第6話 ラビリンス その九



 夢のなかで夢を見るように、青蘭の目を通して、青蘭の記憶のすべてをながめてきた。


 ようやく、龍郎の叫びが青蘭に届いた。龍郎を拒絶する扉の内に立った。むりやりこじあけた扉の迷宮の最奥に、青蘭はうずくまっている。真っ暗闇の病室のパイプベッドの上で、背中を丸めて小さくなっている。


「いや……見、な……で」

 声も出ないようだ。


 これが、青蘭が隠したがったもの。

 僕は化け物だから。

 僕のほんとの姿を知れば、龍郎さんだって逃げだすよ。

 そう言っていたのは、きっと、この……。


 龍郎が足をふみだし、近づこうとすると、青蘭はぎこちなく、しかし必死のようすで壁ぎわに身をよせた。


 哀れな人。

 かつては天空であれほど輝いていたのに。天界でもっとも美しいと賞賛された天使が、残酷なまでにすべての輝きを剥ぎとられ、みすぼらしくふるえている。

 羽をむしりとられ、臓物をひきずりだされ、詰めこまれた香辛料を傷口からハミだし、丸焼きにされたガチョウだ。


(でも、変わらない)


 どんなにむごい罰も、仕打ちも、地獄の業火も、彼の魂の輝きまでは奪えなかった。たとえ正気を失っていてさえも、誇り高い。


「おまえは、おまえだよ。どんな姿でも」


 龍郎はその人を抱きしめた。

 もっとも傷ついた姿の青蘭を。


「好きだよ。青蘭。愛してる」


 唇をかさねると、いつもと違う感触がした。でも、気にしなかった。そのまま深く、くちづける。

 やがて、龍郎の頰に熱いものがこぼれおちてきた。青蘭の涙だ。


「……ほら、嘘じゃなかったろ? 青蘭」

「うん……」

「おれを信じてくれる?」

「うん」


 抱きあっていると、闇が晴れた。

 龍郎と青蘭のつないだ手から、ふれあった胸から、かさなる肌のすべての部分から、あわい光が発する。その光は優しく青蘭を包み、傷痕をいやした。

 いつもの青蘭が、べそをかいた子どものように龍郎を見あげている。


「やっと見つけた。おれの青蘭」

「龍郎さん……」

「もう疑うなよ? 絶対におれは裏切らないから」

「うん」


 龍郎の肩に頭をのせてくる。

 甘えた仕草が、龍郎の胸を熱くする。


(五歳のおまえを火事の前に助けだすことはできなかった。でも、おれはギリギリまにあったんだろうか?)


 二十歳の青蘭を救うことはできたのか?

 もしそうなら、二度とこの手を離しはしない。これからさき、どんなツライことがあろうとも、必ず守りぬく。


 あらためて、龍郎は決意した。


 それにしても、まわりのようすがおかしい。そこは白っぽい照明に照らされた病室だ。青蘭を見つけだすことはできたが、まだ魔術の迷宮のなかではあるようだ。


「この魔法、どうやったら解けるんだ?」

「さあ。僕にもわかりません。こんなことになったことないから」


 青蘭の心は何人かに分離してしまっているから、一人の青蘭を見つけても、迷宮からぬけだせないのかもしれない。


(発狂したアスモデウスがこの迷路を作りだしてるのかもな)


 たぶん、五歳の青蘭は救えたと思う。二十歳の青蘭も。

 だが、アスモデウスが残っている。アスモデウスは青蘭の根源である存在。そのアスモデウスが狂っている。だからこそ、根深い迷夢が生じているのだろう。


「なんとかして、出口を見つけよう」


 ことによると、アスモデウスも救わなければ、この迷宮からは出られないのかもしれない。

 青蘭のことは愛している。でも、アスモデウスのことは、よく知らない。とても美しい智天使だったとしか。彼を救うことなんて、今の龍郎には荷が重すぎる。なんとか、物理的に病院を脱出するだけで、この魔法が解かれればいいのだが。


 龍郎は青蘭の手をひいて、ベッドをおりた。ドアをあけようとするが、鍵がかかっている。ドアノブをまわしても開閉できなかった。


「閉じこめられてるな」

「たぶん、これ、十五歳くらいのころの記憶だよ。ずっと監視されて、監禁されてたから」

「…………」


 それは青蘭のなかから見ていたので、言われなくてもわかる。

 まったくヒドイ話だ。青蘭のまわりにいたヤツらは、みんな人間のクズだと、龍郎は思う。


 みんなにとって、青蘭がワガママな絶対君主でいるよりも、みすぼらしい芋虫でいてくれるほうが、手がかからなくて都合がよかったのだろう。あんな状態の青蘭を一室に閉じこめて、いっそ正気を失ってしまえばいいとでも、医者たちは考えていたのではないだろうか。


「どうやって、ここから出よう? 鍵が外されることはあるの?」

「僕が十六になって、おじいさまが亡くなるまでは、このままだったよ。ときどき、あの山羊のヤツが来たんだけど。そのときは他の医者たちを眠らせてたんじゃないかな? 魔法か何かで。たぶん、所内の職員の誰かが本体だったんだと思う」

「えっ? 正体、わかってないの?」

「わからないよ。おじいさまの遺産が僕のものになったとき、ここを閉鎖して、職員は全員クビにしたから」

「じゃあ、そのなかに、山羊も……」

「そうだと思う」


 変だなと、龍郎は思った。

 悪魔なら青蘭のなかにある快楽の玉の匂いに惹かれないわけがない。あっさりと青蘭を諦めるとは思えないのだが。


 ともかく、今は、ここから出る方法を考えなければならない。

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