第二話:いざ迷宮へ
早朝。日が地平線の向こう側から顔を覗かせた頃合いを見て、俺は迷宮の入り口に赴いた。
迷宮は街の外れというか、街を守っている城壁の外にある。
街の外は獣や夜盗などが出現するので旅人や商人、冒険者以外は基本的によっぽどの用事がない限り城壁外に出る事はない。
大都サルヴィは城塞都市である。
いつから湧きだしたかわからない、遥か昔から存在している大きなオアシスを休息の場として利用していた商人の旅団がここを拠点とするようになり、交通の要衝でもあった為に人が徐々に集まり、いつしかサルヴィは大都市へと発展していった。
俺も初めてこの街を訪れた時は、城壁の堅固さと警備の厳重さ、それに建物の高さと人の圧倒的な多さには驚いたものだ。
今は遥か遠くの故郷の城下町もここまで見事な街並みではなく、街を行く人々の表情もここに居る人々のように笑顔ではなくどこか影のある顔であり、人心は荒んでいたように思える。この国は戦乱とはここ数十年は無縁だと、ある商店の翁が言っていた。
大通りを歩いていると、街はまだ半分眠っている。
商店を営む主人たちが、半分寝ぼけている店員たちを叱咤しながら開店準備を進めている。彼らの朝はとても速い。
迷宮の入り口に着いた。
迷宮の入り口には冒険者以外には居ないだろうと思うかもしれないが、そうでもない。
冒険者を相手に商売をしようとする抜け目のない商人たちが数多くたむろしているのだ。商魂たくましいとはまさに彼らの為にある言葉だ。
「あ、ミフネさん。こっちです」
昨日会った二人はちょうど迷宮横に居た。
二人の更に隣に見慣れない男が居たが、これが恐らくもう一人雇ったと言っていた戦士だろう。
風体がこの地域でよく見られる戦士とは一味違う格好をしている。
普通の戦士は金属鎧に篭手、脛当てに兜を付けているが、彼は金属製の防具は身に着けていない。動きやすさを重視してか、革の鎧と手首を保護する呪術的な装飾を施された木製の腕輪を装着していた。
金属鎧の代わりに、身を覆うほどの大盾を持っている。
これで大抵の攻撃を防いできたのだろう、盾には大きな傷も刻まれている。
彼はこれを左腕のみで持てるというのだから、相当な腕力だ。
右腕にはこれまた大振りの鉈のような剣を持っている。斬ると言うよりも腕力と武器の重さに任せて叩き潰すと言った考えの武器だろう。
彼の肉体も持つ剣と盾を扱うにふさわしく、大柄で筋肉が荒縄のように盛り上がっている。彼の体には多くの傷跡が刻まれており、戦いの中を生き抜いてきた生粋の戦士であることを示していた。
「おうおう、お前がサムライとか言うけったいな職業の男か。随分とちっこいな、ん?」
俺の背丈はこちらの大陸の男たちと比較して、少し小さいくらいだがこの大男に掛かればチビ扱いと来たか。
「見かけが多少小さくとも、彼は手練れですよ。地下五階まで探索したことがあるんですから」
「地下五階まで? それはそれは、依頼人が言うならそうなんだろう。それにしても、東の果てからわざわざこの土地まで来るとは、物好きな人間も居るものだな」
「減らず口ばかり叩くのがお前の流儀か?」
「なんだと?」
「二人とも、出会ったそばからいがみ合うのはやめてくださいよ」
俺と戦士の男が言い争う様子を止めたディーン。
アンナは早速の険悪な雰囲気にうろたえている。
「この程度、口喧嘩にも入らねえよ」
「その通りだ。戦士は血の気が多い連中ばかりだからな、これくらいどうという事もない。むしろ戦士はこのくらい荒々しくなければ魔物と対峙も出来ん」
「ともかく、二人とも自己紹介して下さいよ。臨時のパーティとはいえ、仲間として迷宮に潜っていくんですから」
ディーンの言う事も、もっともである。
俺は男に自分の名前から語り、頭を下げた。
「三船宗一郎だ。こちらの呼び方に倣えばソウイチロウ=ミフネと言う。呼びづらいならソウとでもミフネとでも好きに呼んでくれ。職業は、まあお主らの言う侍だ。よろしく頼む」
「おう。おれはゼフ=ゼハードだ。大都サルヴィから遥か北にある、森深い土地の部族、ガート族の戦士だ。見ての通り腕力には自信がある。どんな敵だろうと叩き潰してやるぜ」
ぶん、とおもむろに大剣を振り上げた。風圧が起き、俺の髪の毛やアンナの服を巻き上げる。
重い鉄塊にも見える剣を軽々と振り回せるのは、まさに力自慢と言って良いだろう。それがどこまで通用するのか、見届けたいところだ。
「ゼフ殿だな。よろしく頼む」
「さてそれでは皆さん、準備の程は良いですか? もし何か忘れているとあれば準備し直す時間もまだあります」
「万端だ。いつ突入しても問題ない」
「同じく」
