第七話 君の声を聞かせて

第7話 君の声を聞かせて その一



 焼け跡や診療所のなかを調べてみたが、最上や冴子やフレデリック神父は見つからなかった。神父はもともと山羊の悪魔が姿を借りていただけのようだから、本人は島内に来てはいなかったのだろう。


 賢者の石や、アンドロマリウスが医者たちにさせていたであろう実験に関する情報も、とくに目新しいものは得られなかった。


 しかし、今回の訪問で、多くの新事実を知った。それは大きな成果だ。

 青蘭の屋敷を襲ったのは、クトゥルフの邪神だったこと。

 アンドロマリウスが青蘭の祖父であり、アスモデウスが祖母であったこと。賢者の石はアスモデウスが天界から盗んだらしいこと。

 アンドロマリウスは賢者の石を使って、アスモデウスを復活させようとしていること。


 そして……青蘭は、そのアスモデウスの生まれ変わりだということ。


 冨樫に送られ、熊本に戻ってきたあとも、龍郎はその話題を口にすることができなかった。


 青蘭を愛している。

 愛しているがゆえに、もしも自分の前世が天使なんだと知れば、青蘭はいったい、どうするのだろうかと思うと、言えない。青蘭が遥か遠い世界に去っていきそうな気がして怖い。

 そんな思いをいだいていた。


「じゃあ、冨樫さん。いろいろとお世話になりました。ありがとうございます。お元気で」

「兄ちゃんたちもな」


 冨樫と別れて、龍郎たちは港に置いていた軽自動車に乗りこんだ。

 青蘭は助手席で帰りを待ちわびていたユニを見つけると、愛しげに抱きしめた。


「ただいま。ユニ。置いてきぼりにして、ごめんね」

「おれには言ってくれないの?」

「え? なんて?」

「置いてって、ごめんねって」


 ちょっと意地悪して言ってみると、青蘭は困りはてたような顔で龍郎をながめた。もじもじしているようすが可愛い。


「……ごめん、なさい」

「もう、どこへも行かないでくれよ? すごく心配したんだからな」

「うん」


 頰を桜色に染め、伏し目がちにうなずく。


 ダメだ。たまらなくキュート。心臓がイカれてしまう——


 龍郎が腕を伸ばして、青蘭を抱きしめようとしたとき、コツコツと車の窓を叩かれるような音がした。

 熊本城で最上に出会ったときのことを思いだして、反射的に周囲を見まわした。誰もいない。離れた位置で働く人の姿はあるが、車の窓を叩けるような距離ではない。


(変だな。気のせいか)


 龍郎は気をとりなおして、たずねた。


「家に帰る? それなら下関に向かうけど」

「観光したいなぁ。龍郎さんといっしょに温泉に行きたい」

「温泉いいね」


 M市の自宅では、清美が一人で退屈しながら留守番しているだろう。ちょっと悪いなと思ったが、清美がいれば、にぎやかになることがわかりきっている。青蘭と二人きりの今をもう少し楽しみたい。


 地図やスマホを調べ、相談の結果、黒川温泉に行ってみることにした。自然の風情を大切にした情緒ゆたかな温泉地らしい。手形一枚で何軒もの宿の湯巡りができるのもいい。


「かなり山のなかみたいだね」

「静かでいいよ。ゆっくりしよう」

「じゃあ、出発だ」


 ナビに従い、東へ進行する。

 なぜか、あの迷宮のなかで数日が経過していたようで、カレンダーの日付が思いがけなく進んでいた。おかげで、島へ行く前につぼみだった桜がほどよく咲き誇っていた。車窓から流れる春の景色だけでも目を楽しませてくれる。


 青蘭は目を細めてつぶやく。

「なんだか、こうしてると、あの島でのことが嘘みたい」

「そうだね。冴子さんには悪いことしたな……まさか、神父が悪魔の化身だったなんて。だから言動がおかしかったんだ」


 神父が守るというからつれていくことを同意したのに、結果、冴子を死なせてしまった。謝ってすむことではない。それでも、今ここに青蘭がいてくれることが、このうえなく嬉しい。自分はなんてヒドイ男だろうと、龍郎は思う。


 しかし、青蘭は龍郎が冴子の名前を出したとたんに気分を害した。

「あの女は嫌い。龍郎さんを狙ってた。変な匂いがしたし」

「そんなこと言うなよ」

「龍郎さんが僕を裏切ったら、殺す」


 龍郎は息をのんだ。

 おどろいて流し見ると、青蘭の目は真剣だ。刃物みたいにビカビカ美しい双眸を光らせているので、龍郎は笑った。ぷくっと青蘭が頰をふくらませる。


「なんで笑うの?」

「いや、可愛いなぁって」


 何を話していてもノロケになってしまう。すると、トランクのあたりで、ガタンと大きな音がした。かるい衝撃があったので、龍郎はあわてて路肩に車をよせた。


「なんか、動物でもひいたかな?」

「何も見えなかったけど」


 おりてみて確認したが、ぶつけたような跡はない。近くに動物も見あたらない。気のせいだったのだろう。きっと、ちょっと大きめの石にでも乗りあげてしまったのだ。


 再度、自動車に乗りこんで、車道に戻るためにウィンカーを出した。ちょうど追いこしていった車のドライバーが、ひきつった顔でこっちを見ていた。直進の道だからいいが、やけにこっちを凝視している。


「なんだろなぁ。あの人。ちゃんと前見て運転してくれよ」


 龍郎は気にしていなかった。

 このときは、まだ……。

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