第34話望みはあるけれど2
「庭で手伝って欲しいことがあるんだ」
二人だけの朝食時、蘇芳に言われて反芻する。
「庭?」
「そうだよ」
「出てもいいの?」
1ヶ月、いや2ヶ月近く屋敷から一歩も出ることが許されなかった私は、聞き間違いかと思った。
「いいよ。リナを一人にはできないけど、僕と一緒なら構わない」
それにもうすぐ約束の期間も終わるしね、と蘇芳は安心したように笑った。
「もうそんなになるんだね」
あと2日で皆既月食の日だ。
「長い間不自由させたね。今度一緒に買い物にでも出よう。なんだったら旅行に行ってもいいよ。リナはどんな所に行ってみたい?僕は遠くで海とか山とか、珍しいものを沢山見たいな」
少年のように目を輝かせる彼に、「そうだね、楽しそう」と私も笑う。
この人が楽しそうにしていると、私も嬉しくなってくる。彼の気持ちを受け止められるようになって、私は彼が望むなら傍にいてもいいと思えた。
心に波は立たない。
朝食後、手を引かれて庭へと足を運んだ。
まばらにピンクの小花が咲いているが、広い庭には物足りなくて淋しい。
「リナは、どんな花が好き?」
「私?」
「うん、ここにたくさん花を植えて賑やかにしようかなって思って」
庭師ぐらいいるはずだが、蘇芳自ら腕捲りをして、花壇にシャベルで土を入れる。
「私は…………薔薇がいいな。あ、でも春は桜が好きだし、夏は紫陽花で秋はコスモスがいい」
用意してある球根や株を選り分けながら答えれば「どれがどれかよく分からない」と困った顔をする。
「これから植えるなら、チューリップかな」
「教えてくれる?」
おそらく私のために適当に用意しただろうそこに、幸い20株ほどのチューリップの球根を見つけて、彼に手渡す。
「土にこれぐらいの深さの穴を掘って、肥料を入れてから…………これを上に向けた状態で埋めて」
「よく知ってるね」
「施設で花を育てたことがあるから」
「…………そう」
埋めた所の土を手で軽く押さえて固める。
「……………蘇芳は、お父さんやお兄さんが今でも憎い?」
「そりゃあね。でも君に治療してもらってから、憎いと感じるのはあまり無くなったかな」
一つずつ小さな穴を掘りながら、世間話をする軽さで蘇芳は話した。
「今は可哀想だと思う。母のことは、あまり覚えていないけど、なんとなく、母は父を好きだったと思うし、裏切ったりしていないと思うんだ。僕を庇うような人が、浮気なんてことしないって…………だから父は可哀想で愚かだと思う。クスリのせいでおかしくなっていたにせよ、母を信じることもできなかったんだから。兄もそう。弟すら信じられずに、ずっと両親のことを引きずりながら生きていた哀れな人だ」
「私は…………」
球根を穴の中へと置いて、ゆっくりと気持ちを言葉にしてみる。
「悲しかった。私の中では、あの頃のことは昨日のことのようで、母の帰りを待ち続ける子供のままだったから。母は…………私の知る母は、ああいうものだと思っていたから、憎いとかではなくて、早く迎えに来るのを待っていて悲しくて淋しくて。兄がいないのが不安で」
「リナは、もう大人だよ」
ただ一言が、優しい。
「うん、今なら私は鍵を開けて飛び出せる。母の帰りを待つだけの子供じゃない。私は一人の人間だから選べるし決められる」
肩を並べて座っていた蘇芳が、私の頭を片手で引き寄せる。
「ごめん、髪の毛に土付けちゃった」
「え」
しまった、という表情で離した蘇芳の手は土だらけだった。
小さく吹き出して私が笑いだすと、彼も笑みを作った。
「ほっぺにも」
手の甲で私の頬の土を拭うと、そのまま顔を近づけてきた。
私は逃げなかった。
それどころか、目を閉じようとした。
「失礼致します、公爵様」
「何だ?」
護衛騎士の一人が急ぎ足でやって来て、離れた蘇芳は不機嫌に応えた。
「皇太子殿下が火急の用件にて、直ぐに登城するようにと」
「またか。用件は何だ?」
「それが会って話すと」
はあ、と溜め息をついてから、蘇芳が私を見つめる。
「行ってくるよ。ここはまた後で一緒にしよう」
「うん」
立ち上がった蘇芳が「待ってて」と名残惜しそうに言うので、私は頷くと笑ってみせた。
屋敷の中へと私を引っ張り入れることなく、庭で私に見送られて彼は去っていった。
信じてくれた。
そう感じて嬉しくて、私は植えかけのままで部屋へと戻ろうと思っていた。
「リナ様、こちらです」
先程の護衛騎士が辺りを窺うようにして、いきなり私の手首を引いた。庭の奥、離れの方へと急ごうとする。
「ど、どこへ行くの?」
「ここから出るのです」
大木の死角で見えなかったが、離れの近くの塀には小さな勝手口が設置してあり、護衛騎士が懐から鍵を取り出し中から解錠をした。
「早く」
外から声があり、強引に外へと屈んで押し出される形となった。
「ヤトさん?!」
「リナ様ご無事でしたか?遅くなって申し訳ありません」
勝手口の外には、ヤトさんと数人の神殿の護衛が待機していたらしく、馬が何頭も用意してあった。
「どうかお気をつけて」
勝手口の中から上半身だけを出した護衛騎士が「私はここまでです」と頭を下げた。
「私の弟は、あなたのお陰で元気になりました。これはそのお礼です」
「え?」
ばたんと戸が閉まり、今度はヤトさんに急かされて馬に乗せられる。
「あと1日半、殿下が時間稼ぎをしているが油断できないし、聖地までギリギリ間に合うか………急ぎます」
「ま、待って、ヤトさん!もしかして私を?」
急な慌ただしさに付いていけず、動揺する私に、ヤトさんが当たり前のように告げた。
「あなたを元の世界に送ります」
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