第35話世界が闇に染まるけれど

「ヤトさん、時間稼ぎって、蘇芳は知らないのよね?」


「当たり前です。あいつ、神殿や王宮から何度もリナ様を引き渡すように言われても理由つけて拒んできたんだ。俺たちの動きを知ってたら、絶対阻止してたでしょう」




 騎乗した私の後ろでヤトさんが手綱を持ち、セラビ公爵家の横の道の角で左を見張るようにしていた。




「よし、行ったな」




 左の道に、見慣れた蘇芳の馬車が王宮へと向かって次第に小さくなっていくのが見えた。馬車の背が完全に見えなくなってしまうと、私は自分でも馬鹿な願いを口にしていた。




「ヤトさん、最後に蘇芳に別れを言わせて」




 黙って消えて、それを知った時に蘇芳はどうなるのだろう。




「あなたは、何言ってんです?!」




 後ろから両肩を掴まれて、強引に上半身を振り向かせられる。




「あいつのことなんて放っておけばいい!あなた拐われたんですよ?半ば監禁されて、酷い目に合ったでしょうに!」


「そんな!蘇芳は何も!」


「一緒にいて同情したんですか?可哀想だと憐れんでいるんですか?」


「ヤトさん!」




 違う違うと首を振る私を見ても、怒りを湛えたヤトさんが我慢ならないとばかりに彼を罵る。




「あいつを気に入っていたのに。なのに、こんな卑怯な手段を取るなんて。助けなきゃ良かったんですよ、あんな醜い獣」




 自分に浴びせられたかのように、心が抉られる。


 そうじゃない、と叫ぶ余地は無かった。




「一旦神殿に寄ってから直ぐに出発します。急ぎます」




 一方的に早口で言うと、ヤトさんは馬を右へと進ませた。そして、市街地から離れて人通りが少なくなると、いきなり馬を走らせた。


 馬の首にしがみついているのが精一杯で、括った髪がバサバサと背中に打ち付けられる。




 元の世界に送ると言われた時、何の感慨も湧かなかった。帰ることを自分で望んだはずなのに、喜べない自分に戸惑う。




 私はどうしたいの?




 兄と過ごした記憶を思い返したら、モノクロだった光景に色がついて見えた。


 薄グリーンの冷蔵庫。何度も開けては中身を探る兄の白い手。着古した自分の青いTシャツ。汚れた紫のスカート。


 投げ与えられたおにぎりを半分こする兄の笑顔。




 暖かい色もあったんだ。そう感じるが、以前より遠い記憶になったように思う。




 お兄ちゃん、私は…………




「リナ様、さあ」




 ヤトさんの声に我に返ると、馬は既に止まっていて神殿の前だった。手を取られて降りると、待っていたらしくアマナ様が駆け寄ってきた。




「良かった、リナ様」


「ご心配を」




 アマナ様の背後に他の神官やマーサさんがいたが、その中にライオネル様を見つけて驚いた。




「あなたが、なぜ?蘇芳を呼び出したのでは………」


「君との最後の別れだからな。あいつは王宮で私の登場をずっと待っているだろうがな」


「ええ?」




 ポツンと一人待ち続ける蘇芳を思い浮かべると何とも言えない気持ちだ。




「警戒心の強いあいつの元へ間者を忍ばせるのは骨がいったものだ。だが意外に丁重に扱われたそうだな」




 間者とは、私を逃がしてくれた護衛騎士のことだろうか。


 ずっと機を窺っていたのだろう。




「リナ」


「あ」




 ライオネル様が私の手の甲にキスを落とす。




「君のことは忘れない。私のことも、たまには思い出してくれよ」


「ライオネル様」




 ニヤリと悪戯をした少年のように笑い、私の髪を少しだけ弄る。




「本当に…………私と結婚して欲しかったんだがな」


「え…………あの」


「向こうで元気で過ごせ」




 ライオネル様が一歩下がると、アマナ様が私の手を両手で握った。




「神のご加護を。あなたがこの世界にいらしたのは、きっと神の采配。聖女たる愛し子を、神は常に守っていらっしゃいます」


「………はい。アマナ様、ありがとうございました。どうかお元気で」




 私の肩にヤトさんが黒いフードのついた羽織りを着せてくれ、再び馬上へと上げてくれた。




「では」


「気をつけて」




 ヤトさんがアマナ様に短く告げるや、馬は走り出した。


 ろくに気の効いたことも言えないまま、皆が遠くなっていく。




 神殿の前から郊外へと進んで行くと、勾配のある街道の先に手付かずの森が広がっているのが見えてきた。


 とても広大な森の遥か奥には、ヤトさんの言う聖地なる泉が湧いている。




 一歩間違えれば方向さえ分からなくなる細い道に、ヤトさんと後続の護衛が慎重に馬の速度を緩めて進む。




「リナ様、聖地まで道案内をお願いします」


「はい」




 勘のように、私には泉の位置が分かっていた。これが神の導きなら出来すぎだが、泉からやって来た聖女である私には帰巣本能でもあるのかもしれない。


 この世界に来た時は、逆に泉の周りばかり巡って森から抜け出せずにさ迷った訳だが。




「待て」




 馬を止めたヤトさんが、ふいに後ろを振り返り目を凝らした。




 森の入り口から淡く日光が注ぎ、外の景色をまばゆく見せていた。そこに小さく黒い影が見えた。次第に近くなる影に、ヤトさんが舌打ちをした。




「あいつ!」


「………ああ」




 急かして再び馬を走らせれば、蹄に蹴散らされた小さな枝や草が散っていく。




「リナ」




 遠い声を確かに私の耳が拾った。




「行かないで!」




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