宿屋の一番高級な部屋を取った。

 案内された部屋に入ると、広々とした空間に調度品がたくさん置かれている。

 何よりも部屋の中に雪隠と水道まで引かれているのは驚いた。風呂まであるじゃないか。

 上階にあるので街の風景まで一望できる。

 なにより一番気に入ったのは、広々とした寝床。三人くらいは余裕で眠れるくらいの幅がある。

 馬小屋では馬の匂いがしみついて疲れも良く取れない。

 基本的には節約しなければならないが、こういう時こそ金は使うべきだ。

 風呂で汚れを落とし、早々に俺は床についた。


 暗殺者たちはまだ迷宮内部にとどまっているのだろうか。

 俺が居ない事に気づくまで何日かかるだろうか。

 そもそもあの老人の部屋にまでたどり着けるのか。

 出来れば地下六階で迷っていてほしいが、あいつらは手練れなだけにそうなる前に撤退するだろう。

 この借りは必ず返さねばならない。

 必ずだ。

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