「では行きましょう。一応依頼主である僕がリーダーを務めますが、僕に何かあったら一番経験が豊富と思われるソウイチロウさんがパーティを導いてください」
「心得た」
俺が言うと、あからさまにゼフが不満を示した。
「おいおい、俺だって迷宮は幾度となく潜って来たし、地下五階にだって行ったぜ。この兄ちゃんがどれだけ手練れかは知らねえが、俺だって前衛としての経験は限りなく積んできたと言う自負がある。いや、間違いなく俺はこの男よりも経験は上のはずだ」
なるほど。こういう手合いの男か。
下手に口答えをすると余計に面倒な事態になりそうだ。
「なるほど。ではその時が訪れたらゼフ殿にお任せしよう」
「ああ、もう。仕方ないな」
この人雇ったのは失敗だっただろうか、とアンナがぼそっと呟いたのは聞こえてない振りをしておく。やりたいと言うのならやらせておくのが無難だろう。
とはいえ、本当に危ない場面が来たら有無を言わさず俺が舵取りするつもりだ。
心の中でそう決心し、俺は改めて持ち物を確認する。
腰に打刀、背中に野太刀。
ハチガネの締め具合良し。鎧も良し。籠手、脛当ても目立った不具合は無い。
回復の薬、毒消しの丸薬、麻痺治しの調合薬、石化治しの銀の針。
万が一の深手を負った時の、秘密の薬。
魔法使いが死んだとしても迷宮を探索できるように、油を込めたランタン。
あとは地図。一応地下五階の踏破したところまでは描き込まれている。
地図は大事だ。もし描き込まれている地図の座標が間違っているとなれば、それはもう糞の役にも立たない。俺が持っている地図は、そういう「描き間違い」は起こらない仕組みになっているけどな。
他の仲間も、持ち物の最終確認が済んだようだ。
「おっしゃ、行くぜ」
ゼフが言って、迷宮の中に先頭で突入する。
俺がその後に、その後ろにディーンとアンナが続いていく。
迷宮の地下一階。ここは駆け出しの冒険者が主に探索している階層で、俺達にとっては用済みの場所だ。石畳や壁が綺麗に舗装されており、街中の建物の地下と行っても差し支えが無いくらい小ぎれいなものだ。だが灯りは無く、そのままでは遠くも見通せないくらい薄暗く、一歩先を進むにも一苦労する。
ここには間違いなく魔物が潜んでいる。
それ以外にも、魔物を相手するよりも駆け出し冒険者を狙った方が安全で、小銭を稼ぎやすいと踏んだ冒険者崩れの野盗、罪を犯して街に居られなくなった犯罪者たちが徒党を組んで襲い掛かってくる。魔物よりもむしろこちらの方が厄介かもしれない。
僧侶のディーンが「
俺たちの周囲が明るく照らされ、通路の遠くまで見通せるようになった。
迷宮を歩く前にはまずこれを唱えよ、と言われるくらい迷宮の中は暗く罠に満ちている。
暗い所を暗いまま歩こうだなんて自殺行為に等しい。
それと「
駆け出しのうちはどちらも使えないから、松明やランタンを持ちながら戦い、敵の正体もおぼろげなまま推測して何とか戦うしかない。
それでも運が良ければ何とかなるのが地下一階だ。強い敵に遭遇せず、奇襲を受けずに経験を積み、ひとつ成長出来れば一階の探索は安定する。
逆に言えばその程度の敵しか出てこない。
ここの敵に苦労するような有様では、到底この先の階層に至れるはずもない。
俺達は現れる
地下二階。
ここは一階とは少し毛色が変わり、状態異常を与えてくるような敵が増えてくる。
例えば毒を持ったぶよぶよした「スライム」という不定形の敵や、神経を麻痺させてくる歩く植物と言った曲者たちだ。
地下二階を通り抜けたいなら、十分に毒消しや麻痺治しの薬を持ち歩くか、僧侶がそれぞれ「
しかしここの敵も、今の俺達の敵ではない。
俺は後をついてくる僧侶と魔法使いの様子を見た。
彼らはまだ顔色も一つ変えず、冷静に着いてくる。
ゼフの前を行く速度は中々に速い。
迷宮には幾度となく踏み込んできたと言うだけはあって、自ら踏破して作った地図を見ては地下三階へと行く最短ルートを通っている。
「おい、お前ら遅いぞ」
「ゼフさんが早すぎるんですよ。もっと歩調を合わせて」
「ちんたらしてたら、お前の仲間の死体が魔物に喰われちまうんだぜ」
確かにそうだ。こう見えてゼフも情に篤い人間なのかもしれない。
「だが、俺達まで死体の仲間入りしたら元も子もないだろう」
「……確かにそうだな。地下三階に着いたら一旦休憩を取るぞ」
ちょうど地下三階への階段も見えて来た。
一旦降りて、その少し先で俺達は休息の為の陣を張った。
迷宮の中でも休息は取らねば先へは進めない。
その為に、一定の範囲内に魔物を寄せ付けない魔法陣というものが開発された。
