第6話 ラビリンス その十四



 自分たちのなかに、山羊の悪魔がいる——


 いっきに緊張が走った。

 みんながそれぞれの顔をうかがいながら、ジリジリとあとずさる。

 龍郎と青蘭だけが、おたがいの手をにぎりあっていた。他の三人には、信用できる相手が誰もいない。


 最上が押し殺した声でつぶやいた。

「でも……おれを襲った山羊なら、さっき、そこにいただろ? あの化け物といっしょにいたおれは違う」


 神父が首をふった。

「いや、それを言えば、全員、違うことになる。私たちは君が襲われていたときに三人いっしょにいたし、そこのレディーは、さきほど、我々の前で襲撃を受けていた」


「でも、僕の考えは間違ってないと思う。ここは島だ。船で乗りこんでくるしか上陸の方法がない。なら、僕といっしょに来たか、龍郎さんたちといっしょに来るしかなかった。そのあとから追ってきたんじゃ、魔法が発動するまでに、この場所に到着してない」と、あくまで青蘭は主張する。


 神父はうなずいた。

「だろうな。たぶん、我々が目撃した、あの殺人鬼は、ただの影のようなものだろう。悪魔の本体じゃない」


 そう言えば、以前にも、霊体と実体を使いわける悪魔がいた。今回もそういうようなものだろうと、神父は言っているのだ。


「ということは、今、目の前にいる悪魔は、本体の人間ってことですね?」


 龍郎がたずねると、神父はうなずき肯定の意思を示す。


「このなかに、悪魔がいる」


 そしてまた、五人は膠着こうちゃく状態になり、たがいを観察しあう。


 ただ、冴子だけは状況がよくわかっていないようだ。自分を襲った化け物がこのなかにいると言われ、恐れおののいてはいるが、結界がどうとか、影がどうとか言われても理解に苦しんでいるようすだった。


「……ねえ、さっきの襲ってきたヤツ、男だったでしょ? あたしは違うわ」


 最上が罵る。

「そんなの化け物なんだから、なんだってできるだろ!」


「まあ、悪魔じゃなくても男装などで、見ための性別を変えるってことはできるな」と、神父まで言う。


 龍郎は気づいたことを言ってみた。

「でも、背が高かった」


 しかし、神父はこれも否定した。

「それこそ、悪魔なら、そのていどのことはごまかせるんじゃないのか? 本体とは言っても、化身した姿だ。真の姿はまったく別のものだ」


 化身するときに、ほんの少し身長を伸縮させるくらいのことは、魔法でなんとでもなりそうだ。


「それに第一、殺人鬼の姿が悪魔の影だとしたら、本体との比較はなんの意味もない」


 そう神父に指摘され、龍郎はひきさがるしかなかった。

 こうなると、誰が悪魔なんだか、さっぱりわからない。


「青蘭。匂いでわからないかな?」

「ダメです。距離が近すぎて、よくわからない。でも、アイツの匂いは……たしかにする」


 嫌なことを思いだしているのだろう。

 うなだれる青蘭の肩を龍郎は抱きよせる。


「もう一人で苦しむことは何もないよ。これからは、おれがいる」

「うん。龍郎さん……」


 龍郎の肩に頭をもたれかけてくる。

 二人のようすを見て、チッと最上が舌打ちをついた。


 そのとき、とつぜん、冴子がささやいた。不安そうな顔をしている。

「ねえ、なんか音がしない?」


 言われてみれば、そのとおりだ。

 足音が近づいてくる。さっき殺人鬼が消えた方向からだ。

 また、あの山羊の作った“影”だろうか?


 龍郎は青蘭の手をつかんだまま駆けだした。かどをまがったとたん、誰かとぶつかった。龍郎は声をあげた。向こうも「わッ」ととびのき驚いている。


「あれッ? なんで、ここに?」

「おお、兄ちゃんか。おどかすなよ」


 なんでだろうか?

 そこにいたのは、冨樫だ。

 日に焼けた冨樫のしわ深いおもてが、暗い廊下の照明に照らされている。


「冨樫さん? どうして、ここにいるんですか?」


 ぽそりとつぶやいたのは、冨樫ではない。青蘭だ。


「守衛だ。この人、以前、この診療所でガードマンをしてた」

「えッ?」


 そんな話、冨樫はしていなかった。

 それに、今この結界のなかに彼がいるのは、なぜなのか?


「まさか、冨樫さん。あなたが……山羊なのか?」


 冨樫は不審げな顔をする。

「山羊? なんで、おれが山羊なんだ? 山羊ってなんだ?」

「しらばっくれないでください。なんで、ここの警備員だったこと、黙ってたんですか?」

「そんなこと、あんたを送るのに、なんの関係もないだろ?」

「そうだけど。じゃあ、なんで、ここで働いてたんですか?」

「探偵ってやつさ。ここを調べりゃ、娘のことが何かわかるんじゃないかと思ってな」

「ああ、なるほど……」


 まあ、もっともな理由ではある。

 屋敷で娘に何かされたと思って潜入捜査していたわけだ。


「じゃあ、今は? どうして帰らなかったんですか?」

「兄ちゃんたちのことが気になってな。途中でひきかえしてきた」


 龍郎はうなった。

 これは信用していいのだろうか。信用してはいけないのだろうか?


 冨樫に対して悪い印象はこれまでなかった。娘を思う親心は本物だ。冨樫が山羊の悪魔だとは考えにくい。


 迷っていると、背後から神父が声をかけてきた。

「まあいいじゃないか。容疑者が多いほうが、ミステリーはおもしろい」

 とっておきのブラッジョークのつもりなのか、クスクス笑っている。


 龍郎は神父の不謹慎さに、かるく気分を害した。どうも、この人とはあわないなと思いながら、

「フレデリックさん。そのジョーク、つまらないです」


 話しているところに、遅れて、最上がやってくる。足を負傷しているから急ぐことができないのだ。


「おい。おまえら、おれを追いてくなよな。襲われたら、どうしてくれるんだ?」


 龍郎はため息をついて、ふと気づいた。

「冴子さんは?」


 冴子の姿が見あたらない。

 さっきから、また血の匂いが強くなったような……?


「冴子さん!」


 急いで、さっきの場所まで戻った。

 廊下のまんなかに、冴子が倒れていた。きれいな顔を朱に染めて——

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