転生先の人に記憶を見せびらかしてみた

千湖

短編

 俺は大きくため息をついた。

 やっと残業が終わった。開放感と疲労感が同時に体にのしかかってくる。

「今日は何時に終わった〜」、とか「早く帰れるぞ!」 と一喜一憂していた頃が懐かしい。おおあくびをしつつゆっくりと帰路へついた。


 駅までの道を歩きながら、ぼんやりと考え事をしていた。

 毎日毎日仕事三昧。就活を適当に済ませたツケが今更回ってきたようだ。最近思うことはただ一つ。この俺という存在に何か意味があるのかということだ。恋人もいなけりゃ友達もいない。仕事にも積極的ではなく、ただ周りに流されているだけ。

 人生とはどうあるべきなのか。さっぱり分からない。


 だらだらと思考に身を任せていたら、歩行者用信号が赤に変わったことに全く気づかなかった。

 横断歩道を渡りきれなかった俺は、安っぽい軽自動車のボンネットにぶつかり、勢いよく飛んだ。自分の体がぶっ飛んでいく様を、さも他の人間がはねられている姿を見るかのように感じていた。

 意識が途切れる直前、

「もっと自由に生きたかったな〜」

とかありきたりなことを考えていた。


                *


 小鳥のさえずりが窓越しに聞こえてくる。朝日の穏やかな暖かさが寝具に染みていくのを感じ、エリックは目を覚ました。

 寝ぼけ眼をこすっていると妙な感覚に陥った。またこれだ。幼い頃からずっとこの感覚に悩まされている。

 脳裏に浮かぶのは、見たこともない部屋だ。その部屋にあるのは、中央の絵が動く装飾のない薄い額縁がくぶちの四角い箱、何を光源に使っているのか分からない白い光を発する照明器具。手のひらに収まるくらいの長方形の鉄の板。どれもはっきりと覚えている。だが、自分の記憶ではない。一体誰のものなのか見当もつかない。エリックは記憶を消し飛ばすように頭を振り回し、ベッドから立ち上がった。


                *


 今、俺はとてつもない体験をしている。てっきり死んだかと思ったが、……いや多分死んだのだろう。……あっちの世界では。どうやらが異世界とでも呼ぶべき場所に転送されたらしい。俺はエリックという若者の頭を間借りしている。彼は俺のことを認識することはできないらしいが、対して俺はエリックの五感だけでなく感情まで読み取ることができる。最近はエリックに俺の記憶を見せるというイタズラがマイブームになっている。これが中々面白い。


 俺は今この上なく楽しい。ゆくゆくはエリックの体の支配権を獲得し、彼には眠ってもらう。そうして俺は第二の人生をスタートさせるつもりだ。彼には悪いがこれはご褒美だとしか考えられない。こんなRPGみたいな世界。


                *


 エリックは自分のステータスを確認し、成果に満足していた。


 レベル上げを続けた甲斐があった。ようやくスキル〈瞑想めいそう〉を習得することができた。これであの記憶と対峙することができるだろう。

 どんな資料や本を漁ってもあの記憶の中にある調度品や景色に似たものは存在しなかった。ただ、そうした行いは無駄ではなかった。

 僕は一つの推測に至った。

 それらはもしかすると異界のものかもしれないということだ。

 そう仮定するならば、使えるかもしれないスキルが思い浮かんだ。精神の鍛錬に用いる〈瞑想〉だ。

 早速使ってみよう。呪文を唱え、瞳を閉じた。

 

 瞳を開くと、真っ白な空間が現れた。精神世界に無事に着いたようだ。謎の記憶を強く念じると、目の前にいくつもの動く絵が宙に現れた。どうやら僕の推測は間違いではなかったようだ。

 それに触れると、風景が動き出した。その景色は僕の知る世界とは全く違っていた。そこに住む人々はみな魔法道具に似た高度な技術で作られたであろうアイテムを自在に操り、巨大で多彩な建造物に囲まれ、生活していた。

動く絵の中心にいる人物はいつも決まっており、察するにこの男が記憶の主のようだ。膨大な彼の記憶を一つずつ見ていくことにした。



 開けた原っぱで彼と同年代と思われる数人の男の子たちが遊んでいた。彼らは走っていた。その中心にあるのは白黒のよく弾む球で、それを足を巧みに使い、取っては取り返しを繰り返していた。その中に彼はいたが、なかなか球をとらえられず、しまいには泣き出し、他の男の子たちに置いてけぼりにされてしまった。



 彼は少し成長して背が伸びていた。みな同じ軍人のような黒い服を着て、机に向かい、紙に何かを必死に書いていた。場面が変わり、彼らの書いた紙が順に返却されていく。彼の番になると、師匠に類する強面こわもての男が怒鳴り、紙を返した。周りの子供たちは彼を仕切りに指差し笑った。その笑いは楽しさからくるものではなく、嘲笑に見えた。



 彼はまた背が伸びていた。今度は労働をしていた。箱に沢山のスイッチ類がついた魔法道具の前に立ち、エプロンをつけ、次々に並ぶ客に右往左往していた。彼は勝手がわからないようであたふたしていると、同じエプロンを着た貫禄のある老女にこっぴどく叱られていた。



 今度は建物の屋上にいた。先ほどとは異なる軍服を着ている。彼はひどく緊張しているようで落ち着きがなかった。彼の目の前にいる女の子は彼が渡した手紙、おそらく恋文をしげしげと見つめていた。女の子は彼に手紙を返し、薄ら笑いを浮かべながら何か言うと、その場から立ち去った。彼はガックリとうなだれ、動こうとしなかった。


                 *


 ひとしきり彼の記憶を覗いた。彼が働く場所探しに苦労する姿や家族との数少ない思い出、そして唐突な死の瞬間。どれも異界を初めて見た僕にとって彼らの文化や生活は実に刺激的なものばかりだった。


 だが、彼個人に関してはそうではなかったかもしれない。その証拠に記憶を見た後で自然と口から言葉が漏れてしまった。


「……しょうもないな」


 その発言が何をもたらしたのかは分からないが、それからプツリと彼の記憶は途絶え、二度と頭の中に出てくることはなかった。

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