冒険者を志す者ならばどのような職業であれ、まず最初に覚えるのはこの休息の魔法陣を描く事だ。これは呪文は必要なく、床の上に聖水を垂らし、特別な文様を描くだけで効果を発揮する。
魔法陣を俺が描き、四人で紋様の上に座り込む。
俺とゼフは余裕があるが、後衛の二人は少しほっとするような顔を見せた。
地下三階ともなると迷宮の様相は一変する。
これまでの敵に加え、
冒険者を志して数週間~数か月くらい経ち、何とか二階を踏破出来ても大抵の者がここで脱落する。死なずに迷宮から戻れたとしても冒険を続けられない程の致命的な怪我を負ったり、仲間が次々と死んで心が折れてしまったりと様々だ。
また、この階層以降に潜んでいる冒険者崩れはそれなりの実力を持った者も多く、奴らの手に掛かる冒険者も多い。
仕掛けられた罠も殺意をむき出しにしたものが増えてくる。方向感覚を狂わせる回転床や落とし穴、特定の場所を触れると飛び出してくる槍や釣り天井。
宝箱に仕掛けられた罠も爆弾や警報、僧侶や魔法使いを狙い麻痺させてくる罠など多種多様な仕掛けで冒険者を殺しにかかる。
「……なぜ、ゼフさんは冒険者になろうと思ったんですか?」
唐突にディーンが質問を投げた。
休息中、誰も喋らずに「
急造の迷宮仲間などこの程度だろうと俺は思っている。
すぐに誰もが仲良くなれるわけでもないし、目的を達成すれば解散するのが前提の間柄で、慣れ合う必要もない。
「そんなの決まってるだろ。冒険者なら迷宮から宝を持ち帰って一獲千金、ってのが誰だって考える事じゃねえのか?」
見た目から想像できるようなわかりやすい理由に、アンナが思わず噴き出した。
「悪いか?」
「いえ。大抵の冒険者は大体そう言うものですから」
ディーンが同調する。ひとまず乗っておこうという雰囲気だ。
「男子に生まれたからには金と名誉、そして女を求めるのは当たり前だ。特に俺の部族では男子たるもの、一度は旅に出ろとかいう決まりがあってな。俺にとっちゃ意味の分からん決まりだが、色んな場所を見て知識を得てこいって事なんだろうよ。実際、故郷から離れて色んな場所を放浪してみたが、様々な事を知れて楽しいっちゃ楽しかったぜ」
それ以上に揉め事や厄介事も多かったがな、と付け加えるゼフ。
「まあ今回の依頼をこなした後は、そろそろ故郷に戻ろうと思うがな」
「そうなの? まだ冒険者を引退するような風には見えないけど」
「目標にしていた金が貯まりそうなんでな。額は詳しくは言うつもりはねえが、これだけ貯まれば十分だ。あとは狩りなり、農作物育てるだけでもお釣りがくる。それによ、命を毎日張るような仕事は流石に懲りたんだ」
ゼフは続ける。
「考えても見ろ。毎日毎日、暗い穴倉の中に潜ってはこの世のモノとは思えんような魔物と命のやり取りをするんだぜ。慣れないうちは簡単に死ぬ。慣れた所で何かの拍子でやっぱり死ぬ。たまたま当たり所が悪かったとか、呪文やブレスを立て続けに喰らったとか。それでも戦いの中で死ねるなら誉れってものだ。俺達にとってはな」
戦いの中で死ねるなら、か。
その考えはある程度わかる気がする。侍の本懐もそこにあるように思う。主を守る為に戦って死ねるならそれは誉れだ。
「だがな、道に迷った果てに死ぬとか、罠に引っかかって死ぬなんざ、誉れでも何でもねえ、無駄死にだ。俺はよ、怖くなっちまったのさ。命を失う事にな。いくら復活できる呪文があるっつっても、それだって可能性の問題だ。迷宮の中で死んで、こうやって助けを出されるならまだいい。けど、その後復活できるかなんて運次第だろ? そこまでして毎日を運否天賦に任せるのは、もう嫌なんだよ。冒険者なんて長くやる稼業じゃねえ。特に、ガキなんて出来ちまった日にはな」
「子供が居るのか?」
「ああ。時々故郷には帰るんだが、小さかったガキがいつの間にか俺の胸くらいの背丈になってるのを見た時はびっくりしちまったよ。いい加減、腰を落ち着けた生活をしねえことには嫁にも申し訳が立たねえ。今回の仕事で冒険者稼業とはオサラバだ」
ゼフは一つため息を吐いた。
「身の上話なんざ、出会ってすぐの連中にやる事じゃねえってのによ。年喰っちまったぜ」
そうつぶやく彼の背中は、随分と丸く小さいように見えた。
俺はすれ違う人々の中にも、それなりの人生の背景があるという事を思い出す。
「なら、俺の身の上話も少しは聞いてもらおうか。俺はここから遥か東の果てにある、日ノ出国という国から来たんだが……」
その後、俺たちはそれなりに自分たちのそれまでの人生を話し合い、今まで何となく素っ気無かった仲間内の結束が少しはまとまった、気がした。
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